第十七話 『不毛なやり取り』
フィナへの障壁魔術を活かした戦闘の指導を始めて、二週間近く。
オレがオースティン家を追い出されたときから換算すると、三ヶ月近く経ったことになる。
その間、オレは無詠唱化した身体強化の練習に専念してきたが、魔力消費量の大きい無詠唱魔術を使い続けたおかげで魔力量もだいぶ増えてきた。
最初は無詠唱身体強化を三十秒ほどしか使えなかったが、今では三分ほど使い続けられるようになっていた。
三分といえば、標準的な持続強化一回分の持続時間だ。
ここらを一区切りとして、身体強化以外の無詠唱魔術に手をつけ始めた方がいいだろう。
具体的には朝は無詠唱身体強化でのフィナとの手合わせ、夜は身体強化以外の魔術の習練といった感じでスケジュールを組んでいくことにした。
さて今は夜だ。
早速身体強化以外の魔術の習練を始めることにする。
どの魔術から手をつけていくかは悩ましいところだが、ここはフィナが現在学んでいるのと同じく障壁魔術にすることにした。
無詠唱魔術を習得した現在のオレの戦闘スタイルは、フィナの戦闘スタイルに近しいものがある。
身体強化による体術性能を活かして、接近戦でやり合っていく。
そのためフィナと身につけていく戦い方と似通っていくのは当然のことだった。
それに障壁魔術を無詠唱で瞬時に発動できるようになれば、咄嗟の奇襲にも対処できるようになる。
異世界転生者を倒すのも命あってのものだ。
不意な事故で命を落とさないようにするためにも、ここは防御系魔術を鍛えていった方がいいように思えた。
「まずは身体強化と同じ感じでいくか」
輝く六面、不変の理、その姿を現したまえ――障壁生成。
障壁生成の詠唱を心の中で口にする。
そして前に手を。
すると、次の瞬間には目の前に半透明の薄い直方体が現れた。
「ここまでは難しいわけじゃないんだよな」
問題は次の段階。
心の中で詠唱を唱えずにノータイムで発動していくところだ。
無詠唱魔術に大事なのはイメージだ。
先ほど障壁が発現した光景をもとに、頭の中でイメージを構築していく。
初めて障壁を発現させるのに成功したのは五秒間経った後だった。
その後も何度も発動していき、四秒、三秒と障壁が展開されるまでのタイムラグが短くなっていく。
「このまま続けていけばノータイムで発動はできそうだな。使用魔力も身体強化よりかは効率がいい。身体強化と違って発動し続けている間、魔力を消費し続ける魔術じゃないというのがデカいんだろうな」
そもそも魔術の中でも障壁生成自体、消費魔力が少ないというのもあった。
効果がシンプルな分、消費魔力も少ない。
魔術は引き算という法則に基づいているとも言える点だ。
「次はあれを試してみるか」
無詠唱魔術にはノータイムで発動できることや、同時に二つ以上の魔術を発動できること以外にも隠れた利点がある。
それは発動される魔術の自由度が上がることだ。
魔術の発動に必要な詠唱や魔法陣は、引き起こされる現象を指定するという役割がある。
だけど、頭の中のイメージだけで発動が可能な無詠唱魔術は詠唱魔術に比べ、現象の指定が曖昧なため、引き起こされる事象の振れ幅が大きくなるのだ。
具体的に言うと、身体強化なら脚力や腕力だけに身体強化の比重を上げるということも可能だ。
こんな芸当は詠唱魔術の身体強化では不可能であり、如何に無詠唱魔術がぶっ壊れているかわかる証拠でもあった。
「まずは射程」
障壁生成をより遠くに発現させるようイメージしてみる。
障壁を展開してみるが、あまり遠くに発現しているような実感はなかった。
「次はなんだ? 厚みとか?」
適当に考えた自由度をもとに魔術を発動してみる。
今度は成功した。分厚い障壁が目の前には出現していた。
「厚い分、耐久力は高いってわけじゃないんだな。むしろ、密度が小さくなって脆くなっている感じはある」
試しに身体強化ありの拳で殴ってみたところ、一瞬で砕け散ってしまった。
防御力が弱くなるため、障壁としては欠陥だったが、厚みを変えられるというのは新たな発見だ。
この調子で新たな自由度を模索していけば、新しい使い方も見つけられるかもしれない。
無詠唱魔術の新たな可能性を感じ取った一日であった。
*
「ニーネ、紙とペンはあるか?」
孤児院での午前中の勉強時間中、オレはニーネの部屋へと行き、声をかけた。
「あるけど、何に使うの? 紙は高いから、チョークと黒板を使ってくれると助かるんだけど」
「紙とペンじゃなくちゃ駄目だな」
「それなら仕方ないけど、何に使うのかくらいは教えてね」
やっぱり理由を話さなくちゃ駄目か。
勢いでは押し切れなかったので、素直に用途を告げることにした。
「今、フィナに魔術戦を教えていることは知っているだろ? でも、ニーネが買った教本だけじゃどうしても必要な魔術は網羅できないからな。覚えた方いい魔術の詠唱をフィナが暗記できるように、紙に書いておこうと思ってな」
「ノートを作ってあげるってことね」
「まあ、そういうことだな」
本当は単語カードのような形でも良かったが、手に入れられる紙の材質はたかが知れている。
切るなどの加工をしなくていい、ノートの形が無難だろう。
ニーネから紙とペンを受け取る。
みんながいる広間へと戻るのも面倒なので、ニーネの部屋にあった机で魔術名と詠唱、そして簡易的な特徴を書き連ねていくことにした。
覚えているすべての魔術を記載していくとなると、果てしない時間と労力がかかる。
ひとまずは覚える必要性が高い魔術から、書いていくべきだろう。
ペンを動かしていると、横から覗き込まれる。
「すごいねー。よくそんなに魔術覚えてるね。お姉ちゃん感心だよ」
「魔術戦に通じる者なら当然のことだ。ニーネだって、複雑な治癒術の法陣術式は空で暗記しているだろ? それと似たようなものだ」
それに昔のオレが暗記に力を入れていたというのもある。
魔術戦を強くなる方法はたくさんあるが、一番簡単なのは知識量を増やすことだ。
反射神経やアイデア力など、才能がものを言う要素とは違って、誰しもが努力した分だけ成果として出てくる分野でもあった。
「でも、オーくんってツンデレだよね」
「どこが?っていうか、いきなりどうした?」
「だって、それフィナちゃんのために書いているんでしょ? 口では散々冷たいこと言ってるけど、思いやりがあるなぁって」
「あのな。魔術戦の指導を効率よく行うためにやっていることだ。別にフィナのためっていうわけじゃ――」
「でも、フィナちゃんに魔術戦について教えてあげているのは、フィナちゃんのためじゃないの?」
「はぁ……」
ため息を吐きたい気持ちになる。
というか、既に吐いていた。
オレがフィナに魔術戦を教えているのは、体術練習の交換条件があるからだ。
自分にメリットがあるから教えているだけで、好き好んで教えているわけじゃない。
体術練習は異世界転生者を倒すためという突拍子もない目的のため、一からニーネに説明するわけにもいかない。
不本意極まりないが、ここはニーネの誤解を受け入れるしかないだろう。
「はいはい。じゃあ、フィナのためってことでいいから」
「いい加減に言っている風に答えて、本心から認めていないアピールするところが、かわいいんだから」
そう言って、こちらの髪をぐしゃぐしゃと撫でてくるニーネ。
人が下手に出ていれば、好き勝手言いやがって。
言い返したい気持ちに襲われたが、ここで反論でもしようものなら「ムキになっちゃって。そういうところがまたかわいいんだから」とか言われるのだろう。
その手には乗ってやるか。
文句をグッとこらえることにした。
「もう勝手に言ってろ」
「じゃあ、一つ訊いていい? やっぱりフィナちゃんのこと好きなの?」
「は?」
勝手に言わせていたら、とんでもない発言が飛び出してきた。
念のため、訊き返すことにする。
「好きってあれか? 人間的にってことか?」
「そう訊き返してくるってことはわかっているんでしょ? 恋愛的な好きかどうか訊いているんだよ」
やっぱりか。
っていうか、なんでそうなるんだ?
オレがフィナのことを恋愛的に好き?
そんなことがあるわけがない。
「なんでとんちんかんな質問してくるんだ?」
「とんちんかんでもないでしょ。意外にあるんだよ。ここにいる子供達で付き合ったり、大人になった後に結婚したりみたいなこと」
「それは初耳だが、よりにもよってなんでオレとフィナなんだ?」
「だって、最近いつも一緒にいるじゃん。他の子からもフィナ姉ちゃんがオーラルドに取られたって苦情がたくさん来ているんだよ」
その苦情は初耳だった。
フィナはここにいる子供に慕われているからな。
その手の苦情が来ても不思議ではなかった。
「言っておくけどな。いつも一緒にいるわけじゃないぞ? 朝の特訓と午後の指導の時間だけだ」
「でも、それって午後の自由時間はずっと一緒にいるってことでしょ?」
「魔術戦の指導のためにな」
連日、人が頑張ってフィナに魔術戦について教えているというのに、そんな邪推をされているとは。
これは怒ってもいい案件なんじゃないだろうか?
「で、どうなの? オーくん的にフィナちゃんはありなの?」
「どうして答えなければならない」
「あたし的には顔もかわいくて、優しいしポイント高いと思うんだけど」
「オレの話を聞いていたか?」
確かにフィナの顔立ちがいいところは認めるところだ。
うるさいところは癇に障るが、性格もいいところは認めよう。
でも、それとこれとは話は別だ。
「否定しないってことは好きなんだ」
「七、八歳児みたいな煽り止めろ。じゃあ、言い切るけど、恋愛感情はない」
「えーっ、なんで! あんなにかわいいのに!」
「あのな。人間、顔がいいだけで誰かを好きになるほど単純でもないだろ」
「それは至極全うな正論ね」
ニーネは納得するように頷くと、続けて質問をしてきた。
「でも、フィナちゃんになんの不満があるの?」
「向こうに不満があるわけじゃない。こっちの問題だ」
オレには異世界転生者を倒すという目的がある。
その目的を成し遂げるために一分一秒も無駄にしている暇はない。
恋愛などにかまけている余裕はなかった。
「もしかして、オーくんってまだ女の子を好きになったことがないの?」
「それくらいはあるさ」
「そこはあるんだ」
人間、十年ちょっと生きていれば、恋の一つや二つくらいはして当然だ。
それこそ元婚約者のエメリダ・ミュンスアのことも異性として見ていた。
恋愛感情があったからこそ、婚約破棄を申し出られてことに腹を立て、レイルとの決闘を受けてしまったのだ。
まあ、レイルの過去を覗いたことで、自分がどれだけ嫌われていたかが判明して、今ではどうでもよくなったんだけどな。
過去にそういう気持ちがあったのも事実ではあった。
「じゃあ、フィナちゃんを好きになることもあるんじゃないの?」
「ないな。フィナに限らず、誰かを好きになるっていうのはもうないだろう」
「ずっと? 一生?」
「ああ」
仮に異世界転生者を倒すという目的を達成したとしても、オレの寿命は生体術式の代償で人よりずっと少なくなっている。
自分が先立つとわかっているのに、誰かと付き合って、ましてや結婚だなんて考えることができるだろうか?
「そんな悲しいこと言わないでよ。じゃあ、オーくんに将来一緒に過ごしたいなって思う女の子が現れないようだったら、あたしがもらってあげようか?」
「いや、結構だ」
いくらなんでもニーネはないだろう。
年齢で言うと何歳年上なんだ? 十歳以上?
恋人というより母親の方が印象として強いしな。
確かに自分が先立つ期間は短くなるだろうが、それとこれとは話は別であった。
「えーっ! 酷い! 人生、初めてのプロポーズだったのに!」
「オレなんかに人生の初めてを使うな。っていうか、ニーネはそろそろ真剣に結婚相手を探した方がいい歳じゃないか?」
「それ気にしているんだから、言わないで!」
魔術の詠唱を書き留めながら、ニーネとそんな不毛なやり取りを繰り広げたのであった。




