第十六話 『対象指定魔術と障壁魔術』
フィナへの魔術戦の指導を始めてから早一ヶ月。
「よしっ、二分五十八秒」
懐中時計のボタンを押したフィナが呟く。
現在は特訓前の時間を使って、持続強化の時間カウントの練習を行っていた。
「安定して誤差が減ってきたな」
「えへへ。オーラルドが時計プレゼントしてくれたからね」
そう言って、時計に頬ずりするフィナ。
目筋を垂らして、口元をニヤつかせている。
なんともアホ面であった。
「そのキモい顔やめろ」
「キモいって酷い! 貰った誕生日プレゼントを大事にしているだけなのに!」
「誕生日プレゼントって言っても形式上だからな。その時計は正確な時間感覚を身につけるために買ってやったんだ。大事にしなくていいから、一刻も早く誤差をなくせ」
「でも、さっき誤差が減ってきたなって……」
「ゼロにしないと意味がないだろ。十回計って、九回はぴったり当てられるくらいにはなれ」
「鬼すぎない⁉」
別に意地悪でこんなことを言っているわけじゃない。
魔術戦では一秒の誤差が勝敗を分けることもあるのだ。
誤差なんてなるべくなくした方がいいに決まっている。
そもそもトップクラスの魔術師になると十回中、十回は当てることができる。
将来そういう舞台で戦うことになるという期待を込めての厳しい目標設定だった。
「管掌する領域よ」
「氷面世界の第一節!」
咄嗟に口にした詠唱にも、フィナからの反応が返ってくる。
どうやら詠唱から魔術名を思い起こす練習も欠かしていないようだ。
フィナが持っている教本に書かれた魔術であれば、すぐさま魔術名が出てくるようになっていた。
「これは次の段階に進んでもいいかもな」
元々運動能力のセンスがいいのだろう。
フィナは持続強化を使った戦闘方法もきちんと飲み込めていた。
もちろん自分の持続強化の効果時間をカウントしながら、相手の持続強化の時間カウントするのはまだ下手なところもある。
だけど、そもそもフィナには身体強化の生体術式があるため、全力で戦う際には自分の時間をカウントする必要はない。
相手の時間をカウントすることだけを意識すればいいので、多少は楽になるはずだった。
「次の段階⁉ 本当⁉」
フィナが嬉しそうに声を上げる。
ずっと同じ練習をしているのにも飽きが出てきたのだろう。
今の練習にもまだまだ課題はあるが、他にも学ばせないといけないところはたくさんあるので、次のステップに移行することにした。
「魔術戦の基礎も少しは理解してきたってことで、今日からは新しいことを学んでもらう」
「やったー! で、何やるの?」
「フィナの戦い方に合った魔術を教えていくことになる」
「おおー!」
ここ一ヶ月でフィナがどんな戦い方を得意としていて、どんな戦い方に苦手意識を持っているのか理解してきたつもりだ。
その結果を下に考えてきた、鍛える方向性について伝えることにする。
「やっぱりフィナは接近戦をメインに据えた方がいいな。身体強化の生体術式の存在もあるし、純粋に身体を動かすセンスもあるときた」
身体強化による脚力の機動性を活かして、遠距離戦を主軸に据えるのも面白そうだが、最初はシンプルに身体強化の接近戦性能を活かした立ち回りを伸ばしていった方がいいだろう。
こちらの言葉にフィナが反応する。
「っていうことは、接近戦用の魔術を教えてくれるってこと?」
「違うな。接近戦の攻め手は正直、今使える魔術と体術だけで充分だ。圧倒的な身体能力で押し切ればいいだけだしな。問題は守りだ」
フィナがオレとの魔術戦で負けたのも、この部分にある。
攻撃力だけなら、オレを倒しうるものを持っていた。
だけど、こちらの攻撃に対処できなかったからフィナは負けたのだ。
「今からフィナには接近戦が苦手とする魔術と戦法、そしてその対処法を学んでもらう。魔術戦の戦法には相性があるが、対策法を知っているだけでグッと楽になることもあるからな。それに自分の長所を潰してくる戦法の対策法を学ぶことで、結果的に相手がやられて嫌な立ち回りを学べることにもなる」
ベテランの魔術師ならともかく、自分達くらいの若い年齢の魔術師は魔術戦に触れてきた経験が浅いため、全ての戦法を網羅することはできない。
よって、新人の魔術師が手っ取り早く強くなるには一つの戦法を極めていった方がいいのだ。
だけど、一つの戦法を極めようと、カウンターとなる魔術や戦法も存在するわけで、その対策法を用意しないで勝てるほど魔術戦は甘くない。
人間、長所を伸ばすのは簡単だ。
好きなことを突き詰めていったら、自然と一人でできるようになっていたなんてことはよくあるものだ。
だけど、短所を消すとなると話は別。
自分の苦手なことにチャレンジするというのは精神的苦痛が大きく、また自分が苦手意識を持っている分野を一から独学で勉強するというのもハードルが高かった。
フィナだって放っておけば、勝手に接近戦の能力は上がっていくだろう。
だったら、自分一人じゃ絶対に手を付けられないような弱点の克服という部分を補っていくべきだ。
それこそが指導者であるオレの役目のように思えた。
「なるほどね」
納得したのか、フィナは相槌を打つ。
了承も得られたことなので、早速講義を始めることにしよう。
「じゃあ、まずは攻撃を躱すスタイルを持つフィナが苦手とする魔術、対象指定魔術についてだな」
「ああ、前にオーラルドが使ってきた絶対に当たる魔術でしょ。あれから私も勉強してきたよ」
対象指定魔術はそう珍しい魔術でもない。
攻撃相手を選ぶことで、追尾する必中の魔術。
フィナが持つ唯一の教本にも記載されているメジャーな魔術だ。
こちらが指示しなくても自主学習してきたことは素直に称賛できる。
学習意欲があった方が飲み込みも早くなるしな。
「じゃあ、対象指定魔術の弱点は?」
「うーん……そういうのは教本に載ってないからなぁ……」
「自分が対象指定魔術をかける立場になって考えてみればいい」
「あっ! 射程が短い!」
「正解だ」
短い詠唱によって行える現象の指示には限りがあるため、性能を一つ加えるとなると何らかの性能を削らなくてはならない。
必中という性能を足された対象指定魔術は普通の攻撃魔術に比べ、射程が削られている場合がほとんどであった。
「じゃあ、対策法は?」
「近づかない!」
「それも正解だ。対象指定魔術に当たらない方法は距離を取るのが一番だ」
「当たったー! あっ、でもそれじゃあ、接近戦ができなくない?」
「いいところに気づいたな」
それこそが対象指定魔術が接近戦のカウンターとされている要因。
フィナが接近戦を極めるために乗り越えなくちゃいけない第一の関門だ。
「じゃあ、他の対処法を考えてみな」
「えーっ、なんだろう……」
「時間がかかりそうだから先に答えを言うぞ。対処法はいくつもあるが、一番簡単なのは障壁魔術を張ることだ」
そう言って、オレは詠唱を唱える。
前後左右上下を障壁で囲う防御魔術、障壁展開を発動した。
「魔術は引き算だ。必中という性能を足せば、その分威力も弱くなる。基本的に守りの性能を全振りした障壁魔術を展開すれば、早々破られることはない」
「じゃあ、オーラルドと戦ったときも、私が障壁魔術を使っていたら防げてたってこと?」
「そういうことだ。魔術戦において対策法を知っているかどうかの重要性がわかっただろ?」
実際のところはそんな簡単な話じゃないけどな。
あの魔術戦でオレが最初に放った対象指定魔術である拡散追尾電光は、広範囲に拡散する攻撃だ。
障壁を一面だけ展開する障壁生成では防げない。
障壁魔術で完璧に防御しようとすると、今オレが発動している障壁展開のような魔術で全面に障壁を張らなければならなかったのだ。
しかし、障壁展開は障壁を全面に張ってしまうために身動きが取れなくなってしまう。
フィナが障壁展開を張る選択をしていれば、迫る足を止めなくてはいけなくなり、こちらが距離を取れるというアドバンテージが得られたわけだ。
当たったら勝ちに繋がり、当たらなくても有利が取れる。
その両取りを狙う考え方が魔術戦の読み合いでは強力なのだが、小難しい駆け引きについては今のフィナでは理解できないと思うので、説明は省くことにした。
「でも障壁魔術で守るだけで、あんまり強い感じなくない? せっかく詠唱唱えたのに相手の攻撃を一回防ぐだけって」
「言いたいことはわからなくない。相手の攻撃を相殺するだけじゃプラスマイナスゼロで、なんの有利も取れないからな」
「でしょ?」
「けれど、それはフィナが障壁魔術についての理解が浅いからだ。本来障壁魔術はそれ中心に戦うブロッカーという魔術師がいるくらい奥が深いものだからな」
「そんな魔術師がいるの⁉」
「もちろん障壁魔術しか使わないで戦うってわけじゃないぞ? 全体の何十パーセントかを障壁魔術に頼っているというだけだ」
ブロッカーの説明はまた話が長くなってしまいそうなので、今回は置いておくことにする。
今は障壁魔術が取れるアドバンテージについてだ。
「障壁魔術の強みを知るには、障壁魔術の形状に目を向けた方がいいな」
そう言って、展開している障壁展開の壁面に触れる。
「障壁展開は堅牢さに全振りした障壁だが、炎壁の障壁だったらどうだ? フィナが突っ込んでいくところに突然火の壁が展開されたらどうなる?」
「そのまま突っ込んでいったら火傷しちゃうね」
「そういうことだ。障壁魔術は必ず防御しかできないというわけじゃない」
オレがフィナとの魔術戦に使った土崖隆起も、広義的には障壁魔術のようなものだ。
地面を隆起させ、自分と相手との間に遮るものを作る。
あの魔術でオレはフィナの迫るルートを制限し、死角も作った。
障壁魔術も使い方次第ということだ。
「他にも弾性防御や粘性防御という障壁魔術もある。前者は打撃系の攻撃の衝撃を弾き返すことができるし、後者は触れれば接着されてしまう。どっちも近接戦のカウンターとなる障壁魔術だな」
「障壁魔術だけでも色々あるんだね。難しいなぁ……」
「それに基本的な障壁魔術でも奥が深かったりする」
そう言って、障壁展開を解除する。
立ち上がってフィナから五歩ほど離れた。
「今からフィナはオレを殴ってこい。それをオレは障壁生成で防ぐ」
「いいの? ぶち破っちゃうよ?」
フィナの身体強化ありの膂力ならやり遂げてしまいそうだと思ったが、全力でやってもらった方が障壁魔術の奥深さについて伝わるだろう。
「ぶち破るつもりでやって構わない。その代わりこっちが詠唱の準備を終えてから殴りかかってくれよ」
「おっけー! 力比べってことね!」
こちらが障壁生成の詠唱を終えると、合図を出した。
フィナがオレを殴るために迫ってくる。
その動きを集中しながら観察して、タイミングを合わせて障壁生成を発動。
「――えっ⁉」
バランスを崩したフィナは地面に転がっていた。
「どうだ?」
フィナが足元に目を向ける。
そこには小さな半透明の障壁生成が展開されていた。
「障壁生成は射程が短い魔術だ。だけど、射程内ならどこでも障壁を張ることができる。こういう風に迫ってくる相手の足元に障壁を張って、コケさせることもできるってわけだな」
「ずるくない⁉」
「障壁魔術が真っ正面から防御するだけの魔術という固定観念を持っていたお前が悪い。それに腕を動かす始点の場所に障壁を張ることで、力が乗り切る前に殴るのを妨害することだってできた。どうだ? 障壁魔術の奥深さについてわかり始めてきただろ?」
障壁魔術は基本的に射程が短めだ。
だけど、その射程内なら無類の硬度や性能を発揮することが多かった。
それはまさに接近戦用の魔術。
フィナの身体強化の生体術式による体術と組み合わせれば、大きな武器となることは確実だった。
「他にも相手の逃げる進路に障壁を置いたりすることもできる。あとは、防御力は低いが全身に密着した薄い障壁を張る全身防御という魔術を用いた戦い方もあるな。全身防御は展開したまま動くこともできるから、全身防御を張ってダメージ覚悟で攻撃を軽減するだけにとどめて、突っ込むという戦法だな」
この戦法は巷では半受け戦法と呼ばれていたりする。
ぶっちゃけフィナには身体強化による肉体の耐久力もあるため、この半受け戦法が一番強いような気がするのだが、半受けは受けられるダメージの計算をミスると大怪我をしてしまう。
あまりおすすめできない戦法であった。
フィナが血だらけで帰ってきたら、ニーネは卒倒するだろうしな。
下手をしたら魔術戦の練習が危険ということで、禁止をされる可能性まであった。
「どうだ? 障壁魔術を使った戦い方を身につける気になったか?」
「うん! 早く勉強してみたい!」
フィナは両手にグーを作って言う。
「特にその全身防御を使って突っ込むって戦法に興味あるかも!」
「……」
フィナって結構脳筋だよな……。
早速危険な戦法に興味を示している彼女をどうやって説得しようか、頭を悩ませるのであった。




