第十一話 『正々堂々』
「もう限界! 本当に怒ったんだから!」
ニーネと風呂場であんな会話があった翌日。
何故かオレはフィナに激高されていた。
一体、何が悪かったんだろう?
ニーネの説得の影響もあって、フィナともう少しコミュニケーションを取ろうと、「今日も手伝いサボるから」と正直に言ったことが原因かもしれない。
おそらく百パーセントそれが原因な気がしたが、そんなに声を荒げないでほしい。
悪気はなかったんだから。
「いつも忙しい忙しい言って、なんにもしてないじゃん!」
「それはフィナが知らないところであれこれやっているんだよ」
「じゃあ、何? 言ってみてよ!」
「あれこれはあれこれだよ。言えたら言ってる」
「やっぱりなんもしてないんじゃん!」
本当は無詠唱魔術の練習をしているのだが、別の世界があることも知らないフィナに馬鹿正直に打ち明けても理解してもらえないだろう。
適当な言い訳を並べることにする。
「ほら、あれだよ。治癒術の勉強。これならどうだ?」
「そんなこと言って、オーラルドが治癒術使ってるところ見たことないんだけど。ニーねえもよく言ってるよ」
「まあ、実際に使ったことないからな。知識として蓄えてるだけだ」
「じゃあ、意味ないじゃん! みんなこの家や自分の将来のために家事や勉強頑張っているんだよ! それなのにオーラルドだけ何もしないなんてよくないと思う!」
「知るか、そんなこと」
オレにとっては家事や一般常識の勉強の方が役に立たないのだ。
洗濯の方法やこの国の歴史を学んだところで、その知識でどうやって異世界転生者を倒せというのか。
「もうムカつく! 全然反省しないし! オーラルドなんて将来、働ける場所がなくなって困っちゃえばいいのに!」
「人の不幸を願うなんて最低だな」
「最低の性格をしているオーラルドだけには言われたくない!」
どうやら何を言っても焼け石に水のようだ。
フィナがここまで長く怒りをぶつけてくるのは初めてのことだ。
ニーネはフィナにもっと負の感情も表に出してほしいと言っていたが、こんなに怒り狂ったフィナがお好みだったのだろうか?
「まあ、働く場所なんて、十五歳過ぎて成人したらどうにでもなるだろ」
「世の中を甘く見過ぎじゃない? 別に勉強しているわけでもなければ、魔術ができるわけでもないでしょ?」
「舐めるな。魔術くらいできるわ」
「魔術くらい?」
フィナの瞳が一段と険しくなる。
これはあれかもしれない。
どうやら彼女の地雷を踏んでしまったようだ。
「魔術の勉強もろくにしたことがないくせに適当なこと言わないで」
「いや、待て。言葉の綾ってやつだ。オレも魔術は使えるから――」
「使えるって言ったって、どうせ簡単な奴だけでしょ? そんなんなら、そこら辺のみんなできるよ!」
「そうじゃなくて、ちゃんとしたやつだって――」
「そうやってまた嘘を吐く! オーラルドは魔術の勉強を馬鹿にしている! そこまで言うなら、ここで魔術使ってみてよ!」
「えっ、嫌なんだけど」
オレはこれから無詠唱魔術の練習を行うのだ。
どうして貴重な魔力をフィナに見せつけるためだけに使わなくちゃいけないんだ。
「ほら、やっぱりできないんじゃん! 嘘吐き!」
「嘘じゃないって」
「だったら、私と魔術で戦ってみて、勝ったら嘘じゃないって認めてあげる。でも、負けたら嘘を正直に認めて、手伝いをしてよ」
「嫌だよ。そんなオレにメリットのない勝負」
「負けるのが怖いの?」
「話聞いていたか? オレはメリットのない勝負をしたくないって言ってるんだ」
「うぅ……」
フィナは歯を食いしばりながら、こちらを睨む。
よっぽどオレに怒りを抱いているのだろう。
身体を震わせながら、言葉を絞り出した。
「……じゃあ、オーラルドが私に勝ったら手伝いしなくていいよ」
「えっ、いいのか?」
思わぬフィナからの提案に、こちらとしても食いついてしまった。
「オレが魔術戦で勝ったら、今後一切手伝いしなくても」
「その代わり負けたら、今までサボった分も二倍手伝ってもらうからね」
「いいよ。なんならフィナの分の手伝いまでしてやる。だけど、約束は忘れるなよ」
「約束を破るのはいつもオーラルドの方でしょ? 私は破らないもん!」
「じゃあ、勝負は成立だ」
本来なら無詠唱魔術の練習以外に魔力は使いたくなかったが、一日だけ練習を止めれば今後一切フィナからの妨害は入らなくなるときた。
明らかに対価より恩恵の方が大きい。
勝負に乗らない以外の選択肢はなかった。
「室内で戦うわけにもいかないし、場所を移すか」
「それなら、いつも私が魔術練習している広い裏山があるから、そこに行こ」
というわけで、オレとフィナは魔術戦を行うために移動をするのであった。
*
「どうして笑っているの?」
連れられた魔術戦を行うに適した裏山で、オレとフィナは向き合っていた。
辺りを見回しながら笑うオレに対して、彼女は怪訝な表情を浮かべている。
「いや、普通に楽しみだなと思って」
何しろ、オースティン家を追い出されてから初めての魔術戦なのだ。
最後に戦ったのはレイル・ティエティス相手で、実期間で言うと一ヶ月ぶり以上ときた。
さらに過去視の魔眼で体感した時間を考慮すると、三十五年ぶりの戦いだ。
わくわくしない方がおかしいだろう。
「随分余裕なんだね。これから負けるのに」
「そう硬い顔するなって。せっかくの魔術戦だ。フィナも楽しもうぜ」
「やだ。全力で叩き潰すから」
どうやらお相手は容赦なしの方向性でくるらしい。
「じゃあ、このコインを投げて地面に落ちたら勝負開始だ。怪我をしても家に戻ればニーネに治してもらえるだろうけど、極力攻撃の威力は控えめにするということで」
「わかった」
ニーネから以前小遣いとして支給されていた百セス硬貨をフィナに見せつける。
彼女は頷いて、了承の意を示した。
お互いに見えるようにコインを振ってから、大きく宙へと投げる。
落ちる地点は両者の中間辺り。
これで試合開始の合図は両者ともに確認できるはずだ。
身を構えて、コインが落ちるのを待つ。
よしっ、落ちた。
落下音が耳に届くと、即座に魔術戦の基本中の基本である三分持続強化を展開――。
「はぁ⁉」
気がつくと、オレは胴体を反らして、フィナの蹴りを避けていた。
待て。何が起こった。
フィナとの距離は十メートル以上あったはずだ。
フィナは蹴りの勢いを活かして空中で旋回。
そのまま軸足を入れ替えて再度蹴りを放つ。
身体のバランスが崩れた今の状態じゃ回避は不可能だ。
咄嗟に左足と両腕を前に防御の姿勢。
三点でフィナの蹴りを受けようとするも衝撃をいなしきれなくて、後ろに吹っ飛ばされた。
地面を転がりながら、なんとか受け身を取って立ち上がる。
「どう? いい蹴りだったでしょ?」
フィナは蹴りを放った位置で立ち止まりながら、構えのポーズを取っていた。
いつでもまた今の攻撃が繰り出せるといった顔つきだ。
かく言うオレは、動揺の最中にいた。
なんだ今の攻撃は。
もちろん蹴りだ。そんなことは知っている。
問題はそこじゃない。
完全に持続強化を使っていない生身の身体の速度と威力じゃなかったということだ。
フィナはオレが持続強化の詠唱を口にする前に、蹴りを届かせてきた。
咄嗟に攻撃が来るとわかって反射的に無詠唱身体強化を発動してしまい、そのおかげでなんとか初撃を躱すことができたのだ。
あれは身体強化なしの生身の肉体では、まず躱すことが不可能な蹴りの速度だった。
まさか異世界転生者相手以外で、無詠唱身体強化の即時発動の練習が役立つことになるとは思いもしなかった。
フィナの動きから推測するに、おそらく何らかの身体能力向上系の魔術は行使している。
となると一番初めに考えられるのは、戦いが始まる前に持続強化を起動していたことだ。
持続強化は持続的に身体能力を向上させる魔術だ。
効果発動時間は一分、三分、五分と三種類に分けられる。
要は決闘が始まる前に五分持続強化を起動。
その後五分以内に決闘を始めれば、片方が身体能力的に有利な状況で戦いを始められるのだ。
まあ、これは有名な反則技でもあり、当然のようにオレも警戒はしている。
勝負開始五分以内は持続強化の詠唱を行っていないかずっと見張っていたし、真面目なフィナの性格だ。
いくらオレに勝ちたいからといって、こんな卑怯な手を取ってくることはないだろう。
それに気になるのは二発目の蹴り。
あの蹴りをオレは無詠唱身体強化をかけた状態で受け止めた。
持続強化は持続的な効果を優先しているため、身体強化よりも身体能力向上量は小さい。
それにもかかわらず、オレを片足で吹っ飛ばしたのだ。
あれは絶対に五分持続強化の威力ではない。
より威力の高い一分持続強化なら、身体強化状態のオレを吹っ飛ばすことも可能かもしれないが、それでもかなりレベルの高い持続強化が求められるはずだ。
次に考えられるのは魔道具の可能性。
魔術師は魔法陣が刻まれた魔道具に魔力を通すことでも、魔術を発現させることができる。
そして、その起動方法は法陣術式に分類されるため、詠唱を必要としない。
けれど、魔道具を起動させるためにも、詠唱を行うのと同様に魔法陣に魔力を流すプロセスが必要だ。
本物の無詠唱魔術のようにタイムラグなしで発動できるというわけではない。
それに魔道具に魔力が込められたかどうかは、魔術師なら傍からでも感じ取れる。
近くで法陣術式に魔力が流されると、独特の魔力が反響するような感覚が現れるのだ。
フィナの身につけているものから、魔力の反響するような感覚は感じ取れなかった。
そもそも貧しい孤児院で生活をしているフィナが、身体強化の魔道具なんていう桁違いに高価な魔道具を持っているはずがない。
そして、コインが落ちるとともに感じ取った、フィナの体内から魔力の反響する感覚。
まるで自分の身体の一部のように淀みなく、高速に魔術が起動されたことから推測するに答えは一つしかない。
「お前、もしかして身体強化の生体術式持ちか」
法陣術式の一種、生体術式。
これなら詠唱なしに魔術を発動したことも、法陣術式特有の魔力の反響する感覚が現れたことにも説明がつく。
そして、生体術式の発動は魔道具による法陣術式の発動と違って、タイムラグがほとんどない。
肉体に刻み込まれた魔法陣は、既に身体の一部みたいなものだ。
手や足を動かそうとするの同様、術者は即座に魔術を行使することができる。
「正解。今の一瞬でよくわかったね」
フィナが答える。
どうやらオレの推測は当たっていたらしい。
マジか。正直、今でも信じられない気持ちでいっぱいだった。
過去視の魔眼のような、ただの生体術式でも珍しいのに、それが魔術戦で最も汎用性が高い身体強化の術式ときた。
生体術式には詠唱が必要ない。
要するにフィナは持続強化ではなく、より能力の高い身体強化を起動したまま、他の魔術を使って戦うことができるということだ。
なんという天賦の持ち主だ。
オレが無詠唱魔術を覚えるにあたって、真っ先に身体強化の無詠唱化から取り掛かったことからも、無詠唱で発動される身体強化の有用性は窺えるだろう。
ニーネがフィナに言ったとされる、彼女に魔術の才能があるというのは完全に正しかった。
フィナには才能がある。
とびっきりの魔術戦の才能が。
おそらく異世界転生者抜きの現代魔術戦において、フィナが持っている生体術式以上に有用なものはない。
彼女はこんな貧民街で埋もれさせちゃいけない存在だ。
ニーネもそれがわかっているから、フィナを学校に行かせようとしているのだろう。
「でも、オーラルドもすごいじゃん。今のを反応されると思わなかった」
「それは気にしないでいい。ズルみたいなものだから」
咄嗟に無詠唱魔術を使ってしまったことに謝罪する。
無詠唱魔術は異世界の知識あってのものだ。
オレが無詠唱魔術を会得しようとしているのも異世界転生者を倒すためであり、この世界の住人を一方的になぶるためじゃない。
フィナは自身に与えられた生体術式という最大級の強みを活かしながら、正々堂々戦っているのだ。
それをオレだけ異世界で得た能力によって無双するわけにはいかないだろう。
「フィナ、正直お前のことを舐めてたよ。でも、それももう止めにする。お前を強敵と認めよう」
フィナはおそらくオレよりも格上の魔術師だ。
才能だけ見たら、オレの比にならない。
そんな相手と無詠唱魔術なしで戦ってみたいと、魔術師であるオレの心が叫んでいた。
無詠唱身体強化を解除し、三分持続強化の詠唱を口にする。
「我が体躯、幾ばくかの刻に、解放されよ――持続強化」
そして彼女に宣言することにした。
「もうズルはしない。正々堂々、お前を魔術戦で圧倒してやる」




