2021年11月24日
やっと体調が回復した。30分あれば出来たこと。返信。それが昨日はできなかったが、今日は出来た。朝からあたたかい言葉が見れて幸せな気持ちになる。
そのような言葉に対して、ちゃんとした返信が出来ているのか少しドキドキしている。
そうだ。ひろさんが教えてくれた。
私のあるエッセイに、現役の書籍化作家さんが感想を残してくれていたことをだ(その作家さんを、【ハマチバード先生】と呼ぼう!)。先生は、私の怒り狂った偏った意見の本文を貶すのではなく、「面白い問題提起」になっていることを最初に述べてくれた。
そのうえで、「文章力」を重視していること。必要なことを、「文章力」を使って示してくれた。
魅力的なキャラクターや、美しい景色地獄のような惨状も、作者の中にだけあってはいけない。読者に感じ伝えなければいけない。それを表現するために「文章力」があることを教えてくれた。
ハマチバード先生は、文章をカメラに例えている。それをこの日記では、自分なりにかみ砕いてみる。解釈は異なっているかもしれないが、気づきのためだ。
まずは読者が居る。彼等が迷子にならないために、カメラワークとしての文章がある。ある一点をアップして描写してみたり、全体像を描写して見たり。焦点を定めることが大事。
その他にも、色・明暗・動き・音。様々な要素があるが、自分のイメージに合った表現ができるのは何かを選び、それを読者にイメージさせられるか。そういうシュミレーションをしながら書くといいらしい。
きれいな文章は、読者に世界に入り込んでもらえる。一方で、汚い文章(文章力のない文章)は、読者を物語に誘う前に醒めさせてしまう。
だから「文章力」は必要だ。ということだ。
こうやって書いていると、自分の作品がそれをできているか、不安になってきた。独りよがりになっていないか。綺麗な文章とは何か。今一度考えてみたい。
ハマチバード先生に感謝だ。