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6

 ビーンと音がして見ると、歩きながらロレーナが弓に張った弦を指で弾いていた――続いて脇に弓を挟み鼻歌を、取り出した枝の先端をナイフを使い、慣れた手付きで削りだしていく。


 ナイフで枝を削って、先端に尖った石をあてがい、蔓を巻いて固定していく。


 傍まで来ると、ぽいぽいと出来た矢を地面に放り、新たな矢をまた作る。


「慣れたものですね」


「これが商売道具だからね、本当はもっと質のいい矢を買えればいいんだけど、お金が無くて、えへへぇ」


「とてもよくできていると思いますよ」


 転がった矢を手に取り眺めると素人にはとても作れそうにないほど精工だった。


「鳥の羽があればいいのだけど、さすがに羽はね、だから植物の葉で羽を再現するんだけど、これがまだうまくいかなくてね」


 弓に矢をつがえ、地面に向かって打ち込む――ドスンと鈍い砂の音、矢が沈む。


「的に当てないの?」


「間違えて、もし何かを射ってしまったら、怖いでしょ? だから弓の出来具合は地面に沈む矢の感触で確かめるの、結構いい出来、少しすれば、手に馴染む前に、壊れちゃうかもしれないけど」


「優しいですね」


「ふふふっ、違うの、前にね、アーサーを射っちゃったことがあるの、それ以来、ちょっと怖くなっちゃってね、ここは砂地だから、確かめやすいわ」


 俺はなんとなしに、矢を地面から引き抜いた――少し重い、地面から引き抜いた矢、シャフトというのか、湿りと砂の付いたシャフトの長さを計り、射出速度と威力を確認する。


 精密なわけじゃない、きっと弓を使っている経験則から来ている。


 矢の先端に指を当てる――。


「あっあぶないわ」


「大丈夫です。いい矢ですね」


 俺の体が本物で、ゲームだと思っていた世界は現実だった――俺はどうやって戦っていた、真正面から戦えば、ハルポンはもちろん、ニャンコにも守男にも、サポート役のDKにすら勝てない。


 どうやって戦っていた……暗殺、だよな。


 正面から戦って無理だったから、背後から刺すしかなかった――そればかりに特化して、それを受け入れていた。


 正面からの戦いは避けた、その場合は即去り。


 俺は、組織黒の羊に所属していた――黒の羊は簡単に言えば、暗殺クエストをするための組織だ。


 冥属性の特殊な魔術を習得するのに所属する必要があった――戦力の増加、もっとみんなの役に立ちたいと思った時、ニャンコの勧めで所属した。


 組織の中でも俺はあんまり強いほうじゃなかった――特殊クエストのアイテムや魔術だけは確保したけれど。


 自覚しているが千百三十位ぐらいかな。


 短剣【抜き差し】を用いて、暗殺を行っていた――まさか、まさかとは思うけれど、少し高笑いしそうになってしまった。


 この世界がもし本当に存在しており、もしこの世界にアクセスしていたのだとしたら――。


 知らず知らずのうちに、本当に人を殺していた――いつの間にか人殺しになっていた、殺した数は年間何百人にも上る、それでも一位の奴に比べれば少ないほうだろうが、そんなことは関係ない。


 笑ってしまうよ、知らなかったから仕方がない、俺のせいじゃないは通用しない。


 黒の羊には女王がいる、黒の羊の女王は女神パンタノーラだ。


 なんでこんなことになっちまったかな、どうして今更この世界に連れてこられたんだ。


 パンタノーラの仕業なのか、どうして体だけが残っていた。


 もし本当にこの世界が存在しているのなら、この世界の何処かに、ニャンコの体があるかもしれない。


 守男がDKが、ハルポンがいるかもしれない。


 いたらどうするの、それでどうするの。


 ニャンコの姿が脳裏をかすめる――偉く傷ついたよ、えらくきずついた。


 ――体だけでも、もし魂が無くとも、体だけでも


 体だけでいいから寄り添いたい――自分の物にしたい、誰かが所持、所有するのが許せない、そう思ってしまった。


 俺はそんなにいい人間じゃない、童貞ボーズのくせに、クトゥーナに悪戯する想像が脳裏をよぎる、ニャンコの体を犯す想像をしてしまう、知っている、知らなければよかった知識が腐るほどあって困る。


 しかし目の前で知らないことが、影で進行するよりは、マシなんじゃないかとも思ってしまう。


 怖いな、怖い、己が怖い、他人が怖い、怖さを抱えながら、生きて行くのは辛い、現実を受け止めるのは辛い。


 ニャンコはドイツ人、DKはロシア人、守男は中国人、ハルポンはアメリカ人――国外の人間を探し出せるほど、俺は有能じゃなかった。


 別れてしまえばそれだけの関係と――それを自覚した時、不覚にも泣いてしまった。


 俺はお前達を友達だと思っていたんだ――でも思っていたのは、俺だけもしれないと、過去の過ちを何度も思い出して、俺より優れた日本人なんて五万といると打ちひしがれた。


 泣いて泣いて泣き喚いた――自分を可哀そうだと自分が可哀そうだと……。


 この時、気づいた――俺は子供だったんだ。


 自分のために泣き喚く俺はさぞ滑稽だったろうな、見捨てられもするだろうさ。


 オ〇ニーで気持ち良くなっていたんだから。


 それ以来、泣かなくなった。


 俺が大人になったのはこの時かもしれない……。


「気に入った弓は、できました?」


 そうロレーナに聞くと、ロレーナの顔は一瞬緊張して、目を反らした後、俺の目を見て、はいと言った。


 目を覚ましたアーサーは粉汁をかぶ飲みし、ありがとうと言ってロレーナと共に村に帰って行った。


 道はわかるのかと聞くと、大体の方角はと答えた、わからなくなったらまた戻ってくると、教会を出た。


 ロレーナは俺の手を取り、ありがとう、ありがとうと何度もいい、また来ると手を振って行ってしまった。


 俺に一緒に行かないかとは言わなかった、こんな辺鄙なところに住んでいるのにはわけがあるのだろうと察したようだ。


 ブルーポットが気に入ったようで、いくつか欲しいと言われた。


 作って渡した。


 作り方を聞かなかったのは流通しているからだろうか、それとも製造法に関して、俺に配慮した結果だろうか。


 ブルーポットを作るために利用したスライムは当然のことながら体積が減る――スライムに関して、水分をすべて奪っても休眠状態になるだけで死ぬことはないと本に書いてあった。


 保有する水分量には規定があるようで、水をあげても一定量以上は排出して零れてしまう。


 一日閉じ込めておいたスライムは衰弱するのか、動きが鈍くなる。


 いい人達で良かったと本当に思う、礼拝堂の扉を閉めて振りかえるとクトゥーナが立っていた。


 ねめつけるように、伺うように、寂しそうに、かまってほしそうに。


「どうした?」


 そう言うと、クトゥーナは俺の体にしがみ付いた。


 昨日はろくに寝ていなかっただろうし、血も取っていないだろう、そのまま歩こうとすると。


「あっ」


 と言って強くしがみ付いてきた、そのまま引きずって竈の前に行くと、ほったらかされた布団に倒れ込む。


 くさい、湿っている、ちょっとぬめる、ロレーナの匂い。


 一度起き上がり、竈に枝を入れる――今度から雑用も一緒にしないとね、魔剣についても調べないといけない、クトゥーナが甘えてくる。


 クトゥーナが俺に何を求めているのか、愛情なのだろうか、親のように愛せばいいのか、何を望んでいるのか、考えていたら眠っていた――昨日寝ていなかったからだ。


 しばらくして起きると、足に痛みを感じる――ふっと足に視線を向けると、クトゥーナが俺のモモに齧り付いていた。


 荒い息を吐きながら無我夢中で血を舐めている。


 こいつやっぱり吸血鬼なのか、この体の血液はそんなに美味しいのだろうかと真面目に考えてしまう、ふと俺と目が合うと、クトゥーナの表情はスっと戻っていき、やってしまったと言わぬばかりに立ち上がりギクシャクしながら礼拝堂に行ってしまった。


 吸血鬼のわりに、日光が大丈夫なのだなとなんとなく思ってしまった。


 モモには八重歯の跡が二つ、触っていると消えた。


 手に付いた血を舐めてみたが、形容しがたい味と匂いがした。


 ワインに近いだろうか、鉄分の匂いとか、生臭いとかそんな匂いが無い。


 今は何時だろうかと思ったけれど、時計がないからわからない、目覚まし機能を有したスマホをうざいと思う事はこの先二度と無いのかもしれないと少し笑ってしまった。


 竈では炭となった枝が赤く轟轟と燃えていた。


 部屋の中は暗く、木枠を開けると、濃い青に溶け込む光が広がっている――夕方だろうか、それとも朝方だろうか、寝たのは夕方ぐらいだろうから、朝早くなのかもしれない。


 礼拝堂に行ったクトゥーナが扉からこっそりとこちらを伺っていた――震えているのがあまりにもわかりやすくてどうしたものかなと、こういうの、幸せっていうのかもしれない。


「お腹空いてる? 怒ってないから、こっちきな」


 クトゥーナは顔を伏せながらこちらに来る、こういうおどおどしたのに、うざいと思ってしまうのだろうか、そんな思案をしつつ屈んでクトゥーナの顔を見る。


「もう血はいいの?」


「はっはい……がっ我慢できなくて」


「お腹空いた?」


「あの、血を取ったので……大丈夫です」


「クトゥーナは血以外の食物を必要としないの?」


「聖女様の血を飲むと、お腹いっぱいで、他の人とかお肉だと、必要です、き、嫌わないでください」


 奴隷にそれを気にしなくていい、もっと堂々としていいというのは酷なのかもしれない、これまで虐待されていないとも言えないし、それをかみすれば、強くは言えない。


 うるせぇ、行こうっていうノリもいいけど、そういうノリだと返ってダメな人もいる。


 言う人にもよるし、俺が言っても誰も賛同しないだろう。


 前に葛飾北斎は、あと五年、十年あれば本物の絵かきになれたと言ったそうだ――しかしきっと五年あっても十年あっても、あと少し、もう少しあれば本物の絵かきになれるのにと嘆いただろう、きっとそれに近いと言った。


 けれど葛飾北斎の事など、俺ごときが語るべき言葉じゃないなと自分の傲慢さに少し辟易とした。


 攻撃が他者ではなく自分に向かう者もいる。


「今、朝だよな、布団洗うから、手伝って」


「はっはい、わたっわたしがやります」


 洗っていると、やっぱりタルがいるなと思う、アーサーについて村に行けばよかったかな。


 不器用に洗い、二人で両端を持ってぎゅっと絞る。


 絞り終えたら竈の前で干そうと思ったが、竈の前で干すのに難点があることに気づいた――煙というのか、燃えカスというのか、わずかながら飛ぶ微細な炭素のようなものがつくと、黒くなってしまうのだ。


 時間はかかるが、教会の礼拝堂の屋根に乗せて乾かす、今日が晴れで良かった。


 地下からクトゥルナと言ったか、粉を持ってきて粉スープを作り、軽く朝食をとる。


 まったく進展が無い――ヴィヴィの日記を手に取り、魔剣探しを再開する、クトゥーナはそんな俺を見て、満面の笑みを浮かべて足に寄り添った。


 好きな事しなさいと言うと、俺の足にぴったりとくっつくのが好きだという、それをやめろと言うと、悲しい顔する、抱きかかえるよりも、今は足に寄り添うのが好きだという。


 なぜそれが好きなのか問うと、俺が本を読む邪魔をしたくないと言う――それが好きだというのなら、好きにしなさいと言うと、うんと言った。


 まったく進展がないまま二、三日が経過した――ヴィヴィの日記を読みこんで魔剣の扱いに関しては少し情報があった。


 魔剣は獲物がいないと所持者を攻撃してくるが、獲物がいると獲物を攻撃する――獲物に剣を突き立てると剣が血を飲む。


 剣を扱う時は、自身に対する攻撃に関して自由にさせないようグリップを強く握る。


 剣は無作為に己と獲物を攻撃するので、己に対する攻撃だけを力でねじ伏せて扱う必要がある。


 剣は所持者を守ろうとしないので、防御に使うには技術がいる。


 肝心の剣が無ければ意味をなさないが、魔術に関しては結果としては扱えない――扱い方がわからないのかもしれない。


 別の要素があるのか、たぶん、魔力は俺の中にある。


 しかし魔力を物理現象に変化させる術が無い。


 二人が去ってからクトゥーナの機嫌はすこぶるいい――いつも笑顔を浮かべて俺の傍にいる。


 手を伸ばすと自ら体を擦りつけてくる、飲んでいいよと言えば、腕や肩に噛みついて血を飲む。


 もじもじしていたかと思えば、ぐっと顔を上げ、真っすぐに俺を見ると。


「あっ、愛してほしいです」


 と言ってくる。


 愛の定義がわからんちん――親のようにか、恋人のようにか、俺はそう言ったクトゥーナの頭を日記でパコンと叩いた。


 叩くと、クトゥーナは嬉しそうにえへへっと笑った。


 血ではなく、肉を食べたいのかもしれない、俺はいずれコイツに肉をかみ砕かれ、食われてしまうのかもしれない、それはそれで、終わりで良いのかもしれない。


 自らの凝り固まった考えに流されるな、クトゥーナを危険視するのはまだ早い。


 彼女が血を飲むことで悩んでいたらどうする。


 十一代目リリアーヌの日記を読む――リリアーヌは十年近く俺の世話をしていたが、村に出た時、冤罪が晴れ親族により街へと連れていかれてしまったようだ。


 十二代目はリリアーヌに連れ添っていた騎士ドミナ――ドミナは魔剣を何度か振るっている、リリアーヌの頼みにより、ドミナは生涯俺を守り続けた。


 聖剣フォロニスについてドミナは記述している――街で領主の娘が聖剣フォロニスを腰に帯、自慢していたのを見たと言う、どうしたのかと聞くと、一族代々に伝わる家宝だと彼女は答えた。


 それはない、おそらく聖剣フォロニスは七代目より奪われたものだとドミナは思ったらしく――聖剣は聖女を守るためにあると魔剣を用いて奪還を試みるも敗走している。


 七代目の生存は絶望的だろうとドミナは悟り、傷を負い、近くの村で十三代目の子供を奪ってきた。


 子供を奪うのはダメだろうと思うのだが、どうやら口減らしで捨てられていたのを拾ったようだ。


 十三代目はドミナに三年教養を受け、聖剣を奪還してほしいと言われたが、ドミナの死後、聖剣奪還をする気もなく、魔剣は森に投げ捨てたと書いてあった。


 十三代目はウィオリナ――彼女は俺が聖女だと書いた日記に疑問を持ち、俺を放置して村に逃げたようだ。


 スライム薬などを売り、教会の主まで上り詰めたようだが、のちに失墜、この地へ逃れた記述がある――子供は二人、片方は十四代目だ。


 スライム薬の完全なる製造法は伝えなかったとのこと、十三代目は世界を呪いながら亡くなったと十四代目は書いている。


 十四代目は娘のミニット――息子のヴァレンはミニットにより殺害されている。


 どうやらヴァレンは俺を犯そうとしたと書いてある――そのページは痛みがひどく、彼女が後悔と苦悩に満ちていたのがわかる。


 ミニットは母親が嫌いだったようだ。


 ミニットは森の中に強力な結界を張ったと書いている――強力な結界とはなんだろう。


 古い最初の結界に、さらに強力な結界を上書きした、この地に悪人が迷い込むことは無いと書いてある。


 ミニットはこの地で俺の世話をしながら穏やかに亡くなっている。


 魔剣は森の中――ここから外に出るのは容易だが、ここに戻るのは難しいと、聖女を守る者に優位に働き、聖女を害する者を遠ざける。


 ドミナやリリアーヌは村とここを行き来している。


 ミニットはこの地が女神に愛されていると書いている、聖女がいるからだろうと、だから聖女の世話をする者に、この地は有利に動くと。


 女神と言えばパンタノーラしか心当たりがない。


 パンタノーラとの接点が、黒い羊で任務を請け負うのに数回会ったというだけだ。


 ミニットは、どうかここが何時までもこのままでありますようにと、後継者を残していない。


 ふと――ミニットが俺の体に甘えるようにして眠る映像がよぎる、これが真実だったのか、俺の妄想なのか、まぁ妄想なのだろうな。


 ミニットは幸せそうだった、自らの兄を殺した罪を抱えながらも。


 ミニットに背後から抱きしめられたような錯覚をおぼえ――。


「あぁあああああああああああああああ‼ ああああ‼」


 クトゥーナが叫びだし、鬼のような形相で俺を見ていた。


「どうした?」


 問いかけると。


「はぁっはぁっふっ」


 クトゥーナの形相は緩んでいき、クトゥーナの表情は元に戻っていく、寂しい苦しいと俺を見上げ、胸を押さえながら、傍に来ると服を掴んだ。


 クトゥーナは俺が思っているような子供ではないのかもしれない――クトゥーナの脇に腕を通すと、クトゥーナは目を強く閉じていた。


 怖いのだ、捨てられるのが、恐ろしいのだ、嫌いだと言われることが。


 俺の中に他人がいることを嫌うのかもしれない、俺の表情からそれを察しているのかもしれない。


 クトゥーナの頭を撫で、抱えながら、俺は魔剣が投げ込まれたおおよその位置を割り出しにかかる。


 頭を撫でながら日記に目を通すと、クトゥーナはすすり泣いた。


 クトゥーナには安らぎが必要なのかもしれない――それと同時に、手放したらこいつはどんな顔をするのだろうかとも思ってしまった。


 狂うのか、怒るのか、俺を殺すのか、自殺するのか、思ったよりも、クトゥーナの心は深いのだろうな。


 自殺するのは堪えるが、殺そうとしてくれるのは俺にとっては嬉しいことだ。


「何を望む?」


 クトゥーナに耳打ちすると、クトゥーナは。


「傍に、ずっと傍にいて、ほしい、です……」


 と答えた。


 簡単に愛情が伝わるなら苦労はしないよなと俺はニャンコに問いかけ、心の中のニャンコは、首をすくめてみせた。


 ラクロスすれば愛は伝わるのか、愛していると言えば愛は伝わるのか、そんな言葉を言っても所詮は上っ面でしかない、それで満足できるって言うのならそれでもいいが。


 長い年月をかけ、少しずつ少しずつ、自分が相手を大切に思っていることを態度で伝えていかなければならないと、俺は思うのだ。


 自分が何かしてあげた時、相手も何かしてあげたいと思ってくれる。


 相手が何かしてくれた時、素直に嬉しいと思い、返してあげたいと思う。


 俺の両親が、俺にそうしてくれたように。


 俺がクトゥーナを娘として愛するとしても、今すぐに愛してやることはできない。


 その間に死ぬかもしれないけれど――異世界なんてクソだ。


 日本は良かった――ひっそり隅で丸くなっていれば弱くても生きていける。


 頭を下げて、プライドさえ持たなければほそぼそとやっていける。


 理不尽なことでも、大切な物を作らずに頭さえ下げられれば無事に生きている。


 目を反らしさえすれば……。


 クトゥーナが俺の一部にすでになっていることにイライラする。


 こいつに何かあったら、俺は傷つくのだろうな――それに堪らなくイラついてしまう。


 コイツが殺されたら俺は相手を見つけて必ず代償を支払わせる――俺より先に死んだら棺桶なんか蹴飛ばす、死体なんか海に放り投げるかもしれない。


 そしたら、一晩中泣くだろうな。


 アーサーとロレーナがいい奴じゃなかったら、今頃俺たち二人とも侵され死んでいる。


 深く考えれば考えるほどに、今までの思考回路ではダメだと悟る――異世界に対応した思考を持たなければいけない、異世界の人はどんな人たちなのだろう、危険はどれくらいあるのだろう。


 日本では助けてと乞われて助けるのは当たり前だ――ここでもそうとは限らない。


 優しい弱肉強食か、厳しい弱肉強食か、少しの暴力と多大な金の世界が、多大な暴力と多大な金の世界に変わってしまったかもしれない。


 そんな最悪な世界ならアーサーやロレーナのような人間はいないさ、少しあったばかりの人間の何がわかる、殺されてもいい、けれど踏みにじられるのは嫌じゃないか。


 ニャンコの体はどうする、なんにせよ力が必要だ、正面から戦わなくとも良い、ひっそりと殺せるだけの力がいる。


 ただ隅っこで平穏に暮らせるだけの力が必要だ。


 その日はスライム薬とブルーポッド、レッドポッドをとりあえず器に作りまくる作業をした。


 次の日の朝――朝早くから崖を降りて砂地を走る、体感700mほど全力ダッシュ、少し休み、息を大量に吐いて吸い込む、また700mダッシュ、少し休み、息を吐きまくり、吸い込む、気持ち悪くならない、死ぬかと思うほどの負荷もこの体は飲み込んでしまう。


 終わったら砂地で猫足立ちをし、前に移動しながら、拳、面と点を作り、振るう、規則正しく、テンポよく、腰を落とし、これでもかと体に負荷をかける。


 次はクトゥーナに石を投げてもらう、面(拳)や点(肘)で石を受けたら体が傷つく、だから平(掌)で優しくさばき、威力を殺し、投げられた卵が割れないような感覚で行う。


 最初はゆっくりと、徐々に早く、素早く面と点を作り空を打ち、平で石を受ける。


 呼吸は深く、全てを呑み込むように、吐く息は長く、肺の中の全てを絞り出すように、体を変えていく、体を変える。


 傷ついたらブルーポッドとレッドポットを塗る、塗る、飲む、塗る。


 だけれど、なぜだか、俺にはこれらの薬があまり効かないように思えた。


 もともとゲーム時も、回復薬なんてゴミクズみたいな性能だったし、この体にはあまり意味をなさないのだろう。


 特に指は良く鍛える――何より重要なのは指だ。


 俺は体格が良くない――前も、そして今も、身長は167㎝程度、だから大きな相手に組み伏せられたら、大きな体格の相手と戦うのに、どうしても指の力が必要だと考えた。


 昔の俺の体では無理だった――だが今の体ならできると思える。


 この指は、あばらの隙間を穿つためにある。


 何度か指の骨が折れた――だが、この体は人の物じゃない、しばらくすると治り、眠るたびに指が硬く折れなくなっていく。


 午後からこの辺りの地形や情報を日記から読み解き探す。


 危険な生き物は、どんな形で、どう攻撃してくる、何を受ければ助からない――クトゥーナの狩りに同行する、俺の方が役立たずなのではないか。


 一日目はぎこちなく、二日目、三日、四日、蜂の姿は、攻撃された、蓄積する、蓄積する、ニャンコが言っていた、少しずつ自らを完成させるように。


 一週間もたつと、余裕をもってトレーニングをこなすに至る――クトゥーナが振りかぶる石をさばく、腕の骨にめり込んだ痛み、腹にめり込んだ痛み、石の形、掌に受ける感触。


 柔らかかった指の筋肉が力を込めると硬くなる。


 顔面だけには絶対に石を受けない。


 走る距離も伸びた、全力体感1400m、少し休み息を吐く、息を吸い、全力1400mダッシュ。


 一か月も立つと、脳が神経が、血管が全身と繋がっているのを感じる――俺の心は脳みそにはない、俺の心は心臓にある。


 心臓となっている黒い物の中にある、否、俺という存在のすべてはこの黒い物を中心に形成されていると肯定してしまう。


 イグニッションと魔力を理解する。


 血管内を流れる魔力、体の表面に沸き立ち、神経を脳を撫で上げる。


 血液を操れる感覚――俺の体に流れているのは血液というよりも魔力そのものだ。


 魔力そのものというよりは、この体そのものが、魔力を起点に――笑ってしまった。


 この体は核を中心に構成された魔力そのものだ。


 魔力は物質に変換できる、現象に変換できる、この体は、魔力を変換して作られたものだ。


「わかってたさ。わかっていた」


 わかってはいたけれど、少し悲しくなった。


 ゲーム時、なぜ死んでも再生した――そもそも肉体そのものが……。


 魔術は使えなかった――魔力を変換する機能を失っている、何か変換するための機能が別にあったと考えるべきだろうか、それとも俺の頭が弱すぎるのだろうか。


 ニャンコなら使えたのだろうな。


 俺の体と同様にクトゥーナの体にも魔力が通っていた。


 人も俺と同じように魔力を消費して成長しているのがわかる。


 クトゥーナが俺の血を求めるのは、本来なら生成、保持できる魔力をなんらかの要因により、失っているのではないか――体内の魔力を感知できるようになってから、外の世界の魔力も見えるようになった。


 この場は、魔力が少なすぎる――魔力力場と言うのだろうか。


 呼吸や食事からクトゥーナが物質と共に魔力を吸収しているのがわかる。


 そして吸収された魔力は体を作るのに使われている。


 人は体内で魔力を生成できないのか……呼吸や食事で外部より魔力を吸収しているように思える。


 職とは、魔力を変質させた形か。


 魔力で作り上げたある形を固定化させたのが職なのか。


 体から露出させた魔力は手足のように扱える――手を再現すれば、ポケットに手を入れながらパンチすることも可能だ。


 ただ造形に関しては意識しなければ行えない――魔力で空を飛ぶにしても、粘土のような個体に変化させ、その上に立つという形ならば可能だが、魔力と地続きでなければならない。


 なぜ人だけが意識を持ち、ゴブリンやオーガが知性を持たないのか、ハルフォニアならばそれも可能だったのではないか、俺はある仮説を立てた。


 ハルフォニアはわざとパンタノーラに負けた、そして人の中に宿った。


 この世界はバランスによって成り立つ、わかりやすいのは食物連鎖だ。


 ある生物が台頭しても、餌などのバランスにより数は調整される。


 クジラが増えすぎれば餌のプラクトンが大量に消費され、結果くじらは自らの食事量によって餓死を誘発し、数を減らしてしまう。


 世界は安定するように出来ているのに対して、人は、己の知性によってバランスを取るようになった。


 食料が減らぬよう家畜を飼育し、病気にも薬などの治療を用いてバランスを取った――よって人は、おそらく本来のバランスを崩し、新たなバランスを作り繁栄している。


 パンタノーラは人を愛している――人の中にはおそらくハルフォニアがいるからだ。


 しかし人が生存し続けるにはバランスはとらなければならない。


 人の技術による繁栄は本来の世界のバランスではないのかもしれない、人も世界の一部ならば、人の作るバランスもまた調和のとれたバランスなのではないのか。


 もし違うのだとすれば、魔物はそれらのバランスを守るために存在しているのではないか。


 俺たちの体、プレイヤーの体は、おそらく、ハルフォニアの影響を受けていない。


 よってハルフォニアが宿っていない。


 ハルフォニアがあるかないか、それはきっと魂があるかないかに匹敵するほどのことなのではないか。


 この体は、完全なるパンタノーラの子ということになる。


 心の無い体を操るため、ハルフォニアと己の子らを守るため、パンタノーラは異世界から体を操作させることを思いついた。


 それがゲームという形をとっていた――地球に神々がいるのであれば、おそらく地球の神々も関与しているのだろう、否、していないのかもしれない。


 ニャンコは言っていた――神は万物に平等だと、天使にも悪魔にも人にも豚にも虫にも植物にも、万物に対して平等でなければならない。


 神が万物に平等であるには、どうすればいい。


 答えはいたく簡単だ――万物に対して、何もしない。


 神が全ての生き物に対して愛情を持っているのならば、万物に対して平等であらなければならないのではないかとニャンコは言っていた。


 よって神は願いを叶えることも、試練を与えることも、罰を与えることもない。


 何もしない――これを聞いた時、ニャンコはなんて嫌な神なのだと悪態をついたが、俺はなんて愛情深い神なのだろうと逆に思った。


 人はそれを見捨てられた、天使はそれを見捨てられたと言うのだろうけれど、好きにしていいのだ、深く見守られている――それを思うだけで、幸せなのではないだろうか。


 ただ人を殺すのは人だというだけ。


 体外への魔力の放出は、粘土遊びによく似ている――造形技術がなければ拳を再現するのすら難しい、また意識が無ければ形を崩し、例えばいくつもの拳を作るよりは、二つの手の延長上に拳を二つ再現するほうが遥かに楽で形を維持できる。


 しかし手を作っても本来の手と同じように動くかと言えば、それは否だ。


 おそらく手の構造を理解し、手の構造を再現しなければ、手のようには動かない。


 構造を把握せずに作っても、それは手の形をした張りぼてにすぎない――指を曲げられず、物はつかめず、ジャンケンすらできない。


 また放出した魔力は俺と地続きでなければ維持できない、続かなければ形を失ってしまう。


 形や強度はおそらく自由自在――しかしながら俺には造形技術がない。


 フィギアやプラモを一から自分で作るのと同じことだ。


 俺はこれらの造形はすぐに諦めた――人間には得手不得手があり、好き嫌いがある。


 好きな事なら何十時間もできるだろうが、嫌いな事を何十時間もできるだろうか、細かいことは苦手だ、それら不得手に所要する時間と習得する内容物を考えて、わりに合わないので切り捨てた。


 形は歪だが、扱えればそれでいい。


 この体には合理性がある、造形技術が無くとも、核に最初から造形されるべき体の形が用意されている。


 核をどうにかしない限り、俺が死ぬことはない。


 そしておそらく核はどうにもならない――どうにかなるのなら、プレイヤーはとっくのとうに消えまくっている。


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