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エリーの事が心配だったけれど、杞憂も過ぎる――ベシャメル達銀糸竜の娘はそんなやわな存在ではない。まともにやりあえば負けるだろうな。娘達すべてが敵になる。
ダークエルフと銀糸竜の戦争を想像すると戦慄してしまうよ。
少し遅くなってしまい、施設に行くと入り口でエリーは待っていた。
俺達を見ると顔が明るくなる。ぱっと明るくなる表情の変化は見ていてなんとも言えない気持ちになってしまった。嬉しいのか、切ないのか、苦いのか、苦しいのか。
昼食はクラッカーみたいなもので、コンビーフみたいな肉が乗っているものや、野菜が乗っていたり、自分で具材を乗せたりと、パクパクと食べられるものだった。ジャムやバターを塗ってもいいらしい。
ジャムはこれ、砂糖が入ってないタイプのジャムだ。
果肉もあり、果物を煮詰めて作られたものだとわかる。赤、青、紫、黄色、複数の果物を一緒に煮詰めたものだろう。バターはバターというよりはチーズに近い。チーズかもしれない。
こうして回りから嘲笑や好奇の目を向けられると、少し学生時代を思い出してしまった。
周りから孤立すると、勝手な噂話を広められ、さらに孤立する。あいつはヤバい奴だとか、自分でも意固地みたいになって、被害妄想もあって、勝手に敵を作って、また孤立する。
仲良く喋るのに共通の話題が必要で、その話題のネタにお互いが傷つかず、そして知っている第三者のネタが使われる。いい方面か、悪い方面かは別として、それは誰にでもあることだ。
一人席について、かたまって、口をぎゅっと結んで、無心に食事を取るけれど、神経質になって、ストレスを感じている女性を遠くの席に見て、かつての自分の姿を重ねてしまった。
俺は男だったからまだよかったけれど、女性にはなおさらきついかもしれない。
俺は慣れたが、女性が噂されたり、誹謗中傷で孤立したりするのは、俺が思うよりも辛いことなのかもしれない。
声をかけてあげれば笑顔にできるかもしれないのに、今の俺たちが声をかけたら余計警戒されるだけかもしれないと。
勘違いしているのではないか、相手には俺など必要ないのだ。声をかけてくるとか気持ち悪すぎる――そう思い、少し笑ってしまった。
「あーん」
クラッカーの上にチーズと肉を乗せ、トゥーナに差し出す。
「え……えっ!?」
「あーん」
ちょっと勇気があれば、ちょっと優しさがあれば、ちょっと相手を対等に見てあげられれば、救われる人なんて沢山いるとも思うのに、俺には何もできそうにない。俺自体もきっと、やはり傷つくのは怖いのだ。
俺みたいなのに言い寄られるぐらいなら一人の方がいいと、冷たくされたのなら立ち直れないよ。別に下心なんてない。俺もソロだから二人でいようずってだけさ。それでも邪険にされるのだから俺って奴は。
「あっ……あーん」
そう言いながらも、俺は一人が好きで、沢山の人が笑い合っているのを遠くから見ているのも好きだ。その位置にいたいとも思ってしまう。これもまた多様性の一つなのかもしれない。そこにいる大勢が亡くなっても、遠くで見ている俺は生き残る。逆も然り。
「美味しい?」
人とは違う道を歩んでしまうのも、本能なのだろうな。嫌な物だ。
「ふふぇふぇ」
何を言っているのかわかんねーよ。
「またタチアナさんが甘やかしてる‼ 良くないです‼ 絶対良くないです‼」
「ほらっエリーも、あーん……」
クラッカーの上にチーズとジャムを乗せて差し出す。
「えっ……あの、あっあーん……」
エリーの口の中にクラッカーを入れて、頭を撫でる。不毛だ。
「なっ‼ あぁ!? あっ‼ タチアナ‼」
トゥーナがキレたので、クラッカーを口に放りこんでやる。
「むぐむぐむぐ、うぅ‼」
「もう一口食べる?」
文句を言いそうなので、もう一個口に放り込んで黙らせた。
「あの……タチアナ? あっあーん……」
牙の並んだ口を開けるエリシアを見て、意外と甘えん坊だなとそう思ってしまった。
ラファが急に立ち上がり、俺が気にしていた女性の元へ――女性には声をかけている男性がいて、ラファはそいつを押しのけて、女性の手を引き、こちらへ連れてくる。
女性は困惑していたが――近くの席に誘導され、気まずそうに。
「大丈夫?」
そう声をかける。
「あっ……はっはぁ? なにか? 何か私に用ですか?」
ふくよか、根本から金髪、青い目、なんでコイツ、可愛いのに孤立しているのかってそんな容姿だった。ラファが女性のトレイを持ってくる。
強張っているのは自分を守るため、相手を拒絶するのは、やはり自分を守るためなのかもしれない。
「あれはやめとけ」
ラファは女性にそう言った――誘導する視線の先にはさきほどの男が、舌打ちして俺達を一瞥し、俺達全員が男を見ていて、また舌打ちすると何処かへ行ってしまった。
「一緒に、ご飯を食べましょう。ただ、それだけです」
にこっと笑みを浮かべてそう言ったが、女性の擬古地なさはとれなかった。
ラファ、コイツ、俺の心を読んで行動したのか、それとも相手の男を見て行動したのか。
天使を見ていると、天使がどれだけ大切に、愛されて、繊細に作られたのかがわかるような気がした。
気がするだけだぞ。
だからこそこんなにも繊細で優しく、愛らしいのかもしれない。
それに引き換え人間って奴は、ちょっと適当に作りすぎじゃないか。
何もかも不完全――天使に気にしてくれっていうわけだよ。力もねぇわ、欲望には忠実だわ、もう救いようがねぇよ。愛と性欲の区別もつかねっつーの。違うなら俺だけ。
もしかしたら、完璧に作りすぎてしまっただけなのかもしれないけれど。
「クラッカー……食べます?」
バターとジャムを乗せ、女性に差し出すと、女性は強張りながら、困惑し、それでも根気強く、粘り強く差し出し続けると、小さな口を開けて、はむっと口に咥えた――トゥーナに足を蹴られた。
いてぇなこのクソガキ。思わず、キレそうになって笑顔をトゥーナに向けてしまう。
午後からはラザニアにお願いしていた仕事をする。
トイレ掃除だ――一つのトイレを掃除するたびに銀貨を二枚貰える。トイレは和式より洋式の方が好きだ。だって和式は汚し方がえげつない。
まずはオーダーラインのトイレから。
機関のトイレは二十七箇所ある。
トイレが多いのは人数が多いから、造りは綺麗だ。
女子トイレはまだましだが、男子トイレは……きちぃな。便器にこびりついてんだよ。ちゃんと流せよと思わずにはいられない。ブラシでこすって落とす。トイレには女神様がいるって言うのによ。便器からはみ出して爆発したみたいになっている箇所もあり、どうしたらこんなになるのか問い詰めたい。ゲロもあるし。
まぁ……女子トイレも汚いところはすげぇ汚かったけれど、綺麗なところは本当に綺麗で、トゥーナに手押しポンプのレバーを動かしてもらい、洗剤のような物を巻いて、水をぶっかけるだけで終わった。
これで二枚って十分も経っていない。
手分けして俺とトゥーナ、それからラファ、エリシア、エリーの二手で掃除を行った。
機関のトイレをある程度掃除したところで時間切れ。
俺達は八か所、ラファ達が十か所。合わせて十八箇所、銀貨三十六枚。トイレ掃除はきついだけあって割がいい。狙ってする人もいるのだとか。ただ五人で割ったら、一人当たり約七枚だ。
「あの、それで、ね……タチアナってギルド、作ってたよね」
受付でラザニアと報酬の受け取りをしていたら、エリシアがそう言った。
「えぇ、リーダーはラフィですが」
「それで、その、よかったら、私も、エリーも入れてほしいけど、ダメ? かな?」
「それは……でも、いいの?」
ラザニアの頬が引きつっている。名前変えたもんなお前。
「うん。良かったら、お願い。これから一緒に、迷宮とか、行く、でしょ? だからその、友達だし、仲間、だよね。だから」
「エリシア様、良く考えていますでしょうけれど、良く考えてくださいね。タチアナ様が立ち上げたギルド、筋肉戦隊ポークマンに本当に所属しますか?」
「ぶっ……」
隣の受付、ボルシチ――だっけが、吹いて、顔を横へ向けた。さっきまで綺麗な笑顔だったのに、そんなに変だろうか。
「へっ……。あの、へ?」
「筋肉戦隊ポークマンです」
「へ?」
「ギルド名、筋肉戦隊ポークマンです」
ラザニアにそう言われ、エリシアは苦笑いしながら俺を見る。
「えぇ、変な名前でしょうか……。ネーミングセンスがなくて」
「だから‼ 言ったじゃないですか!? その名前でいいのですかって‼ 私‼ 聞きましたよね!? だから私が考えた名前にした方がいいと思います‼」
「あのっ、私は、全然いいから……。その筋肉戦隊ポークマンでも……」
「だって」
エリシアがそう言うので、そうラザニアを見ると、ラザニアは頬を引きつらせた。
「いいえ、変えた方がいいと思います。絶対変えた方がいいと思います‼」
「でも……ラザニア様が考えたネームって、ちょっとくさくて……」
「くっくさっくさい!? くさくないですけど!? 全然まともですけど!?」
「例えば?」
「プリンセスコールとかどうでしょうか」
ひぇ……まともな顔で良くそんなこと言えるな。
「あっあー……あぁ……」
エリシアはそう言葉を濁し、苦笑いを浮かべた。
「わっわるくはないと思います。はい、悪くはないと……。ですよね、タチアナ」
「エリーはどう思う?」
「プリンセスはちょっと……ないです」
ですよね。となりのボルシチさんが顔を背けて震えている。絶対笑っている。
「うぐっ……じゃあ‼ じゃあ!? ディープスフィアとか!? どう!?」
深い球ってなんだよ。
「深い……球? ですか?」
「深い星です‼ 深い星‼ なんですか球って‼ おかしいでしょ‼」
言ったのはお前やろがい。
「はぁ、わかりました。とっておきですよ? とっておきだします」
「はぁ……そうですか」
「ブルーナイト。ブルーナイト‼ どうですか‼」
「くっさ」
「はぁ!?」
コイツ、勝手に名前ブルーナイトに変えてやがる。
「臭くないです‼ 臭くないです‼ いいですか!? ブルーナイトで決まりで‼」
「はぁ……?」
もう勝手に変えてしまったので、押し通す気だよコイツ。最低じゃねーか。
まぁいいけど――リーダーはラファ、いてっ、ラファの奴、膝で俺のモモを小突きやがった。
「でも、そうすると、お金をギルドで管理することになってしまいます。エリシアはそれでも大丈夫なのですか?」
一応聞いておく。
「大丈夫です」
「でもこの場合、資産は共同管理ということで、良いのでしょうか?」
「あっ。それなら大丈夫です。共同管理というのは、機関が得た資産を均等に分配するようになるだけですから。ギルドの無い方はそれぞれ自分たちで報酬分配を決めたりしますし、基本的には均等なのですが。荷物持ちとかは予め料金を決めてありますし」
ラザニアにそう言われ、なるほどと理解した。
「個人が勝手に他人の資産まで使えるというわけではありませんから。ギルド管理として資産の総額が、その中から個人の資産がカードに記入されます。全体としての資産と、個人としての資産が存在するわけです。ギルドにすると資産の管理が楽です。私達が管理しますし、例えばトイレ掃除の依頼を今日行ったじゃないですか? 報酬が三十六枚で、五人で分かると一枚余りますよね。こういった場合、この端数の一枚はギルド資産として管理されまして、この端数が分配できる枚数に達すると自動的に各分配されるようになります。ギルド管理の方が、報酬で揉める割合が減る、というわけですね」
リーダーはラファだから別にいいけれど。
「おい」
「はい? どうしました?」
「いや、別に、なんでもない。続けて」
後で覚えていろと言う顔をするのはやめようぜ。
「……こほん、資産としてはギルド全体の数字が、使えるのはカードに記入された個人の分だけ、というわけです」
「なるほど」
「ちなみに、メンバーがもし何かの事故により亡くなったのならば、その個人の金額が総資産より削除されます。分配などもされません。これはお金目当てに殺人を犯す人間を無くすためです。不満に思うでしょうがご了承ください。結婚なさったりしていれば、当然資産は家族に分配されるわけですし、もしその際、伴侶の方がギルドに所属していれば、ギルドの資産は変化しません。別途夫婦や個人で資産を別の口座に移すことも可能ですのでよく考えてご利用になってください」
ちょっと面倒くさいな。ギルド員は選び、信用のおける人間でなければ登録しないほうがいいだろう。メリットもあるがデメリットもある。エリシアが、友達だし、仲間、だよね、と言ってきたのは、信用されていると納得したいのかもしれない。
資産目当てに殺人もありえる。夫婦でそれが無いとも言えない。おそらく前例があったのだろうな。あーやだやだ。
「そうなのですね……。ちなみに、ブルーナイトは、却下です」
「ヴぇ!? なんでダメなんですか!?」
却下に決まってんだろ。もうちょっと楽しませてよ。足掻いて、ほらっ。バレる前にさ。
「ダメです。くさいので」
有無を言わさぬ笑顔と圧で黙らせた。