2
どんぶりみたいな木の器を二つ用意して、片方の底にアルテミシアの葉を敷き、スライムを入れ、もう一つのどんぶりで蓋をする。
しばらく本を読みながら待ち、途中で少し中を開け観察する。
徐々にアルテミシアの葉が取り込まれ、スライムの体液が濃い緑色になっていくことがわかる。
葉が色素として体液の中を漂うさまは、本当に水彩画のようで綺麗だ。
本で手順を確認しながら行っていると、次のページに、スライムは異物を取り込んでいることがあるので、数日何も食べさせず閉じ込めておくのが良いと書いてあってキレそうになった。
先に書けよ、なんで先に書かないんだよこの野郎、とキレそうになり、しかし雨水や動物の体液などから生成されていると知った時点で察せられた事でもあると、自分の頭の悪さに辟易もした。
吸収される前に、液体を採集すれば完成と書いてあるので、コップでスライムの液体をすくってみると、あっさりと液体に戻ったものがコップの中に納まっていた。
これをいきなりクトゥーナに飲ませるのは気が引けて、本当にこれ飲めるのと疑心暗鬼になってしまう。
これ腐ってないよね、お腹痛くなったら嫌なんだけどとコップを眺めていた。
コップや器はすべて木で出来ていて、物によっては年代物もある。
腐らないように表面は焼いてあり、初めて買った包丁の柄を腐らないようにガスコンロの火で焼いたことを思い出した。
やっぱこれをクトゥーナにいきなり飲ませるわけにはいかないよなと、少し舌を付け、肌に塗って、しばらく待ってみる。
次に少し飲んでみて、痺れや痛みがないか試してみたが、特に痛みはなかった。
味としてはドクダミに近い独特の匂いがするとしか言いようがない。
ミントとドクダミを混ぜたような味と匂いがする。
正直まずい――そのまま飲ませるのは気が引ける、ゴクゴクと全部飲み干してみる。
スライムにコップを入れてまた継ぎ足し、しばらく待ってみたが、特に何の変化もなかった。
「クトゥーナ」
「はい」
クトゥーナを呼び、スライム薬を手の平に塗って様子を見る。
「しびれや、痛みはない?」
「あり、ません」
飲ませるのか、本当に大丈夫なのか、信じているからな七代目と祈りながら、コップをクトゥーナへと差し出した。
「飲んで」
「はい」
「拒否してもいいよ?」
「はい」
器を受け取ると、傾け、飲む――やはりまずいのか、顔をしかめ、ちらりと俺を見て、一気に飲み込んだ。
本当に大丈夫なのか、どうすればわかるだろうか、これ本当に毒じゃないよなと不安になってくる。
こんなものを飲ませて死なせたら俺立ち直れないんだけど、じゃあその時は一緒に死ぬかと頬を掻いた。
「何か問題があったらすぐに言ってね」
「はい」
腹の中の寄生虫などが一気に体外へ放出されると書いてあるから、やはり便を調べなければダメだろう。
寄生虫の中にはいるだけですでに手遅れな致命的な物のいると書いてある。
「便をする時は教えて?」
「便?」
「う〇ち」
「うんち?」
「大きい方」
「大きい方?」
あっダメだ通じないわ。
適当に器を見繕っておいた。
この量ならクトゥーナのお腹の中の物でも全部入りきるだろう。
しばらくするとクトゥーナが部屋から出ようとするので止める――クトゥーナは怪訝な顔して、こちらを見上げてくる。
「あの、あの」
「ここでして」
器を渡すと、もぞもぞとし始めて、腕を振りほどこうとしてくる。
「大事な事だから」
クトゥーナの顔がこれ以上ないくらい絶望の色に染まって、罪悪感がしたので、器にして、放置することを条件にトイレに行かせた。
音を聞かないように自室に戻り、かなり時間が立って、泣きながらクトゥーナが部屋に入ってきた。
「どうしたの」
何を言わずに泣き続けるクトゥーナの頭を撫で、トイレに放置しただろう器を見に行くと、身の毛がよだった。
数種類の寄生虫と思われる生き物が、器の中や、器から出てうごめいていたからだ。
「こいつはひでぇな」
顔を抑え、本を取りに戻り、一匹一匹の種類を確認する。
確認したら古着を持ってきて直接触らないように気を付けながら、器の中身をトイレに流し、器は土に埋めた――いくらなんでも寄生虫がいすぎている。
でも不衛生で異世界でファンタジーな世界ならこんな寄生虫がいても間違えではないか――まさか俺の腹の中にもいるんじゃないだろうなと思いつつ、そもそも便がでないから確認のしようがない。
スライム薬の効果は確認できた――俺の部屋にいくとクトゥーナがまだ蹲って泣いていた。
自分の体の中にいただろうあれらを見たら、俺だってぞっとする。
入ったのはここ最近じゃないだろう、随分と成長している奴もいた。
一つ一つ種類は確認したつもりだ――致命的な奴がいなかったのが幸いだ。
ほとんどが生魚から感染する寄生虫だった。
「クトゥーナ、体を洗うよ」
クトゥーナの部屋の窯でお湯を沸かして、クトゥーナの体を洗う――寄虫痕には触れぬよう気を付けながら、手で洗って流す。
正確には石を焼いて、井戸から汲んできて貯めてある樽の水を汲み、焼いた石を入れて水を温めお湯にし、クトゥーナの体を洗った。
「ごめんなさい」
謝らなくてもいいよ、しかしお湯だけだと匂いはどうしてもとれないし、乾いても濡れた犬のような臭いになってしまう。
自分の脇を持ち上げて匂いを嗅いでみるが、自分の匂いは自分ではわからないと言うし――体を洗い終えたら、クトゥーナを、火を焚いた窯の前に座らせかわかし、本をペラペラとめくる。
七代目の事をもっと知りたいので、七代目の日記を探して取り出して文字表で翻訳する。
「嫌い、ですか?」
急に話しかけられて、そちらを見ると、クトゥーナがこちらを見ていた。
主語がないと何が嫌いなのかわからない。
「何を嫌うかによる」
「クトゥーナ」
「子供がいらない心配しない」
「でも」
「デモもストもなしだ」
って言っても何を言っているのか、理解できないかもしれない――クトゥーナは眉間に皺をよせ、それ以上は何も言わなかった。
七代目の日記だが、七代目は孤児のようだ。
七代目はグラーヴェル聖王国のベラソールと呼ばれるサクシア共和国との国境沿いで生まれたようだ。
グラーヴェルとサクシアの国境争いに巻き込まれ、孤児になり彷徨い歩いてこの教会の六代目に拾われたらしい。
六代目は人格者だったようだ。
実の娘のように俺の世話をしていたと書いてある、正確にはこの体の世話で俺の世話をしていたわけではない。
六代がいくばくかで亡くなり、それ以降は七代目が俺の世話をしている。
幼少期の日記には、六代目に教えられた事を反復するように書いており、過去の日記を読み返し、まとめたものを数冊用意している。
ただ思春期に入ってからは性欲に支配されている。
俺の体になっている奴のヴァイオレットピンクが素敵だの、俺の体になっている奴の中指でするのは最高だとか、裸で添い寝は毎晩しているとも唾液を採集して眺めているだの。
日記にはこの体の事が隅々まで詳細に書かれていた。
ある時の日記から、性別を理解するようになったようだ。
捕らえた鱗鹿……というのだろうか、この鹿の死骸に雄雌の違いを見つけた。
ここには興味深いことが書かれていた、どうやら特殊な蜂が関係しているようで、この鱗鹿という動物なのだが、肉が硬くて鱗の処理が面倒のようだ。
そこでこの蜂の出番だ。
この蜂は特殊な生態を持っており、生物を麻痺させその体に巣を作ると言う習性がある。
普通の蜂と異なり、女王一体だけが攻撃性、強靭な体を持っており、働きバチは巣作り以外の一切をこなさない――女王が狩りをし、働きバチが捕らえた生物を巣に作り替える。
女王蜂が獲物を麻痺させ卵を産み、麻痺している間に働き蜂が生物を巣に作り替え殺してしまう。
この巣になると肉が発酵し、とても柔らかくて美味しい肉になると書いてある。
蜂が食べるために肉を美味しくするわけだ。
女王の麻痺針で死ぬことはないが、刺されると麻痺し卵を産み付けられる――人間の場合、麻痺してから数分で動けるようになるが、卵は産みつけられ寄生される。
皮膚の下に産み付けられるので、洗っただけでは落ちないようだ。
寄生されるとブツブツになり、のちに働き蜂が羽化する――しかし女王がおらず、羽化したてで柔らかいので問題なく潰せる。
クトゥーナに寄生していたのはこの蜂だとわかる。
足を組み、机に肘をついて片手で本を広げ読んでいるが、ふと気づくと足元にクトゥーナがおり、こちらを見上げていた。
「お傍に、いてもいいですか?」
本を置いて、クトゥーナの体を古着で拭く。
「いたければいればいいというのは酷なのか」
「お傍にいさせてください」
涙をボロボロこぼし始めるクトゥーナの感情が理解できない。
なぜそこまで傍にいたがるのか、なぜ、傍にいさせてくださいと泣くのか、なぜそこまで卑屈なのか、奴隷だからなのか、それとも便を見られたのを気にしているのだろうか。
もしかして俺ってデリカシーが無いのか……子供とは言え、便を見られるのはやっぱ嫌だよな、今更ながら思う。
俺が子供の頃なんて学校でうんこしようものなら、クラスメイトが上や横から覗いてきたものだ。
俺も嫌だったのに、そりゃ子供でも女の子だし嫌だよな。
でも確認しないわけにはいかなかった。
どうしたもんかな。
それとも寄生虫を気にしているのか、俺はクトゥーナを抱え、膝に乗せて、本を読みだした、まるで子供を抱えるように、大好きホールドの形になるけれど、頭を撫でながら本を読んでいると、クトゥーナは眠ってしまった。
座布団がないと尻が痛い。
クトゥーナの毛はゴワゴワしていてあんまり気持ちのいいものではない、ちくちくする。
クトゥーナは肉を得るためにこの蜂に近づいたのだろう、肉を食べるには蜂を利用しなければならない、過酷な環境で、子供が一人、俺の体の世話をするために留まり続けるのがどれだけ大変かは想像にたやすい。
本を読むに、鱗鹿の肉は生で食べてはいけないようだ――内蔵に寄生虫ありと書いてある。
さらに海の魚を生で食べてはいけないと書いてある。
クトゥーナは生で食べたとわかる。
水も煮沸せずに飲んではいけないと書いてある、生水も飲めないのかと舌打ちしそうになり、クトゥーナが生水を飲んでいることも容易に想像できる。
種類によってはスライムの体を構成する水は直に飲めるとのこと。
体を寄生虫に侵されながら生活することはさぞ辛いことだっただろう、頭の下がる思いだ。
歴代の日記を眺めて思うのは、みながこの体を大切にしてくれていたという事。
何とも言えない気持ちになり、どうにもできない自分がいる、せめて俺の意識があるうちは、クトゥーナを大切にしてあげようかと思い、傲慢だなとも思う。
何もできない、何もするな、何も口にするな、自分の考えは捨てろと自分に言い聞かせる。