18
気分を悪くするかもしれません。読むときは注意してください。
漂ってくる臭気――。
「ひどい臭いだ」
ラファがそう言う。
肩を叩かれながらも、テリトリーを伸ばして現環境は把握していた。
流体が水のように満ちていくその先で、臭いの正体に気づいて顔をしかめる。
この先で、グレイジャーバックの雄を食っているゴブリンがいる。
迷宮では雄は弱くなるが、雌は強くなる――ゴブリンの雌だろうが強くなる。
ゴブリンより大きい筋肉の塊のようなゴブリンがいた。
ゴブリンというよりはもう……なんと言ったらいいのか、けむくじゃらの塊みたいな、マントヒヒをゴリラにしたみたいな、そんな奴がいた。大きさもグレイジャーバッグと相違ない。
おそらくプリンセス個体――プリンセスとは言うけれど、別に可愛くはない。
いや、動物としては可愛いよ、動物としては……可愛い、かなぁ、かなぁ、みたいな。
「マロ」
「ほいほい」
タイミングは指を鳴らして取る――食っている、隙だらけだ。
右手の中指と親指を合わせ――避けられた。
視認していない――L字型の通路、奴はLの向こう。左に小さな避難路、視線を向ける。退路は確認しておくべきだ。
反射神経がやばくね。槍が出現してから飛び出すまで一秒ぐらいのラグはある。槍を視認して方向を予測し避けるとなると……背後からの槍も避けているのはさすがにやばすぎる。
なんだこのゴブリン、さすがプリンセスゴブリンだ。ゴブリンプリンセスかもしれない。
顔を左右に振り、鼻を鳴らして辺りを確認している。視覚より、嗅覚を優先している。
プリンセスは目が退化して代わりに嗅覚が発達しているか。確かに……その知識は俺の中にあった。
テリトリーでの確認は相変わらず奇妙な感覚だ。見ていないのに、空間を視認しているような錯覚を覚える。
四足で駆けはじめ――俺は天井へと足をつけてヌースの中に立つ。結んだ髪の毛が下垂れないように泳がせる。
イノシシのような勢いで駆けて来て、心臓の鼓動が跳ねあがるような――駆けるたびに水が跳ね、真下に来ると顔を上げ、鼻を鳴らして辺りを確認していた。
頭のすぐ下に、頭がある。
筋肉質――一言で言ってしまえば、プリンセス個体は筋肉質だ。
オークのプリンセス個体なんて脂肪が全て筋肉に置き換わっているのでそれは見事、ではないか……この体になってからは見たことがないので何とも言えない。
反射神経がそれなりにあり――足を流体で止め、指を鳴らすとプリンセス個体に槍が無数に突き刺さる。
もがいて逃げようとしても、足は流体に包まれているので、動けないはずだ。
ゴブリンは威嚇音を上げ、腕を振り回したり、暴れたり散々もがいた挙句、絶命した。槍が刺さって死んだというよりは、血が流れすぎて死んだ。
槍が消え、マロが槍を消し、ゴブリンは倒れこんだ――手足を流体で包み動けないようにし、槍を作り出して、頭を踏み、心臓に突き刺す。
「ぐぎゃあああああああああああああ‼ あぁああああ‼ あぁああああああああああああ‼」
生きてたじゃねーか。断末魔――ではなく叫び声を上げさせてしまった。プロではないが失格だ。
暴れるが、動けないだろうし、首だけでも暴れるので、だいぶ腰が引けてしまった。
突き刺した槍に力を込め――いきなり首と胴が別れた。一瞬で首と胴が別れた。破裂するような、それでいて断面は乱れていない。噴き出した血液、進行方向を予測して手で受け止め顔をしかめてしまった。顔にかかるのはかまわないが目に入るのは困る。
良くない病原菌が血の中に潜んでいると予想すれば、この血はトゥーナには触れさせられない。
しかし――。
「おい」
背後に目線を送る。
ヌース切断――物質を貫通するヌースを首元に展開し、物質に変換してからの強制パージ。これは、全ての魔術を凌駕してしまうおそれがある。条件さえクリアすれば……の話ではあるけれど。
「早く始末してやった。早く帰る。髪を切るんだ」
そんなに髪切りたかったのかよ、お前よ。
「まだ帰れねぇよ」
「それはわかる。早く取りにいくぞという話だ」
「気長にやろうぜ。つうか、それやめろ。ヌース切断ていうのか、こぇえよ普通に」
「俺はお前と違ってミスしたりしない。それに名前はない。便利だ」
俺とは違い、ラファは自らの所有するヌースをテリトリー状にもっていない。どちらかと言えば……空気のような。
「俺達はヌースを霧状にして保管している」
ラファが息を吐くと白く濁った。
「肺か」
「そうだ」
どうやら彼らは、ヌースを空気として肺に保管しているようだ。良く納まる。
「お前のヌース量は異常だ。普通はそんなにヌースを集めない」
比較がないから判断できねーよ。
ヌースの事は置いて置き、ゴブリンプリンセスの体を調べる――雌って感じが全くしない。
胸板が厚すぎる、顔もプリンセスという顔ではない。
毛、硬く、ごわごわとしており、金属よりは柔らかい。針金と言うには柔らかい。スチールウールを毛にしたような手触り。
肉、硬いと言うより弾力がある。弾力はあるが、柔らかいわけではない。毛のある部分に刃物は通りにくそうだ。この毛皮のおかげで槍が深く刺さっていなかった。
見た目より、細い……顔は、色々よろしくない。
目、退化しているのか、白い。鼻、鼻孔が良く見える。ねばついた半固体。口の中、臭い。血とは別の臭い。牙、下の二本が長い。歯の間に血と肉が挟まっている。
歯に縦の溝――削れているのか。それとも、これがデフォルトなのか。虫歯がある。
魔物でも虫歯になるのか。
クエストではプリンセス個体を集めるものもあって、生きたまま捕らえて引き渡す。
使い道は何かって、そりゃ――世の中には色んな趣味の人がいるわけで。
人間ってそういうもん。明言は避けられているが、暗喩はしている。実際はどうだろうな。
まぁ見た感じ……できそうだ。
ゴブリンプリンセスは人間でも〇すと聞いたことがある。人間の雄と交尾して、頭からバリバリ食っちまうらしい。もっとも――ゴブリンは衛生的ではない。ヤッた時点で粘膜接触による病原菌をたらふく移されるだろう。
もしかしたら食われたグレイジャーバックもってぇ。
「お前のその思考はどうなんだ」
ラファにケツを蹴られた。
「人間てこういう生き物」
「お前のそう言うところが嫌いだ」
「俺は嫌いじゃないよ。人間のそういうところも、お前のそういうところも」
「減らず口」
「やーん」
かわい子ぶったら手を振り上げられた。
「暴力はやめろよ。暴力はよぉ」
ぶたれた。だから暴力はやめろっての。
「笑ってるくせに」
言うだけならただだ。
死体が迷宮に飲まれていき、鍵が残る。
鍵を拾って、宝箱へ――開けてみると、銀のハサミと瓶が三つ。
銀のハサミは市販の物に比べて装飾が凝っている。マドレと取ったハサミと同じものととらえる。断定はできない。
瓶は薬剤か毒だ。
瓶は中身を鑑定してみなければ、どんな効果があるのか判断できない。
鑑定。アイテムブックオブラビリンスがあれば迷宮内アイテムに限り、鑑定することは可能だ。
このアイテムブックは完全ランダム排出であり、ある程度奥に入らなければ手に入れられない。そのため高値で取引されていた。初期においては鑑定屋なる金稼ぎが流行り、本を所有しているプレイヤーが一回、いくらかと決めて鑑定をしてくれた。
しかし次第に管理機関がアイテムブックを沢山手に入れ、鑑定がスムーズに行われるようになり、鑑定屋という職業は消えた。
おそらくサクシアの機関はアイテムブックを所有している。それも複数。
銀のハサミ――。
髪切り用ならいいけれど、これじゃ髪を上手に切れそうにない。
市販のハサミで髪が綺麗に切れると思っていた時期が俺にもあった。
切れ味は良さそうだから、解体に使えそうだ。
最初の瓶は赤い小瓶、底は丸、筒状、蓋はコルク状。
蓋を取って匂いを嗅ぐ――匂いを嗅いだからと言って何かわかるわけじゃないけれど、少し舐めて見る。モモみたいに良い匂い。
鑑定は男気鑑定――手の甲に一滴、反応を見る。皮膚が溶けるような様子はない。舌先をつけ……唾と一緒に排摘する。
「ちょっと苦い」
「ん」
「なんだよ」
「俺にも」
瓶を渡すとラフィは手の甲に一滴、そして舌を付けた。
舌の上で回すようにコクリと一口飲み込んで、顔をしかめる。
「これ、麻痺毒だぞ」
ラファはそう言うが、俺の体に変化はない。
ラファの言葉を信じるのなら麻痺毒だ。俺は信じる。
モモの匂いと少し苦いのは麻痺毒か、味と匂いを覚えておかなければならない。
ゲーム時は持ち帰るか、その場で飲むかだ、残念ながら味とか匂いとかは再現できていなかった。残念ながら俺は耐性を持っていそうだ。
耳の裏に少し塗るぐらいならば、いい香水代わりになるかもしれない。
麻痺毒は相手に与えれば戦うのに有利となる。
女性に好感を持たれたければ香水をつけろと言われたことがある。
良い匂いは清潔感を生む。おじさんでも好感を持たれる。
ボトルは残り二つ――次の瓶は青、底は四角、長さは人差し指ぐらい、蓋はガラス状。
蓋を取り、うぇっなんだこの臭いは――ちょっと手の上に垂らして舐めてみる。
「うぇあああぁあおえっなんだこれ、腐ってんじゃねーの」
ラファも匂いを嗅いだ。
「これは、回復薬だぞ」
「マジかよ……。これじゃ、続けて飲めないわけだ。ひどすぎる」
最後の一個――色は緑、底は丸、フラスコ状、長さは手の平、やや小さめ。
「匂いがないな。色も無い」
俺が手に垂らそうとするとラファに瓶を奪われた。
「ちょっと」
「お前っこいつはやめとけ」
「あん?」
自分の手の甲に垂らして、ラファは舌をつけ、顔をしかめた。
「何かわかるのか?」
「こういうのは作り手がヌースの形を残す。これはエステランザが作ったものだ」
「よくわかるな」
「俺も迷宮で暮らしたことはある。この手のもので死んだ人間は沢山いる」
「味は?」
「無い」
ラファが口に含んだものをコクリと飲み込んだ。
「おい、飲むなよ」
「俺には効果はない」
「そうは言っても……」
「心配か?」
「嫌な奴」
「お前ほどじゃない」
「減らず口」
「お前ほどじゃない」
手の甲に垂らすのは、甲と平では皮の厚さが違うからだ。平というのは色々な物に触れるから皮が厚い。逆に甲は薄い。平では刺さらない虫の毒も、甲ならば刺さることがある。
弱い甲に垂らすことで効果を強く感じられる。
ほんの一滴、手の甲に乗せて、舌先をつけて――吐き出す。回復薬を我慢して口に含み、よくすすぐ。毒を口にするのはおすすめしない。口の中に傷があるとそこから侵入して体を犯すことがある。口の中というのは案外傷だらけなもので、そんなつまらないことで毒を食らいたくはないだろう。
「無味無臭……致死毒。アンブロシアだな」
エステランザの奴。希望なんて偽名を使っているわりに……否、これはあっているのか。
回復薬の苦味と臭みに顔をしかめる。
回復薬の瓶を傾け、口に含み口の手前で受け止め、うがいを繰り返す。
アンブロシアなら、心臓を溶かす薬になる。
飲むとどういう原理か心臓が溶けて死ぬ――裏の効果もあるのだが、使い道としては武器に塗って敵を刺し、殺す。心臓のある魔物を殺せる毒だ。
プレイヤーは死なないかもしれないが、危険すぎて笑えない。
「麻痺毒くれ」
「あぁ、何をする?」
アンブロシアの緑の小瓶、半分を地面に垂らし、麻痺毒を一滴垂らして蓋を閉め、良く振る――俺はそれをラフィに手渡した。
「これを飲めばいいのか?」
「いや、飲むなよ。それはまだ途中なんだ。アンブロシアなら、麻痺薬、石化、出血、口封じ、鈍化、そして中和の万能薬、最後に反転、回復剤を入れればアムブロシアができるはずだ」
「あ?」
お前さ、その何言ってるんだお前って顔するのやめろ。
「アムブロシア。最初のはアンブロシア」
「知っている。不死の飲料なんて、良く知っていたと思っただけだ」
「意外と博識なの、褒めてくれてもいいぜ」
「馬鹿な事言ってないで、早くいくぞ」
「冗談には冗談で返すのが礼儀だ。言っとくけれどアンブロシアは花の名前だ」
「何を言っている」
「ブタクサって言うのさ」
ラフィは俺をじっと見ていた。
「嘘じゃないのか」
「心を読むのはやめようぜ」
「その割には気にしてないって顔だ」
「そうか?」
だって俺、お前の事愛しちゃってるもん――ケツを蹴られた。
「おーい冗談だろうがよぉ」
「このっ」
気持ち悪いって言わない当たり、優しいよな、コイツ。
通路が回転する――横に移動したのち、壁の一部がずれて次の通路が姿を現した。
――タバコ吸いてなぁ、なんとなくそう思う。
なぜってかっこつけたいからだ。ただそれだけ――モクを口に咥える。
かっこつけている。かっこいいでしょう。
「馬鹿か」
言われちゃったよ。
テリトリーを展開――。
「お前はヌースの使い方を良くわかっていない」
ラファはそう言って、手を前に出した。本当は手を前に出す理由すらない。俺がわかりやすいように手を前にだしている。
「そう?」
「こうして、波としてヌースを広げるんだ」
一瞬、俺の体の表面をヌースが走り抜けた――体表の下、ヌースと反応している。
なにより早い。
「波状にして何度も展開するのか」
「そうだ。全てに詰めるのでは効率が悪い。俺達のヌースは限られている。万能だとは思うな」
インセプション――か。横文字を使って申し訳ない。
元は、おそらく、羽がヌースを司っていたのだろうな。
テリトリーが風のように広がり、何度も反芻して、周囲の情報を伝えてくる。
広がったテリトリーが場を満たし、ついでに殺されそうになっていた人間らしき者と魔物を見つけて、魔物の周りの空間だけ流体へと変えた。
「やっぱ女はいいよな」
「何の話だ」
男が二人に、女が一人、男の一人は頭部から液体を垂らし、一人は足が脛の部分からあらぬ方を向いていた。女はそんな男の一人、頭部を怪我したと思われる男を庇って覆いかぶさっている。
愛のためなら死ねるか。だが、愛する女にかばわれるほど、辛い事はないんだぜ。
だってお前が死んだら元も子もない。
なぜ防具が機能していないのか――足を怪我している男が憎々し気に男と女を見ていた。
「胸だよ胸。胸に埋もれてぇよ、まじで」
正面から抱き着いて、谷間に顔を埋めながら眠りに落ちたい人生だった。
そんな愛してくれる女が欲しいという話だ。
「そうかよ、俺にする話じゃないだろ」
「んじゃ誰にすんだよ」
「俺にする話じゃないだろ、俺にする話じゃない」
「胸が小さいか「うるさいぞ‼」悪かったよ」
「お前、ちょっと変わりすぎだ。なぜそんなおっさんみたいなんだ」
「おっさんなんだよ、悪かったな」
「意趣返しのつもりか?」
「なんのこと?」
「とぼけるな」
さっき減らず口だと言われたからだ。
「やだぁ、怒ったの? かーわーいーいー」
だからぶつなっつーの。
いいよなぁ、カップルって。
好きな女を取り合うのって辛いよ。女の気持ちが決まっているなら、なお辛いよ。一人になった男の気持ちが痛いほどわかる。わかるけれど、それはダメだ。よけい惨めになるだけだ。
「決闘だ。カードを抜き取り、どちらかが死ぬ決闘をしたんだ。でも途中で女が邪魔に入った。殺したと思っていた魔物もいた」
「こんなところで決闘するなよ」
逆に言えば、こんなところでしか決闘ができない。そもそも決闘なんかするなって話だが、オーギュスターや聖王国ではそれが一般的なのかもしれない。サクシアは多分ない。決闘自体が禁止もありえる。
捕らえた魔物の輪郭から、なんとなくだがムカデのような魔物だと認識できる。
こういうムカデの魔物を見ると、足を一本一本取っていって、どういう反応するのか試してみたくなる。
(マロ、お願いね)
『わかったのだ』
(人には当てないでおくれよ)
『大丈夫なのだ』
指を鳴らすとマテリアライズで武器が露出し、ムカデを八つ裂きにして消えた。
「ムカデってさ、焼酎に付け込むといいんだぜ」
「何の話だ」
「酒に、ムカデを入れて飲むんだよ」
「ムカデってなんだ」
「あーほら、足が多くてだな、ウゾウゾ動くんだよ。ほらっリオビオモルファだよ」
「それはウゾウゾクモケムシじゃないのか」
「あれは、ダメだろ、見た目的にダメだ。おっと次の扉が開いたな」
「もう行くのか? 助けないのか?」
「敵は倒したんだ。後は自力で帰るだろ。そこまでする義理はねーよ。俺、そんな善人じゃねーし。おんぶに抱っこなんて子供じゃねーんだからなんとかするだろ」
「そんなもんか」
「あんまり肩入れすんなよ。優しくしすぎても人間はダメなんだ」
「俺はもうちょっとお前に厳しくするべきなのか?」
「もう少し甘やかしてよ」
「調子のいい奴」
甘えているよ。甘えている。この会話は甘えている。あんまり甘やかさないでいいよと顔を向けると、ラファは手を振り上げて俺を叩いた。
「いてぇよ」
後は勝手にしてくれ。宝箱を蹴れば帰れるだろうし、例え死んだとしてもそりゃしょうがねーよ。そう言う場所だ。
邪魔するほど無粋じゃねーよ。
命を奪いたくないと言っていたのに矛盾している。
もしこれで亡くなったら後で後悔するのだろうなと、なんとはなしに思ってしまった。
でも、人間、死ぬ時は何をしても死ぬ、これはどうしようもない、そうも思ってしまう。
気にしすぎるとダメになる。
なんでもそうだ。心配なんて、思っている半分ぐらいでちょうどいい。
宝箱は二つ出現する――俺が開けなければ、開けるだろう。
一人は頭を打たれ昏倒、一人は足が不自由。女は無傷で防具持ち。もう決着はついている。
もうやめとけって話だ。これ以上すると、心に決めた人を守るため、お前を殺すよ。
だからもうやめとけよ。
テリトリーで男を宝箱まで吹っ飛ばしておいた。
「なんだやっぱり助けるんじゃないか」
「人生諦めが肝心ってな」
「お前は読み違えているぞ。あの女が好きなのは足の折れた方だ」
「ほえぇー」
思わず変な声がでてしまった。
「好きだから殺人を犯してほしくないだけだ」
「マジかよ」
「人間はそういうところを良く間違える」
耳がいてぇ。俺も思い込むということだ。
「おれさぁ、ブラックホールについて考えたんだよ」
急に何言ってんだコイツって顔するのやめろ。
「ブラックホールってさ、光を逃がさないほどの重力を持っていると言われているんだ」
「あ? あぁ。ブラックホールってなんだ」
「ブラックホールは真っ黒に見えるって言うけれど、重力で光が曲がるのなら捕らえられない光も存在するわけで、それを遠くからみたらめっちゃ明るい星か、なんもない場所に見えると思うんだ」
「ブラックホールとは?」
「そんでさ、ブラックホールって色々な物を重力で中心部に圧縮するわけ。それは物であり光であると思うんだ。光が集まったら熱が生まれるわけで、すげぇ圧力とすげぇ熱が生まれて核融合し、いつか重力との均衡を破って外に溢れ出すと思うんだ。でも重力が無くなったわけじゃない。均衡を破った部分が外に溢れるだけなんだ。内圧と外圧の差って奴」
「何を言っている」
「ブラックホールは恒星だと思うんだ。銀河の種だと思うんだよ」
「ぶっていいか?」
なんでだよ。
昔この話をThunderNyanCoに言ったことがある。
ニャンコは否定しなかった――そうかもしれない、と。
否定しないのかと言ったら、無いと断定できないものは否定できないと言った。
ブラックホールは触れられないでしょうと、そう言って笑った。
〇〇〇細胞、あれの研究が失われて悲しいとも。
あれはまだ研究中だった。無いと断定できないものはある可能性がある。
どうして貴方達ヌ〇ン人はよってたかって選択を潰すのだろうかと。
すまんな。弱い物虐めが好きな民族なんだよ、とそれしか言えなかった。
俺もヌ〇ン人だ。
ラファが言ったことを思い出す。
俺が運命を差し出したと言った。
誰かのために運命を差し出したと言った。それがどういう意味なのかはわからない。
人生はシュレディンガーの猫のようなものなのかもしれない。
無数の選択肢はあれど、現実は一つだけ。
現実で最低の運命が決まった時、俺の最高の運命を差し出したのだろう。その差し引きで最悪だけは免れた。
未来を変えるには、今を変えるしかない。
そんなことが、あったのかもしれない。なかったのかもしれない。
ラファはそんな冗談は言わない。
三人と言った。銃が出て来た時点で、家族の可能性はゼロに近いだろう。
なんだ、最高じゃないか。やるじゃないか、俺って奴は。
思わず自画自賛したくなってしまった。
まぁ、それはそれ、これはこれだ。この世界にいる俺に、もう過去の世界は関係ない。