第十三話 『魔術と魔術戦』
「お前、魔術戦をするの始めてだろ?」
その問いかけにフィナは小さく首を横に振った。
「この街にいるニーねえの知り合いの人に、戦いを見てもらったことは何度かあるけど……」
「そうじゃなくて、ちゃんとした魔術戦をだ」
「ちゃんとした魔術戦って?」
「やっぱりそこからか……」
返ってきた反応に肩を落としながら、ひとまず栽植氷華を解除することにした。
フィナの手足は氷の花から解き放たれる。
無事に手足を動かせていることを確認して、オレは問いかけることにした。
「そもそもフィナは魔術戦の定義ってなんだと思う?」
「魔術で戦うことじゃないの?」
「微妙に違うな。正確には魔術を行使する者同士で行う対人戦のことだ」
魔族のような人間とは微妙に異なる種族と戦うときも魔術戦に含めることがあるが、そこまで言及すると複雑になるので、説明を今回は省くことにする。
「それなら私も戦ったことあるよ。それこそ、そのニーねえの知り合いの人に」
「この街にいる人にって言ってたよな。それってもしかして冒険者とかじゃないか?」
「そうだけど……」
それの何が問題なのかという顔をフィナは浮かべている。
やっぱりそこも説明が必要なのかとため息を吐きたかったが、話を始めてしまった手前仕方ない。
まあ、魔術戦についての話をするのは嫌いじゃないしな。
オレは説明を続けることにした。
「冒険者っていうのはモンスターを倒したりして生計を立てている人のことだろ? 奴らの専門は対モンスター戦なんだ。モンスターを効率良く狩るための魔術を得意としていて、対人戦の知識が乏しい場合が多い」
「そんなにモンスターと人と戦うのって違うの? モンスターを倒せる魔術なら、人も倒せると思うんだけど……」
「ああ、全然違う。人とモンスターの一番の違いってなんだと思う?」
「大きさ?」
「……違うな。相手も考えて、魔術を使ってくることだ」
モンスターにも知能が高かったり、魔術をつかったりするものがいるが、基本的には威力や速度があれば倒すことはできる。
だけど、人と戦うとなると話は別だ。
自分と同じようにものを考えて、戦ってくるのだ。
「基本的に人間が魔術を使うときには詠唱が必要だろ?」
魔法陣を使って魔術を行使する法陣術式といった方法もあるが、魔術戦の中心はやっぱり詠唱術式だ。
ここでは無詠唱魔術という異世界転生者特有の例外は除かせてもらう。
「ということは詠唱さえ覚えていれば、魔術が放たれる前にどんな術式が飛んでくるか知れるということだ。となると、詠唱を聞いたあとで対策をすることもできる」
オレがフィナの火炎弓射を簡単に避けられたのも、そういった原理だった。
事前にどんな攻撃が来るのかわかれば、対処するのはそう難しいことじゃない。
「すると仕掛ける側は相手に対策される前提で、どんな攻撃をするか考えなくちゃいけない。受ける側もそうだ。自分の対策が相手に考慮されている前提で防御をしなくちゃいけない」
それが繰り返されて、魔術での対人戦は互いの思惑が入り混じった複雑な戦いとなる。
「その結果が現代の魔術戦だ。相手の仕掛けを読み切って、逆に読ませない、もしくは対処できない仕掛けを押し付ける。そんな人類の戦いの歴史の中で、高度に発展した頭脳戦が魔術戦なんだ」
「へぇ……」
理解できたのかできなかったのかわからないが、相槌が返ってくる。
話についてきてくれていると仮定して、続きを話していくことにする。
「そんな魔術戦だ。人間は次第にどうすれば魔術戦で勝てるのか、研究し始めるようになった。有用な戦法が生まれると、人々はそれを使うようになる。その戦法が広まると、今度はその戦法に勝つために新しい戦法が生まれる。そして、段々と定石のようなものが生まれていった」
それこそが魔術戦の発展の全てだ。
人類が築き上げてきた、何百年と続く対人戦の歴史。
その叡智の積み重ねには美学すら感じられる。
だからこそオレは、余所者のくせにこの世界の人類の叡智をぶち壊そうとする異世界転生者が許せないのだ。
「確かにフィナの魔術は上手かった。ニーネから与えられた本を読み込んで、練習していたことも伝わってきた。でも、魔術が上手いだけじゃ魔術戦は勝てない。魔術戦の定石は人類が積み重ねてきた勝利の方程式なんだから。その方程式を無視して勝てるほど、魔術戦の世界は甘いものじゃない」
向こうの世界の物事で喩えるなら、将棋というゲームが一番近いだろうか?
魔術を使えるフィナは駒の動かし方を知っている状態だ。
フィナが雷撃衝波によって、こちらの刺突雷撃を回避したのは咄嗟の反応だろう。
そうなると彼女にはセンスもある。
適切な持ち駒があれば、相手の玉を詰ませられる実力はあるということだ。
でも、囲いや戦法を何も知らない。
矢倉や美濃囲いといった王の守り方も知らなければ、棒銀のような相手陣の攻め方も知らないのだ。
プロ棋士によってたくさんの囲いや戦法の研究がなされている中、駒の動かし方とセンスだけで、攻めや守りの定跡に通じている熟練者に勝つのは不可能だろう。
「でも、戦い方なんて知らないし……」
フィナは俯きながら呟く。
彼女の言い分は最もだ。
魔術戦を学ぶにあたって、最大の難関は情報を手に入れることだ。
この世界にはインターネットなんて便利なものはない。
向こうの世界よりも出版技術が発展していないため、本だって手に入れにくい。
よって、情報を手に入れるにはお金がかかるのだ。
貴族時代のオレは優秀な指導者を雇って、魔術戦の興行試合の動画に大金を叩いて研究して。
そうまでして、ようやく同年代の中でトップクラスの魔術戦の実力を身につけることができた。
逆に言うなら、そこまでしないと頂点には立てないということだ。
だから、魔術戦に強いとされている魔術師はほとんどが貴族出身だ。
魔術戦の実力だって、生まれ育った環境がものを言うのだ。
「そうだろうな。このオーギスの街で、しかも孤児院という環境で魔術戦の勉強をするのはまず無理だ。だから、フィナが魔術戦魔導師になれることはないだろう」
最初にフィナから魔術戦魔導師になりたいという話を聞いたときにも思ったことだ。
ニーネは治癒術師だ。
魔導戦については完全な専門外。
フィナの生体術式がいかに魔術戦に有用かは知っていたが、どういう勉強をすれば魔術戦魔導師になれるかを知らなかったのだろう。
フィナから話を聞いたときは、ただの子供の夢物語だと思って適当に受け流していた。
だけど、彼女がどれだけ魔術の勉強をしていて、才能があるかを知った今、隠しておいては不誠実だと思った。
たとえ残酷な事実だとしても、ここで突き付けておかなければならない。
さもないとフィナは後に傷つくことになる。
「まあ、現実的なところとしては冒険者なるくらいがちょうどいいんじゃないか? 確かに命の保障がなくて稼ぎも安定しないけど、フィナなら結構いいところまではいくと思うぞ」
「嫌だ……。ニーねえと約束したんだもん。魔術戦魔導師になるって……」
フィナは目に涙を浮かべながら答える。
フィナの生体術式は魔術戦魔導師でこそ輝く才能だ。
他の魔術師が持続強化という詠唱術式を展開して戦う中、より身体能力向上率が高い身体強化を使いながら戦えるというメリットは対人戦でこそ最大限に活かされる。
人間よりも素の身体能力が高いモンスター相手じゃ、持続強化と身体強化の違いなんて大きな差にならないはずだ。
「もっと魔術の勉強を頑張るってのじゃ駄目なの……?」
「駄目だな。努力だけでどうにかなるものじゃない。それこそフィナが嫌いな貴族にでも生まれてこない限りな」
「なんでそんな意地悪言うの……」
「意地悪で言っているわけじゃない。これはオレの持論なんだが、魔術戦に限らず物事を成功させるには三つのプロセスが必要だと思っている」
そう言って、オレは人差し指と中指と薬指を立てた。
「まずは適切な目標を立てること。今のフィナのように、魔術戦魔導師になりたいっていう感じでな。一流の魔術戦魔導師になれればニーネは喜ぶだろうし、この孤児院だって裕福にできる。そういう意味ではフィナは正しい目標を持っていて、この第一段階は達成していると言える」
もしこのフィナの夢が別のものだったら話は違った。
金の稼げない職業だったり、ニーネが喜べないような犯罪まがいの職業だったりしたら、フィナは目標の設定を間違っていたことになる。
立てていた人差し指を折り曲げることにする。
「二つ目はその適切な目標を達成するために、適切な道筋を立てること。一流の魔術戦魔導師になりたいという目標なら、一流の指導者を雇ったり、魔術戦の定石や流行戦法を研究したりって感じでな。この第二段階にフィナは躓いていると言ってもいい」
フィナは魔術戦魔導師になるための正しい方法を知らなかった。
だから、魔術の勉強しかしてこなかった。
そして魔術戦魔導師なんて魔術師の中でも花形の人間がこの貧民街にいるわけもなく、誰も彼女の間違った努力を指摘できなかった。
「三つ目はその立てた道筋通りに努力することだな。フィナが努力していなかったわけじゃないことはわかっている。でも、立てた道筋が間違っていたから、その努力は無駄になった。それは目標と道筋を立てることでも言えることだ。立てた目標が間違っていたら、いくら正しい道筋を立てても意味がない」
立てていた指を全て閉じ、フィナの目を見て言った。
「三つ全部揃わなくちゃいけないんだ。目標も道筋も努力も。どれか一つでも欠けてちゃ意味がない」
「だったら、どうすれば良かったの! 私は魔術戦のことを教えてくれる人なんていなかったんだよ! 貴族に生まれなくちゃ夢も見ちゃいけないって言うの⁉」
「そうだ」
「――っ」
フィナの息を飲む音が聞こえる。
オレの綺麗ごと抜きの率直な表現に言葉も出ないほど、ショックを受けているようであった。
だけど、勘違いしないでほしい。
「ってオレが赤の他人だったら言っていただろうな。でも、大事なことを忘れていないか? お前の目の前には魔術戦の専門家がいるんだぞ?」
フィナの目が見開かれる。
彼女はオレの言わんとすることがわかったのだろう。
「魔術戦については一流の指導者からの指導も受けていたし、同年代の誰よりも戦法については学んでいたつもりだ。もう最新の流行は追えなくなったけど、貴族じゃなくなるまでの流行はほとんど把握しているしな。さすがに誰かに教えるのは初めてのことだから、自信があるわけじゃないけど」
「……いいの?」
フィナは恐る恐る尋ねてくる。
当たり前だ。
良くなかったら、こんな話はしていない。
もちろん優しさからフィナに提案をしているわけじゃない。
ニーネからフィナに優しくするよう言われたからといって、素直に頼みを聞くような出来た人間でもなかった。
オレは自分にメリットのあることしかやらない。
性格の悪い人間だ。
「もちろんだ。魔術戦の基礎から勝ち方まで、教えられることはなんだって教えてやる」
「ほんと⁉」
「その代わり飲んでほしい条件が一つある」
「条件? 何?」
「体術の練習の相手になってほしい」
「そんなことでいいの? 私なんかでいいんだったら全然いいけど……」
そんなことか……。
フィナにとってはそんなことなんだろうが、オレにとっては喉から手が出るほどほしいものであった。
フィナの身体性能は同年代の子供の中でも類を見ないほどのレベルだ。
身体強化の生体術式もあるし、生体術式を生まれながら持っていたことで、身体の適切な動かし方も自然と理解しているのだろう。
体術だけを切り取れば、彼女は人類の頂点に近い才能を持っているはずだ。
そんな相手と自由に手合わせできる権利を得たという。
それは異世界転生者を倒す上で、確実に有用な恩恵だ。
レイルは無詠唱の身体強化によって並外れた身体能力で戦うことができるが、その身体性能についてこられる特訓相手がいなかった。
よって、体術面では力任せに押し切ることが多い。
だけど、オレはフィナという体術に長けた特訓相手を見つけることができた。
オレが欲してやまなかったレイルになくて自分だけにある強みを、魔術戦の重要な要素である体術という面で得ることができるのだ。
「じゃあ、契約成立だな」
「うん」
オレが差し出した手をフィナが掴む。
今ここに一つの協力関係が生まれた。
決してニーネが望んだ形通りではないんだろうけど、この協力関係はお互いに利益を生むはずだ。
「でも、いいの? それだけで」
フィナは何か疑問に思ったことがあったようで口を開いた。
「オーラルドのことだから手伝いのサボりを見逃すようにとか、悪い条件も出してくると思ってたのに……」
「何、言っているんだ?」
とんちんかんなことを口にするフィナに向かって、オレは告げることにした。
「お前が魔術戦の勝負で負けたんだから、オレはもう手伝いしなくていいだろ……」
「えっ、この勝負有効なの⁉」
「有効も何も負けたのは事実だろ」
「だって、魔術戦のことなんてなんも知らなかったわけだし……」
「そんなの知るか。負けは負けだ。約束は守ってもらうぞ」
「うーっ!」
フィナは握っていた手を話すと、悔しそうに地団駄を踏んだ。
「やっぱりオーラルド嫌い! ちょっといい人かもって思った私が馬鹿だった!」
まあ、協力関係を結んだからといって、オレとフィナの間柄だ。
すぐに仲良くなるというわけもなかった。




