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3

 石鹸を作れないだろうかとペラペラとページをめくる。


 しかしがっちりと掴んで離さないなこいつとクトゥーナを眺める。


 まだ子供だ、頬に……焼き印、左の頬には数字、首の周りにも数字の羅列がある、これが奴隷の証だとしたら最悪だ。


 この顔の焼き印と数字がある限り、例え奴隷から解放されたとしても、奴隷だったと迫害を受けるだろう。


 奴隷として絶対に逃げられないようにつけられた焼き印であることは想像にたやすい。


 クソだな、思わず悪態をついてしまう。


 奴隷なんてクソすぎる、簡単に想像してもらえばわかるが、今仕事やバイトをしていて、その報酬は無く、まずい飯を与えられるだけだったとしたら我慢できるだろうか。


 さらに理不尽な上司や先輩が無条件で理不尽な事を言い押し付けてくるのだとしたら、それがどれだけ辛いことかは想像にたやすい。


 休みもなけりゃ、生きがいもない。


 容姿が可愛い者ならば、慰み者になるだろうな、それが幸せだと感じる人間はマイノリティだと思うよ。


 ほとんどの奴隷は、思ったよりも、容姿が良くないだろうし。


 過労死しようが関係ない、恋愛も買い物もできない、物として扱われる、こんな事を言ってもしょうがないか。


 石鹸は……ペラペラとページをめくると、石鹸に近いものを見つけた。


 石鹸もスライムを利用するようだ。


 アルテミシアを食べさせたスライムの液体をウネの根を乾燥させ粉末状にしたものに混ぜる、と書いてある。


 ウネの根……絵を見るに、草の根のようだし、そもそも名前が根だ。


 お昼になってきたが、クトゥーナはお腹を減らしていないだろうか、ぴったりとくっついて眠るクトゥーナの寝息が聞こえ、大丈夫かと本に視線を戻す。


 石鹸の作り方を見るに、器に混ぜたものを入れ、しばらく時間を置くと個体になるようだ。


 クトゥーナはなぜ文字が読めるのに、本に書いてある便利項目を利用しないのだろうか……ちらりと見ると、机の上に、クトゥーナの日記が置いてある。


 手を伸ばしてページを広げると、少しだけページがはみ出した。


 他人の日記を見るなんて最低とののしられそうだが、俺、そういうの気にしない達なんだわ、ごめんな。


 本当に見られたくないものは脳内にでもメモしといてくれ。


 はみ出したページを手に取ると、文が書いてある。


 そこにはここにある本を読んではいけない旨と、俺のお世話の仕方、食事のとり方が書かれていた。


「んぁ~?」


 紙をなぶるように眺めながら、思わずそんな声が出てしまった。


 紙を眺めるに、クトゥーナの行動を制限しているように思える。


 十五代目が書いた、と考えるのが普通だろうか。


 クトゥーナには行動制限がかけられている――とみるのが普通だろうな。


 しかし蜂の処理した肉を用意するなど、何度か困難に直面した時、本を読んだのだろう、それがバレて罰を与えられるのではと危惧しているのかもしれない。


 依存されると依存したくなる。


 キスでもしてやりたくなる――他人で異性、例え子供でも自分の物にしたくなる、この少女を使って性欲処理するのはさぞ気持ちのよいことだろうなと考えて、そんな自分もまた俺なのだとわかっている。


 恋人のいなかった時分、寂しさが身に染みて嫌になる。


 他人の息遣い、ぬくもりを、逃すな、捕まえろと喉から手がでるように訴えかけてくる、それは俺なのか、それとも本能のなせる業なのか。


「キスなんかしたこともないくせに」


 己を否定する、よしよしと醜い自分を認め慰め抱えながら生きて行くのは大変だけれど、なだめながら生きて行くのは苦ではない。


 俺は決していい人間ではない――だからこそいい人間でありたいとも思う、思うだけで、やはり、性格はよくないのだろう。


 父と母には真っ当に育てられた、それこそ真っ当に愛情を注がれた。


 俺の本性を知ったら両親は悲しむだろうか、否、それでも愛するのだろうなと、それを嬉しく思い、悲しくも思う。


 だから何もしない――全てを隠して、俺という人間を作る。


 あんまり寝すぎると夜眠れなくなるのではとクトゥーナを起こし、ウネの根を探しに出かける。


「出かけるけど、何か簡単に食べられるものはない?」


 そう聞くと、クトゥーナは地下から生肉を持ってきた。


 表面にカビが生えているが、これは食えるのだろうか、腹壊すんじゃないかと思案している。


 クトゥーナの喉がゴクリとなって、肉を見ていた。


「クトゥーナ、これからは肉を生で食べるのはやめなさい」


「生は、ダメ?」


「生はダメ、寄生虫がいるからだ。魚も生で食べるのはやめなさい。というよりも基本的に生はダメだ。それと蜂に近づいただろ? これからは狩りも俺が一緒に行くから、ソロで行動するのはダメだ」


「ソロ?」


「一人で行動するのはだめだ」


「じゃあ、一緒?」


 魚を生で食べるなと言った瞬間だけ、クトゥーナの顔が少し泣きそうになったが、一人で行動するなと言ったら顔が明るくなった。


 そんなに俺の体と一緒にいたいのか、人を束縛する特殊な呪いか魅了でもかかっているのではないかと馬鹿な事を思ってしまった、ファンタジーならありえるのか。


「お腹の中が今朝みたいになるぞ、それと継続的にスライム薬を飲ませるからそのつもりで」


 返事をしない。


「わかった?」


「……はい」


「別に責めたり、虐めたりしているわけじゃないよ。もしかしたら胃が食い荒らされるかもしれないだろ」


 仕方ないって顔をしている。


「ずっと一緒?」


 返事をしないと安心しないのだろうけれど、その問いに、答えられそうにない。


 お前は俺の物だ、そんな馬鹿な事を言おうとして笑ってしまった。


 この世界で一人ぐらい俺のものになってもいいだろう、心の中で俺が俺に言うのだ。


 光源氏にでもなるかと笑ってしまう――この子は俺の物なんかじゃない、一人の善良な少女だ、いついかなる場合でも、尊重されるべき対象だ。


「その問いには答えられない」


 頭を撫でるとクトゥーナは顔をくしゃっとして泣きそうになった。


「ごめんな」


 一緒にいると言ってしまえば、責任を持たなければならなくなる。


 俺自体どうなるかわからないのに、気休めでそんな無責任なことは言えない――というのは建前で、もっと言ってもらいたいのだろう。


 俺が必要だと、肯定してほしいのだ。


 嫌な性格だと自分でも思うよ。


 食べ物を求める子供がいて、食べ物を持ちながら、簡単には与えない、意地悪が大好きで、愛するほどに意地悪したくなる。


 それでも必要だと言って欲しい、それでも傍にいると言って欲しい。


 自己嫌悪で死にそうだ。


 カビの生えた肉は木の皿の上に乗せ、とりあえず放置する。


 床に落ちていた古着を拾い、顔をしかめる。


 ここに住んでいた住人は基本的にワンピースタイプの黒い上着と、ズボンを着ていたようだ、靴はない。


 あっても腐っている、靴が腐るってどういう状況だよと思うかもしれないが、べちょべちょになっていると言えばわかってもらえると思う、もしくは乾燥して埃や砂にまみれている。


 ないよりはマシかと古着を足に巻いた。


 クトゥーナの足は靴を必要としないようだ。


 どう見ても人間とは構造が異なっている


「背に腹はかえられないか」


 着こんで教会の外へ出る――教会の扉、観察すると鍵が木の栓をするだけなので単純な作りだなと思う、扉もだいぶガタが来ており、金具は錆び付いていた。


 それでもしっかり機能をはたしているのを見ると、十五代目が交換したのかもしれない。


 海の近くだから、錆びつきやすいのはわかる。


 教会を出るとクトゥーナも付いてくる。


「そういえばさ、これ、誰が書いたの?」


 クトゥーナの日記より落ちた紙をクトゥーナに見せると、クトゥーナは顔を伏せた。


「ごっごめんなさい」


「いや、責めているわけではなくて、この紙、行動をかなり制限するものだ、こんな理不尽な条件、誰が書いたのかと思って」


「女神様が……」


「女神様? それは君をここへ連れてきた人の事?」


 そう聞くと、クトゥーナはこくりとうなずいた。


「ごめんなさい、本を見てしまいました」


「俺には君を怒る権限がない、文句を言う資格もないよ」


 おそらくその女性は十五代目の世話係で女神様ではない、特典もなさそうだ。


 クトゥーナが顔をあげ、俺はクトゥーナの頭を撫でる――俺の顔色をうかがうなというのは酷だろうか。


 付き合いが長くなれば、俺に対する接し方も変わるだろう、それを待つことにする。


 書かれた文章を安易に否定するのも間違えだろうか、十五代目が何をもってこの紙を書いたのか、真意を測りかねる。


 過去から続く物事には意味のあるものもある。


 例えば、好き嫌いせずに子供に食事をとらせることだ。


 俺の子供がブロッコリーを嫌いで、ブロッコリーを食べたくないとごねても、俺は意地でもブロッコリーを食べさせるだろう。


 ブロッコリーを食べるまでは席を離れるのを許さない、泣こうが喚こうが絶対に譲らずに食べさせる。


 これは別に、意地悪や食べ物を大切にしなさいという意味合いから行う事ではない。


 子供のうちに、折れなければならない、嫌でも我慢して行わなければならない事があると教えなければならないからだ。


 別にブロッコリーを無理して食べる必要はない。


 栄養なら他の物でも事足りるだろう。


 心を一度へし折ってやることは、子供にとって大事なことだと思うのだ。


 我慢を覚えさせる、世の中は理不尽で、大人になれば、理不尽な出来事は増えていく、それに対して耐性を持ってほしい。


 理不尽な出来事は起こった時点で回避できない。


 大人になったら、中学生や高校生になったらもう言う事など絶対に聞かないだろう。


 だから無理にでも言う事を聞かせられる幼年期に行うのがベストだ、これはあくまでも俺に子供が出来たらで、他人にしようとは思わないが。


 俺の子供なのなら諦めて貰うしかない、子供なんて出来そうもないけれど。


 子供がいじめを行うのは大人の責任だ。


 子供が暴力を振るうのは大人の責任だ。


 なぜ虐めはいけないのか、なぜ暴力はいけないのか、子供の頃にしっかりと教えるべきだと俺は思うよ。


 教えたってやる奴はやるだろうけれど、普通、親に殴られる痛みを知れば、他人を殴ろうだなんて思わないもんだけど、俺だけかもしれない。


 子猫だって痛みを与えるほど噛んでやれば強く噛まなくなるっていうのに。


 親がやらないなら誰もできねーよ。


 親になったこともないくせに偉そうに演説を垂れるなと反撃されそうだ。


 押しつけがましいだろうか、こんなことを、俺がする必要はあるのだろうか、クトゥーナに対して、偉そうではないだろうか、傲慢がすぎる、クトゥーナが上、俺が下だ。


 長く続く物事には意味がある――この女神、おそらく十五代目の世話係のメッセージにも何かしら意味があるのかもしれない。


 それを考えれば、簡単にこれを無視しても良いとは言えなかった。


 話を変える。


「ウネの根ってわかる?」


 フルフルとクトゥーナは首を振る――知っていたら石鹸作ってるよな、間抜けな質問をしてしまった。


 本を広げ、ウネの絵をクトゥーナに見せる――はっと顔を背けたクトゥーナだが、そのまま静止していると、おそるおそる絵を横目で眺め、コクコクと頷いた。


 クトゥーナが先導をはじめ、海沿いの崖を横目に移動する。


 靴があるのと無いのとでは、体にかかる負担にかなりの違いがでると聞いたことがある、そのうち靴は必要になるだろう。


 この世界に靴下はあるのだろうか、素足で靴を履けない派なんだが。


 どうやら海に向かうようだ。


 ウネの根は海に生えているのか。


 瞬膜で温度を確認しながら歩くが、スライムの陰影はない。


 崖沿いにも植物は生えているが、スライムは基本的に海沿いにいない――どうやら塩水が嫌いなようだ、崖上にいるのはなぜ……地下水があるからだろうか。


 おそらくは浸透圧が関係していると憶測する。


 崖を降り、砂浜に降り立つ――足が砂に沈む感覚、少し湿っていて、足に砂がまとわりついてくる。


 崖を見上げながら壁沿いに歩くと、植物の蔦が崖に張り付いていた。


「へぇ」


 誰かがここにウネの植物を植えたのだろう――ウネが生えてある根本の土が、浜辺の砂と異なっている。


 もはや勝手に成長し増え、管理がされていない感もある。


 根元を掘ると、木の枝みたいな根があり、土と砂地なので、意外なほどすんなりと抜けたが、根は長く、途中で切れてしまった。


「これでいいのか」


 本が汚れないように注意しながら根を絵と見比べて観察する。


 根と茎の境目でちぎる――このちぎった茎の部分を土に埋めると新しい根が生えると書いてある。


 もっと大変かと思ったが、意外と楽だった――ふと海を見ると、波が漂い、天候は曇り、波の音が痛いくらいうるさいことに気づいた。


 緊張していたのかもしれない、こんな大きな音に気付かなかったぐらいに、風の音がうるさいほどうるさい。


 海を見ると、少し興奮した。


 波打ち際まで行くと広い海が何処までも続いていた。


「異世界でも海は変わらないんだな」


 屈み波に触れる、冷たい、手にまとわりつく海水、生物でも探したくなるが、危険も伴うだろうから、それ以上は近づかないでおいた。


 否、異世界じゃないのかもしれない、ここは地球の何処かなのかもしれない、なぜ異世界だと思っていたのか、馬鹿だな俺は、固定観念が過ぎるのは、年を取った証拠だな。


 若者にとって、俺は老害なのかもしれない。


 嫌だな。


「戻ろうか」


 クトゥーナにそう告げると、クトゥーナは嬉しそうに喜びコクコクと頷いた。


 なぜそんなに嬉しそうなのか、俺が教会に戻るのが嬉しいのか、それとも俺に危害が及ぶのを鑑みて、すぐに帰って欲しかったのか。


 いちいち考えすぎてしまってダメだね。


 スライム避けに海水はいいかもしれない――もしかしてスライムを避けるために海沿いに教会を作ったのかもしれない。


 現にスライムは教会にまでは入ってこない。


 草原と教会に境目があるのかもしれない。


 色々考えられているのだなと驚いてしまった。


 教会に戻ったらさっそく石鹸を作る――とは言ったものの、この根を乾燥させるのはいいとして、粉末状にするってどうやるのだ。


 砂が足の裏についているので、玄関で払う――なるほど、よく見ると教会と草原との間には砂がある。


 砂に含まれる塩分でスライムが教会に入らないようにしている、それを知ったら、なぜだか少し泣きそうになった、先代達の創意工夫がこの教会には詰まっている。


 教会に入るとすぐに礼拝堂――この礼拝堂にも意味があるのかと考えてしまう。


 朽ちて並べられた椅子、小さな台座、窓ガラスなんてなくて、木の枠で塞がれた窓は、持ち上げて木のつっかえで開閉する。


 その全てに彼女たちの幻影を見て、なんとも言えない気持ちになる、それは甘美で楽しいもので、その中に混ざっているかのような錯覚も覚える。


 クトゥーナの部屋に入り、火を付けた竈の傍に根を放置する。


 皿の上に放置していたカビの生えた肉を眺める――これを食べないとダメなのか。


「普段からこれを食べているの?」


 そう聞くとクトゥーナはこくりと頷いた。


 昨日出てきた肉もおそらくこれなのだろう、うまかったし、体に影響もなかった、しかし緑やら黒やらのカビを見るとどうも……蜂のこともあるし、考えるだけ仕方ないか。


「どうやって食べるんだ?」


 そう聞くと、クトゥーナは肉を持ってそのまま口に入れようとしたので腕を掴む。


「だから生で食べるなって」


 そう言うとクトゥーナは肉を棒に刺して竈の火に近づけた。


 そうやって焼くのか……ワイルドなのか、それは。


 竈の傍にあるツボみたいなのから何かをつまみ、肉にまぶしている。


 興味があったので傍に行き、壺の中を見てみると、黄色い砂のようなもの、少しつまむとざらつき、塩だと手触りから直観する。


 ぺろりと舐めてみると、やはりしょっぱかった。


 おそらく海水を何時間も煮込んで作ったものなのだろう。


 あまり綺麗じゃないが、自然から作ればこんなものなのだろう。


 竈の傍には金属の棒が二本あり、なんだろうと手に取る。


「これは?」


「つける」


 クトゥーナはそう言って、竈の火を指さした。


「へぇ」


 竈の傍で、棒を棒でこすると木花が散った。


「これは便利だな」


 気が付かなかったが、これで火をつけていたのだろう。


 少し錆びており、少し重い、旅に出る時はぜひとも欲しい一品だな。


「薪は拾ってくるの?」


 そう聞くと、クトゥーナはコクコクと頷いた。


 偉いなと口で言いそうになり、喉から出かかった言葉を止めた――偉いだなんて上から目線、一体何様なのだと、少し笑ってしまう。


 火を見ていると落ち着く、古着を置いて火の傍で横になる、温かい、炎の匂いがする。


 汚いものすべてを浄化してくれるような気がする、気がするだけだぞ。


 クトゥーナが肉を見ながら、ちらちらと俺を見ている、なぜ俺を見る。


 肉は直火に当てないのがコツのようだ、遠赤外線効果という奴だろう、こういう体験は初めてだった。


 肉の焼けるいい匂いがする――煙は竈の上に設置された石の煙突により外へ排出される。


 竈というより、暖炉と言った方が正しいのか、暖炉兼竈だろうか。


 表面のカビが焼けて落ち、肉汁が滴るのを見ると、涎が口の中いっぱいに溢れてきた。


 涎が出るということは、人間的構造を俺がもっているという根拠になるのではないか、なぜそんなことを思うのか。


 排泄が無いことから、体がゴーレムのような無機物で構成されているのではと疑ってしまう。


 しかし確かに心臓の鼓動があり、血の流れている感覚はある。


 肉は時間をかけて、火に向ける方向を変えながらじっくりと焼いている。


 何度かクトゥーナがもう良さそうな表情を俺に向けたが、俺は首を振った――ゴロリと天井を見上げる。


 岩でできた天井だ――建物自体がすべて岩を原料に出来ている。


 海水、塩水による劣化を防ぐために、木材ではなく岩を使ったのだろう。


 しかし岩が風化しないわけではないだろうに、建物自体にも何らかの工夫、もしくは岩が特殊なものなのかもしれない。


「知らない天井だ」


 なんとなくそう呟いていた。


 ベッドもいいが、こうしてゴロリと床に眠る方が俺は好きだ。


 クトゥーナが潤んだ目で俺を見下げている――何を求めている。


「お傍に」


 どういう意味なのか、頷くと、クトゥーナが隣で横になった。


 横目で俺を見ている――まだ何かあるのか。


「近くに」


 なるほど。


「別にいいよ」


 そう言うと、クトゥーナの表情がぱっと明るくなり、傍に来て、横になった。


 目を閉じる、湿った土の匂い、肉の匂い、ひんやりとした空気と、火が与える温もりが体の半々を分ける、クトゥーナの息遣いを感じる。


 生き物の温かさだ。


「聖女様?」


 クトゥーナが不安げに聖女様と聞き、俺は目を開けた。


 俺を見るクトゥーナの頭を撫でる。


 眠れるというのは幸せな事だ。


 俺は聖女ではない、例え体が女だったとしても聖女なんて呼ばれるようなものではないと、そう言おうとしてやめた。


 ゴリラなんだよな……。


 人間とゴリラのDNAが約98%一緒ってもうそれゴリラなんだよな。


 いや、ゴリラと呼ぶには筋肉が足りないだろう、ゴリラになりたい丸座衛門なんだよな。


 DNAがほとんど一緒の時点でもう人間は猿の一種で確定じゃね。


 息の感覚が長くなっていく――意識は薄れ、俺はまどろみの中に沈んでいった。


 こういう時、ふと、昔の夢を見ると言うが、高校生の時の夢を見た――しかしそれは、遅刻すると走っている夢だった。


 ポタリと頬に水の垂れる感覚、屋根から水漏れしているのか、ごろりと横を向き、腕をついて、開けた目は光を受け痛く、視界にはぼんやりと、目の前に――ブロンドの女性。


『何があっても、何処へいっても、例え離れ離れになったとしても、わたくしはいつもあなたを思っています』


 パッと目が覚める――これも夢か。


 夢の中の女性は涙を流して俺を見下ろしていた。


 その垂れた雫が目元からまつ毛のラインを抜け、目尻より垂れる――まるでそれが俺の涙のように、思わず目元をぬぐってしまったが、濡れてはいなかった。


 アトゥルナトゥル。


 ゲームの中で作られた俺のホムンクルス、確かにその姿をしていた。


 ぽりぽりと頭を掻く――昔とは違い、起きたばかりでも視界がぼやけることはなく、頭が重いこともなかった。


 夢を見るのは稀だ。


 横にはクトゥーナが寄り添うように眠っていて、疲れているのかもしれないと、頬を撫でる、今日やっと寄生虫から解放されたのだから、体は休みを必要としているのかもしれない。


 つうか寝すぎじゃね、でも猫は大抵寝てるから、これでいいのか。


 しかし足を動かそうとして、足の指がまだ上手に動かない事に気づき、若干のイラつきを覚えた。


 眺めているだけでイライラしてしまう、クソッこのっ。


 この世界が、フラグアサシネーションオンラインの中であることを考えてしまった。


 ゲームと思っていたのは、プレイヤーだけだったのかもしれない。


 しかし、グラーヴェル聖王国やサクシアなんて国は聞いたことがない。


 過去の国の名前はドミナス、民主主義国家で、王国ではない。


 魔人による侵略を一身に受けた国で、他の国はほぼ壊滅していた――他の人類が生き残っていないわけではなく、各地にほそぼそと暮らしている設定だったはずだ。


 スライムの形一つとっても、ゲーム時とは異なっている。


「何処へ行っても……何があっても……心はお傍に……」


 クトゥーナの呟いた言葉が夢に出てきた言葉とそっくりでびっくりしてしまった、いや、逆なのだろうな、クトゥーナの呟いた言葉を夢に投影したのだろう。


 古着をクトゥーナにかけて、ウネの根の様子を眺める――乾燥しているのかどうか、触ってみた感じ乾いているけれど、しまった――肉を焼いたままだった。


 火は炭の中でくすぶっており、焦げてはいないが、乾燥肉のようになってしまっていた。


 外はまだ明るい、体感二時間ぐらいだろうか、クトゥーナが齧る前に、少しだけ肉を齧っておく、あまじょっぱい、硬いな、でも悪くない。


 肉のジューシーさや甘さは蜂によるものだろう、寄生されるのは嫌だが、死なないとわかれば大した問題ではない。


 粉にするのはどうすればいいのか、本を眺める――次のページに粉にする方法と注意事項が書いてある。


 一番楽なのは冬を待つ方法、乾燥させたあと、寒い夜を見計らって軒下に吊るし一晩おき、カチカチに凍ったところを砕く。


 今そもそも冬じゃないんだが……炭になるまで焼き、それを砕いて粉にする。


 これはいいかもしれない、さっそく焼いてみるか……と思ったが、なんとはなしに次のページを見ると、焼いて砕くと効能が弱まるのでやめるようにと書いてあり、キレそうになった。


 これ絶対罠だろ、なぁ、これ絶対罠だよな。


 その次のページには簡易な方法として、スライスして煮出す方法が書いてあり、殺意がわきそうになった。


 粉にする必要すらねーじゃねーか、この野郎。


 スライスすると言ってもナイフがな……クトゥーナを起こすのも気が引ける。


 机の引き出しを何個か開けると、綺麗に整備されたメスのようなものがいくつか入っていた。


 手に取ってみると、新品というわけではなく、研いである。


 金属のメス……ナイフと呼べばいいのだろうか、本を見る――根は良く洗い、土を落とし、火で軽くあぶり、ゴミを落とす――ナイフでスライスし、入れ物に入れ煮、沸騰させないように気を付けながら、混ぜ、トロミが出たらウネを取り出し、スライム薬を入れて容器に移し冷めるまで待つ。


 木の蓋を開けスライムを見ると、色が透明になっていた。


 すでに消化されている――だと、スライムの消化吸収スピードはそこまで悪くないようだ。


 アルテミシアを一度吸収したスライムは再度アルテミシアを溶かし、吸収するのに時間がかかると書いてある。


 お腹いっぱいだから、しばらく無理だよという事らしい。


 別のスライムを捕まえてきて最初から作り直した。


 礼拝堂に行くと日は沈みはじめており、椅子の上に容器を置いて、木窓を閉めて、カンテラの油に火をさす。


 真っ暗よりは最低限の明かりがあるだけで良い――トイレまでの通路の明かりはクトゥーナにとって良いだろう。


 俺の目は昔より夜に馴染むのが早い――目が良いのだ。


「うぁあああああ‼ あぁぁああ‼ あああああ‼」


 急に上がった声にびっくりした――ガシャンガシャン物が散らばる音がして、階段を駆け上がる音、降りてきて、礼拝堂に来ると、クトゥーナは俺を見てかたまり、泣きじゃくると、俺の傍に来て服を掴んだ。


「どうした?」


 泣いて何も言わないクトゥーナの心情を測りかねる、どう接すれば良い。


 抱き着きたい、甘えたいが、俺に嫌われるのではないか危惧しているのか、それとも怖い夢を見たのだろうか、俺の服の裾を掴むのは、甘えるに甘えられないからではないか。


 クトゥーナはまだ子供だ、親に甘えたい盛りだろうに、肝心の親がいない。


 クソがッと悪態をつきたくもなる、親は亡くなったのだろうか、それとも親に売られたのだろうか、しかし安易な想像で物事を決めるのは間違っている。


 俺の想像は所詮俺にとって都合のいい想像でしかない。


 少女が何を望んでいるのか言わなければ、俺には少女の心を理解できない。


 頭を撫でると、一瞬だけ泣き止み、服から足にしがみついた、ここまでするのであれば、抱き上げても問題ないだろうと手を伸ばしたが、足から離れようとしなかった。


 クトゥーナの体温は高い、ずるずると鼻水をすする様――そういえば俺は体調が悪い時、良く寝ていた事を思い出しはっとする。


 もしかしてクトゥーナは今体調が悪いのではないか、足から無理やり引きはがすとクトゥーナは絶望に染まるような表情をして泣き止んだ。


 屈み、額に手を当てると熱い――心なしか頬も赤い。


 髪を分けて両手で頬を掴む。


「うぅ?」


 鼻水の垂れた顔、涎で顎がべっとりしている、ひどい顔だ、それをより愛しく感じるのは父性のなせるわざなのか、本能のなせるわざなのか。


 額に唇を這わせる――熱いな、唇を離し聞く。


「ふらふらするか?」


「ぅう?」


「目が充血してる」


 俺は医者じゃない、風邪としか判断できないな、どうすることもできない、診断がそもそもできない。


 安静にして治してくれとしか言えない。


 近くに町や村があれば治療できるだろうか。


「らい、らいちょうぶ、なので」


 大丈夫じゃないだろう。


「らいちょうぶ、らので、すてないれ、くらさい」


 そう言って俺の服を強く掴む、爪が腕に少し擦れ、痛みを感じた。


「らいちょうぶ、らので、すてないれ」


「大丈夫だ、何処にもいきやしないよ」


 抱え上げると、ホールドするように抱き着いてくる。


 そんなにこの体と一緒にいたいのか、二階の俺の部屋に連れていき、ベッドに寝かせようとしても、俺から離れようとしない。


「そばに、そばに……」


 どれだけ傍にいたいのだと、ベッドに寝かせても俺の服を離すことはなかった――仕方なく一緒に眠る。


 この布団も、洗ってあるようで一見すると綺麗だが、ほつれや汚れ、埃がある。


 もしかしてハウスダストアレルギーの線もあると、なんとはなしに思った。


 昔俺はハウスダストアレルギーだったからだ――自分でも気づかなかったが、部屋にいると目が赤くなり、咳が出て鼻水が出た。


 普通に風邪か食べ物が問題かと思っていたが、どうやらハウスダストアレルギーだったようだ。


 部屋を掃除して常に空気を入れ替えていれば、快適に過ごせた――ハウスダストアレルギーは多い。


 ハウスダストアレルギーとはダニの死骸やフン、カビ、細菌、花粉などの微小なものでアレルギーを起こしてしまう現象だ。


 体が冷えている――体を寄せて、足に手を這わせ、こすり、温める。


 俺もガキの頃、母親にこうしてもらったものだ。


 しばらくそうしていると、クトゥーナの寝息はやがて穏やかになっていった。


 しっかりと掴んで離そうとはしないが――途端、クトゥーナの目が開き、牙を剥きだして俺の肩に噛みついた。


 瞬間的な痛み――痛みによる拒絶、腕でクトゥーナを押さえるが爪を強く肉に食い込ませて離れまいと。


「このっ」


 ゴクゴクと喉の鳴る音、コイツ、俺の血を飲んでやがる。


 力が強い、抑える手と拮抗し、震える手、いてぇ、血を飲まれている。


 吸血鬼という単語が脳裏を流れ、このまま血を飲まれたら俺はどうなると恐怖が駆けあがってくる。


 俺は血液をどれくらい失えば死ぬのか、それとも俺も吸血鬼になるのか、吸血鬼なんて信じるのか、クトゥーナは引きはがそうとする力に対抗する構えを取っているので、逆に後頭部を押さえ、口を肩に押し込む――牙の形状からこの方が抜けやすい。


 牙が抜けたら首に手を入れて引きはがす――食い込んだ爪が肌を切り、全身に痛みが走った。


 俄然好きになったわ。


 俺は俄然クトゥーナを好きになった。


 イカレテやがる――。


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