第二話 『宣戦布告』
最初に目に映ったのは、赤子が母親の中から産まれてきた光景だった。
水色の割烹着のような服を着た女が子供を抱き、母親の顔へと近づけている。
泣き止まない赤子を眺めながら、母親は安堵の表情を浮かべていた。
そんな光景を眺めながら、オレは一人呟く。
「どこだ? ここ?」
母親を取り囲んでいるのは、魔道具の数々。
それも見たこともないものばかりだ。
数字やグラフが表面に映った四角い箱。母親の腕から伸びるチューブ。
可動型の傾きが変わるベッドまで。
すべてが常識で知っているものとは異なり、全くの未知の景色だった。
「夢?」
にしては、鮮明だ。
となると、これは過去視の魔眼で視ている光景ということだろう。
まず夢だとしたら、こんな見たことのない魔道具を自分の頭の中で想像できるとは思えない。
辺り一面を観察しながら、状況把握をしようと考えを巡らせる。
「さすがにこれは普通じゃないよな……」
他人の生まれたときまで遡るのは初めてのことで、当然子供が産まれる光景なんて目にするのも初めてだったが、それにしてもこの光景は異常だ。
子供がこんな謎の魔道具を使って産まれるなんて話は聞いたことがなかった。
そもそも周りにいる人物や母親の服装ですら、見たことがないものばかりだ。
となると、ここはアルジーナ王国でない別の国なんだろうか?
ちなみに過去視の魔眼を使っているときは、いくら呟いてもこちらの声がその場にいる人物に聞こえることはない。
魔眼によって意識だけが過去を観測しているだけなので、実体が存在するわけではないからだ。
「やっと産まれてきてくれたのね。なんか感動しちゃった」
「名前は決めているんですか? 藤村さん」
「冬尊って言います」
誰だよ、トウソンって。
レイル・ティエティスの過去を覗きに来たはずなのに、知らん奴の過去が目の前で展開されているんだけど……。
何かの間違い? 過去視が失敗した?
よく見たら、母親と近くにいた父親らしき人物の顔もレイル・ティエティスに似ていない。
どちらとも黒髪だ。
「それにしても、言葉は聞き取れるんだな」
ここにいる人物が交わす言葉は全部、アルジーナ王国やその他人類が住む国で使われているフルネ語であった。
だが、魔道具や周囲の人の胸元につけられた名札のようなものに書かれている文字は見たことのないものだ。
書き言葉だけがフルーネ語じゃないのか?
それに名前の響きも変だ。トウソンやフジムラという名前は聞いたことがない。
となると、やっぱり違う国なんだろうか?
さっきから聞いたことのない固有名詞もちらほら出てきているしな。
それにしては何か違和感があるのも事実であった。
レイル・ティエティスの過去は覗けなかったから、ここで過去視を中止してもいいが、この光景の意味がわからないまま現在に戻るのもモヤモヤする。
もし何かの間違いでトウソンという人物の過去が覗けたのだとしたら、レイル・ティエティスを対象に過去視の魔眼を再度発動することで、もう一度この人物の過去が覗けるとは限らない。
とりあえず、ここがどこだかわかるまでは過去を視てみよう。
そう判断して、この奇妙な光景の観測を続けるのであった。
*
藤村冬尊の過去を覗き見て、早五年が経った。
その結果、オレはこの世界の大体のことがわかってきた。
まずこの世界はオレが住んでいる場所とは全く異なる世界らしい。
魔法がなく、その代わりに科学技術が発展している世界。
電気やガスによって機械が動き、またインターネットなんて代物で世界中の人と繋がれる摩訶不思議な文明社会ときた。
そして、藤村冬尊という少年が住むこの国は日本というらしい。
こうした情報を得られたのも、藤村冬尊の私生活を覗き見ていたからだ。
両親からの冬尊への教育によって、この世界の基礎的な知識は得ることができたし、日本語の書き言葉も覚えることができた。
そうすることによって、リビングで流れるテレビなどからも情報を得られるようになって、この世界の情報収集も捗るようになっていった。
どうやらこの世界は魔法がないこと以外は、オレがいた世界と基本的な仕組みは変わらないらしい。
専門的な医学や科学の知識を身に着ければ、元の世界に戻ったときに役立つこと間違いなしだが、過去視の魔眼は対象の過去を覗き見るだけだ。
視点の移動ができず、自分で狙った情報を得られないのが難点だった。
インターネットが自由に使えるようになったら完璧なのに……。
この世界のあらましについては理解することができたが、どうして過去視の魔眼が藤村冬尊の過去を映しているのかについては謎のままだった。
ここらで過去視を打ち切るべきなんだろうけど、オレの本能的な何かがこのまま見続けるべきだと囁いていた。
それに一つだけ、レイル・ティエティスにまつわることで気になることが存在していた。
彼が提唱した独特な食文化。その中の一つにスシというものがある。
これはあれだ。この世界でいう寿司そのものだ。
オレが住む世界で鮪といった魚はないため、違う種類の魚を用いられているが、見た目も寿司そのものであった。
これを奇妙な偶然で片付けるのは、良くないだろう。
もう少しだけ、藤村冬尊の過去を視続けることにしよう。
そうすれば、レイル・ティエティスが日本食の存在を知っている理由を探れるかもしれないし。
こうして、オレは過去視を続けるのであった。
*
藤村冬尊の歩んできた人生は決して平穏なものじゃなかった。
彼が幸せだったのは、十五歳までのことだろう。
中学校を卒業しての春休み、仲の良かった幼馴染の女の子が死んだ。
彼との待ち合わせに向かう途中、車に轢かれてしまったのだ。
幼馴染の死を自分のせいだと思った冬尊は、それから部屋に引きこもるようになった。
学校も行かず、ネットやゲーム三昧の日々。バイトをするわけでもない。
結局、高校は一日も行かずに中退した。
最初は彼を慰めていた家族や友人たちも、次第に愛想を尽かせるようになっていた。
そのままの孤独な生活が十年近く続き、彼は立派なニートとなっていた。
そして、二十五歳になった春。
ふとしたことがきっかけで昔幼馴染が自分に書いた手紙を見て、現在の自分が送るふがいない生活に罪悪感を覚えるようになる。
――あいつが今の俺を見たら、さぞがっかりするんだろうな。
そう口にした彼は一念発起して、アルバイトを始めることを決意する。
彼は家族関係や失った過去を取り戻すために動き始めることにしたのだ。
履歴書を書いて、電話で面接の予約もして、あとはアルバイトの面接に向かうだけ。
家を出て、住宅街の角を曲がり、大きな交差点にたどり着いたところで、居眠り運転をしたトラックがやって来る。
交差点を渡っている最中だった藤村尊尊は、猛スピードで迫ってくるトラックから逃れられず、そのまま引かれて死んでしまった。
そして、現在。オレは見知らぬ白い空間へと来ていた。
目の前にいるのは、半透明になった藤村冬尊の姿。
「「ここはどこだ?」」
奇しくもオレと冬尊の言葉が被る。
彼にはオレの呟きが聞こえていないので、この偶然の一致にも気づかないんだろうけど。
「さあ? どこだと思う?」
甲高い少年のような声が辺りに響いた。
気がつくと、冬尊の前には一人の緑髪の少年が立っていた。
「お前は誰だ?」
冬尊が少年に向かって叫ぶ。
おかっぱ頭の少年はふんっと鼻を鳴らした後に、足で床を二度叩く。
すると少年の前に椅子と机が現れた。
少年は椅子に座って足を組むと、あくびをしながら言った。
「ボクとキミって初対面だよね。なのに、いきなりお前って酷くない?」
そう言いながら、こちらを見た、そんな気がした。
今のオレは過去視の魔眼を発動している最中である。
身体ごと過去に移動しているわけではないので、過去の人間がオレの存在を察するのは不可能なはずである。
今の視線はオレの思い過ごしだったのか。
すぐにこちらから目を背け、冬尊の方へと向いた。
「まあ、いいや。ボクは心優しいからね。それくらいの無礼は許してあげる」
少年は足を組み替えると、冬尊が口を開いた。
「お前――いや、あんたっていった方がいいのか? 一体誰で、ここはどこなんだ?」
「質問ばっかりだね。少しは自分で考えたら。さっきまで、キミは何をやってたの?」
「バイトの面接に行こうと家を出て、横断歩道を渡っていたら――。そうだ! 俺はトラックに轢かれた!」
「ぴんぽん!ぴんぽん! 正解っ! キミはトラックに轢かれて死にました!」
まるでクイズ番組の正解発表のように楽しげなテンションで話す少年。
人が死んだというのに、笑顔を浮かべていることに違和感が拭えない。
「というと、ここは死後の世界か?」
「まあ、そんな感じだね。正確には神様であるボクの住処だけど」
「神様? あんたが?」
「やっぱ意外に見える? よく言われるんだよねー。これを見せたら信じてくれる?」
少年は指を鳴らすと、背後に大きな扉が現れる。
現代科学ではあり得ない光景だ。
仮に魔術だとしても、詠唱なしに扉を召喚するなんて現象は不可能だった。
さすがのこれにも、冬尊は信じざるを得ないようであった。
「仮に神様だとして、あんたは死んだ俺にどんな用なんだ? もしかして、地獄に突き落とそうってのか?」
「酷いなー。せっかく善意でチャンスをあげようと思ったのに」
「善意があるんだったら、オレを死なせないでくれれば良かったのに」
「なんでそんなことしなくちゃいけないの? ボクになんのメリットもないじゃん」
「で、チャンスってなんなんだよ。早く教えてくれないか?」
「キミが余計なこと言うからじゃん。まあ、いいや。パンパカパーン! 藤村冬尊くん、キミは異世界転生者に選ばれました!」
「「は?」」
オレと冬尊の声がまたしても被る。
異世界転生ってあれか? あのアニメやラノベで流行っていたやつ。
冬尊の私生活を覗いていたため、日本のサブカルチャー文化は把握しているつもりだ。
ましてや冬尊はオタクであったため、アニメなどをよく見ていた。
彼の生活姿を覗いているオレもその内容については把握している。
というかわりかし好きであった。
まあ、オレはテレビの電源やスマホをいじれないため、冬尊が見ている作品しか見ることができなかったんだけど。
オレが面白いと思っているアニメを、三話で切るの止めてくれない?。
「俺が異世界転生?」
「うん、そういうこと。キミ、よくそういう作品読んでるから、詳しい説明しなくていいよね? 説明めんどくさいし」
「ちょっと待て。どうして異世界転生させられるんだ?」
「キミが今から行く世界って、色々と争いが絶えないの。魔法のせいで科学も発展していなくて、文明レベルも地球には劣るし。だから、地球人――特に異世界転生に理解のあるような人間を送って、その世界の文明レベルを上げちゃおうって話」
「それをどうして俺が?」
「いいじゃん、別に。死んだんだから。それにキミだって、今までの人生大して恵まれていたわけじゃないでしょ? 異世界転生でもして、人生をやり直したいって思ったことだって、一度や二度あるんじゃない?」
「それは――」
冬尊は少年の言葉を否定できないようだった。
少年は鼻で笑いながら続ける。
「転生者は地球での知識もあることだしね。現地の人よりずっと恵まれた生活ができると思うよ。それに代償の要らないチートみたいな生体術式だってあげちゃう。どう? いい話じゃない?」
「いいのか? 俺だけに都合が良すぎないか?」
「そんなことないよ。言ったでしょ? 異世界の文明レベルをあげてもらうためだって」
「それが条件ってことか?」
「いや、別に。絶対の条件ってわけじゃないからね。好きに生きてもらっていいよ。キミが無理なら、別の人で試せばいいだけだし。幸いにも、ボクには無限の時間があるわけだしね」
「本当に条件なしで異世界を……」
冬尊が疑う気持ちもわからなくもない。
自分に都合のいい話なんて、世の中に早々あるわけがないのだ。
疑ってかかるのが吉である。
それにこの神を自称する少年の軽薄な態度も気になる。
少なくともオレは気に入らないと思っていた。
「まあ、強いていうなら、魔王を倒してもらえると好都合なんだけど。あいつ、ボクのこと殺そうとしているみたいなんだよね。まあ、繋がりは断っているから、ここに来ることもできないだろうし、全然怖くないんだけど。それにキミと魔王が敵対することになったら面白そうだし」
独り言のように少年は呟く。
冬尊はしばらく迷った挙句、決断をしたようだった。
「わかった。異世界転生する。どんな世界に飛ばされようと、このまま死ぬよりはマシだろうし……」
「そう来なくっちゃ。じゃあ――」
少年が手を叩くと、背後に存在した扉が開かれた。
どうやらあれが、異世界へと続くゲートらしい。
「次の人生では大切な人を守り抜く」
そう決意を口にすると、冬尊は扉の中へと進んでいった。
彼の身体が消えていく。
さて、視点が移り変わるかと思ったとき、神を自称する少年は口を開いた。
「でも、まさかイレギュラーが現れるとはね……」
そして、少年はこちらを見た。
どうやら先ほどの視線は気のせいじゃなかったようだ。
彼はオレの存在に気がついていた。
「神だったら、それくらいのこともできるか」
「まあね。まさか異世界人と、過去視の魔眼の持ち主が出会うことで、別の世界やボクの存在がバレるのは完全に予想外だったけど」
どうやら会話もすることができるらしい。
オレは気になっていたことを彼に尋ねることにした。
「ということは、あれか? 藤村冬尊がレイル・ティエティスなのか?」
「正解だね。彼はレイル・ティエティスの下に生まれ変わる予定だよ」
「要するにお前がすべての元凶ということか」
確かに異世界転生もののアニメやラノベは好きだったが、直接の被害を受けたとなると話が別だ。
オレは異世界転生をしたレイル・ティエティスによって決闘で負かされ、許嫁を奪われた。
そして、そのレイル・ティエティスをこちらの世界に連れて来たのがこの自称神ときた。
要はこの自称神が余所者の転生者を送り込みさえしなければ、オレは順風満帆な人生を送ることができたのだ。
どうやらオレが復讐すべきはレイル・ティエティスだけではなかったらしい。
「だったら、どうするの? ボクのこと殺す?」
「随分、余裕そうな態度だな」
「当たり前でしょ。今のキミは意識だけ過去に来ているに過ぎないんだから。ボクに指一本触れられないでしょ?」
ムカつく笑い顔だ。今すぐその頬をぶん殴ってやりたい。
だけど、奴の言い分も最もだ。
今のオレでは奴をぶん殴れない。
「そうかもな。だけど、お前に仕返しする方法がないわけでもない」
「あるの? そんな方法? 無理でしょ、ただの現地人のくせに。どうせキミなんて、異世界転生ものなら、噛ませ犬キャラに過ぎないような悪役貴族なんだから」
随分と舐めたことを言ってくるものだ。
怒りを通り越して笑えてきてしまう。
余裕綽々な態度を見せる神とやらに向かって、オレは言うことにした。
「確かにお前のことは殴り飛ばすことはできないかもしれないが、ちょっとした嫌がらせくらいならできるかもしれないぞ? 言っただろ、お前。オレの世界の文明レベルを上げるために異世界人を送り込むって」
「言ったけど、それがどうかしたの?」
「だったら、その異世界転生者をオレが倒してやるよ。そうすれば、お前の目論見も少し遅れるだろ?」
「あははっ! 面白いこと考えるね、キミ!」
少年は両手を叩いて笑った。
「こんなに笑ったの久しぶりだよ。いいね、やっぱりこういうイレギュラーがなくちゃ面白くないよね」
椅子の上でひとしきり笑い転げると、緑髪の少年はすっと真顔に戻った。
「いいよ。その宣戦布告受けてあげる。オーラルド・オースティン、一介の悪役貴族に過ぎないキミが神であるボクにどこまで刃迎えるか、高みから見物してやるよ」
自称神は非常に腹立たしい上から目線の口上を述べるのであった。