25
ちょっと変かもしれません。二章はここで終わりです。
静寂は、突如として破られることになる。
日の出と共にやってくるうるさい鳥どもの声が、その日はなかった。
山海がなぜこちらに来て、自分らと逆方向に行ったのか、考えていなかった。
なぜ動物は山海の傍を離れなかったのか、考えていなかった。
なぜ、こうも平和だったのか、なぜ、こうも魔物に出会わなかったのか、なぜ、こうも静かなのか、遠くにいたべへモスが一体何に対して吠えたのか、考えていなかった。
――お湯を沸かして飲んでいた。
木枯らしの音と共に、それはやってきた。
森の中にいる――森の中にいるはずなのに、体は宙に浮いていた。
粘度を伴った空気は呼吸を妨げ、テリトリーで異変に気付き警戒した時には、視認した時には伸びきて来た触手が俺を捕らえていた――クトゥーナ、宙を漂うクトゥーナは困惑し、呼吸ができなくて困惑し、触手に捕らえられた俺に困惑する。
目算10kmの距離を一瞬にして詰めて来た。
「上に行け‼」
首を振り、こちらへこようとするクトゥーナに顔を歪める。
ここは森の中なんだよ、それなのに、まるで、海の底にいるかのような圧力と重圧を感じる、否実際にそれだけの圧力が体にかかっていた。
目の前にはイカがいた――巨大なイカだ。
足一本ですら俺よりはるかに大きい。
スキュラ――なんでこんなところに。
普通は迷宮の奥底に封じられているような奴だろうがよ。
イカの頭が先端から四つに花開くように分かれていく――現れたのは人の上半身、骸骨にクラゲのような肉を纏った人の形をした何かは、触手に捕らえた俺に向かい、吠えた。
口から落ちる、どろどろの黒い物体、溶けかけた肉、大量の頭蓋骨――遥か空間すら歪めそうな大音量と不快感は、俺を狂わせるには十分だった。
まさか、俺を追ってきた部隊の――敵とは言えジョダスやアメリアが脳裏に浮かび、敵とは言え、殺されそうになったとはいえ、こんな最後になっていてくれるなよと――。
流体を纏う――纏った流体は尾と爪をなし――。
「炸裂しろ‼」
カオスに命じると激しい爆発が起こる――触手から抜け出し。
オーバーマインド――テンタクルフラウ。
空間より現れた無数の触手が触手と絡み、引っ張り合い、俺は炸裂しろの爆発に巻き込まれた体を翻す。
翻りながら繰り出した雷神槍――クトゥーナに向けて放った槍は、クトゥーナの服を引っかけてクトゥーナを遥か頭上へと運んで行く――それを見る間も無く、スキュラの口が開くと無数の渦が生じ、渦巻く空気の流れに引きずられて体の制御を失う。
目まぐるしく回る視界の中で、体を制御しようともがき。
「炸裂しろ‼」
無我夢中で叫んでいた――何かが炸裂し、俺はそのまま爆発に巻き込まれて吹き飛ばされる。
何度も木や枝に叩きつけられ――慣性に引きずられて動けずに、手をがむしゃらに、枝を掴み、右手の指二本で支えた体重に、自分でもよく支えられたと驚く。
まるで月の上にいるかのような錯覚、月なんか行ったことねーだろとツッコみをいれる。
左手の表面と頬がヒリヒリとしていた。
焦属性魔術【炸裂しろ】の威力を防ぎきれずに焼けていた――。
妙な触手のぬるぬるとした姿だけが妙によく見えていた――激しい衝撃を受けて地面に押し付けられる。
気づいた時には地面の上にいて、少し体が跳ねていた。
「うぁ」
目を見開いて、何が起こったのか考える間もなく、こみあげてきた液体。
ただ、そう、ただ、何個かの頭のネジが吹っ飛んだ感覚と、血を吐こうが死にはしないのだろうなと、なぜだかそう思って。
背骨が割れた感覚というものを初めて知った――目が大きく見開く、目が大きく見開いて、名状しがたい不器用、身動きを阻害する重く鈍い痛みに襲われて、
口からは乾いた「あ」という音がこぼれるだけ、体を起こして、脳は逃げろと告げるのに、体がいう事を聞かない。
付いた手が地面に癒着したように離れない。
ズガンッと金属の壁が俺を囲み、スキュラの何かが勢いを持って壁に振り下ろされてくる。
死を覚悟して、上空で打ち付けられるそれに恐怖する――。
死ぬって言うのに心臓の音がやけに大きく、冷える……。
スキュラの何かが降り降ろされ、それは一間の後、衝撃、圧力となって俺に襲いかかる。
体が潰された――そう思った。
体が潰されて死んだ――そう思った。
『お……だ‼』
「死んでねぇ」
死んでない事をむしろ不思議に思う。
『アイアン……ルじゃ……げない……だ‼』
マロ――マロが何か言っている、再び振り下ろされた拳が鉄の壁をひしゃげていた。
やべぇな、そんなアホな感想しか出てこない。
ひしゃげた鉄の壁のゆがみ、眼前まで迫る拳、眼前で止まった拳を見て、笑うしかない。
大きく息を吸い込む――胸がいてぇ、胸の中がいてぇ、肺が傷ついたのは容易に理解できる。
口からはとめどなく血のような何かが噴き出してくる。
なんともまぁ、間抜けな顔だ。
聞こえていたマロの声が何処か遠い、振り下ろされた拳の衝撃で音が飛んでいた。
持ち上げられていく拳――理不尽すぎるだろ。
俺が何したって言うんだ。
逃げる、むかつくな、クトゥーナを連れて、なんで俺、お前に攻撃されなきゃならないんだよ。
怒りと闘争と、怯えと怯み、腹立つ、強がり。
それ以上に恐怖で体が縮みあがっていた――逃げたい、ただそれだけ。
なんでまだ生きているのかわからない――絶望に似た諦め、それ以上に、逃げたい、ただそれだけ、逃げたい、逃げたい、逃げたい、逃げたい。
心が折れていた――絶対に勝てないという怯み、意思の低下、戦意の喪失。
マロがいた、目の上に、差し出された小さな白い手、必死の顔、なんでそんなに必死なんだよ、今にも泣き出しそうな顔、タヌキのくせに。目に涙まで貯めてやがる、手を取るとグイと引っ張られて、轟音と埃が舞った。
遠かった音が帰ってくる――シュタリと降り立ったカオスが、口から激しい炎を吐いた。
炎はありえないほど上昇していく。
あぁ、あったな、こんな設定。
ドラムを叩く音が聞こえたような気がした――激しいドラムの音。
ベースとギターが入り混じった、張り裂けるような戦闘曲。
重力フィールド。
かつての仲間の残像が見えた。
あぁ、俺、折れてたわ。
ソロだと、よく折れてた。
時間がかかる戦闘になると、これは勝てないと言って諦めていた。
ちょっと強い奴がいると、こいつには絶対に勝てないと言う未来を想像し、そんな現実に耐えられず、争いを避けた。
人付き合いでもそう――覚悟を決めるのに、いつも時間がかかる。
転校ばかりしていた俺が、大会で昔住んでいた地域に来て、見えて来た会場近くの昔通っていた小学校を見て、先生に、あそこ小学校なんですよと言った。
すると先生は、あれは中学校だよと言った。
いえ、あれは小学校……。
先生は続けてあれは中学校ですと断言して、俺はそれを否定できなかった。
昔、通っていたのにね。
俺は大会でボロ負けした――俺の自信というものが瓦解したような気がした。
俺のメンタルってそんなもん。
木の影まで連れていかれる。
マロの声が聞こえない。
はぁはぁと息を吐いているのに、その音が聞こえなかった。
しかし十秒ほどすると、じょじょに音が帰ってくる。
「……かり……ん……する……だい……しっ……しっか……す……だ‼ しっかり……のだ‼ しっかりするのだ‼」
「あぁ……」
『良かったのだ』
中途半端に開いた口、右手でぬぐうとべたついて、顎元まで広がった液体、もう乾き始めて、ケチャップを渋くまろやかにしたような味、それが血であることを告げる匂い――。
この臭い、嫌いだ。
「やられた……」
普通に考えて、あの質量に押しつぶされたらそりゃこうなるよ。
いくらテリトリーで守っているとしても、テリトリーは金属ほどの強度しか持っていないなら、アイアンウォールをひしゃげる一撃が放てる時点で防げない。
何もしたくない、諦め、誰か助けてと喉から出かかって、口から血がこぼれた。
誰も助けてなんてくれないよ。
陰キャってさ、基本ソロなんだよ。
他人と比べられないから、自信もないし、すぐおどおどするし、話しかけられると何を話せばいいのか頭が真っ白になる。
繊細で、本当はみんなと仲良くしたいけれど、コンプレックスとか、人の悪意に敏感で、悪口を言われると、仕方ないって。
逃げるんだ、逃げる。
ストレス――ストレス、ストレス。
このストレスから早く脱したい――。
情けない奴。
ハルポンの声が聞こえたような気がした。
どんな攻撃だって、あたしが防いでやるよ。
ほらっ起きて。回復しといたよ。
DKが手を差し出して来る。
回復したって、お前俺に銃撃っただけじゃん。
ははっだっせぇ。
うるせぇ――守男の声。
そして必ず、微笑むニャンコが答えをくれる。
「大丈夫なのだ!?」
「カオス‼」
本当に死ぬかもしれない。
マロとカオスがいなかったら、すでに死んでいるか、木の影に隠れて蹲っていただろうな、全速力で逃げていたかもしれない。
守るべき子供であるクトゥーナすら見捨てて逃げたかも……。
折れてる――縮みあがっている。
逃げる、逃げたら、ここで逃げたら、ここで逃げたなら、何も見なくなったら、俺はもう、ダメな気がした。
クトゥーナは平気だろ、もう逃がしたじゃないか。
なんだ、そこまでクズじゃないじゃないか俺は。
なんでも逃げて来た、嫌な事から逃げてきた。
それでも、それでも、耐えて来られたのは、最後の最後には、絶対に逃げてはいけない時には、逃げないと、自分からは逃げないと自負していたから。
それが砕けた気がした。
殺す――いざという時、体が傷つくと、不思議とやる気が出るんだ。
これ、強がりって言うんだよ。
「殺すわ……」
血が出ると、むしろ冷静になる――。
あんなに焦っていたのに、あんなにストレスに飲まれていたのに、血が出て、しばらくすると、妙に冷静になるんだ。
なんだか俺がもう一人いるような感覚に襲われる――何かが俺の傍にいる。
木に手をついて立ち上がる――可動するたびに胸の辺りが痛い。
スキュラがこちらを見ていた――真っ黒な目でこちらを見ていた。
やっぱ怖いわ。
指を鳴らす。
「マテリアライズ」
作り出すのはありったけの槍、なんで槍なんかこんなに作ったのか、俺にも理解不能。
作り出されていくウージーと弾丸。
鼻で息ができなくて、フンフンって鼻を強く吹くと黒い塊と液体がドロドロ出た。
俺が作れる強度の槍が地面や木々に突き刺さる。
ペッと口の中にたまった血を吐き出して、下にゆっくりと落ちていく青い唾液混じりの液体――。
そういや俺、頸をまだクトゥーナに教えていなかった。
これは俺が守男に教えてもらった頸というもので、本物の頸かどうかはわからない。
「頸の習得なんて、簡単だよ」
守男はそう言った。
「腕立て伏せあるだろ。最初は両拳使っていいから、お腹の横に拳を構えて、腕立て伏せの恰好で、それで腕の力だけで体を持ち上げるんだよ」
何言っているのか、わからなかったよ。
それじゃ腕の筋肉が全てって言っているようなものだから。
これが頸なのか。
「重いだろ? 何日か繰り返していると、この重さを自在に操れるようになる。衝撃で体が浮かせられるようになる。そしたらそれを立った状態でやればいいだけ」
あぁ、うん、ダメだこれ。
自分で独自に調べた結果だけれど、大事なのは重心移動と速さだ。
時速20kmで走る車と40kmで走る車、ぶつかった時衝撃が大きいのは後者だ。
質量は同じだが、ぶつかった時の衝撃は段違いだ。
これを人間の腕でやる。
重心を腕に持っていく、何言ってんだって話だが、野球のピッチャーみたいなもの。
片足を上げて、重心を片足にかけたら体傾けるだろ、重心が移動して腕に体重を乗せ投げ、最後に踏み出した足に体重が乗って体を支える。
寸頸は、寸じゃなきゃダメなんだよ。
寸を前提に体重かけるんだから。
肝はスピード。
自重とスピード、二つがそろって頸がなる。
頸の威力の正体は、自重とスピードだと思っている。
重くともスピードがなきゃ威力でないし、軽くてスピードあっても威力は無い。
銃だって鉛玉が一番でしょう。
なんでって重いから。
鉛玉なんか撃ったことないし、銃の構造なんて興味もないし、本当にそうなのかなんて知識もないけど。
重さと速さ、つまり柔軟な筋肉が求められるわけで、当然ただマッチョになるだけでは意味がない。
筋肉は脂肪より重いよ。
でも柔軟じゃなきゃ体全体が上手に稼働しない。
なぜ脱力するかって、そりゃ速さが必要だから。
脱力が奥義なわけじゃなくて、速さを出すには脱力しなきゃだめだって言う話。
最後に、守男にはこう言われた。
「動画とかでやってる人いるけど、真似しようと思うなよ」
って。
手を見ればわかるけど、一般人とは大きさが違うでしょうと、大きさも手の皮の厚さも違う。
普通にやったらもちろん手が壊れると言われた。
皮がむけるだけならいいけれど、骨だって折れることはある。
体を鍛えていない人だと、わかりやすく腕の付け根が痛くなるって言われた。
そして俺は腕の付け根が痛くなり、そう言ったら、馬鹿だって笑われた。
頸を極めた達人は、あらゆる攻撃に頸を乗せることができるようになると守男は言った。
クトゥーナならあるいは使いこなせるかもしれない。
そりゃ頸が使えるなら老人でも強いよ。
なぜって自重が武器だからだ。
体重が40kgでもパンチに40㎏の重さがあったら強いよ、普通に考えて。
で、肝心なのが、上の説明が物理的な頸の話であること。
車に乗っていて、急ブレーキかけたら、体が前のめるになる。
この運動エネルギー、慣性は当然拳で再現しても生まれる。
この慣性こそ、浸透頸の正体だと俺は思っている。
拳による物理的な衝撃、そして運動エネルギー、慣性による副次的な衝撃、この二つが合わさって発頸に至るのではないか。
この話、守男にしたら、何言ってんだコイツって態度取られたから、違うのかもしれない。
テツザンコウ。
車と同じことを体でやっているんだから威力あれば人だって吹っ飛ぶよ。
普通に考えて体重40kgでも、例えば物を代えてバーベル40㎏にぶつかったら痛くないかって話。
ボーリングの弾、足に落としたら、足の骨砕けないかな、少なくとも痛いよ。
でもただぶつかるだけじゃただの体当たりだ。
力を込める瞬間は一瞬で、スピードが無ければならない。
スピードが無きゃダメなんだ。
どんなに重くてものろのろぶつかったら意味がない。
体全体を覆う柔軟な筋肉と使い込まれた硬い拳や足、この二つがあって初めて俺の考える頸はなる。
でも車が衝突した時、例え止まっているものにぶつかったとしても、ぶつかった車がひしゃげ、壊れるように、これを拳でやると、拳は壊れてしまう。
理論は作ったよ。
でも昔の俺には無理だった。
そもそもやる意味がねーもん。
頸が使えたからなんなの。
将来やっていけないじゃん。
趣味で覚える意味あるの。
それでお金稼げるのって稼げないでしょう。
俺より体格が良くて度胸のある奴がいっぱいいるのに。
動画で配信するって、でも本場にはもっとすごい人がいるし、面も良くないのに稼げるわけないでしょう。
勉強して成績残した方が将来有利じゃん。
高校や大学っていうのはさ、自分はこれだけやれますよっていう指標なんだよ。
偏差値の高い高校に在籍し卒業しましたっていうのは、自分にはこれだけの実力がありますよっていう事の証明になる。
自分の事何も知らない人に対して、自分はこのランク帯ですよって言うためにあると俺は思うよ。
だから大学にもランクがある。
一流大学の底辺か、三流大学を主席卒業か――なんて選択肢もあるけれど。
Fランって言葉、好きじゃないよ。
学校は、学ぶ場であると同時に、人をランク付けするためにあるんだよ。
競争がなければ発展しないの、わかるよ。
ゲームでも対人がある方が盛り上げるし、FPSとか。
でも、それで壊れる人もいるよ。
「そうだよなぁ‼ なぁ‼ おい‼ 俺は‼ 壊れちまったぞ‼」
逃げるとさ、すげー惨めなんだよ、負け犬っつってな、マジで負け犬なの。
惨めで情けなくて、悔しくて、でもなによりさ、それを、どうにもできない現実が、どうしてもできない事があるっていう現実が、重くのしかかってくるんだよ。
壊れちまうよ――。
アイデンティティなんて、一部の人にしかないよ。
大抵の人間は替えの利く部品だ――でも替えの利く部品でもいいじゃないか、替えの部品にすらなれない人たちが、あの世界にはいたんだよ。
この世界だってきっとそうだ。
違うなら俺だけだよ馬鹿野郎。
スキュラが吠える――音が衝撃を伴い、体が波に震えた。
口を開け、吠えた――イグニッション【雄叫び】。
「うぉおあああああああああああああああああああああ‼」
恐怖にかられる体を奮い立たせる。
俺から発せられる音の波は、槍と言う槍に共振し音を何倍にも膨れ上がらせ、スキュラの声を押し返す。
組み上がったウージーを手に取り、構え、引き金を引く――正式名称も安全スイッチもそんなもんどうでもいいよ。
弾なにって多分鉛、違うならダングステン。
手に受ける衝撃と、発射される弾――大きな音とスキュラの顔表面に弾が当たる。
全然効いてねぇ。
全然効いてねぇと見てわかる。
皮膚を貫通すらできてない。
壁属性の熟練度が高かったら、特殊な弾頭の弾丸も作れるだろうけれど、火薬とか、そもそも出力が問題なわけで、これを改善しないと銃はダメなんだよ。
これを改善できないっていうのが、銃の弱点なんだよ。
人ならマグナム弾で粉々に吹っ飛ぶだろうけど、魔物は吹っ飛ばないんだよ。
この質量見てくれよ。
レールガンと言うけどさ、ただ雷を発してレールガンが撃てるわけないんだよ。
ダングステン、最強だけどなにそれ美味しいのって話。
ウージーを放り投げ――槍に体重を乗せる。
前に一歩――掴んだ槍と、体を回転させ、片足を上げて、体重を移動させ、振りかぶり、投げる。
「火神槍‼」
カオスが反応し、槍の刀身が炎に変わる――雷神槍は俺には無理。
できるよ、できるけれど、カルマ値が付随していると過程するならダメージがゴミカス。
雷神槍を放ったところで威力が低い。
同時に触手が振りかぶられるのが見えた、見えたら避ける――軌道を予測して避ける。
見てからじゃ遅い――弱い重力で殺せない慣性を、突き立った槍を掴むことで殺し、移動する。
「うぉああああああああああああああああ‼」
槍と触手の応酬――地面が叩かれ、割れる岩の音、向こうの攻撃は頸じゃないよ、頸じゃなくとも触手の重さ、筋肉、スピードがそろって相応の威力を持っている。
鞭って音速超えるんだぜ――いてぇに決まってるじゃん。
触手一本一本が頸だと思ってもいい。
先端が音速を超えるのか、パンッとはじける音がする。
そして俺のいた場所がまるで豆腐みたいにはじけた。
刺さってんのか利いてんのかわかんね、ダメージ表示なんてねーもん。
銃の衝撃で効かないなら俺の腕力で投げた槍なんてさらに効かないだろ。
俺もそう思うけれど、火神槍は着弾すると爆発する。
今思いついたけれど、銃の弾一発一発を炸裂するように作り変えたら面白そう。
できるかって言われたら、カオスとマロに相談しなきゃいけない。
動いていた、動いて――触手がうぜぇ。
「カオス‼ マロ‼ ジェリーフィッシュ‼」
冥属性魔術テンタクルフラウと天属性魔術の複合――細く長い無数の触手が背後から飛び出して、スキュラを捕らえる。
バリバリと音が鳴り、スキュラが地面に両指を突き立て、口が開いて俺は目を見開いて素早くその場に伏せた――伏せたというよりは潰れた。
現れた青い線――と轟音、気づいたら、振り向いたら、クラゲも、そして背後の森も無かった。
「やべぇな」
そんなアホな感想しか出てこないわ。
熱気で空気が歪む。
普通の人だったら、もう死んでるんじゃね。
肝が冷えた――地面に広がるテリトリーから呼吸として失った魔力を取り込むと同時に身に纏う量を増やし放射熱を遮断する。
スキュラが地面に指を立てる――そういうのってさ、普通は時間置いてやるだろ、なぁ、連射したら理不尽だろ、おい。
「マロ、こいつやべぇわ。俺、本気だすわ。明日から」
「明日から!? 明日からなのだ!? 今生き残らないとダメなのだ‼ 逃げるのだ!?
逃げるのだ!?」
「多分無理、重力フィールドで脱出不可能だから、こいつが追ってくる限り、そしてこいつ、俺を絶対に見失わない。なぜって俺がプレイヤーだから、そして敵対者だから」
「カオス‼」
カオスがしゅたりと前に出る。
あぁ、まぁ、カオスは逃げる気ないよね。
「やるか。これ久しぶりだからできっかな」
「なるべく早く頼むのだ‼」
「マロ、サイコポイント、マッドフィールド。カオス、準備はいいな」
実はもう考えてねー。
右手の中指をこめかみに突き立てると、稲妻がほとばしって体が刹那に痺れる。
過去の戦いから適当にチョイスしている。
もう判断してねぇ。
てんぱってるって単語聞いた時、正直この言葉が嫌いだった。
なんだよてんぱってるって、天然パーマかよ。
とりまって言葉も嫌いだ。
トリマーかよ。
笑っちゃうよな、そんなくだらないことに、いちいち突っかかるんだよ、俺。
「カオス‼」
「これちょっと時間かかるかもしれねーし、小手先勝負になるけどな――マテリアライズ。複合、ミサイルマン」
「なっなんなのだその魔術は‼」
天属性サイコポイントで強化された反射神経、壁属性マッドフィールドで泥が生まれ、指がめり込み、バランスを崩すスキュラ。
そしてパーツが製造されていく――作ってるのはなにってミサイルだよミサイル。
壁、天、火、冥属性特別調合魔術、ミサイルマン。
なぜかできるような気がした。
口から発射された得体の知れない青い怪光線は、崩したバランスに耐えられず、地面を抉りながら俺の横を通り抜け、空に昇って行った。
やべぇな、そんなアホな感想しかでてこない。
歩く、近づく、時間を稼ぐために、もがき、手足を振り回すスキュラ、飛び散る泥。
「炸裂しろ」
声に反応してカオスが放った一撃が、スキュラの顔を吹き飛ばす。
もっとこう、気の利いた魔術を唱えられれば良かったんだけど、俺、すごいてんぱってるんだよ、今。
嫌がらせ程度にはダメージが入っている――あの表面にある透明な膜のような肉のような皮膚が熱エネルギーなどをごっそり防いでしまう。
スキュラの体から雷がほとばしり、空に昇っていく。
マジかよ。
辺りを急いで見渡し、折れてない槍見つけて握る――。
「マロ‼ 雷神槍‼」
近くの木に向かって投げる、一本、二本、三本――空から降り注いできた無数の雷が槍に落ち、体が、張り裂けるような痛み、なにこれ、こんなに痛いの、つらっ――。
膝が地面に付き、ダメだ、投げなきゃ、ダメだ、投げられない。
地面に槍を突き立て、後ろへ倒れる。
自分とは思えないほど間抜けな倒れ方で。
轟音に次ぐ轟音、何も聞こえない、何も、聞こえない、静寂、目の前に、槍に雷が落ちた衝撃で吹き飛ばされる感覚、一瞬地面がわからなくなり、上下も左右も反転する――何かにぶち当たり、背中に走る痛み、荒い呼吸と、心臓のスピードがおかしいと錯覚するほどの体の異変。
「あっあぐぁ」
マジでそんな声が出るんだなって感じの声と、言う事を効かない体、動かない、動かない、どうやって動かしていたのかを思い出せない。
マロとカオスが何かしている、何か、している、声をかけてくる、かけて、脳の伝達系がイカレテやがる、思考共有さえできない。
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――あぁ、あっ、感覚が戻ってくる。
呼吸だ、呼吸して魔力を取り込むほどに、体が治る――皮膚が裂けている、鼻から垂れる血がうっとおしい、腕が動くように、目がちかちかして霞む、触れたテリトリーから情報を、霞の向こうのスキュラ。
前に立つマロの、俺がぶつかった木の背後から、無数の猫が現れる――キャットネイル。
カオスの繰り出す大きな蛇、サラマンダーがスキュラに絡みつく。
スキュラの目が開き――青白い光が灯る。
体、浮いていた――吹きあげられていた。
地面から沸き立った竜巻に巻き込まれ、上空へと打ち上げられていた。
重力フィールドの影響で竜巻は容易に俺を空高く、木の上までも放り投げた。
木の上から重力フィールドが存在しないのか、急に強くなった抵抗感に体がバラバラに振り回されるような錯覚を覚える。
動くようになってきた手――鼻血で呼吸が、うまくいかない。
フンッと鼻を吹き、吹き出した血は尾を引いて遠心力で外側へ吹っ飛んでいく、グルグルグルグルと回る――きりもみ状ってこんな感じなんだな。
空中だから止められもしない。
自分がどこにいるのかも把握できず、上下の判別すら曖昧になってとても気持ち悪い。
何かに掴まれる感覚――稲妻と炎が一直線に竜巻を穿ち吹き飛ばす。
重力の均衡が壊れて、体が落下を始める。
何かに掴まれて、マロが俺を掴んでいて、必死な表情で、カオスが俺を掴んでいて、回転を止めたいのに止められなくて。
組み上がったミサイルマンが視界に入って――。
「ダークネスクロース」
布で巻き取って掴み、巻き込むように移動して手で掴むと、回っている俺の勢いがミサイルを回転させる。
俺の体を超えるミサイル、後は爆弾を入れるだけ――冥属性大魔術キューブオブブラック。
開いた先端の枠に、カチリとはめ込み、蓋を閉め、グルグルと回りながら、落下していく。
目標は、スキュラは何処だと視認し、口を開いて怪光線を放とうとしているスキュラにもうね。
「うぁ……いける。まだ、いける。ロックウォールッ」
全体が見える。
イメージ通りに地面から伸びた岩がスキュラの顎を打って口を閉じさせ、のけ反らせる。
スキュラは体勢を素早く立て直し手でロックウォールを掴み、しかし掴んだ衝撃に耐えられずロックウォールは崩れる。
木の天辺にクトゥーナがいるのに気が付いた。
結構離れてるじゃん――クトゥーナが俺を見上げて心臓に手を当てていた。
お前のことがよくわかんねぇわ、俺。
俺はマロとカオスを見て目を見合わせ、マロを連れてそっとミサイルマンから離れた。
カオス――なぜミサイルマンから離れない。
カオスは火を吹いて、ミサイルの速度があがっていく。
「馬鹿‼ カオス‼」
「心配ないのだ」
マロはそう言うが、本当に大丈夫なのか。
そうは言っても力が入らない。
離れていくミサイルマンと、カオス――木に覆われて見えなくなる。
ガクンッと落下速度が緩み、重力フィールド内に入ったことを理解した。
マロが回転を止めてくれる――上空を見ながら、ゆっくりと落ちていた。
木々の揺れる音――ジャンプしてきたクトゥーナが俺を捕まえて、勢いにひっぱられて木にぶつかった、いてぇ。
まずは光が舞った――雷のような光が線のように空中を地面を駆ける――のちに音がする、轟音だった。
轟音と共に暴風――木を背にしていたのに体がふわりと浮いて、吹き飛ばされてきたカオスを見つけて手を掴む。
次いで先ほどとは逆方向に吸い寄せられるような風、木に背中を打ち付けて「うぐっ」と間抜けな声がでた。
「あっ‼」
思ったより強い衝撃に、クトゥーナが、クソ、まだ体が、クトゥーナを追いかけて飛び出す――巻き込まれたクトゥーナなど一瞬でミンチだぞ、たぶん。
「ダークネスクロース」
黒い布を作り、クトゥーナを捕まえて、クロースを枝にかけ、クトゥーナを固定する。
俺はそのまま引っ張られて避ける力もなく木にぶつかり、地面に向けて落下をはじめ、あっ、地面だと思っていると墜落して転がった。
引っ張られる力が弱くなり、ミサイルマンのエネルギーが発散したのがわかる。
重力フィールドがまだ生きているのか思ったよりも衝撃がなく、思ったほど痛くもなく、抵抗する力もなく転がって、止まったら止まったで奴が死んだとは限らないと、体を起こそうとするが、うまく持ち上がらない。
テリトリーを認識して操ろうとするが、慣れない重力の中で動かすという感覚、頭に痛みが走り、上手に動かせずイライラが募る。
視界が回る、気持ちわりぃ、三半規管を投げ捨てたい。
奴が生きていたら――そう思った矢先、奴が目の前に現れた。
右手が付け根からなく、ジェルのような皮膚は溶けかけ、どろどろと崩れ去る原型と、それでも確かに生きていて、こちらへ這ってくる。
マジかよ。
奴が近づいてくるたびに、熱の余波だろうか、熱いと感じ、テリトリーを貫通してきやがると、奴の手が、体が地面を這うたびに、地面や木々の焦げる音と匂いがする。
クソ……。
「ロックウォール」
目の前に聳え立つ石の壁、ずりずりと体を引きずり離れようと、壁の崩れる音、石壁如きじゃどうにも。
「アイアンウォール」
金蔵の壁、しかし、奴の左手が触れると溶けていく。
やべぇ。
もう、手が、何か、無いか、
カオスが火を吹くが止まらない。
マロからキャットネイル、ライトニングストレートが繰り出されるが、ダメージを受けながらも止まらない。
「がぁあああああああああああ‼」
あがった咆哮と、振り回された手でカオスとマロが吹き飛ばされる。
見ていた、それら全てを見ていて、俺は傍観者じゃねーぞと自分が傍観者になっていた現状を理解する。
手で這って、時間を、マロとカオスが戻ってくる時間を、奴の手が、俺は段差に滑り落ちて、俺のいた位置が破壊されて木や土が顔にかかる。
口や目に入ったゴミの不快感。
「うぁああ」
変な声をあげながら半分閉じられた目、目を掻きたいが、掻いている暇などもない。
口に入ったゴミを吐きだしながらもがくように這う。
絶望する、その溝は、行き止まりだった。
這って、這って、たどりついた袋小路、根に囲まれた底、奴が来る。
そんなに俺を殺したいのかよ。
止まらない――熱気が俺の顔を焼く。
肺に入った熱気に咽て、胃の内容物などなくて、胃液でもなんでもない嗚咽だけが漏れて、顔を上げて、涎が垂れて。
目の前に、残像が見えた――ハルポンアルセイン。
「クソッ」
なんでそこで、仁王立ちしてるんだよ、なんでそこで、お前の残像が見えるんだよ。
「理魔術……」
クトゥーナの顔が浮かんで――まだ、まだ奴は大人になってねーだろ。
「死者の書――ハルポンアルセイン‼」
夜を折り曲げて作り上げたような真っ黒な本が現れ、金の文字が光っていた。
振り上げられた手、振り下ろされて目を閉じた。
静寂と――目を開けて、胸の中からいろいろなものが吐露していくのを感じた。
――ハルポンアルセインがいたから。
荒れ狂う金色の髪、上半身はさらしだけ、袴と、左手には酒、そして右手には大太刀。
おそらく刀で切り飛ばされたスキュラの手、宙を舞い、グビリと酒を飲み、こちらへ振り向くと、ハルポンアルセインはニッと笑った。
どんな気持ちになったらいいのか、ぐちゃぐちゃだよ。
崩れていくスキュラと、消えていくハルポンアルセインを見て、ずりずりと寄りかかる木からずり下がる。
色んなものが地面にたれ流れるみたいに。
死者の書――ここに記されている者は、もうこの世界には存在しない。
朽ち果てたスキュラの灰をかぶり、妙に温かくて、気持ち悪かった。
本当に死んだのかという疑念と妙に穏やかで、まだやれるという感覚――立ち上がろうとして、足を踏み外してケツを打つ。
無くなった重力の重さがどっと押し寄せて来て、体が重い、だるい。
「いてぇ、ごほっごほっ」
鼻から噴き出た血のせいで呼吸が上手にできず、もどかしい。
俺、服、これしか持ってないんだぜ、このワンピースしか、ボロボロだし真っ青だ。
クトゥーナが上から降りて来る、後ろにはマロとカオス、着地と同時に転がり、こちらへ来る――器用な奴。
――クトゥーナに服を引っ張れる。
いてぇよ、マロとカオスが俺の下へ滑り込み、俺を持ち上げて、移動させようとする。
動かさないでくれ、痛いんだよ、体中が。
そんな言葉を投げる気力もない。
上に連れ出され、仰向けにされ、クトゥーナに口元を拭われる。
やめろって、ぐしぐしと口元を布でぬぐわれ、布が離れると黒い血がべったりとついていた。色が染み込むと赤にも見えて不思議だった。
青なのか、黒なのか、赤なのかはっきりしてくれ。
マロが心配そうに俺を見ていて、カオスが俺の肩にまたがって枕の代わりをしてくれる。
妙に冷静で、妙に静かで、妙に、妙に――。
「くとぅーな……」
「はい」
「人に悪口を言われても、お前が相手を悪く言う必要はない」
「は?」
「相手と同じになるな。相手がお前を嫌いでも、お前が相手を嫌う必要はない、ごほっごほっ。最低な奴にはなるな」
「何言ってるの?」
「前、言い忘れてた……」
「そんな事、今、必要ないです‼ 必要ないです‼」
「それから……それから」
「喋らないでください‼ 喋らないでください‼」
何怒ってるんだコイツ……やっぱ俺、お前がよくわからねぇわ。
ハルポンアルセインはもういない。
体も胸も引き裂かれてボロボロだよあのアマっ〇す。
あいつらみんな〇してやりたいよ。
「もし、もし、俺がいなくなっても」
クトゥーナの目が大きく開く、返事が無くともちゃんと聞いている証拠だ。
「お前はちゃんと生きて行けよ」
そう告げると、指に噛みつかれた。
「いてぇな、このクソガキ」
そう告げると、クトゥーナが泣き出して、なんで泣くんだコイツと思った。
もう一体スキュラがいたら、俺は間違えなく死ぬ――。
思ったよりも興奮していて、思ったよりも体が熱く、なかなか眠れず、苦しくて、あれだけとは限らないと、こういう時に限って、気が冴えていて、テリトリーの様子を微細に感じていた。
サイコポイントがきれ、脳内麻薬の循環が終わると、体は激しい痛みと熱に襲われて、寝ては痛みに起き、気絶しては痛みに起きを繰り返した。
こういうところは省いてくれても良くないか――予想以上の痛みに混乱した。
やっぱ俺、もう人間じゃねーわ。
人間だったら俺、多分もう死んでるから。
大丈夫、貴方はこの程度じゃ死なないから――。
だって、もっとぐちゃぐちゃになったこと、あるもの。
この時、俺はクトゥーナに強いトラウマを植え付けてしまった。
マジで他意はなかった。