第十話 『ささやかな願い』
この世界の風呂は藤村冬尊がいた世界のものとそう大差がない。
向こうの世界と違って科学技術が発展していないが、その代わり魔法技術は発展している。
魔力を込めることで水を生み出す魔法陣、水を温める魔法陣など。
様々な魔法が開発されており、日常生活にもそれらの技術が応用されている。
よって向こうの世界のものとはさすがに造形が違うが、浴槽やシャワーといったものも存在した。
もちろん全ての家にそういった魔法装置があるわけではないが、幸いにもウルター孤児院には浴場があった。
大人数での生活を想定して建てられたからか、一つの浴室にシャワーが三つと人が五人入れそうなくらいの浴槽。
風呂椅子が四つほど置かれている。
お金がないからかシャワーの出が悪かったり、ところどころ壁が剥がれていたりするのが放置されているが、それ以外は特に問題がなかった。
入浴はいくつかのグループに分けられて行うことになっているが、騒がしい年少組の子供と入るのは落ち着かないため、オレはみんなが入った後の遅い時間に入ることにしていた。
「あれ? オーくん入ってる?」
シャワーで頭を流していると、更衣室の方から扉越しにニーネの声が聞こえてきた。
ニーネはこの孤児院を取り仕切っている母親的存在だ。
遅い時間に灯りがついたままの浴室が気になって確認しにきたのだろう。
更衣室前の扉の札を使用中にしていたはずだが、戻し忘れの可能性も考慮したのかもしれない。
「入っているぞ」
「そう」
頭を流し続けながら答える。
フィナのように一人で入ることを注意してきたら面倒だなと思いつつ、そのまま顔を洗おうとしていると、扉が開く音がした。
「お邪魔するねー」
振り向くと、そこには素っ裸のニーネがいた。
彼女はタオルで身体を隠すこともなく、そのままオレの隣の風呂椅子へと座った。
ニーネの突然の奇行に驚きながらも口を開くことにした。
「どうして入ってきたんだ?」
「いやぁー、そういえばまだオーくんとお風呂入ったことなかったなぁって。ほら他の子達は小さい頃から見てたけど、オーくんは最近になって来たでしょ?」
確かに年少の子供に付き添ってニーネが風呂に入っているのは知っていたが、まさか十三歳のオレの入浴中にも突入してくるとは。
正直唖然としていた。
「言っておくけど、風呂場で溺れたりする年齢じゃないぞ?」
「知ってるよ。ただ、オーくんなかなか心開いてくれないからさ。裸の付き合いで距離を縮めようかなって」
「そういうことか。突然入ってくるからてっきり痴女なのかと思った」
「もうそんなこと言っちゃって。もしかして恥ずかしがってる? 別に気にしないでいいのに。怪我をしていたオーくんの身体を拭いて、着替えさせたのもあたしなんだし」
そうだったのか。
馬車で襲われたときと起きたときに着ていた服が違ったから、そんなことだろうとは思ってたけど。
「それともお姉ちゃんの裸に興奮しちゃった?」
そう言ってニーネはおっぱいを丸出しにしたまま、頭と腰に手を当てて身体をくねらせる。
セクシーなポーズを決めているつもりなんだろう。
アホみたいな体勢を取っている彼女を一瞥しながら答えた。
「別に。裸を見せあうくらいで反応はしない。勝手にしろ」
「そ、そうくるのね……」
こっちがあっけなく受け入れると思っていなくて、ニーネは面を食らっているようであった。
オレには過去視の魔眼という生体術式がある。
人物を対象に、その人が見た景色を覗き見れるというものだ。
もちろん対象が女性であった場合、目当ての過去を覗く過程で入浴中やその他裸になっているところを目撃することもある。
さすがに寿命を減らすという代償があるため、裸を見るためだけに魔眼を使ったりはしないが、人の裸に見慣れているというのも事実であった。
おそらくニーネも男児の裸なんて見慣れているだろう。
彼女の方も意識していないのなら、一緒に風呂に入るくらい何も問題がない。
「なんかオーくんって反抗期盛りのマセガキって感じするけど、変なところでそういう他の子供とは違うよね」
マセガキって……。
お前、そんな風に思っていたのか……。
確かに孤児院の手伝いをサボったり、他の子供達に馴染もうとしなかったり、やっていることは完全に反抗期盛りのマセガキだったが、ただ年相応の衝動に従って反抗しているわけじゃない。
レイル・ティエティスを倒すためだけに動いており、それ以外の無駄な行動を削ぎ落していった結果が今の立ち振る舞いだ。
「なんか複雑な性格っていうか、掴みどころがないっていうか……」
「そうか? 案外、単純な人間だぞ?」
おそらくオレの行動原理を知らないから、そう見えるのだ。
異世界転生者を倒すという目的のみで行動していると知っていれば、すべての行動に辻褄が合うはずである。
「そういうところだよ。君くらいの年齢の男の子なら、そこは強がって自分のことを単純な人間なんて言わないもんだよ」
「そういうものか?」
「そういうもんだよ」
そんな会話をしながら、オレとニーネはシャワーを浴びていく。
身体を洗い終えて浴槽に入ろうとすると、ニーネもそそくさと泡を流し終えた。
結果的に一緒のタイミングで入ることになる。
「近くないか?」
「そう?」
浴槽は二人が入るには大きすぎるサイズであったが、ニーネはわざわざこちらに寄って入ってきた。
それだけで飽き足らず、オレの真後ろに座る。
こちらの肩に両手を当て、そのまま引いてくるのでニーネの身体に倒れ込むことになった。
まさに椅子の背もたれになったような状態。
背中が豊満な胸と密着するのを肌で感じ取った。
「いいじゃん、このくらい。心の距離を縮めるってことで」
これがおっさん相手なら即効逃げ出していただろうが、ニーネは二十代の女だ。
特に不快感もなかったため、抵抗することもなく体重を預けることにした。
身体の前に両手が回されると、ニーネは口を開いた。
「さあ、捕まえた。これでお説教しても逃げられないよね?」
「お説教?」
なんか物騒なワードが聞こえたぞ?
どうやら穏やかな入浴タイムは終わりを告げたようであった。
聞き間違いを願いつつ、怪訝な声で答えることにした。
「お説教なんかしたら、心の距離が縮まるものも縮まらないんじゃないか?」
「お説教してから縮めればいいよ。で、怒られることに心当たりは?」
「正直ありすぎて、どれのことか想像がつかないな」
「自覚があるんだったら、止めようよ……」
ニーネは呆れ笑いを浮かべていた。
お説教といっても、厳しく問い詰めるといった感じではないらしい。
ひとまずは安心である。
「まあ、それはいいや。今怒りたいのはフィナちゃんとの買い物のこと」
「ああ、そっちか」
てっきり日頃から孤児院の手伝いをサボっていることを注意されると思ったのだが、どうやらニーネが怒りたいのは、昨日彼女から頼まれたフィナと一緒に買い物をするという約束を反故したことのようであった。
「……って、あれはフィナと口裏を合わせて、ニーネにはバレないようにしたはずだが?」
「オーくんってほんと悪知恵が働くよね。フィナちゃんから聞いたとき、びっくりしちゃった」
「ということは、フィナがバラしたのか?」
「うん。全部教えてくれたよ」
あいつめ。口止め料を払ったのにニーネに告げ口するなんて。
なんてあくどい奴だ。
あとでオレがもらうはずだった分のお金請求してやろうか?
「まあ、責めないであげてよ。フィナちゃん、結構悩んであたしに話してくれたみたいだから」
「どこに悩むことがあるんだ?」
「実はね。あの買い物ってフィナちゃんの頼みで、あたしが企画したんだ」
「フィナの頼み?」
「そう。フィナちゃんがこの前、あたしのところに来て相談してきたんだ。自分がオーくんに嫌われてるって」
「嫌われてる? なんでそうなるんだ?」
疑問に思って尋ねることにする。
全く理解できない思考回路であった。
ニーネが諭すように言う。
「フィナちゃんに素っ気ないからでしょ。結構気にしているみたいだよ? オーくんが最初にここに来たとき、酷い言葉を言っちゃったから嫌われたのかなとか。手伝いをサボるから怒らなくちゃいけなくて、そのせいで嫌われてるのかなとか」
「そんなことを考えていたのか……」
「そうだよ。だから、仲良くなる方法を考えてほしいって言われて、一緒に買い物行くってのはどう?って提案したわけ」
あの買い物にはそんな思惑があったのか。
てっきりニーネが独断専行でお節介を焼いたのだと思っていたが、フィナも一枚噛んでいたとは。
全く想定外であった。
「それなのにオーくんったら悪知恵を働かせて、フィナちゃんとの買い物までサボっちゃうじゃん。すごくショックだったみたいだよ。嫌われて避けられてるって。でも自分の都合で買い物を頼むことになったから、強制はしづらいし。結局自由に使えるお金も全部渡されちゃって。約束では別行動したことを内緒にしなくちゃいけないけど、それじゃああたしから仲直りするために貰ったお金を着服することになるから。その板挟みでオーくんと別れた後、泣いちゃったんだって」
そうだったのか。
それは悪いことをしたかもしれない。
まさか良かれと思ってお金を渡したことが逆に働くとは思わなかった。
「どうしてフィナちゃんにそんな意地悪するの? そんなに嫌い?」
「フィナのことは嫌いじゃない。どちらかというと、ニーネに対するのと同じように好感を持っているくらいだ」
「そうなの? あたしにも?」
ニーネはこちらの発言に驚いているようだった。
別に怒られたくないから都合の良い言葉を並べているわけじゃない。
これは本心からの言葉だった。
ニーネは一文無しのオレを、タダで治療して、この孤児院に引き入れてくれた。
そして、自らの財で食事や衣服といったものを提供してくれている。
いくら周囲の人間に気を払うことが苦手なオレだといっても、それが容易なことではないことくらいはわかっているつもりだ。
フィナも同じだ。
この孤児院の年長者として子供達の世話を見ている光景はよく目にしている。
手伝いをサボるオレを注意するのだって、責任感ゆえの行動だろう。
オレに嫌がらせをしたいわけではないことはわかっていた。
それに彼女は貴族を恨んでいるという背景もある。
にもかかわらず、両親を奪った人間と同類のオレにも分け隔てなく接しようとしてくれていた。
両者ともオレにはできない芸当だ。
悪い貴族としての人間性が染みついたオレでは、いくら長生きしようともそんな生き方はできない。
自分にできないことをできる人間は尊敬できる。
そういう点ではオレはニーネとフィナのことを尊敬していた。
「もちろんだ」
「正直なのは嬉しいけど、だったら、なんでフィナちゃんに優しくしてあげないの」
「それとこれとは話が別だ」
オレには異世界転生者を倒すという使命がある。
それ以外のことに気を払っている余裕はない。
それにオレはろくでもない人間だ。
元から貴族として他人に迷惑をかけながら好き勝手生きていた人間だし、それはレイルに負けて貴族という立場を失った今も変わらない。
オレはどんな手を使っても、レイル・ティエティスを倒すつもりだ。
異世界転生者という世界の理を越えた強敵を倒すには、悪事に手を染めたり、多大な犠牲を払う必要性に迫られることもあるだろう。
オレの周りにいて得になることなんてない。
むしろマイナスになるだけだ。
だからオレは意図的に、好感の持てる孤児院の人達と距離を取るようにしていた。
「何、それ」
「考えてもみろ。オレと関わってなんの得になる? フィナもオレなんかにかまけている暇があれば、もっと別の有意義なことをしたらいいだろうに」
「人間、得になるから関わるわけじゃないでしょ。それにあたしは、オーくんがこの孤児院に来てくれたことは、フィナちゃんにとってプラスに働くと思うんだよね」
「マイナスじゃなくて?」
意外な言葉に、彼女の言い間違いを疑う。
「うん。オーくんは気づかないかもしれないけど、フィナちゃんって本来怒ったり、泣いたりっていう負の感情を表に出せない子なんだよね。なんというか、お利口さんって感じ? あたしに迷惑をかけないようにって気を遣ってばっかりで、他の子と喧嘩しているところなんて滅多になかったんだよ」
「そうなのか? 今のフィナからは想像できないけど」
「でしょ? それって結構悲しいことだと思うんだよね。あたしは迷惑がかかってもいいから、フィナちゃんに他の子と同じように怒ったり泣いたりしてほしい。でも、オーくんが来てからフィナちゃんは変わった。多分オーくんが類を見ない問題児だからだろうね。我慢の限界を超えて、怒ったり泣いたりするようになった」
それは褒められているのだろうか?
類を見ない問題児呼ばわりされるのは決してプラスの意味には聞こえなかったが、自分でも問題児な自覚はあった。
口を挟まないでおくことにする。
「もしかしたら同い年ってことも関係しているかもね。あんまり近い年齢の子供がいなかったら。いつもお姉さんのような立場を取らせちゃったけど、オーくんにだけは感情を露わにするんだよね」
「オレとしては、もうちょっと怒らないでくれると助かるんだけどな」
「そう言わないでよ。あたしね、フィナちゃんとオーくんって案外お似合いなコンビだと思ってるんだ」
「オレとフィナが?」
見当違いに思えるような指摘に疑問の言葉で返す。
オレとフィナがお似合いのコンビだなんて、言い争っている光景を見たら決して出てこない言葉だ。
ニーネは苦笑交じりに答える。
「そうだよ。全然真逆のタイプだけど、逆にそこがお互いに良いように影響するんじゃないかって。こんなことを本人に言ったら怒るかもしれないけど、オーくんって結構危なっかしいところあるじゃん」
ニーネは回している手の力を少し強めながら言う。
「あたし、最初びっくりしたんだよ。フィナちゃんを追いかけているうちに、オーくんが一人で出て行っちゃったとき。しかも、見つけて何をしようとしていたか訊いてみれば、自分のことを養ってくれる女の人を探そうとしていたって」
「確かにリスクがある選択肢だったのは自覚している」
「自覚しているじゃないよ。オーギスの街で夜にふらついてたら、悪い人に連れ去られて死んじゃうこともあるんだよ? でも、オーくんはわかってやっていたでしょ? それで気がついたの。この子は自分の命に無頓着なんだって。親に捨てられたとかで自暴自棄になる子はたくさん見てきたけどね。オーくんほど自分の人生に他人行儀な子供は始めてだった」
「別に死にたいわけじゃないんけどな」
一応訂正しておくことにする。
オレにはレイルを倒すという目的がある。
その目的を達成するまでは死ぬわけにはいかなかった。
まあ、自分の人生に他人行儀というのは否定しない。
オレはオーラルド・オースティンとして生きてきた人生よりも、藤村冬尊とレイル・ティエティスの人生を眺めていた時間の方が長いのだから。
「だから、オーくんには気にかけてくれる人が必要なんだと思う。それこそフィナちゃんみたいな子が」
「なんだかんだ、ちゃんと見ているんだな。正直驚いた」
「当たり前だよ。どれだけ色んな子供を見てきたと思ってるの?」
「伊達に大人をやっていないってことか」
「まあ、こんな風に洗いざらい話しても、達観して受け入れてくれる子は初めてなんだけどね」
彼女は笑いながら答えた。
やっぱりニーネはできた人間だ。
オレが今まで関わってきた大人の中で一番といってもいいかもしれない。
ニーネは自分の子供を包み込むようにオレを抱きしめる。
それは父親の愛も母親との関わりも得られなかったオレが、今までの人生で味わったことのない温かみのように思えた。
「だからさ、もうちょっとフィナちゃんに優しくしてあげてよ」
「まあ、考えておく」
かといって、すぐに生き方を変えられるほど、オレは器用な人間じゃない。
自分にできる精一杯の答え方で返すことにした。




