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ご飯を食べ終えたらベシャメルと別れ、機関へ――。
「ここでお別れは残念ですが、私は体を休めようと思います」
「いえ、夜中もお仕事をしてらっしゃいましたから、お疲れだと思います。ごゆっくりなさってください」
「はい――ではまたのちほど」
のちほどってなんだ。
機関の受付に行くと、昨日と同じ受付嬢がいて、目が合うと俺の後ろの人数を確認しているような目の動きをした。
唇が動く。何か喋ったか。四文字の何かを喋った。
丁度後ろを歩いていた受付嬢に手を置いて、席を入れ替わるように立ち上がる。目を反らさずに、なに、この受付嬢、そしてカウンターから出て、目の前へ来た。
「ようこそ機関オーダーラインへ。学校はどうなさったのでしょう」
開口一番に学校の話はやめようぜ、ここに来た時点でサボりなのだから。
「今日はお休みです。依頼を受けたいのですが」
「義務教育なのですが?」
「先に今週の税金を払ってしまいたいので。どうしてこちらへ来たのですか?」
「えっ!? べっ別に!? 何もないですけど!? 別に!? 逆に聞きますけど!? 私が来ちゃダメなんですか!?」
なぜそんなに動揺する。
「別にかまいませんが。受け持ち中の相手がいるのにわざわざこちらへ来られたので」
「そ、それはですね。貴方達は初心者の方ですので、今日は、どうしたのですか? 学校は!? どうされたのですか!?」
「先ほども言いましたが、先に、税金を、払ってしまいたいので、今日は、お休みにしました」
じっと目を細めて俺を見たあと、俺の意思が揺らがないのを確認したのかため息を一つ。
ラファが耳打ちしてくる。
(先ほど言った言葉は、増えてる、だ)
(人数が?)
(そうだろう。それから)
(いや、言わなくていいよ。それは大した問題ではないでしょう。知らない方がいい)
(それでいいならそれでいい)
心の中なんて簡単に覗いていいものじゃないよ。それをしていいのは、それができるお前だけだ。それにお前俺の監視だろ。俺の監視をしろよ、俺の監視をよぉ。
「そうですか? それでは、そうですね、では、下水道のお掃除などいかがでしょう?」
手に持っていた紙を差し出してきて目を通す――水道施設は結構整っていたからやっぱ下水道はあるよな。昨日も下水道の掃除だったけれど、汚れ仕事が多いのは、誰もやりたがらないからだろう。
「具体的に何をすれば」
「そうですね、色々な仕事があるのですが、害虫の駆除がメインのお仕事になります。現地にて籠とトングをお渡しいたしますので、ウゾウゾケムシを取り除いてください」
「ウゾウゾクモケムシですか」
「ウゾウゾケムシです。ウゾウゾクモケムシは別の昆虫です。彼らは益虫です。間違えないでください。現地にて下水管理人より説明を受けられます。この依頼の報酬は銀貨十枚です。またウゾウゾケムシの数により歩合が生じます。仕事の割合に応じて、最大銀貨二十枚の報酬を得る事ができますが、仕事の内容次第では減額銀貨五枚が最低保証になります。どうでしょう?」
一応エリシアにだけ目配せするが、エリシアは両手を顔の前に挙げて、私は皆さんに混ぜていただければそれでと言う雰囲気を出して来たので、受けることにした。
「わかりました。大体どれくらい時間がかかりますか?」
「午前中には終わると思います。報酬もその時お渡します。エリシア様は、こちらのギルドのメンバーではございませんね。臨時のチームということで処理いたします。各自ご了承ください」
エリシアの名前を把握しているのだな。顔見知りか。それとも――。
「はい、それと、もう一ついいですか?」
「なんでも、いつでも、答えられるものは、答えられるだけ」
質問ばかりでは嫌な顔をされそうなものだが、逆に笑みを浮かべられてしまった。
「すみません、下水道はどちらでしょう」
「そうですね。場所がわからなければいけませんよね」
受付嬢は笑って、ついて来るように促された。
案内されたのは掲示板で、広い街の地図のようなものが描かれていた。
現在地に赤いマークがついている。
「下水道の入り口は、右住宅地の奥になります」
指で施設からの道順を懇切丁寧に教えて貰った。
「ねぇお嬢さん達暇? 俺達、まだ仕事決めてないんだけど、一緒にやらない?」
複数の男が話しかけてきて、受付はにっこり笑みを浮かべた。
「申し訳ありません。私は仕事中ですので」
「あんたに言ってないよ。なぁ、あんた、俺達が一緒なら、仕事捗ると思うよ!?」
声がデケーよ。
あんたに言ってないよという言葉で、受付嬢の顔は凍り付いた。
普通に考えて仕事を一緒にしようと言うのだから、受付嬢のお姉さんには言ってないよな。普通に考えて。
声をかけられたのはラフィだ。
「なぜ俺が、お前達と仕事をしなければならないのか」
普通に美人だからな。
それより、声をかけてくる男っていうのは都市伝説かアニメの中の話だけかと思っていた。
これがナンパって奴か。
「俺達力持ちだからさ。仕事なんてすぐ終わっちゃうよ。そしたら自由時間も増えるし、お金もがっぽがっぽ儲けられるだろ」
俺を見るな俺を、ラフィに向けられた視線に見ないふりをする。自分でどうにかできるでしょう。ちらりと男の方を見る。
筋肉質――少し臭いな、何の臭いだ。
酒飲みって感じがするな。
俺より背が高い――物理で来られたら現実的に考えて太刀打ちできないから理論と法律で押し返すしかない。
エリシアがすっかり怯えてしまっている。
「わっ私達は‼ もう‼ 仕事は‼ 決まっています‼」
エリシアが必死そうに叫んだ。
「へぇ? 何の仕事? げっ下水の掃除じゃん。こんな仕事やめときなよ。俺達と一緒に迷宮に行こうよ。迷宮にさ」
男がエリシアに手を伸ばし、俺はその手を掴んだ。
ラフィはいいけど、そっちはダメだ。
「申し訳ありませんが、もう仕事は決まっています。私達はチームですので、これで失礼します」
「強気じゃん」
「俺、あんたみたいな強気な女、大好きなんだよ。とっておきの魔法の言葉、教えてあげようか?」
「魔法の言葉?」
男が俺の傍に寄って来て、耳元でささやく。
「俺の、でかいよ」
俺はその瞬間膝から崩れ落ちた。
「あれれ、もしかしてこういうのって初めて? 可愛い。うわぁかわいいじゃん。遊ぼうよ、気持ちいいし楽しいよ」
俺は両手で顔を覆ってしまう――こんな、こんな、こんな奴らですら童貞じゃなさそうなのに俺と来たら。もう悲しくてしょうがない。こんなアホみたいな奴らですら童貞じゃないというのに、どうして、どうして女って、もう何も信じられない。
つうか俺男なんだか、いや体は男でも女でもないって言われても、心は男なんだよ。
こんな男がいいって女もいるのだろうな――すごくショック。
こういう男がいいのね、はいはい、女の人ってこういう男がいいのね。肉食系って奴。
俺、こんな男より下なんだぜ、信じられないよ。
コイツは童貞でも何でもなさそうなのに、俺、真面目に生きているのに未だに童貞なんだぜ。
もうショックで辛いよ。悲しくなってきた。
女は元気で明るくて、ちょっと馬鹿で体力がある奴が好きだよね……。
俺の偏見だけど、アニメの主人公って大体そんな奴。
インテリは大体かませか悪役か参謀、いや、俺、インテリですらねーけど。
なんでインテリ幼馴染は負けなんだよ。容姿がダサいからか。
「フリーズ」
声がしたので見ると、ウィルが指を銃の形にして構え、立っていた。
「げっウィル」
「はいはい散った散った。ここはお前達の出会いの場じゃあない。仕事を探すところだ。わかってる? わかったら行きな」
「ちっ」
わかりやすいあからさまな舌打ちをすると男達は行ってしまった。
「ったく、朝からナンパとはいいご身分だよ。こっちは徹夜明けだよ」
俺は立ち上がった。
「大変ですね」
「仕事だからね。大丈夫かい? まったく馬鹿丸出しだろ。何を言われたか大体わかるよ。私も言われたからね。あぁいう奴に限ってヴルスチェンなのさ。やんなっちゃうねー」
やれやれとウィルは困った様相をしてみせた。
「もう少し遅かったら、奴ら血祭だったよ。私が通りかかってよかっただろう」
受付嬢を見ると、怒り狂った犬のような表情をしていた。みんな怒ると犬みたいな表情になるね。
「わたしって、そんな魅力ありませんかね」
受付嬢はウィルを見て、ウィルは俺を見る――俺に投げるなよ。
かぶりを振り、答える。
「あの方たちは一緒に仕事をしたい相手を探していたんです。仕事の異なる貴方は、そもそもその対象ではありません」
「だって」
だってと言い、ウィルは俺に同意し、ヴルスチェンってなんだと疑問を浮かべている俺を察したのか、近づいて耳元で。
「ヴルスチェンっていうのはね、小さいソーセージのことだよ。わかるかな。あれ、に良く似た料理があるのさ」
そう言った。なるほど。
「私の好物でね。もっとも私が好きなのはブルストの方だけれど。ふふっ」
「それ、私に魅力が無いってことですか?」
ダメだ――どう足掻いても逃げられそうにない。
「そんなことはありません。彼らも言っていたじゃないですか、強気な女性が好きって、つまりはそういう事なのだと思います」
「私ってつまり強気ってことですか?」
もうどうにかしてくれ。
そのあと、何度か理論で諭そうとしたが、感情には勝てなかった。
それからウィルに、女の子からの告白は絶対に断れないと言う法律の意味を聞いた。
要はモテ男を始末するための法律らしく、迷って誰か一人を決められないという男性に所帯を持ってもらうように促し、さきほどの遊び人のような人達にしっかりと責任を取らせるためのものであるようだ。
「多夫多妻制とか言っているけどね。滅多に見ないよ。だって全員を平等に愛するのって、無理だもん。最初から無理ってわかっている制度だよ。人ってあれでしょ、平等じゃないと不満が溜まるよ。オークだってそうだもの人だってそうだよ。だから滅多にないよ。一夫一妻制が基本さ。他はレア」
「そうなのですね。不倫は縛り首という話ですが」
「あははっ。まぁ、彼女たちは国に仕えている言わば法の番人みたいなものだからね、法にのっとり忠実に言うのさ。でも縛り首なんてここ数十年一度だって行使されたことはないよ。悪質なのにはそれなりの罰があるってだけ。ただ一つだけ言えるのは被害者は守られるってことだけだよ」
「貴方も法の番人ですよ。ウィル」
受付嬢がウィルをねめつけるようにそう言う。
「おっと、手痛いねぇ」
「そうなんですね」
「あまりひどいとちょん切っちゃうこともあるけれど」
「そう、なんですね」
俺はこの国では女の子でいることを決めた。
告白にはルールがあるようだ。
施設内にいる男性には告白しても無効というルールが存在し、寮なら男性寮、自宅があるのなら自宅にいれば、その告白は無効となる。
一番確実なのは、国の施設の中にいる事、この日は男性が安心して寝泊まりできるように施設が解放される。
「ただこう言っちゃなんだけど、国に使えている人間は、正しい者の味方ってわけで、施設内にいようが、追い出すぐらいのことは平気でやるから注意しなよ。貴方達は告白する側だろうけどね」
「そうなんですね」
俺そうなんですね、しか言ってないんだけど。
ウィルと話をしながらなんとか受付嬢をなだめ、やっと下水道に――道が少しわかりにくかったけれど、そのうちなれるだろう。
入り口は建物だったが、中に入ると通路に通され、外壁を上って外へ、外壁の上から見えたのは大きな水たまりがいくつか、処理場だろう。
規模が大きすぎる――光景も光景だが……。
外壁に付いた階段を下り――水の轟轟とした音が他の音をかき消してしまう。
この階段、壁に棒を差したように作られていて、隙間から下が見える。手すりがあるとはいえ、これは、怖い。
聞こえにくいが、下るたびにコンコンと音がする。
階段は金属で出来ているのだろうか。
下まで降りると今度は水の上にかかった手すりの無い橋。
これ人落ちるだろう――端から水面を見れば、あまりの深さに何か異形の生物がいるのではと勘ぐってしまう。
いや、実際魚の陰影はあり、何か……大きな生き物もいた。
さすがは――なんと言ったらいいか、俺はラフィに目配せし、テリトリーを流体にしてエリシアとトゥーナを包み込む。
「あれはゴルディオンサンドホエール。巨大だが、雑食性の大人しい水生生物だ。飲み込んだものを体内で消化し、砂として吐き出す。水を綺麗に、浄化するためにいれているのだろうな」
轟轟とした水音で声がかき消されるので、ラフィは耳元でそう声を張った。
そう言われてもこえーものはこえーんだよ。
「人間はさ、怖がりなんだよ。いい意味でも悪い意味でもな」
この轟音なら多少変な口調でもエリシアに聞かれることは無いと思い、ラフィの耳元でそう言ったら変な顔をされた。
だから変な顔するなっつーの。
肉食じゃなくともヒレで叩かれたら死ぬだろ。
心臓を跳ねさせながら橋を歩く。
すでに見えていた下水道の入り口は大きな円形、入り口自体は鉄格子で塞がれており、半分より下、四分の一ぐらいの水位で水が流れ落ちていた。
円形の入り口、鉄格子の脇に扉があり、入ると受付兼事務――だぼだぼの白衣を着た少女がいた。
「私は下水道を管理しているマドレーヌという物だ。仕事で来たのだな、さっそく頼むよ。下水道の中にはガスが充満しているかもしれないから、この防護服をつけていくといい」
小柄、銀髪銀眼、まつ毛まで銀色ってマジですげぇな。
光の加減で灰色にも見える。
シルバーグレイという色だろうか。
たれ目で何処かアンニョイだが、目つきは悪い。
マドレーヌの説明を聞いて、上着の上から防護服を着る。
「防護服には中和剤が入っているが、時間にして、約三時間程度しかもたない。その間に仕事をしてくれ。腕を見てくれ、腕に赤いラインが走っているだろう。時間が経つと徐々に黄色になっていく。三分の一ぐらいまで黄色になったら作業を切り上げて帰ってきてくれ。あっもちろんガスが必ず溜まっているというわけじゃなくて、そんな危険ってわけじゃないんだ。ガスが溜まっていて、それが有害の可能性もあるから、防護服を着てもらうってだけで。中和剤もガスが無ければ中和しないし、中和剤の減りにも差があるから、そこのところはよろしく頼む」
「まだ具体的な作業を聞いていませんが」
「あれ、そうだっけ……」
ぽりぽりとマドレーヌは頭を掻いた。
「この奥に、フィルターがあって、大きなゴミをせき止めているのだが、そのゴミを回収してほしい。あとケムシがいるから、それも回収してほしい」
「回収物はどちらに」
「リアカーと籠を貸すから、ゴミはリアカーに、トングも渡すからケムシは籠にいれてくれ」
「わかりました」
「そこまで危険というわけじゃないけれど、危険だという事も認識しておいておくれよ。充満しているガスを多量に吸ってしまうと一瞬で意識を失ってしまう。すぐには死なないから、もし中和剤の切れたものがいたら、焦らず外に出せば意識も戻る」
「わかりました」
「がんばってくれたまえ。あっあと、封鎖されているところには近づかないように。魔物が出るんだ。あっあと……これは、いいか? 一応言っておこうか。変なゾンビみたいな奴に会ったら注意してほしい」
「ゾンビみたいな奴とは?」
「よく、わからないんだ。ただそんな奴が生息していて、襲ってくるって話が出ていてね。よくわからないけれど、気を付けてほしいんだ」
「わかりました。ちなみにこの仕事で命を落とした方はいますか?」
「そうだねぇ、去年は二人いたかな。立ち入り禁止区域に入って、男女だったんだけど、魔物に襲われてね。まったく立ち入り禁止だって言っていたのに、防護服も着けてなくてね」
「そうなんですね」
「もういいかい? では行ってくれたまえ。くれぐれも気を付けてくれたまえよ。周りには同じ作業員がいるだろうから、何かあったら協力するんだよ」
背を向けると。
「あっ、ウゾウゾケムシは棘を持っているのだが、皮膚は貫通するから気を付けるように」
「はい」
「あっ、ウゾウゾクモケムシは不気味だが攻撃しないようにね」
「はい」
「あっ、回収物はここまで持って来てくれたまえ」
「わかりました」
「あっ」
マドレさー。俺の中ではすでにマドレーヌはマドレと略されていた。
適当に話を聞いたら奥の扉を開け――さらにもう一つ扉が、中に入り入ってきた扉が閉まると、前の扉が開いた。
全員がいることを確認し、奥へ進む――通路に手すりはなく、すぐ横では水が流れている。
リアカーは俺が引き、籠などはリアカーに積んでいる。
トゥーナが早速何か見つけたのか、トングで摘まむと、うねうねしたケムシみたいなのを掴んでいた。
「ケムシってこれ」
声が、こもって聞こえるが、他の者にもトゥーナの声は伝わっているようだ。扉の中に、外の水、轟音は聞こえない。
リアカーに積んでいる籠の中にポトリと落とし、リアカーは俺が引いているので俺はトングを使えないが、みんな顔を見合わせて、頷き、ケムシを摘まんで籠の中に入れながら進んでいった。
時折立ち入り禁止の看板と、脇より合流する水路――この下水道ってもしかして迷宮に組み合わせて作られているんじゃないかとそんな気がしてきた。
壁の穴から垂れる水の中には赤く張り付くミミズのような群れ、苔と、こんなところでも逞しく生きる生物はいた。動いているさまがまるで心臓の鼓動みたいだ。
時折水の跳ねる音、魚の陰影。
天井に換気のためか回っているファンが見える。
意識を一瞬で失うとなるとメタンガスか一酸化炭素か、または未知のガスか、酸素欠乏症ぐらいしか思い浮かばない。
空気が重々しい――他にも作業員はおり、こちらを一瞥すると作業に戻っていく。
防護服が思いのほか動きの阻害になっていて、こちらへ来て挨拶する余裕も、する必要もないのだろう。
広い場所に出る――空から入ってくる光、人々の足音が少し、時折影が落ち、誰かが上を歩いているとわかる。
腕を見るとほんの少し黄色に変わっていた。
広い水路の中、所々にフィルターがあり、ゴミ、というよりは枝などをせき止めていた。
みなで顔を合わせて頷く。
ゴミ処理に移り。思いのほか、空気の透明度は高く、ガスが充満しているようには見えない。
現に防護服をとって作業をしているものもいる。
単純に汗をかいて脱水症状になりそうなので、エリシアとトゥーナに、ゆっくり動くように促した。
幸い暑くはない。
ケムシ――だが、ぶよぶよしたどちらが頭部か判断の難しい黄土色の物体で、毛というよりは針が全身を覆っている。
針は一センチほどでまばらにあり、体をくねらせると針が動き、それで移動しているようだ。
主に水面にいて、ウミケムシと言えば、わかりやすいだろうか。
トングで摘まむには少しコツがいり、針の合間を縫って挟むと良い。
トング越しでも針の硬さと体の柔らかさを感じる事ができる。
トングは金属製なので、ケムシを叩くと、さすがに針は壊れる――中身がぐしゃりと広がって、紫色の液体と内臓らしきものが飛び散った。
トングで解体を試みる――内臓類で目立つのは腸のような長いもの、水を掬ってかけ血を洗い流す。
内臓から出て来たのは黒い砂のようなもの。
土や砂、微生物類を食べるようだ。
棘から毒は出ていない。何か毒性のものを含んでいたら、注意もあるだろう。殺してしまって申し訳ない、事後だが、謝っておく。
これならトゥーナとエリシアでも大丈夫だろう。
万が一、針が刺さることを考えて流体で二人を守っておく。
「過保護」
うるさいな。
ラフィにそう言われて目を細めてしまった。薄く延ばして表面を覆う。
針の硬さは金属>針>皮膚。
人の皮膚を貫通するほどの強度は持っているが、曲げるのには適していない。
これで釣り針などを作るのは無理だろうな。
トングで摘まんで籠に入れる――籠の中はすでにケムシで溢れていた。
「へっへっへへっへ」
クトゥーナ、ケムシ好きすぎ―。
どんだけケムシ取るんだよ。
「あっわっ……あっと」
エリシアが体半分を水に沈め、フィルターに引っかかっている枝を取ろうとしていて、マジでびびる。
流されたりしないでくれよとエリシアを手伝うことに。
「すみません、ちょっといいですか?」
ある程度枝を除去すると声をかけられて、見ると男が数人、防護服を着ていない。
「はい?」
「いえ、ちょっとすみませんね」
男たちは俺達を避けるとフィルターの前で潜り始めた。
目の下に化粧をしたスレンダーな女性、目が合う。
「フフフッ。ごめんなさいね」
男と女性は数回潜り、何かを取り除いた後、去っていった。
「なんだったんだ」
ラフィが傍に来る。
「あの感触からして何か貴金属を数点拾ったようだな。金属の棒状のもの、後は細かい貴金属が数点」
「枝を除去するのを待っていたのか」
良く見れば、辺りには防具服を着た人たちと、着ていない人たちがおり、着ていない人たちは積極的にフィルターの前に潜り、何かを取っては確認しているようだった。
防具服があると潜るのには少し邪魔なのかもしれない。
手袋は手を守るにはいいが、細かい動作を妨げる。
防護服で潜るのはお腹までかな――襟足の辺りにフィルターがあって、ここが半透過性。
声もここから漏れてくるので結構大声で喋らなければならないのと、声がこもって聞こえる。
当然潜ったままではそのうち酸欠になる。
必要なのが酸素かどうか。
俺とラフィは汗かかないけれど、汗をかく人は大変だろう。
「後で、あぁ言う人達のことを、それとなく聞いてみましょうか」
ラファにそう告げる。
「ところで、前々から疑問だったのだが、なに? その喋り方」
「何かおかしい?」
「普段と全然違う。なぜそんな喋り方をする」
「あっ‼ このっ‼ わっ‼」
「エリシア‼ 手伝うからあんまり深いところへは行かないで‼」
「ごめーん」
「別にいいじゃない。人の前では丁寧に喋るのが礼儀なのよ。私の中ではだけれど」
俺の答えに納得していないのか、ラフィは苦虫を潰したような顔をして作業に戻った。
「へへへへっへへへへっへへへへへ」
クトゥーナ、ケムシ好きすぎ、どんだけ取るんだよ。
エリシアが意外とドジっぽいっていうか、無邪気だ。
「ねぇ‼ とれた‼ とれたよ‼」
いや、あぶねって、そんな大きな枝振り回すなって。
俺も結構ドジだけど、妹の手前では、エリーの前では結構頑張ってお姉ちゃんしているのかもしれない。
今、俺の見た目はほとんど女性だし、集まるのが女性なのは仕方ないかもしれない。
ていうか男だったら仲間になるの男だと思うんだけど――いや、陽キャなら女性と組むことも可能だろうけれど、普通に考えて男性は男性と組むし、女性は女性と組むんじゃね。
普通に異性とはあまり一緒にいたくない――情が湧くし、肌が触れるようなら意識するし、すぐ好きになるし。
俺がこの体じゃなくて元の体で、普通にエリシアと一緒にいたら、俺、普通にエリシア好きになっていたと思う。
つうかラフィとか普通に好きになっていたと思う。
俺がこの体じゃなかったらそもそも二人も、そしてトゥーナもいなかったと思うけれど――それはそれで、気ままで楽でよかったかもしれない。
そうしたらそもそもこの体を守るなんて女性は無く、みな幸せに暮らしたかもしれない。
たらればの話をしても仕方がないか。
「きゃあああああああ‼」
女性の悲鳴が響いた。
「魔物が出た‼ 逃げろ‼」
「きゃああああああああああ‼」
甲高い悲鳴に耳が痛む。
あっという間に残ったのは俺達だけになり、さきほどまでそれなりにあった人のざわめきなどが一切なくなった。
「あっ」
エリシアが枝を落として、水しぶきが上がる――静かになった空間にその音は良く響いた。
「ごっごめんなさい」
「それより、エリシア、早く水からあがって」
「はっはい」
「ラフィ」
「あぁ……」
ラフィの視線の先――なんだ、人、魔物というよりは、人、人型の、老婆。
しわくちゃの、皮膚が木で出来たような存在が、震えながら立っていた。
身にはボロの布切れ、目に、何か目に、目を封鎖している、糸で縫われている。
口からは長い線が、髭のような、太い、糸のような。
よったらよったらと近づいてくる。
乾いた、音にすらならない音――口から洩れて、ホラーじゃねーか。
数は一、木の魔物――エンヴァ―メントグレイスツリーの種子。
「あっあぁ‼」
ドタリと音がして、思考から抜け出す――エリシアが倒れる音だった。
その音を聞いて、老婆は止まった。
止まって――そして駆けてくる。
トゥーナが俺の前に出て、腕を掴み、驚いたクトゥーナに睨みを利かせて俺の後ろに下がらせる。
「ラフィ、手をだすなよ」
そう告げるとラフィは向けていた手を下げた。
老婆は走ってきて、そしてこけた。
こけて、震えながらもがいていた。
エンヴァ―メントグレイスツリーの種子……なのか。
「トゥーナがやる‼」
「ラフィ、悪いけど、トゥーナを見ていてくれ」
「あぁ」
「なんで? なんで!?」
「察してやれ、あいつにとってお前は大切な存在なんだ」
「えっ」
ちげーけど、今はそれでいいよ、コイツら、すぐ殺そうとするんだもん。
本当に同じ人間かよ――命を奪うって心にくるもんだろ。
動物でもなんでもさ。さっきケムシの命を奪った俺が、言えたセリフではないか。
食肉作る人達って大変だって聞いた。
避けられる争いなら避ける――これが絶対鉄則、譲れない願い。
歌ってもいいぜ、何をって、何をだ。
もう人を殺したことのある俺だから言えるんだぜ、説得力あるだろ。
無いなら、もうあきらめるよ。
もっとも――これからもし迷宮探索などになったら、理由をもって魔物は殺さなければならない。これは避けようがない。
いい機会だからグレイスツリーを調べておくのも悪くはない。
「ラフィ、二人を下がらせてよ」
「私に命令か」
「違う。お願いだ」
「借しだぞ」
「友人に貸し借りはなしでしょう」
「口が回る。エリシア、クトゥーナ」
「やだ」
「トゥーナ、いう事を聞いて」
「絶対やだっ」
肩をすくめてみせる。
「ラフィ、エリシアだけお願い」
「でも」
「エリシア、私は大丈夫ですので、二人で下がってください」
ため息をつく。
「応援を呼んできますね‼ すぐ呼んできますから‼」
いや、応援は呼ばなくていいんだが。
グレイスツリーの種子がどれほどの実力なのか――。
「トゥーナ、いてもいいけど近づくなよ」
「……わかった。大丈夫なの?」
「あんま変な顔するなよ。辟易しちゃう」
「うぅ‼」
流体を身に纏い――近づく。
「言っとくけど何もするなよ」
「でも‼」
「何かしたら今日は添い寝しないから」
「そういう言い方ずるい……ずるい‼」
腕を尖らせて攻撃してくるとか、種子を飛ばして攻撃してくるとか、攻撃方法は色々あるけれど、どれもしてくる様子がない。
指を尖らせて攻撃してくることもある――目の前まで近寄って、もがいている種子の手を取ってみる。
柔らかい、意外と、種子の動きは止まっていた。
指の力を強めると、表皮の中に、硬い、骨のようなもの――種子が暴れて体を掴み、抱き着いてくる。
攻撃が来るか――身構えたが、攻撃というよりは、すがりついてくるかのような、目に付いた糸。
えっ、これ、もしかして、えっ――俺の全身の毛は逆立った。
急いで防護服を脱ぎ捨てる――ガスは流体を貫通するかもしれないが、多量に吸わなければ意識を失うことはないはずだ。それに――。
縋り付く手が俺の腕を掴む――痛みがない、柔らかい、肌がざらついている。
これ、人間だ――。
必死に縋り付いてくる――これで良く生きている。
目は縫われ、口に付いた紐のようなものも、糸だ――目は縫われ口は縫われ、指の握力がないのは腱を斬られているからじゃ。
足がおぼつかないのも、足の腱を斬られているからじゃ。
この状態でなぜ生きている――脇に手を通して、抱きしめる。
「言葉はわかりますか? 大丈夫、大丈夫ですよ」
ぴくりと肩が動き、顔が見上げてくる。
「もう大丈夫、大丈夫ですよ」
すがりついてくる老婆を安心させながら、急いで担ぎ入り口まで向かった。
どうしたらこんなひどい目に会うんだ――彼女を街まで連れて行っていいものか考えてしまう。もしかしたら極悪人の可能性もある、人外の可能性もある。
ただ縋り付てくる老婆を邪険にするのも――入り口に近づくとエリシアとラフィがおり、マドレーヌもこちらを見ていた。
銀糸竜の娘ならマドレ一人でも相当な戦力のはずだ。
「タチアナさん……それ」
エリシアが恐る恐る老婆を指さし、俺はマドレに目配せした。
マドレはこちらへ来る。
「それは、ゾンビじゃないか」
「違います。この方は人間です。なぜこのような状態になって、なぜこのような状態で生きているのかは不明ですが」
「そっそうなのか? 人間だったのか」
「ラフィ」
ラフィの名前を呼ぶと、察したのか、ラフィが傍にきて老婆の様子を見た――エナが老婆を覆うのがわかる。
「確かに、人間だ」
「うむむむ。こちらに、医療班を呼ぶ」
「その前に一つ確認させてください」
「なんだ?」
「この国の犯罪者は、目や口を縫われたり、手や足の腱を斬られたりしますか?」
「そんな非道な罰はない。死刑はあるけれど」
「そうですか。わかりました。医療班をお願いします」
「あぁ、わかった」
まさか人間だったなんて。
心霊スポットで血まみれの人間を見たら、十中八九、それは生きた人間で助けを求めていると思って間違えない。
中には驚かそうとメイクしている人間もいるかもしれないけれど。
幽霊がわざわざ血まみれで出てくることはないという話だ。
なぜなら血を流した姿をする必要が無いから、生前の自分の姿を魂が投影するとでもいうのだろうか、どうやってだ、魂が勝手に再現するとでも。
「あれ、フランベに似ているな」
ラフィが俺の傍にきて、ぼそりと呟いた言葉に愕然とした。
フランメルアンメリーチェ――まさか、まさかな。
彼女は過去の人間で――エリクシール、あの状態、行方不明、ピースがはまりすぎていて嫌な予感ばかりだ。
まさか、まさかな――そう思わずにはいられなかった。