第十九話 『瞬歩(ブリンク)』
フィナに魔術戦の指導を始めてから三ヶ月が経った。
現在のフィナは障壁魔術を用いた戦い方に加え、囮系魔術や指定不可領域といった対象指定魔術の天敵となり得るその他の魔術も身に着けていた。
ここらで対象指定魔術の対策に専念するのを止めて、別の魔術の対策について教え始めた方がいいだろう。
「今日から新しいことやるぞ」
「いいの⁉」
「近接戦魔術師が苦手とするのは対象指定魔術だけじゃないからな。他の魔術についても対策しないと」
そう切り出して、魔術戦の講義を始めることにした。
「これからは今までと違って、個々の魔術の対策方を覚えてもらう。例えばこんな魔術――」
そして、氷面世界の詠唱を唱えることにする。
氷面世界は指定した範囲の地面を凍らせ、スケートリングのような摩擦の小さい場を作り出す魔術だ。
オレの前方に半径三メートルほどの氷が張った面が現れた。
「氷面世界が前方に展開されたとしよう。もしフィナが相手の距離を詰めたいと思って、この氷面世界の上を走ったらどうなると思う?」
「転んじゃうね」
氷面世界によってつるつるになった地面を撫でながら、フィナが答える。
「そうだ。だから、氷面世界は近接戦魔術師にとって苦手とする術式だ。じゃあ、対策方法は?」
「飛び越える!」
「それも正解の一つだ。ただ氷面世界はもっと広範囲にも張ることができる。そうした場合は?」
「炎の魔術で溶かす!」
「いいじゃないか。大正解だ」
三ヶ月も魔術戦の指導を行っていたのだ。
フィナにも魔術戦の考え方が身についてきたようであった。
「じゃあ、泥沼という沼地を作り出す魔術は?」
「沼地に突っ込んだら足を取られちゃうってことだよね? うーん……炎魔術で沼地の水分を干からびさせるっていうのは?」
「できなくはないけど、効率が良くないな。一発の炎魔術じゃ、まず泥沼の水分を枯れさせることはできない」
「じゃあ、なんだろう……?」
「一番王道なのは整地っていう地面を正常な状態に戻す土魔術だな。フィナにあげたノートにもあっただろ?」
「あっ、あった!」
一ヶ月ほど前に教本に載っていない魔術の詠唱と特徴が羅列してあるノートを作り、フィナに渡してあった。
そのノートには今後の魔術戦の指導をスムーズに行うために、必要な魔術が記載されていた。
整地もその中の一つ。
覚えていなかったら引っ叩こうと思っていたが、どうやらきちんと勉強していたようだ。
詠唱も正確に覚えており、すぐさま発動してみせた。
「どう?」
「それくらいでドヤられても困る」
「オーラルドってかなりスパルタだよね。少しは褒めてくれてもいいのに」
「別に褒めても、魔術戦の知識が増えるわけでもないだろ? オレは無意味なことはしないタイプなんだ」
「褒められて伸びるタイプかもしれないじゃん」
「いや、お前は褒めたら調子に乗るタイプだ。厳しくした方が必ず伸びる」
「鬼教官だ!」
酷い言われようだ。
別にオレは好きでフィナに厳しくしているわけじゃない。
現在のフィナの魔術戦の知識に関しては、英才教育を受けた貴族達に比べてかなり劣っている状態だ。
その遅れを自覚させるためにも、戒めさせる態度を取っているに過ぎない。
まあ、他人に優しくできないといったオレ自身の性格の欠点も影響してそうだけど……。
「で、こういう風に近接戦魔術師が苦手とする個々の魔術について、フィナはこれから個別の対処法を学ばなくちゃいけないというわけだ」
「苦手な魔術って、十個とかそんな少ない数じゃないんでしょ? その対処法を一つ一つ覚えなくちゃいけないって大変過ぎない?」
「百個以上はあるし、大変だろうな」
「鬼教官のことだから、そのくらいやれて当たり前って言うんだろうけど……」
「いや、全部網羅するのは無理だ。だから、まず初めに大体の魔術に対策法として通用する万能の魔術を教えようと思う」
「あるの⁉ そんな魔術⁉」
あるんだな、それが。
この世界では日々新たな魔術を開発するための研究が行われている。
開発された魔術の中で実際に魔術戦に有用だったものはごく僅かだが、その中で時々現行の魔術戦の環境を大きく変えてしまうような、破格の性能を持つ魔術が現れることもあった。
これからフィナに教えるのも、そういったぶっ壊れ魔術の一つである。
「ああ、それが瞬歩って魔術だ」
「何それ? 聞いたことないんだけど」
「十年くらい前発明された比較的新しい魔術だからな。魔術戦の世界では超有名な魔術だけど、フィナの教本に載ってないのも当然だ」
さらに言うなら、オレがフィナに渡したノートにも載せていなかった。
瞬歩は魔術戦において異質な魔術だからだ。
初心者に教えると変な癖がついてしまうため、フィナには基礎を学ばせてから教えたかったのだ。
「瞬歩の効果をひと言で言い表すなら、瞬間移動だな」
「瞬間移動⁉ ありなの、そんなの⁉」
フィナの言いたいことはわかる。
瞬間移動は既存の魔術の体系から逸脱しすぎている魔術である。
空間系魔術は世界中あらゆるところで研究されており、巨大な魔法陣を用いた法陣術式でなら多少の術式は開発されていたが、詠唱魔術となると瞬歩が初めてであった。
しかも、それが魔術戦で使いやすい三節詠唱といった短い詠唱の魔術。
ここ十年で最大の発明とも言える魔術だった。
「あるんだから仕方ない。それに瞬歩はどこにでも瞬間移動できるわけじゃないからな。制限も大きい。瞬歩が瞬間移動できるのは術者にとって一歩分の距離だけだ」
「えっ、それだけ……?」
瞬間移動と聞いていたから、さぞすごい魔術だと期待していたのだろう。
そうなのだ。瞬歩はたった一歩分しか瞬間移動できない。
一見性能は微妙な魔術なのだ。
「そうだ。止まっている状態なら六十センチくらい。走っている状態なら、前に一メートル五十センチくらい。持続強化状態で走っているなら三メートルくらいか? それくらいしか瞬間移動できないんだ」
一歩と言っても、術者の脚力を考慮しての一歩だ。
助走がある状態なら長く跳べるし、持続強化のような身体強化バフをかけていればさらに長い距離を跳ぶことができる。
逆に後方や横に跳ぶときは距離が短くなるといった欠点もあった。
瞬歩の移動距離の判定は、足の踏み込みの力が考慮される。
よって、片足が接地してない状態では発動できないといった制限もある。
他にも移動先が視認できる状態じゃないと跳べないだとか、色々と条件が厳しい魔術であった。
「三メートル跳べるってのは確かにすごいかも。簡単に距離を詰められるし……。でも、それのどこが大体の魔術にも通用する万能な魔術なの?」
「実は瞬歩が瞬間移動っていうのは微妙に嘘なんだ。実際に瞬歩を発動すると、自分の身体が消えて、0.3秒後に指定した空間に移動しているといったタイムラグがある」
「それがどうしたの?」
「まあ、簡単に言えば瞬歩を発動すると、0.3秒だけ自分の身体がこの世界から消えるんだ。そのタイムラグを敵の攻撃魔術に合わせれば、理論上大体の魔術は避けることができる」
これこそが瞬歩がぶっ壊れ魔術と言われる所以。
一歩分の距離を移動できる能力と合わせれば、大体の魔術をこの一つの魔術で躱すことができるようになるのだ。
「もちろん相手の攻撃に瞬歩のタイミングを合わせるのは非常にシビアだ。ぶっちゃけトップクラスの魔術師しか0.3秒の無敵時間を相手の攻撃に合わせるなんていうことはできない。超高難易度テクニックだ」
だけど、この一つの魔術で大体の魔術を凌げるという可能性は魅力的に映る。
よって愛好者も多く、スーパープレイを魅せて観客を沸かせることもできるので、魔術戦魔術師に根強い人気がある魔術でもあった。
ちなみに瞬歩による回避を試み、タイミングや距離をミスって相手の攻撃が直撃するという珍プレーも魔術戦の世界では有名なものであった。
魔術戦の腕に自信があるオレだって、何度もそのポカはやったことがある。
そのくらい瞬歩は使いこなすには難易度が高い魔術なのだ。
「だけど、瞬歩を使って相手の攻撃を回避できたときに得られるアドバンテージは計り知れない。特に接近戦を得意とするフィナのような魔術師だったらな。相手の攻撃を一度凌いで、三メートル以上距離を詰められるんだ。成功すれば、勝ちにグッと近づくだろ?」
「でも、タイミングが難しいんじゃないの? 私、初心者だよ? 使いこなせるの?」
「使いこなすために早めに教えるんじゃないか。それにフィナは持続強化よりも身体能力向上量が高い身体強化状態で瞬歩を発動することになるんだ。移動距離もさらに大きい。普通に瞬歩するより、攻撃を避けるのは簡単なはずだ」
これこそがフィナに瞬歩を教えたかった理由。
圧倒的な身体能力と接近戦性能を持つ彼女が瞬歩を使いこなせれば、大きな武器になる。
魔術戦に通じている貴族達にも勝利を収められるくらいの実力は得られるだろう。
「いけるかなぁ……。まあ、オーラルドが教えてくれるならいけるよね!」
「言っておくが、オレは瞬歩を使った戦いは苦手な方だぞ?」
「オーラルドにも苦手な魔術ってあるんだ」
当たり前だ。
人をなんだと思っている。
苦手な魔術の一つや二つくらいあるに決まっているだろう。
もちろん苦手意識があっただけで、瞬歩がメタになっていた頃の魔術戦では当然使用していた。
戦績としても悪くなく、客観的に見たら同年代の魔術師の中では使いこなしていた部類に入るだろう。
だけど、瞬歩を使いこなすには、センスや反射速度といった要素が大きい。
魔術戦の理解度や相手の動き研究した上での人読みを駆使して戦う、自分のような理論派にとっては扱いにくい魔術でもあった。
オレより瞬歩を使いこなしている同年代の魔術師はちらほらいたしな。
そういう意味ではセンス型のフィナは、オレより瞬歩を使いこなせる可能性はあった。
「まあ、打つ手がないときは瞬歩を使えっていう格言があるくらい一発逆転を狙える可能性がある魔術だしな。覚えておいて損はない」
「そうなんだ。じゃあ、ものにして見せるよ!」
「ちなみに一つ訂正しておくけど、瞬歩はすべての魔術をやり過ごせるわけじゃないからな。対象指定魔術に対しては無力だ。移動した先に追尾してくるから」
瞬歩という魔術が出てきたことで、対策となる対象指定魔術の評価が相対的に上がったことも有名な話であった。
その結果、耐久力は低いが機動力を損なわない全身防御という障壁魔術を展開しながら瞬歩をしてくるという半受け瞬歩戦法が流行り出して、魔術戦の世界で猛威を奮ったのだが。
話が長くなるので今回は説明を止めておくことにする。
「ということで、瞬歩の詠唱からだな。詠唱は『隔絶する一歩、亜空を越えて、我が身を運べ――瞬歩』だ」
というわけで、フィナに瞬歩の発動方法から教えていくのであった。




