16
向かうのは水路迷宮――通路を進み、上った外壁、水路を見下ろして、そして階段を下りる。
「お前、今まで何をしていた?」
階段を下りていると、ラファがそんなことを言ってきた。
「今までって?」
「その体になる前だ」
ラファは背後だ――止まり、振り返ってラファを見上げる。ラファは俺が止まったので、止まって俺を見下ろしていた。
「色々、色々よ」
やっていたことが多すぎて、何をどう説明すればいいのかわからねーよ。
「そうか」
前を向いて、また歩き出す。
今とあんまり変わらねーよ。飯食ってクソしてかいて寝るだけだっつぅ。
「叩かないでよ」
二人だったら元の口調でもいいけれど、生憎と階段の途中にも人はいる。
下まで降りたら――浮き橋を渡り、水路の中へ。
受付でマガレに手を振ると、マガレの瞳孔は開いた。綺麗に開くものだから、よく出来ていると本当にそう思うよ。
「なぁ? お前の妹は病院だぞ?」
「あれ、知っているのですか」
「なぜここに? 暴れて大変らしい……容態も良くないって、傍についてなくていいの?」
「今は、傍にいても仕方ありませんし、迷宮に潜るつもりです」
「そんな、それは……あんまり……」
「あの子はこんな事で死ぬような子ではありません。それに医院を信用しています。悪いようにはなさらないと思いますので」
「そうだとしても、いや、依頼も受けてないだろう!?」
「ではここで、迷宮に入る許可をください」
「本当に入るのか……何日だ」
「半日ぐらいでしょうか」
「半日だな。許可は出すけど、あまり感心はしない。妹をおいて迷宮なんて。一昨日の依頼も途中で抜けたそうじゃないか」
アンニョイな癖に、妙に声に力を入れるじゃないか。
「あれについては申し訳ないと思っています。あの子が治りましたらペナルティは受けますので」
「むう……しかし」
「お願いします。マーガレット」
「私の名前はマドレーヌだ‼」
やっべ、名前間違えたわ。
渋々ながらマガレは迷宮探索許可をくれた――扉のランプがついて中に入り、背後の扉が閉まりロックの音が鳴ると受付の窓から銃が差し込まれる。
カヌレが厳しい目つきで俺を見ていた。
「弾は何発?」
「四十発ぐらいでしょうか」
「はぁ……弾はダース売り、マガジン込み、四十発は無理、三十六発、マガジン三つ。使用したマガジンはできれば回収して。そして早く帰って。ホルダーに差し込んどいた」
「ありがとう」
「早く、帰って。料金はカードから引く」
そう言われ、ぴしゃりと窓が閉められた。
ガンホルダーを腰に巻いて、フルフェイスをかぶる。
別に必要ない。だけれど見える所ではいい子でいるさ。
迷宮の入り口へ、入り口の受付、小さな建物からオムレツが俺達を見ていた。
「無理はしないように、早く帰ってあげてください」
「どうも」
ラファが何か言いたげだったが、口に人差し指を当てた。
銀糸竜の娘達は、高速で情報をやり取りする手段を持っている。これは最初から分かっていたことだ。そして俺達はもう名前も顔も覚えられている。
今まで以上に慎重に行動しないといけない。
扉を開けて迷宮の中へ――エレベーター、水の音、冷たい空気、肌に張り付くようで、少し嫌。
下りた先には暗い通路が続いていた――迷宮は魔物を倒すためにある。
ドアが閉まり、テリトリーを纏う。
「出て来て、マロ、カオス」
「あいあいなのだ」
「カオス‼」
マロの毛並みを堪能し、カオスの頭を撫でる。
「この空気、久しぶりだ。すげぇ開放的」
「お前、あんまり生き物を殺したくないんじゃないのか?」
ラフィに聞かれて、俺達三匹はにやぁと笑みを浮かべた。
「あぁ、できれば、できればな。でも人間て、不毛な生き物だろう? 何かを殺さないと、生きては行けない生き物でしょう? それが何か、なんて、問題じゃないだろう?」
展開したマテリアライズ――作り出したのは槍の先端部。
ラファがため息をつくのを見た。
「戦うの、苦手な癖に」
「逃げたくなるからやめてくれよ」
痛いところを突かれて思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「そうだな。心は痛いんだよ。心はね。こればっかりはどうにもこうにも。でもさ、俺、もう殺してんだよ。俺が本当に怖いのは、変わっちまうことなのかもしれない。憶病な俺が好きだったんだ。ナルシストで申し訳ないけど、怖いんだよ。何も感じなくなったら。俺の取柄ってさ、俺のできることってさ、優しくなることだけだったんだ。それを手放すのは怖い。それがなくなったら、俺のアイデンティティってなに? ってなっちまうからさ」
本当の俺に優しさなんて微塵も無いのかもしれない。
必要だから優しい。何も無い、俺って奴はさ。
優しさをアイデンティティとしてすがっているだけだ。
「それだけだ」
「そうか」
この痛みって奴は、ただそれだけの、意味の無いものだ。
最近の若い奴はって言う年だ。
神にすがらないものは哲学にすがると言う――哲学にもすがりたくないから優しさにすがっている。
このゲームにおいて、プレイヤーは暗殺者だった。
初期、正面から戦っても、普通に勝てなかったからだ。
ゴブリン二匹に囲まれただけで死ぬ。暗殺するゲームだって説明したでしょう、正面から戦ってなんて、チュートリアルでも言っていないでしょうと、顔面を殴られるのだ。
……短剣一本持たされて、ほっぽりだされて、ゴブリンと殴りあうのだから冒険もへったくれもない。
街は大荒れ、敵多すぎ、一体多数、どうしろって言う。
敵とまともに殴り合えるようになったのは三期からだ。
殴り合うにはプレイヤーは弱すぎる。
暗殺しないとダメだと気づいても、やり方に気づくまでうまくはいかなかった。
結論から言って、技術が確立されるまでには一週間を有した。
各々、知恵を振り絞り、やり方を開拓していった。戦い方を。色々あった。色々あったよ。試行錯誤が色々あった。陣形を組んだり、仲間を募ったり。
でも、それじゃ効率が悪いのだ。
いつかは、いつかは数が減るって、倒した数より増える数の方が多いことに、三日で気が付いた。一人が、獲物を、複数、殺せなきゃダメなんだ。
ゴブリン一体に三人で勝つのを永遠と繰り返す。
俺達は永遠に死にまくり、ゲームを進められなかった。
今の今までそんなことすら忘れていたけれど。
音を消し、視覚から外れ、敵のあらゆる探知を解析し、意識から外す。
背中の一点、肋骨の間を見定めてナイフを突き上げる。
心臓を一突きにする技術、この技術を一刺しという。これが基本だ。
素早く、息を殺して、口を手で塞ぐのはダメだ、噛まれる可能性がある。ゴブリンの口には基本毒があるので噛まれると毒になる。初期は毒が強すぎて、毒になったらほぼ死ぬと思って良かった。だから喉を潰しながら、背中から刺す。
これを同時にやらなければならない。
背後から突き立て――素早く離れ、次の標的へ――随分と練習したものだ。
最初に培ったその技術は、その後も偉大な先人達により磨かれ続けた。
人型の殺し方、犬型の殺し方、巨大な魔物の殺し方――形態により殺し方が違う。それを、一つずつ一つずつ、試行錯誤してきた。
ため息が出る。ため息がでるよ――そうして練磨された動き、投稿された動画で見た殺し方には感嘆のため息すら漏れた。
ゴブリンが一体だけ――迷宮はこういう優しいところがある。プレイヤーに圧倒的に優しい。対一を作ってくれるから。
握った槍と、喉がゴクリとなって、緊張していると気づく――俺は、戦いには向いていない。自分から攻撃するのにいつも覚悟が足りない。
攻撃されないと、覚悟できない。
それが嬉しいと思いつつ、嫌になる――戦わないとダメでしょう、でも、殺すのと問われて、迷ってしまう。命を奪うの。奪っていいの。生きているのにと。
道理は無いよ。道理はない。魔物と言えど、生きている事に変わりはない。
それを殺すというのはエゴだ。理由を探さないで、殺す。相手を、殺すの。許されると思わないで。
「やろうか?」
ラファにそう言われて、苦笑いを浮かべてしまう――それじゃ本当のクズになってしまうじゃないか。
「そんな事すんなよ」
心臓の鼓動が競り上がってくる――トゥーナの事、万能薬の事、迷宮の事、ラファ事、しなければならないこと。考えるとドツボにはまって動けなくなる。
オーガを殺したじゃないか。鹿を殺したじゃないか。ゴブリンなんて腐るほど殺したじゃないか。体内ではいつも殺し合いだよ。お前は、善人ではない。
上手に殺せるだろうか。失敗しないだろうか。防御本能とでも言うのだろうか、危うい事はするなと、リスクがあるならするなと、危機反応で体が強張る。
自分に自信が無い。
迷宮の魔物は基本的に外の世界の魔物よりも危険だ――迷宮が魔物にとって良い環境ではないから。
迷宮は魔物を閉じ込め、外に出ないようにするためにあり、魔物の食糧や魔物に適切な温度、環境などを提供しはしない。
魔物は当然飢えに喘ぎ、共食いなどを余儀なくされ、寒冷地に住む魔物だろうが、熱帯に住む魔物だろうが容赦なく一定温度へとぶち込まれる。
何処を歩こうが通路から出ることは決して許されず、よくよく考えてみれば、人間としてあてはめたのなら発狂しているところだ。
魔物を隔離、排除するために存在する迷宮が、魔物に優しくないのは当たり前で、共食いしようが、餓死しようが、むしろ好都合なわけだ。
ガンホルダーを外してラファに、ヘルメットも取る。
拾った石と――やり方は、散々ゲームでやった。
通路の向こう――右手に持った槍の握りを確かめる。
左手に持った石――放り投げ、躊躇い、放り投げたら、もう、後戻りはできない。それを覚悟して、左手で石を投げ――駆けた。
ゴブリンが石の音に反応して振り向き背中を見せたところを――急ぎすぎてはダメだ。足音を立ててはだめだ、この時、少しでも視野に入ると反応されてしまう。
刃物を刺すという感覚が、指先から腕に圧をかけ、左手の四本の指を蛇のようにしならせてゴブリンの喉へ這わせる。指の先端で牙を突き立てるように喉の中心を縦に潰し――声が漏れるのを防ぐために、そして、圧の右手と、引きの左手で、より深く、めり込ませる。
「ぐげっ」
小さな濁音と、痙攣と、消費と――離した指と、コメカミがピクピクと痙攣する感覚。止まっていた息――頭全体が筋肉の強張りを見せて痛い。極度のストレスを感じ、後ずさりを、足が震えて、かっこ悪くて、上手に動かなくて、壁にもたれて、へたりこんで。
息を大きく吸う――。
足が、痙攣して、足を揉んで、落ち着け落ち着けと。
なまった――小さな声を上げさせてしまった。声をあげさせたなら三流どころか五流以下だ。涙が出て来た。なんでだよ。
涙なんて出したくなんかないのに、目から垂れて、鼻水まで――何度も啜って、ティッシュに出したいと、ティッシュなんてなくて、啜るしかない。
自分の手で命を奪ったの、どれくらいぶりだろうか。命を奪うと覚悟して、命を奪った。人を殺してから、殺すのを、躊躇うようになっていた。手に、人を殺したと、感覚が残っているわけでもないのに、取り返しのつかないことをしてしまったと、心の何処かで怯えていた。試験の時もそう、終わったあと、本当は怖かった。怖かったのだ。
「大丈夫か」
「あぁ。ちゃんと殺せたか」
「あぁ。死んでいる」
「そうか……」
言葉では強がりばかり、強ぶってばかりだけれど、いざとなったらこのざまだ。いつも、本当は弱いのに、他人が怖くて、虐められるのが怖くて、虐げられるのが怖くて、強いふりをして、ウソをついて、自分を誤魔化して、強いんだぞって、強くなりたいと思うのに、そこまで根性もなくて、ぼっちのくせに、孤高だなんて、他人なんていらないって嘘ばかりつくんだ。子供の頃からずっとそう、大人になってもずっとそう。
悪戯で電車から降りられない高校生の背中を押し、下ろした時、舐めてんのかと、囲まれて、殴られた。手を掴まれて、頭を抑えられて、蹴られて、自分は強いと思っていて、理想の中ではね。
助けてと、誰か助けてと、情けなくも思ってしまった。降りられた高校生は、走って逃げてしまった。
次の駅で降りる駅でもないのに下ろされて――遅刻した。
俺の正義感なんて、そんなもんだ。明日も同じ電車に乗るは嫌だと、早い電車に乗った。同じような集団、声を聞くと、びくりとして、身を潜めた。
すごい、すごい悲しくて、惨めだったよ。
少し、先端が、欠けちゃった。
本当は弱いから、いざとなったら争いは避けるんだ。すごまれたら震えてしまうから。
トラの威を借るキツネということわざがあるけれど、狐にも劣ってしまう。かっこつけるのは弱いから、意地を張ったりプライドを掲げたりするのは、俺が弱いからだ。
変えたくて、変えることのできない自分だ。体がどんなに変わっても、この部分だけは変わらない。
でも大人になって、その弱さを少し誇らしいとも思ってしまった。
この弱さのおかげで、俺が犯罪に走ることは無いから。度胸が無いから、俺は善人でいられる。
人を殺したことで、その誇らしさを、壊してしまった気がした。
こだわりってある。きっと男なら、これだけは譲れないっていう何かがあると思う。これを譲ったら、一生後悔するって、譲ってしまった時、涙するほどに後悔する何かがあるはずだ。
ゆっくりと立ち上がる。
一人でやってきたから、自分に自信が無くて、勝負ごとになると、負けたらどうしようって失敗したらどうしようって、ぼくのせいで負けたら……ずっとそうだ。
自分の体の事は、自分が一番よく知っている。
息を大きく吸い、吐きだす――ゴブリンの死骸と、頭を踏みつけて。
ニャンコに、弱いと思われたくなくて、かっこつけたくて――だから、頑張れた。
お前にすごいって言われたかったんだ。
お前に、かっこいいって言われたかったんだ。
やっていることはただの強がりだったけれど。
いつまで経っても同じだ。いつまで経っても繰り返す。いつまで経っても――でも、これを自分として受け入れて、生きて行くしかない。
落ちた鍵を拾い――奥へ、宝箱というには古い木箱があって、鍵を刺し――指がうまく操れなくて、鍵を箱に押し当て、留めてから差し込み、回して開ける。
僅かなアイテムだ。銀貨が少し、インゴットが二つ――これが命の対価だと思うと、笑えて来るよ。
肩を回す、全身をほぐす――緊張で筋肉が強張っていた。
息を吐く。
もう、このプライドは、捨てるね。ごめんね、ごめんね。
俺はもう、俺の思う善人ではない――全ては、ただの自己満足で、それでも俺にとってはきっと大切なものだった。
認めたくなくて、しがみ付いて、それを手放しただけ。
銀貨を取り、ラファに渡す。
「俺が、なんで過去の事を聞いたか、教えてやろうか?」
ラファが急にそう言った。
「あぁ」
「世界は残酷にできている。現実と言うのは残酷なものだ。お前はフォルトゥナと取引したんだ」
「あ? あぁ?」
フォルトゥナと言うのは、運命の女神の名前だったはず。フォーチェンとかそういう類の名前だったはずだ。
「一人は最愛の母親に裏切られ、銃で頭を撃たれて死んだ」
なんの話だ。
「一人は連れ戻され、薬漬けで亡くなった」
「何の話だ?」
「最後の一人は、追手に追われ、抵抗虚しく――国境沿いで撃たれて死んだ」
「だから何の話だよ」
「お前が今ここにいるのは、その運命の代償だ」
「あぁ? お前が何言っているのか理解できねーよ」
「そうか。でもお前がここにいるから、運命は変わった。お前は自分が幸せになる運命という名の代償を支払ったんだ」
「だから何の話だよ」
「俺は知っている。俺は知っているという事を、お前に言っておきたかった」
急に何を言っている。コイツは、俺の中にある映画の知識でも読み取ったのか。
「言っとくけれど、それ、フィクションだからな」
「あぁ」
「お前でもそういう冗談を言うんだな」
「あぁ」
宝箱を閉じると、背後の壁がせりあがり閉じ、宝箱の後ろの壁が下がって通路が現れた。
床に耳を、足音、壁に耳を、位置――またゴブリンだ。
今度は二匹――迷宮は優しい。試すように、心配でもするかのように、それでいて、成長できるようにと、俺を、気遣ってくれる。