第二十話 『フィナの過去』
こちらの世界の暦はなんの偶然か、異世界転生者達がやってくる向こうの世界と類似していた。
一月から十二月まで。
一年の日数が三百六十日という違いはあるものの、それ以外は概ね同じであった。
季節も同じだ。
オレが暮らしているアルジーナ王国は向こうの世界の北半球と同じく、六月から九月くらいまでを夏、十一月から二月くらいまでを冬としていた。
現在は冬の真っ最中、十二月である。
オレがウルター孤児院に来てから半年以上、正確に言うなら七ヶ月程度経ったことになる。
その間、異世界転生者を倒すための魔術の習練を一日も欠かしていなかったわけで、自分の戦闘力が上がったことを実感していた。
魔力量も当初に比べれば十倍以上に増え、使える無詠唱魔術の数も増えてきた。
とはいえ、レイル・ティエティスとの間にはまだまだ差がある。
足元にも及んでいない状態だ。
レイルは今のオレの十倍以上の魔力を有しているし、数多くのオリジナル魔術も習得していた。
それにレイルは今も実力を伸ばしている。
そのことを考慮すると、こちらも自分だけの強みを作っていかないと勝てるはずもなかった。
「というわけで、はい」
朝のフィナとの体術練習の時間。
オレは用意していたバンダナと耳栓をフィナに手渡した。
「何これ?」
律義に両手で受け取ったフィナは、首を傾けて答える。
「見てわからないのか? バンダナと耳栓だ」
「そうじゃなくて! どうしてこれを渡してきたの?って意味だよ!」
「もちろん、これからの特訓に使うからだ」
そう言って、バンダナを対角線で半分に折る。
直角二等辺三角形になったバンダナを顔の近くに持っていきながら、使い方を説明することにした。
「口元を隠すようにバンダナを巻いてくれ」
「耳栓は? これは普通につけちゃっていいの?」
「ああ。けど、説明が終わってからにしろよ? 話が聞けなくなるから」
「それくらいわかってるよ! そんなに馬鹿じゃないし!」
思いっきり耳栓をつけようとしていたような気がしたが、指摘すると話が進まないので飲みこんでおくことにした。
「で、これをつけて、オレと普通に魔術戦で戦ってほしい。とはいっても、オレは防御に徹しているだけだから、フィナは攻撃に集中しておけばOKだ」
「攻撃するだけなら楽だし全然いいけど、これなんの特訓なの?」
「……」
答えにくい質問が飛んできてしまった。
これはオレが異世界転生者との魔術戦に備えるために考えた特訓であった。
異世界転生者との魔術戦は無詠唱魔術が飛び交う、既存の魔術戦とは異なる戦い方になる。
この世界の魔術戦では基本となっている、詠唱から相手が放つ魔術を事前に知るという手が使えないのだ。
攻撃を撃たれてから反射神経だけで対処しなければならない。
そのためのバンダナと耳栓。
耳栓をつけることでフィナの唱える詠唱を聞こえなくし、口元を隠してもらうことで魔術を放つタイミングさえも推測できなくする。
フィナの攻撃をやり過ごすには、自分の反射神経だけを頼りにしないといけないということだ。
もちろんこの方法では完全なる無詠唱魔術戦の再現というわけにはいかない。
詠唱魔術の詠唱を隠すことで無詠唱魔術に見せかけているだけであり、無詠唱魔術特有の詠唱がいらないことによる連射性能などは再現することができなかった。
こちらが魔術を連発すれば、フィナは対処することができない。
よって、防御面しか鍛えられないが、それでも生体術式によって身体強化を使いながら戦えるフィナは、この世界の住人の中では最もレイルに近い戦い方を再現できるはずだ。
ちなみにフィナに耳栓をさせ、オレは口元を隠しているのはこちらが無詠唱で魔術を使うことを悟らせないためである。
フィナに無詠唱魔術を習得させるのが、オレが無詠唱魔術戦を学ぶ上で一番手っ取り早い方法なのかもしれない。
だけど、フィナには類まれなる魔術戦の才能がある。
将来一流の魔術戦魔術師になるができるかもしれない逸材を、異世界転生者が外来種の如く持ち込んできた無詠唱魔術という知識で汚染させたくなかった。
無詠唱魔術に手を染めるのは異世界転生者を倒すオレだけでいい。
「あっ、わかった! これ、反射神経鍛えるための練習でしょ⁉」
あながち間違いじゃない答えに自力でたどり着いたようだ。
無詠唱魔術に備えるための特訓だと、素直に言うことはできない。
適当に頷いて答えることにした。
「まあ、そんな感じだな」
「じゃあ、私もやりたい! オーラルドの番が終わったら、私も攻撃受ける役やるよ!」
「駄目だ。変な癖がつくだけだし、フィナは普通に詠唱から相手の攻撃に反応する練習に専念しとけ」
「じゃあ、なんでオーラルドはやるの?」
フィナの疑問はもっともだったが、これはオレのための特訓だ。
有無を言わさず彼女を特訓に付き従わせることにした。
*
フィナとの疑似的な無詠唱魔術戦の特訓は、想像以上に難易度が高かった。
この世界の詠唱ありきの魔術戦に慣れているオレは、詠唱を聞かないで攻撃に対処することに慣れておらず、フィナの攻撃に何度も直撃してしまった。
しかし、そのおかげで無詠唱魔術下での魔術戦の理解が深まったのも事実であった。
おそらく無詠唱魔術戦において、三つの間合いの理解が重要となる。
まず初めに、相手との距離が十五メートル以上。
お互いの位置が充分に離れており、魔術を見てからでも反射できる、比較的従来の魔術戦と近い戦い方ができる間合いだ。
次に基本的な対象指定魔術の最大レンジとされる十五メートル以内。
この間合いは対象指定魔術を放てば、お互いの攻撃が必中となる領域だ。
よって、この間合いに侵入するためには、障壁魔術や対象指定魔術を引き寄せる囮系魔術といった対策術式を展開する必要があった。
そして、相手との距離十五メートル以内が必中の間合いなら、五メートル以内は必殺の間合いだ。
五メートルは身体強化状態下での瞬歩のおおよその最大射程。
お互いが瞬間移動を駆使しながら目まぐるしく戦い、至近距離で放たれる対象指定魔術は一撃で相手を倒しうる威力を持つ。
この領域に入ったら最後、どちらかが地面に伏すまで勝負は終わらない。
まさに必殺の名に相応しい間合いだ。
こちらの魔力が尽きて特訓を切り上げることにすると、フィナが投げかけてきた。
「ふと気になったんだけど、オーラルドってどうして特訓してるの?」
「どうしてって?」
「今回もそうだけど、すごく真面目に特訓しているじゃん。もしかしてオーラルドも魔術戦魔導師になりたいのかなぁって」
フィナが言う魔術戦魔導師とは兵士や冒険者とは違い、大衆の前で興行的な試合を行って稼ぎにする魔導師のことだ。
魔術の駆け引きによって観客を沸かせ、圧倒的な実力を見せることで民衆の人気を得る。
まさに魔術師の花形とも言える職業であった。
確かにオレも七ヶ月前までは魔術戦魔導師を志していた。
一流の魔術戦魔導師の試合を観て、彼らのように戦いたいと心の底から願っていた。
そのための努力にひたすら時間をかけてきたのも事実だ。
だけど、レイルに惨敗して、異世界転生者という排除すべき異物の存在を知った今では、その夢は遠い昔のものになってしまった。
愛すべきこの世界の魔術戦という文化を守るには、無詠唱魔術というオーバーテクノロジーを排除しなければならない。
その役割を果たせるのは過去視の魔眼という生体術式を授かり、異世界転生者の存在を知るオレしかいなかった。
「いや、別に」
「そうなの⁉」
こちらの答えにフィナは驚きの声を上げる。
「なんで⁉ オーラルド、すごく強いのに⁉」
「なんでも何も、興味がないんだよ」
「私に色々教えられるくらい詳しいのに⁉ もったいないよ!」
「興味がないんだから仕方ないだろ?」
興味がないというのは嘘であったが、言いくるめるためにも適当な言い訳を口にする。
フィナはこちらに詰め寄って、肩を掴みながら言った。
「一度魔術戦の試合観た方がいいよ! 絶対に興味湧くはずだから!」
「観たことくらいあるわ。というか、フィナは観たことがあるのか?」
「あるよ。一度だけ」
意外な答えが返る。
お金に余裕がない孤児院で暮らしているフィナのことだ。
てっきり魔術戦の試合を観たことがないと思っていた。
魔術戦の公式試合は王都のような大きな街でしか行われない。
オーギスでは観られないはずなので、一体どこで観たのであろうか?
「なんの試合だ?」
「王都に昔、旅行に行ったときね。小さい頃だから、すごく盛り上がっていたってことしか覚えてないんだけど」
「ウルター孤児院に旅行なんてイベントあったんだな。初耳だ」
「ううん。お父さんとお母さんが生きていたときのことだよ」
そう言えば、フィナは生まれつきウルター孤児院にいたわけじゃなかったな。
確か両親が死んで、孤児院で生活するようになったとニーネから聞いていた。
その両親が死んだ理由に貴族が関係していたため、貴族嫌いになったとも。
「フィナの孤児院に来る前の話って全然聞いたことないけど、元々この街に住んでたのか?」
「うん。オーギス生まれ、オーギス育ちだよ」
「そうなのか。他の街生まれじゃなかったんだな」
「他の街からやってきたオーラルドが珍しいパターンじゃない? 他の子もみんなオーギス生まれだと思うよ」
それもそうか。
他の街であれば、貧しいオーギスの街よりも孤児院の数は多いはずで、そっちの方に流れるだろう。
離れた街にたどり着くには馬車のような移動手段が必要だ。
ただの一子供が自力でオーギスの街にたどり着くのは不可能と言ってもよかった。
「昔はどんな暮らしをしていたんだ?」
「どんなって普通の暮らしだったよ。今と同じでお金に余裕はなかったけどね。幸せだった思うよ」
そう呟くフィナを眺めながら、ふと気になった。
フィナがこの孤児院に来る羽目になった詳しい経緯を。
半年以上一緒に暮らしているため、好きな食べ物や口癖、思考回路くらいは知っている。
だけど、過去については両親が貴族によって死に追いやられたこと以外知らなかった。
別に知らなくてもいいことだが、会話の流れもあり、なんとなく尋ねてみる。
「フィナはどういう流れで、ウルター孤児院に来ることになったんだ?」
「……えっ?」
「言いたくなかったら、別に言わなくていいぞ」
ウルター孤児院に来る子供達は、親がいない訳ありの人間ばかりだ。
過去の話をしないことは暗黙の了解となっており、オレの問いかけはその不文律を破るものであった。
「別に隠しているわけじゃないよ。私のお父さんとお母さんはね、いわゆる心中ってやつで死んじゃったんだ」
「心中?」
普段の会話で聞かないような物騒なワードに、つい反応してしまう。
フィナはぎこちない苦笑いで答えた。
「うん、一家心中ってやつ? お父さんの仕事がなくなって、生活していくお金もなくなってね。お母さんがお父さんと私を包丁で刺して、私だけが生き残ってウルター孤児院に引き取られたってわけ」
「ニーネは両親を貴族に殺されたって言ってなかったか?」
「その仕事がなくなった原因が貴族にあっただけだよ。なんかお父さんに気に食わないことがあったみたいでね。それだけで職を失わされて、他の働くコネまで潰されちゃったみたい。これくらいの説明でいい?」
過去の話をあまりしたくないのか、話を打ち切られてしまう。
そんなことがあったのか。
驚くとともに、納得してしまう自分もいた。
フィナには悪いが、貴族が癪に触った平民の社会的地位を剥奪することなんてよくあることだ。
長年貴族社会を見てきたオレも、そんな光景には何度も出会ってきた。
今までのオレなら、そんなの貴族の不満を買ったお前の父親が悪いと思っていただろう。
だけど、短くない間フィナと過ごしていた影響か、彼女に同情の気持ちを覚えてしまう自分がいるのも事実だった。
だからか、柄にもない言葉を口にしてしまう。
「辛いことを思い出させたな。悪かったな」
「別にいいよ。昔の話だから」
「昔の話っていっても、まだ思うところはあるんだろ?」
「まあね。でも、今はニーねえやみんながいるから。今が幸せなら、それでいいかなって」
きっとフィナがこんな風に純粋な性格でいられたのは、ニーネのおかげなのだろう。
ニーネが育ての親として愛を与え続けたおかげで、フィナは過去の辛い思い出に心を閉ざすこともなく、前を向いて生きることができている。
それは決してどこにでもある幸運ではないはずだ。
荒んだこの街でニーネという類まれなるお人好しに出会って、フィナは救われたのだ。
「そう割り切れているんだったら、結構なことだな」
なんて言葉をかけて、フィナとの過去の話を終えるオレであった。




