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第二十三話 『提案』

 冬が過ぎて、オレの年齢も十四歳となった。

 オーギスの街に来てから数えても一年近く経ったことになる。

 レイル・ティエティスに決闘で負け、家を追い出されてウルター孤児院で過ごすようになったわけだが、今の暮らしぶりは来た当初からそう変わりがなかった。


 朝は無詠唱身体強化(レイズ)の鍛錬をして、残りの午前中の時間は治癒術の勉強。

 午後はフィナに魔術戦を教えて、夜は様々な無詠唱魔術の練習をしての繰り返し。


 ニーネに久しぶりに一緒にお風呂に入らないかと誘われたり、別に要らないと言っているのにフィナがわざわざ誕生日プレゼントを買ってくれたりと、些細な日常の一幕はあったが、特筆するような変化はなかった。

 そんな平穏な日常の中で、その出来事は起こった。


「やあ、オーラルド君」


これから日課の体力トレーニングでもしようかと、ドアの外で靴紐を結んでいると、見知った人物から声をかけられる。

 入り口の門に視線を向けると、そこには白髪の青年シェン・アザクールと、彼の取り巻きの女の一人であるノルがいた。


「珍しいな。シェン達の方からやって来るのは。急ぎの用なのか?」

「急ぎの用っていうか、ニーネさんに話があってね」

「オレじゃなくて、ニーネにか?」


 シェンの発言に少し驚きを覚える。

 怪我をしたノルを治療するためにウルター孤児院に連れてきたのが、この前の冬のことである。

 それまでシェンとニーネは接点がなく、それからも交流をしているという話は聞いていなかった。


「話ってなんなんだ?」

「説明すると、少しなるからなぁ。そうだ。せっかくなら、オーラルド君も同席してよ」


 無詠唱魔術の特訓ならともかく、これから行おうとしているのは魔力の使わない体力トレーニングだ。

 後の時間にずらしても問題はないため、シェンからの頼みを素直に了承することにした。


「いいぞ。ついて来い」


 この時間なら、ニーネは自身の部屋にいるはずだ。

 部屋の前まで行き、扉をノックする。


「ニーネ、今いいか?」

「いいよ」


 扉を開くと、そこにはニーネとフィナがいた。

 シェン達のことを不思議そうに眺めるフィナを横目に、ニーネへと告げる。


「この前会ったシェン達が、ニーネに話があるみたいなんだ」

「そうなんだ。ちょっと部屋片付いてないけど、ここで良かったら今聞くよ」

「どこでも大丈夫ですよ。助かります」


 シェンはお辞儀をして答える。

 そんな様子を眺めながら、フィナが口を開いた。


「私は出ていった方がいいのかな?」

「いいんじゃないか? 別に話を聞くくらい。だろ?」

「うん、大丈夫だよ。この孤児院全体に関わる問題だしね。みんなに聞く権利があると思うから」


 孤児院全体に関わる問題か。

 シェンがこれから話そうとしている議題は知らないが、どうやらオレにも関わりがある話みたいだ。

 一体なんのことだろうと疑問に思いながら、シェンの口が開かれるのを待つことにした。


「今日はニーネさん達に提案があって来ました」

「提案?」

「はい。元々この建物はオーギスの街に孤児院を作りたいというニーネさんの話に賛同したノルのお父さんによって、格安で譲ってもらったものなんですよね?」

「うん、そうだよ」


 ウルター孤児院の成り立ちにそういう経緯があったのか。

 確かに孤児院の土地は広く、オーギスの街の中では比較的治安の良い区画にある。

 どうやって手に入れたのか、疑問に思っていたのも事実であった。


「ニーネさんの親のいない子供を救いたいという気持ちには賛同します。オーギスの街にはそういう子供は多いですから」

「ありがとうね」

「でも、オーギスの街の問題ってそれだけじゃないと思うんです」


 シェンは言葉に熱を込めながら言った。


「オーギスの街には治癒術師の数が絶対的に足りません。ニーネさんみたいに大きな怪我を治せる高度な治癒術を使える人なんて僅かで、怪我や病気をしても治してもらえずに死んでいく人がたくさんいます」


 シェンの言う通り、オーギスの街には治癒術師の数が少ない。

 というのも、この街では高い治癒術の料金を払える人が少なく、金にならないため治癒術を使える者が他の街に流れてしまうのだ。


 もちろん全くいないわけではないが、大抵は領主やマフィアといった金持ちのお抱え治癒術師ばかりだ。

 ニーネのような庶民向けの治癒術師はかなり珍しい。


「というわけで、僕はオーギスの街の医療体制を整えたいと思っています。具体的にはニーネさん達の協力を得たいんです」


 シェンは両手を広げて言う。


「僕はこのウルター孤児院を病院にしたいんです」

「……病院?」


 ニーネは頭にはてなマークを浮かべながら問いかける。


「そうです。ウルター孤児院を怪我人を治すための医療機関にしたいんです」

「今でもニーネは怪我人を治療しているぞ? それじゃ駄目なのか?」

「確かに個人的に怪我人の治療を行ってもらっているのはありがたいけど、それはニーネさん一人でだよね? 僕は孤児院のみんなが治療に関わるべきだと思うんだ」


 シェンは窓の外に映る、庭で遊んでいる子供に目を移しながら言う。


「ニーネさん一人じゃ治せる人の数は限られています。この街の医療を一人で担うのは無理です。だけど、ここには将来有望な子供がたくさんいる」


 治癒術の行使には莫大な魔力を要する。

 小さな怪我なら一日で何十人と治療することができるかもしれないが、命にかかわるような怪我だと術者一人分の魔力を消費してしまうこともあった。


「ニーネさんがここの子供達に治癒術を教えて治癒術師の数を増やせば、ここを大きな医療施設にすることも可能だと思うんです。もちろん時間はかかるかもしれない。だけど、シルバーウルフは全力を挙げて援助をします。お金が必要なら寄付をするし、治癒術が使えるノルの手も貸します」


 確かにシルバーウルフの資金があれば、ここにいる子供達を治癒術の学校に通わせることも可能になるだろう。

 治癒術師になれれば、将来も安泰だ。

 普通に働くよりも稼げるし、少なくともオーギスの平民にありがちな明日の食べるものに困るような貧しい暮らしはしないで済む。


「もちろん今までのようにタダで治癒術を施すというわけにはいかないです。ボランティアで施設を経営するのは現実的じゃないですからね。でも、料金は格安に設定するつもりです」


 そもそも治癒術でお金を取らないニーネが異常なのだ。

 治癒術師が自身の治療行為にお金を取ることはなんら変なことではない。

 パン屋が無料で客にパンを渡さないのと同じことだ。

 労働には対価が支払われるべきである。


「この提案はみんなが得をするものだと思います。オーギスの街の人達は医療を受けられるようになるし、この孤児院の子供達は今よりも裕福な暮らしができる。学校にも行けるようになる。どうです? 悪くない話だと思うんですけど……」


 シェンは熱くなった呼吸を整えながら、ニーネに問いかけた。

 ニーネは俯いて、しばらく目を瞑った後に口を開いた。


「あたしは気乗りしないかな……」

「どうしてです?」


 シェンはすかさず尋ねる。


「僕たちがシルバーウルフという盗賊団だからですか?」

「シルバーウルフが慈善事業に力を入れていることは街の噂で聞いているよ。話していて君が悪い人じゃないってのも伝わってきた」

「やっぱり治療にお金を取るところが駄目ですか?」


「それもあるけどね。一番の理由じゃないな」

「だったら、どうしてです⁉」

「あたしの主義に反するから反対」


 ニーネは泰然とした声で言う。


「あたしは何かの目的のために子供を育てたくないんだ。子供っていうのは本来、親から無償の愛を与えられるものだと思うの。だけど、ここにいる子は親が死んだり捨てられたりして、その無償の愛が受け取れなかった人ばっかりなの」


 無償の愛か。

 確かにオレも親からはそんな愛はもらったことがない。

 母親の顔は見たこともないし、父親はオレに金を与えたっきり放任主義の親の風上にも置けない人間だった。


「だから、あたしは代わりの親として無償の愛をあげたいと思ってる。でも、シェンくんの提案を飲んじゃったら話は変わってくる。この孤児院を治癒術の施設として運営するために、子供達を治癒術師にしようとするのは無償でもなんでもない」

「誰も治癒術師にするために子供を育ててくれなんて言っていないですよ。今まで通り子供達に接してもらって構いません。ただ治癒術を教えてというだけで――」


「子供達からもそう見えるかな? 治療院としてウルター孤児院を経営するようになって子供達を働かせれば、自分達は治癒術師にされるために引き取られたんだって思うはずだよ」

「そうかもしれないですけど、子供達は今より裕福の生活を送れますよ? それでも駄目ですか?」


 シェンの問いかけにニーネは一歩も引かなかった。


「金銭的に裕福な生活かどうかなんてどうでもいいことだよ。心が貧しくなるよりずっといい」

「別にお金と愛情なんて両立できないものじゃないじゃないですか。両方があった方が子供達も幸せになれますよ」

「確かにね。シェンくんの提案を呑んだ方が、みんな幸せになれるかもしれない。でも、あたしは誰かのためにウルター孤児院を作ったわけじゃない。自分のために作ったの」


 ニーネは白髪の青年を見つめて言った。


「だから、ウルター孤児院を治療院にするという提案は受けられないな」







 ニーネがシェンの提案を拒絶した後、これ以上の説得は効果がないと判断したのか、彼らはウルター孤児院を後にした。

 ただ、去り際に「またお邪魔します」と言っていた辺り、説得は諦めていないのだろう。


 シェンにはこの街を良いものにしたいという大義がある。

 その考えの下、行動をするのは非難されるものではない。

 どちらの言い分が悪いというわけではなく、お互いがお互いの正義のもとに考えを下した結果、主義主張がぶつかっただけである。


「フィナはシェンの提案に賛成なのか? それとも反対か?」


 話し合っていた間、ずっと黙っていたフィナに尋ねることにする。

 今はニーネとも別れて、二人きりの時間だ。

 彼女の目を気にすることもなく、フィナも意見を口にできるはずだ。


「私もニーねえと同じで反対かな」


 フィナは足元を眺めながら言う。


「他所の人にこの孤児院の方針をあれこれ決められるのも嫌だし、何よりニーねえが決めたことだから。尊重してあげたいって思うのが一番」

「フィナはニーネのことが本当に好きだよな」

「当たり前じゃん。私のことをここまで育ててくれた命の恩人だもん。好きじゃない方がおかしいよ」


 フィナはこちらを責めるような視線で見つめてくる。


「オーラルドはニーねえのこと好きじゃないの?」

「そんなことは言っていないだろ? ただ、ニーネが反対って言っているから、思考停止で反対っていうのはよくないんじゃないかって思っただけだ」

「っていうことは、オーラルドは賛成なんだ」

「まあな」


 自分の意見を口にするオレに、フィナは眉をひそめる。


「なんで? そんなに裕福な生活がしたいの?」

「そんなことは言っていないだろ? どうしてそうなるんだ?」

「だって、ここに来る前はオーラルドお金持ちだったんでしょ? 昔の生活に戻りたいのかなって……」


「確かに超がつくほどの金持ちだったが、別に戻りたいわけじゃないぞ」

「そうなの⁉ もしかして、私達と暮らしている方が楽しい?」

「その顔ウザいな。別にどっちでもいいってことだ」


 したり顔をしているフィナの頭を引っ叩く。

 確かに今の生活の方が温かみを感じるのは事実だが、異世界転生者を倒すのに金や温かみは必要なものではない。

 大事なのは異世界転生者を倒せるかどうかで、暮らしが楽しいかどうかなんてどうでもいいことであった。


「オレは学校に通うことに興味はないし、栄養素が補えれば食べるものなんてどうでもいいが、フィナは違うだろ? 美味しいご飯を食べれた方がいいだろうし、金があれば学費を気にせず、いい学校にも行けるようになる。それでもシェンの提案に反対なのか?」

「……うん」


 力なく頷くフィナ。

 きっと彼女も心の底ではお金があった方がいいと思っているに違いない。


 お金なんて要らないと心の底から言えるのは、お金に苦労したことのない人間だ。

 それこそオレのようなボンボンみたいな。


 ニーネも治癒術を学べる環境にあった辺り、貧しい子供時代を送っていたということはないのだろう。

 ニーネはどちらかというと、オレ側の人間だ。


 少なくともスラム街で生まれて、この歳まで学校に通うこともできずに貧しい暮らししかしてこなかった孤児院の子供達側の人間ではない。

 それだけは断言できた。


「お金でできることはフィナが想像しているよりもずっと多い。フィナ自身のためにも、シェンの提案は受け入れた方がいいと思うけどな」

「ニーねえの気持ちは無視して?」

「ああ。人間、自分が一番大事だろ? 他人のために自分が得をする機会を捨てるなんて馬鹿のやることだ」

「私はそう思わないけどなぁ。大切な人のためなら、自分のことなんてどうでもいいと思うけど」


 この辺りがオレとフィナの価値観の違いなのだろう。

 彼女が優しい人間であり、オレが冷たい人間である証拠だ。


「とにかくニーねえが反対って言うなら、私も反対だから。私はニーねえの決定に従うことにする」


 ウルター孤児院を医療施設として運営するという案にニーネとシェンだけでなく、オレとフィナとの意見も分かれたのであった。

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