第十四話 『魔術戦概論』
フィナと魔術戦を行った翌日。
早速オレは魔術戦を教える条件として持ち掛けた、体術の手合わせを行うことにした。
「オーラルド、眠いんだけど……」
瞼を擦りながら、孤児院の庭へと出るフィナ。
彼女がそう愚痴るのも無理はない。
現在の時刻は午前五時。
やっと朝日が昇り始めてきた頃合いだ。
外の気温は涼しいというよりも肌寒く、オレもフィナも長袖の服を着ていた。
「どうしてこんな早い時間なの? 午後じゃ駄目?」
フィナが問ってくる。
どうやら早起きをさせられて、オレの体術の特訓に付き合わされることに不満を感じているようであった。
もちろん他の子供どころかニーネも起きていないような早朝を選んだのには理由がある。
無詠唱身体強化の発動は魔力を根こそぎ消費する。
よって今まで無詠唱身体強化の練習は、孤児院の手伝いをサボってする午前と魔力が回復する夜の二度しか行えなかった。
しかし、そこでフィナとの無詠唱身体強化を交えた体術練習の予定が加わるとなると、日課の変更が必要となってくる。
本来なら午前の手伝い中に手合わせを行いたかったが、お利口さんのフィナが手伝いをサボって体術の特訓に付き合うことなんて認めるはずがない。
だからといって、夜に体術訓練をするというのも微妙なところだ。
夜は魔力が回復しきらず全快じゃないし、今日から午後の自由時間はフィナの魔術戦講義に当てなければいけない。
魔術戦を教えるとなればもちろん実戦を交えるわけで、さらなる魔力の消費が考えられた。
使える魔力が少ない夜の時間に、一番力を入れたい体術の訓練時間を回すのは得策じゃないだろう。
そうなるとオレとフィナ両方が使える時間は、今まで手つかずだった朝ご飯前の早朝しかなかった。
この孤児院の子供は持ち回りで朝ご飯当番もあるため、早起きを強いられることあるが、それでも今の時間よりかは遅くに起きることになる。
そういう意味でもフィナは不満を持っているようだった。
「こっちにも事情があるんだ。午後は魔術戦を教えてやるんだから、それくらいの条件は飲んでくれ」
「お願いしている立場だから文句は言いにくいけど……」
「ちなみにだけど、これから毎日この時間に起きてもらうからな」
「毎日⁉」
フィナは目が覚めたのか大声をあげた。
「当たり前だろ。特訓なんて継続してやらなくちゃ意味ないだろ」
「週に休みの日は――」
「あるわけがない」
「鬼畜!」
そんなこと言われても仕方ないものは仕方ない。
オレは人より時間が残されていないのだ。
休んでいる暇などあるわけもない。
「これから毎日五時起きかぁ……」
「勘違いするな。五時に特訓を始められるようにするんだから、もっと早く起きてもらわなくちゃ困る。今日みたいになかなか起きなかったら、叩き起こすからな」
「はい……」
完全なるパワハラだったが、こっちも魔術戦について持てるだけの知識は提供するつもりだ。
その見返りとして、これくらいの条件は飲んでほしい。
「私はまあ、頑張ってみるけど……。オーラルドは毎日そんなに早起きして大丈夫なの?」
「多分大丈夫だろ。その分寝る時間を繰り上げるつもりだしな。それに貴族だった頃はこうして朝早くに起きて、学校前に魔術戦の訓練をしていたしな」
「オーラルドって、案外ストイックなタイプだったりする?」
「別にだろ。このくらいトップクラスの魔術師は結構やっていることだ」
フィナの魔術を独りで学んだ努力は認めるところだが、それも一般的な平民にしたらというものだ。
魔術戦に精通する者は誰だって、並大抵じゃない努力と時間をかけている。
魔術戦を指導するにあたって、後々そこら辺の意識も正しておかないといけないだろう。
「とにかく、これから厳しくいくから覚悟しておけよ」
「頑張ってみるけど、できる限りお手柔らかにというか……」
手をすり合わせながら、苦笑いを浮かべるフィナ。
そんな表情をしても慈悲を与えるわけがなかった。
まあ、今は体術訓練についてだ。
現在のオレは無詠唱身体強化を一分ちょっとしか発動することができない。
よって、詠唱ありの身体強化で何本か手合わせした後、最後に無詠唱身体強化で手合わせをするという形になるだろう。
無詠唱身体強化の手合わせといっても、この世界の住人であるフィナに無詠唱魔術の存在を教えたくないため、持続強化をかけたと偽って手合わせする感じにはなるんだろうけど。
こうして、オレとフィナは体術訓練を始めるのであった。
ちなみに早起きの鬱憤を晴らすかのように、手合わせではフィナにボコボコにされた。
*
午後は予定通り、フィナへ魔術戦を教えることとなった。
実戦的な練習もあるかもしれないため、とりあえず昨日魔術戦を行った裏山へ二人で移動する。
「フィナに何から教えるか一日悩んだけど、やっぱり一番の基礎から叩きこもうと思う」
「一番の基礎?」
不思議そうに問ってくる。
フィナは魔術戦に関しては素人も同然だ。
魔術は知っているけど、魔術師同士の対人戦の戦い方は知らない。
そんな彼女に最初に教えるのは、魔術戦を学ぶ者はまずこの魔術からマスターすべきとも言われるような有名な魔術だった。
「そうだ。何の魔術だと思う?」
「それって私が使ってる本に書いてある魔術?」
「ああ。もちろん載ってるし、なんならこの前の戦いでオレも使っていた」
「だったら、あれだ! 追いかけてくる氷の花の魔術! 栽植氷華!」
「違うな」
対象指定魔術の扱い方や対処法は追々教えるつもりだが、これから教えるのはもっと初歩的な魔術だ。
「持続強化だよ」
その答えはフィナにとって予想外なものだったらしい。
質問で返してくる。
「持続強化より力が強くなる身体強化を生体術式で使えるんだよ? それなのになんで持続強化?」
「なんでか、ね……。答えは単純だ。全ての魔術師が使ってくる魔術だから。確かにフィナに持続強化は必要ないかもしれない。でも、全ての相手が使ってくる魔術の弱点が知れたら、勝ちやすくなると思わないか?」
「確かに!」
「で、魔術の弱点を知るには自分で使ってみるのが手っ取り早い。フィナ、持続強化は使えるか?」
「あんまり練習しない魔術だから自信はないけど、使えはすると思う……」
身体強化の生体術式が使えるため、持続強化の練度が低いのだろう。
気持ちはわからなくないが基礎は大事だ。
変に近道をすると、後々実力が伸びなくて苦しむことになるだろうしな。
それに今は必要なくてもフィナがトップクラスの魔術戦魔導師を目指すなら、持続強化を使った戦闘法を覚えておいて損はない。
とりあえずフィナに三分持続強化を発動してもらった後、自分も同じように三分持続強化を展開していく。
これはフィナに持続強化の弱点を理解してもらうための手合わせなので、対象指定魔術などの絡め手はなしだ。
お互いに簡単な中距離魔術に絞ってという条件で戦うことにした。
「うっ……またっ……!」
オレが放ったのはフィナも昨日の戦いで使った火炎弓射であったが、躱しきることができず彼女の太ももを掠った。
逆にフィナからの攻撃は読みとフェイントを駆使しながらいなし、先にフィナの三分持続強化が切れたところで雷撃衝波をぶち当ててゲームセット。
手合わせは終了となる。
「どうだった?」
地面に倒れるフィナに向かって尋ねることにする。
「すごく動きづらい! みんなこんなので戦ってるの?」
「そうだ。この手合わせを計画した理由の一つに、持続強化の限界を知ってもらうというのがあったからな。それがわかっただけでも戦った甲斐があった」
フィナが持続強化や身体強化の身体能力向上の度合いについて、あまり理解していないのは先日の魔術戦で感じ取っていた。
身体強化の生体術式によるフィナの最初の蹴り。
それをオレは咄嗟に無詠唱の身体強化で反応してしまった。
普通の魔術師だったら、確実に違和感を覚えるシーン。
なんの身体強化魔術も発動していないのに、身体強化によって強化された体術を避けたり受けたりすることが不可能なことくらい、本来ならわかって然るべきなのだ。
フィナの生体術式を活かすためにも、持続強化と身体強化の能力向上度合いの違いについては感じられるようになってもらう必要がある。
自分の強みを知って相手の弱みを理解することが、魔術戦の実力を上げるうえで重要だった。
オレが次に予定していた話に移ろうとすると、フィナが先に口を開いてきた。
「でも、オーラルドは全部躱したり防いでたりしたよね? あれ、どうやったの?」
そうか。そっちにも触れた方がいいか。
フィナと手合わせしてみて気になったことがもう一つあった。
持続強化の話とは打って変わるけど、非常に基礎的なことなのでここで指摘しておいた方がいいだろう。
「あれはタネがあってな。フィナ、魔術の詠唱は覚えているか?」
「もちろんだよ! 毎日勉強しているもん!」
「赤き流星よ」
「えっ?」
「だから、赤き流星よ」
「それがどうしたの?」
「何の魔術の第何節の詠唱だ」
「えっと、待ってね……。もう少し続きを言ってくれれば……」
「待てるか」
フィナの頭を小突く。
突然の暴力に驚いたようで、目をパチクリさせながらこちらを見上げてきた。
「いきなり何すんの!」
「お前が舐めたことを言ってくるからだ。正解は火炎剛球の第一節」
「ああ、思い出した!」
「だろ? これは前にフィナが使っていた魔術だから詠唱を覚えて当然だ。じゃあ、今回なんで咄嗟に出てこなかったと思う?」
「私がお馬鹿さんだったから?」
「違うな。魔術の名から詠唱が出てくるようにといった方法で暗記していたからだ」
これは魔術戦初心者が陥りやすい記憶方法の罠だ。
魔術戦において、詠唱を覚える意味は魔術を発動するためだけじゃない。
「フィナそう暗記していたのは、魔術を発動するときに詠唱を忘れて発動できないってことがないためにだろ?」
「うん」
「でも、詠唱のフレーズからどの魔術が発動されるか判別できるように記憶しておけば、相手の発動してくる魔術がわかるんだ」
「あっ!って、いうことは……」
「そうだ。オレはフィナが詠唱を始めた時点でどんな魔術がくるのかわかっていた。どんな攻撃がくるのかわかれば躱しやすい」
向こうの世界の事柄で似た喩えをするなら英単語の記憶がわかりやすいだろう。
英語を読むだけなら、英単語から意味が出てくるような暗記方法で十分だ。
だけど、英文を作るとなると逆に、日本語から英語が出てくるような暗記方法が必要となる。
魔術の詠唱についても同じ。
魔術名から詠唱。
その逆、詠唱から魔術名といった風に両方向への暗記が必要なのだ。
「これからフィナには詠唱を言われた時点で咄嗟になんの魔術か言えるようになってもらうよう勉強してもらう。目標は今みたいに一節言っただけで、一秒もかからず魔術名が出てくるところまで」
「一秒⁉」
そんなことで驚かれても困る。
トップクラスの魔術師はみんなやっていることだ。
むしろどれだけ早く敵の魔術を察知できるかが勝敗を分ける世界。
一秒でも遅すぎるくらいだ。
「まあ、でもそれは今じゃなくてもできることだしな。午前中の勉強時間などを使って、自分で頑張って暗記してくれ」
「はい!」
「ちなみに時々、詠唱の一節を口にして抜き打ちチェックをやるからな。一秒以内に答えられなかったら引っ叩く」
「スパルタすぎない⁉」
引っ叩くのは冗談みたいなものだが、そのくらいの緊張感を持って暗記に臨んでほしいということだ。
「で、話を持続強化について元に戻すことにするけど、いいか?」
「うん」
「フィナはさっき戦ってみて、持続強化の弱点ってなんだと思った?」
「さっきも言ったけど、身体強化より身体が動かしにくいこと?」
「それもそうだけど。もう一つだ」
「えっ、わかんない……」
顔を曇らせるフィナ。彼女にわかりやすいヒントを与えることにする。
「最後オレの雷撃衝波が決まって、決着がついたよな。あれ、どうして決まったと思う?」
「私の持続強化の効果が切れて、オーラルドの攻撃が避けられなかったから……。あっ、わかった! 効果が三分で切れること!」
「正解だ」
やっぱりフィナは頭が悪いわけではないな。
適切なヒントさえ与えれば、自力で答えにたどり着いてくれる。
教える方としては非常に助かる相手である。
「オレはフィナよりも十秒遅く持続強化を発動した。だから、自分の身体能力だけが強化されることになる最後の十秒を使って接近して、雷撃衝波を確実に当てることができた」
「っていうことは、持続強化を発動した人同士の戦いは、後に持続強化を発動した方が有利ってこと?」
「それは違うな。先に持続強化を発動したフィナが、こちらの持続強化を待たずに攻撃していたらどうなった?」
「私が勝ってた」
「そうだ。だから、持続強化を先に発動することは間違いじゃない。じゃあ、フィナはあの勝負でどうすれば良かったと思う?」
こちらの質問にしばらく考える素振りを見せて、やがて口を開いた。
「持続強化の効果が切れた時点で、もう一度持続強化を発動した方が良かったかも」
「うーん、それは微妙に不正解だ。正解は持続強化が切れる前に持続強化を再発動するだ」
持続強化は重ね掛けが可能である。
持続強化が切れる十秒前に再度持続強化を発動したら、その時点からまた三分間持続強化の効果は持続する。
十秒分残っているからといって、三分十秒間効果が発動しないのが一つのポイントだ。
「でも、それじゃあ効果が三分で切れるって弱点はなくなっちゃうんじゃないの?」
「いや、違うな。魔術師は三分に一度持続強化を発動しなくちゃいけないって考えるんだ。それは明確な弱点となる」
「ちょっとオーラルドの言ってることがわかんなくなってきたんだけど……」
「別に難しいことじゃない。要は魔術師には三分に一度、持続強化の詠唱を口にしなくちゃいけないんだ。その間、他の魔術を使うことができない。それってかなりの隙だと思わない?」
「なるほど」
フィナもようやくこちらの言わんとしていることを理解してくれたようだ。
これこそが現代の魔術戦の読み合いの基礎。
どのタイミングで持続強化を発動することで、自分の隙を隠して相手の隙を突けるのかという駆け引きである。
「初心者から一流同士の戦いまで、魔術師は持続強化を再発動する時間を作るためだけに、いくつもの魔術を使って戦いの絵を描いていく。だけど、フィナには身体強化の生体術式がある。他の魔術師が数秒間の時間を作るために頭をフル回転させなくちゃいけないところ、そんな駆け引きを無視して攻撃に集中できるのは滅茶苦茶強いと思わないか?」
「――っ!」
フィナもようやく身体強化の生体術式の真価について理解したようだ。
身体強化の生体術式は破格の才能だ。
それこそ魔術戦の定石をぶち壊してしまうほどの。
まあ、生体術式はこの世界に生まれた者の特権のようなものだ。
異世界転生者の無詠唱魔術のようにずるい技とも思わない。
フィナにはこの才能を思う存分活かした戦い方を身につけてほしいものだ。
「とは言っても、持続強化の効果発動時間が切れるまでのタイムリミットを理解しておかないと相手の隙を突くこともできない。具体的に言うと、持続強化の発動時間である一分、三分、五分の三つに関しては正確に時間が把握できるようになっていてほしい。できれば誤差一秒以内で」
「また一秒⁉」
「当たり前だ。これはもう魔術戦魔導師の必須能力みたいなものだな」
特に自分が持続強化を使うとなると、気がつかない内に効果が切れていたなんて自体になれば即敗北に繋がってしまう。
自分と相手の持続強化がどのタイミングで切れるかといった重要な情報を知るためにも、正確な時間感覚は身につけておかなければならない。
「ということで、当面の課題は二つ。詠唱から魔術名をすぐに出せるようになること。そして、持続強化の駆け引きのための正確な時間感覚を身につけること。いいな?」
「はい!」
といった具合でフィナの育成方針を打ち立てたのであった。




