第二十二話 『残酷な真実』
フィナの両親の死の真相をシェン達に探らせてから早二ヶ月。
ようやく突き止めてもらった真実に、オレはというと動揺が隠せなかった。
「オーラルド、帰ってくるの遅かったね。なかなか帰ってこないから、魔術戦を教えてもらうの、今日はなしなのかなって不安になっちゃったよ」
シェンの家から帰ってきたオレに、入り口の門で待っていたフィナが声をかけてくる。
ああ。そういえば、いつもなら魔術戦を教えている時間だな。
シェンから教えてもらった情報に頭がいっぱいで、毎日の日課すら失念していたらしい。
「じゃあ、早くいつもの場所に行こ?」
「えっ、あっ、うん……」
「どうしたの? ボーっとして」
動揺が表に出ていたらしい。
フィナが不審そうにこちらの顔を覗き込んでくる。
異変の原因を悟られたくないのもあるし、そうでなくとも今の精神状態じゃ、まともに指導することはできなそうだ。
フィナには悪いが、断りを入れることにする。
「やっぱ、今日の指導はなしでいいか?」
「それはいいけど、一体どうしたの?」
「たまにはフィナも休みが欲しいだろ?」
「欲しいけど、いつもは他の貴族より魔術戦についての勉強が遅れているんだからって休ませてくれないじゃん。なんか変だよ」
異変を感じさせないよう返答したつもりだったが、逆にフィナの不審を買ってしまったようだ。
フィナはぱっと顔を上げると、人差し指を立てて、得意げな表情を浮かべた。
「あっ、もしかして遅刻したこと気まずいと思ってる? 普段遅刻とかしないもんね。別に気にしないでいいのに」
「うん……」
「本当にどうしたの? いつもなら『そんなわけあるか、ボケ』とか言い返してくるところじゃん!」
そんなに口悪いこと言ってるか?
と思ったが、それ以上に酷いことも言っている気がするので表立って否定はできなかった。
そもそも今はフィナと言い争いをする気力もない。
「もしかして体調悪いの?」
「うん、じゃあそれで……」
「それでって何⁉ 全然返答になってないよ! 会話するのも辛いくらい具合悪いの? だったら、ニーねえ呼んでこようか」
「大丈夫。呼ばなくていいから」
お節介な提案をしてくるフィナをあしらう。
だけど、フィナはなかなか引き下がってくれない。
「本当に? ニーねえに心配かけたくないなら、私が看病しようか?」
「いいって」
「こっちにまで気を遣わないでいいのに。私達の仲じゃん。弱っているときくらい助けになるよ」
「心配いらないって言ってるだろ?」
「でも……。本当に気を遣わないでいいんだよ? 普段は偉そうにしているオーラルドが甘えてくるってギャップも悪くない気がするし」
冗談でも言って、雰囲気を和ませようとしたのだろう。
そんなふざけた彼女の態度が気に食わなくて、つい言葉が漏れてしまった。
「なあ、もうこんな茶番止めにしないか?」
「茶番……?」
突然突き付けられた言葉にフィナも戸惑っているようだった。
わかっている、言葉足らずだったと。
幸いにも、この場にはオレとフィナしかいない。
心にとどめておくべきか、それとも彼女に突きつけるべきか。
シェンから聞いてずっと悩んでいたことを、オレは口にすることにした。
「なあ、フィナの両親の仇の貴族ってオレの父親なんだろ?」
「――っ⁉」
フィナの目が見開かれる。
そう、これこそがシェンからもたらされた真相。
王都へと出稼ぎに出ていたフィナの父親の働き口を奪い、根回しをして生活を困窮へと追い詰めた貴族の名前はゼファルド・オースティン。
フィナが恨んでいた貴族はオレの父親だったのだ。
思い返せば、最初に会った時点で気づけるヒントはあった。
ニーネがオレのフルネームを口にした時点で、フィナはオレが孤児院で暮らすのを拒絶した。
そのとき、彼女は言っていた。
『オースティンってあのオースティンだよね……』と。
フィナが貴族嫌いという、その後のニーネからもたらされた情報により、オレは誤解してしまったのだ。
四大貴族であるオレの家名に反応したから、そう呟いたのだと。
おそらくニーネも想像すらしていなかっただろう。
怪我をして運び込まれた少年が、まさかフィナが貴族嫌いとなった原因の人物の家族だったと。
「どうして……。もしかして、ニーねえから聞いたの?」
「待ってくれ。ニーネも知ってたのか?」
これは予想外の情報だった。
オースティンという家名に反応しなかった辺り、ニーネはフィナが恨んでいる人物の正体までは知らないと思っていた。
「ニーネも酷いことをしたもんだな。フィナの気持ちを考えずに、親の仇の息子と一緒に暮らさせようとするなんて」
「違うよ。ニーねえも最初は知らなかったんだよ。で、私が部屋を飛び出して、追いかけてきたときに、全部の事情を話したの」
「だとしてもだろ。ニーネはお前を説得して、オレをこの孤児院に住まわせることを了承させたんだろ?」
「ううん、それも違うよ。ニーねえはあの時、私の味方をしてくれたんだよ。『フィナちゃんが嫌なら、オーくんをこの孤児院には置かない』って」
オレが孤児院を出て、街を放浪しているときに二人の間にそんなやり取りがあったとは。
そして、オレが今ここにいるということは、フィナが孤児院に留まることを許してくれたということだ。
自分は勘違いしていたのだ。
オレがオーギスの街で無事に過ごせているのは、ニーネだけのおかげだと思っていた。
だけど、本当の恩人はフィナもだったのだ。
彼女が親の仇の息子であるオレと暮らすことを認めてくれたおかげで、食事や寝床にありつくことができた。
きっと、それは並大抵でない決断なはずだ。
自分の親の仇の子供と暮らすことを許容して、ましてや親交を深めようだなんて。
「なんでなんだ? どうしてニーネの言葉に乗って、オレを追い出そうとしなかったんだ?」
「なんでだろうね。きっとニーねえに憧れていたからじゃないかなぁ」
フィナは空を見上げながら、そんなことを口にする。
「私はニーねえみたいな人になりたいって思っているんだよ。誰にも優しくで、無償で手を差し伸べられる人間に。もしニーねえが私の立場だったら、オーラルドが一緒に暮らすことを認めていたと思う。だから、私も認めることにしたの」
「そんな理由で……?」
「私にとっては大事な理由だったんだよ。私は自分で胸を張れる生き方をしたい。でも、ここでオーラルドのことを追い出していたら、一生胸を張って生きていけない。そう思ったんだ」
フィナは見上げていた視線をこちらに戻す。
「それにオーラルドに罪はないじゃん。悪いのはオーラルドのお父さんでしょ? オーラルドだって、家を追い出されたんだから、被害者の一人じゃん」
「違うよ、それは」
フィナは重大な勘違いをしている。
オレはフィナが思っているような善良な人間じゃない。
「オレはフィナが一番嫌っているような人間だよ。オレは父親と同じだ。貴族だった頃には気に入らない人間に嫌がらせもしたし、権力や財力を使って排除したりもした」
そもそもオレが家を追い出される原因となったレイル・ティエティスとの決闘だって、レイルを排除するために行ったものだった。
オレが勝てば、レイルは今後一切オレの婚約者であったエメリダと接触せず、オレの目の前からも消えるという条件だった。
その大きな条件を飲んでもらうために、こちらが負けたらエメリダとの婚約を破棄するという条件を認めたのだ。
「でも、今のオーラルドは――」
「何、言っているんだ。人間、そうすぐに変わるわけがない。今も同じだ。気に入らない人間がいれば、持てる力をすべて使って排除しようとする。悪役貴族のままだよ」
そもそも異世界転生者を倒そうとしているのだって、存在が気に食わないというだけだ。
余所者のくせに、我が物顔でオレ達の生活を蹂躙する奴らが許せない。
それだけの理由で大義もなしに異世界転生者を破滅に追いやろうとしている。
これが悪でなくて、なんという。
「でも、これから変わっていくってことは――」
「変わらないよ。それだけは変えるつもりもない」
オレが異世界転生者を倒すことを諦めることはない。
残りの人生のすべてを捧げて、レイル・ティエティスと転生者を送ってきたあの憎き神に一矢報いると決めたのだ。
「どうだ? 失望しただろ?」
吐き捨てるように、フィナに向かって言う。
「わかってる。すぐにでもこの孤児院を出ていくつもりだ」
行く当てはないが、フィナの両親の仇の正体を知ってしまった今、ウルター孤児院にはいられないだろう。
幸いにも、シェンという知り合いを得たことだ。
お願いさえすれば、シルバーウルフで匿ってもらうことも可能かもしれない。
「出ていくって……」
「ごめんな。今まで気づかなくて。嫌だっただろ? 憎らしかっただろ? オレのことが」
「そんなこと――」
「いいよ、今更嘘なんてつかないで。それかあれか? 魔術戦の講義のことが心配か? それなら多分大丈夫だ。基礎は教えたし、後は習ったことをしっかり復習して、学校に入って知識を学べる環境が整えば問題ないだろ。フィナは立派な魔術師になれる。それはオレが保証する」
これは噓偽りない事実だった。
フィナの才能は本物だ。
きっと彼女は将来、オレよりも著名で偉大な魔術師になるだろう。
フィナにとって、オーラルド・オースティンという人間の存在は必要のないものだ。
「じゃあな」
背を向けて、軽く手を振る。
ニーネに見つかって、ややこしいことになる前にここを立ち去った方がいいだろう。
孤児院にある私物なんてあってないようなものだし、着の身着のまま出ていくことにする。
一歩踏み出したところで、右手が握られる。
フィナの手だ。
立ち去るオレの足を妨げるように、引っ張ってくる。
「どういうつもりだ?」
「どういうつもりじゃない。オーラルドこそどういうつもりなの?」
「だから、出て行くつもりだって――」
「誰がそんなことお願いしたのっ!」
振り向いて、フィナの顔を見る。
彼女は目を赤くしながら、こちらをまっすぐ見つめていた。
「確かにオーラルドは私の家族を奪った貴族と血が繋がってるよ」
「そうだ。オレはお前の親の仇と同類だ」
「性格は良くないし、すぐ酷いこと言ってくるし、孤児院の手伝いはサボるし、魔術戦の指導はスパルタだし、ムカつくところばっかりだよ」
「全部、否定できないのがすごいところだな」
「そうやって反省しようとしないところも」
苦笑いを浮かべるオレを咎めるように、ギュッと目を細める。
そして、言い放った。
「でも、もう家族じゃん!」
「……家族?」
「ずっと暮らしてきたじゃん! ニーねえの下で! 一緒にご飯食べて、いっぱい話をして、喧嘩してきたじゃん! それのどこが家族じゃないの?」
フィナはオレのことを、この孤児院の家族だと思ってくれているのか?
親の仇の息子である、このオレのことを?
「ずっと一緒にいたんだよ! オーラルドの悪いところはたくさん言えるけど、良いところだってたくさん知ってる! 努力家だし、魔術戦にだけは真剣。常に冷静でいられるし、頭だっていい。それだけじゃない。誕生日プレゼントをくれたり、私に魔術戦を教えてくれるために、魔術についてたくさん書かれたノートを作ってくれたりっていう優しいところも知ってる」
違う。オレは誰かに褒められるような人間じゃない。
そう否定したかったが、フィナのまっすぐな目がそれを許してくれなかった。
「私はオーラルドにいなくなってほしくないよ! だから、出て行くなんて悲しいこと言わないでよ!」
こんな風に真っ正面から向き合ってくれる人に出会ったのはいつぶりだろう。
思い出せない。
生まれてこの方、初めてのことかもしれない。
父親はろくでもない人間のオレから見てもクズ野郎だし、母親は生まれてすぐに死んでしまった。
友達と呼べる同年代の友人はいなかった。
寄ってきていた女達だって、オレの見た目か社会的地位に魅力を感じていただけに過ぎない。
フィナだけだ。
フィナだけが、貴族でないオーラルド・オースティンを見てくれている。
ありのままの、どうしようもないクズ人間であるオレを受け入れてくれる。
きっと、そういうものがフィナの言う家族なのだろう。
血が繋がっているかどうかじゃない。
利害関係とかじゃなくて、何の理由もなく、共に時を歩める関係こそが家族なのだ。
目に涙を浮かべているフィナを見る。
今ならオレにはフィナのような人が必要という、風呂場でのニーネの発言の意味も理解できるような気がした。
「はぁ……わかったよ……」
ため息を吐きながら、オレの手を掴んでいる小さな右手を見つめる。
「出て行かないから、手を離してくれ」
「ほ、本当?」
「本当だ。っていうか、毎度力が強いんだよ。痛いから」
「ごめんっ! つい!」
パッと手が離される。
右手が痛いのは事実だったが、それ以外の温かみを感じていたのも事実だった。
十五歳になって成人するまでの間くらいはこの孤児院に居続けて、フィナの傍にいていいのかもしれない。
なんて柄にもないこと思ってしまった。




