18
早めに夜の準備をする。
夜の移動はしない、単純に危険だからだ。
サーモや夜目のある俺とクトゥーナは違う、強行してもいいけれど、余裕をもってサバイバルをしたい。
霞も多いし、煙を出しても大丈夫だろうと思う、テリトリーもある。
枝を集めてカオスに火を起こしてもらう――人間は夜寝るように出来ている。
経験上、昼に寝るとあまり良く眠れない、個人差もあるだろうけれど。
夜になる前に、森の中に漂っている魔力を思い切り吸い込んで自分の物にする――何度も何度も呼吸して、魔力を己の内へ集めていく。
魔術を使って削ったテリトリー量を元に戻す。
お腹を押さえ、魔力だまりを一気に吸い上げる。
日が沈み始めたら、クトゥーナにたっぷり俺の血を飲ませる。
俺の血液から水分と魔力を補給させる。
森に慣れたレンジャーとかなら森の中での水分調達の方法も知っているだろうが、俺にそんな知識はない。
無造作に摘んだ葉っぱの汁を吸うのはリスクが多すぎる――言い方に語弊があるが、葉っぱの水分を無造作に吸うのはリスクが高すぎる。
蔓を切って中の水を飲むなんて動画も見たことがあるけれど、蔓を切っても水は出てこなかった。
木を傷つけても水など出てこない、しっとりとはしているが、飲めるほどかと問われるとそんなことは無かった。
例え出てきたとしても、それに口を付けてはたして大丈夫かどうか。
いや、まぁ、湧き水は豊富だし煮沸して飲めばいいんだろうけど。
煮沸しても死なない菌がいるだろうし……あんまり気にしすぎるのも問題だ。
満腹になったら流体で体を浮かせ巨木の上に、マロとカオスを枕にしたり毛布代わりにしたり、抱きしめながら横になる。
クトゥーナも俺の上でぐっすりと眠っていることから、疲労があるのは確かなのだろう。
野営で面倒なのは風と音だ――屋根が無いのは雨が降っていなければ問題ないし、木が大きい。雨が地面に到達する前に木の葉や枝にぶつかるので、水の落ちてこない木の下にいればびしょ濡れになる心配もなさそうだ。
しかし風はうるさい、昼はそんなに気にならないが、夜になるとマジでうるさい。
木々の擦れる音、獣が立てる音、夜間に動く昆虫が木を内部から齧る音、流体でこれらすべてをシャットアウトしている。
魔力が無かったら、ここまで快適ではなかっただろうな。
火をおこし、番をして、物音に敏感となり恐怖と戦いながら過ごす夜を想像し、だから人は群れを作り、寄り添ったのかもしれないと、なんとはなしにそう思った。
「マギサ……」
寝ぼけたクトゥーナがそう呟き、俺はクトゥーナの頭を撫でた。
どれくらい時間が経っただろう――テリトリーに入ってきた生き物を認識して、目を覚ます。
『ゴブリンなのだ』
「マントヒヒか……」
『マントヒヒ? ゴブリンじゃないのだ?』
「ゴブリンはマントヒヒなんだよ」
テリトリーに触覚を伸ばして認識すると何かを抱えている。
〈カオス……〉
カオスさん、やる気っすね。
『人間を抱えているのだ』
もしかしてこれ、女の子じゃね、女の子助けるパティーンじゃね。
(女の子助けるパティーンきたこれでかつる‼ おい‼ いこーぜ‼ 嫁ゲットだぜ‼)
『はぁ……?』
〈カオス‼〉
動こうとするとクトゥーナが腕を掴んでおり、パッと目を覚まして、威嚇する犬のように顔を歪め、俺に飛びついて噛みついてきた。
「お前、まだあの話引きずっているのかよ」
「うぐぐうううう‼ ずっていにはにゃぎっらうり‼」
もう獣じゃねーか。
「やれやれ」
撫でながら落ち着かせる。
「ほらっ、離して」
「何処か行こうとしてる‼」
「ゴブリンが出たんだ」
「……ゴブリン?」
「貴方を置いていくわけないでしょう?」
クトゥーナの頬に手を当てて撫でる。
「ほんと?」
クトゥーナの表情と拘束が緩み、口から涎が垂れて、ぬぐってやる。
クトゥーナを抱きしめて、頬ずりする。
「大丈夫大丈夫」
「……うん、ごめんなさい」
ふふふっふふふって笑いながら木の上でクトゥーナと回転し、クトゥーナの表情が段々と笑顔に変わっていく。
俺はクトゥーナを流体で包み。
「そ~れぇ」
放り投げた。
「えっ……」
「じゃあな」
クトゥーナの笑顔が凍り付いていき、そして獣の表情へ変わるのを見てから踵を返して反対側から降りて、ゴブリンの元へ駆ける。
「まってろよ、ボインちゃん」
「君はまったくしょうがないことをするのだ」
「趣味なんだよ、ごめんな」
「うぅううううう‼」
背後から獣のような唸り声が響いてマジでビビった。
マントヒヒの集団発見――。
「カオス、火は吹いちゃだめだよ」
「カッ‼」
口から火が漏れてんぞ、森燃やす気かよ、マジカオス。
現れたカオスの脇を抱えて駆ける――。
「ロックウォール」
ゴブリンまでの一直線、石の壁が突き出し、足をかけて飛んだ。
「やめろ‼ 僕は勇者だぞ‼」
(お前かよ‼)
思わず心の中で叫んでしまった。
流体に乗り、滑りながら男をキャッチして逃げる――本当にやべー奴が背後から迫ってきているからだ。
「やめろ‼ 僕にひどい事したらひどいぞ‼」
何言ってんだコイツ。
「落ち着きなさいな、まったく」
「ん!? 誰だ!? 助けか!? よくやった‼ ってお前かよ‼」
俺のセリフだ。
「うううううううううううう‼」
唸り声と背後でゴブリンの悲鳴があがる。
「なっなんだぁ!?」
「説明するわね、今、化け物に追われているの‼ 早く逃げないと‼」
「おろしてくれ‼」
「死にたいの!? ゴブリンなんてゴミクズのようにひねり潰す奴が追って来てるのよ‼」
「へっへぁ!?」
へぁてお前っ、俺、今、必死に笑うの我慢してるんだが。
「死んでも知らないから‼」
「うがあぁああああああああああ‼」
「ひぃ‼」
俺は男と一緒に無我夢中で走っていた――。
「なんでこんな‼ ひぃひぃっ。ぼくは、エリートだぞっ、勇者なんだぞっ」
「口閉じてないと舌噛むぜ‼」
「もっもうだめだ」
情けないな、これで勇者かよ。
その場に転げた男、俺は立ち止まって迎え撃つことに。
なんでこんな事に、この森にこんな化け物がいるだなんて。
まさか、姥捨て山の怨念だとでもいうのか。
そしてそれは現れた――異質と言うにはあまりに異質。
「うぅうう‼」
「ひぃ……って子供?」
「姿に騙されないで‼ ゴブリンの頭ぐらいなら片手で握り潰す子よ‼」
「なっなんだって!?」
飛びかかってきたクトゥーナ――そのまま背後へ倒れ込み、巴投げ。
地面についた背中、左腕を起点に回転し、仰向けからうつ伏せに、足の指で地面を掴み、手で前のめりの体を支える。
視界からクトゥーナが外れたらツム――空中は身動きが取れないし、落下速度は一定のはずなので、加速して動く心配はない。
クトゥーナは空中で回転するとすたりと地面に降り立った――すげぇな、体操選手みたいだと素直に感心してしまう。
いや、本物の猫みたいだ。
降り立つと同時に左右にブレ――フェイントを入れると左と見せかけて、右から周りこんでくる。
それは近くでやらないと意味がないんだぜ。
両手で地面を押して、上体を上げ、迫るクトゥーナに備える。
そのままタックルしてくるかと思われたが、眼前でピタリと止まって見せた――足の力が強い証拠だ。
また巴投げされるのを警戒しているし、俺もタックルしてきたら巴投げしただろう。
俺はつま先立ちしていた。
クトゥーナの足元が乱れる――繰り出される右抜き手、まさかの抜き手、殺す気かよ。
グーパンでも死ぬぞ俺は――下から上に来る抜き手を左手と体を反って流す。
抜き手がそのまま俺の左手を掴み、今度は左の抜き手――右足の裏で腹を押さえ、前にでられぬように、驚いた顔と、俺の足を掴もうと、足を引っ込めて掴まれた左手を捻り、襟首を掴んで投げとばす。
降り立つと来る――いや、来ない、いや来る。
来ると見せかけて来ない、いや来る、少し時間差から腹まで潜りこみ、両手の平で俺のお腹を押し出した。
俺は押し出された威力を消すために後ろへ飛び、足の指が地面に付くと、足の指が滑り苔を削っていく。
追撃に飛び上がって来たクトゥーナ――馬鹿野郎が、なぜ飛ぶ。
飛んだら終わりってわかってんのかコイツ、わかってないのだろうな。
さっき巴投げされたろが、空中っていうのは無防備なんだよ、回避もできないし、空中で動けるなら話は別だけど。
リーチも俺の方が長いし、舐めてんのか。
「あっ……」
俺に両腕を掴まれ、間抜けな声を上げるクトゥーナは、反抗とばかりに俺の腹に向けて足を押し出して来る。
手を放して空を蹴る足を掴み、俺は回転した。
文字通り回転した――世の中にはな、ジャイアントスイングって素敵な投げ技があるんだよ。
グルグルグルグルグルグルグルグルグル。
「ふっふぎゃあ」
俺はクトゥーナを振り回し続け、男に向かって投げた。
「へっへぁ!?」
ぶつかった男とクトゥーナはもみくちゃに回転しながら威力のまま転げまわり、目を回していた。
「はい、俺の勝ち‼ お前の負け‼」
「うぅううう‼」
クトゥーナは負けとという言葉を聞くと、耳がピンと立、あらぬ方に目を回しながらよったらよったら立ち上がる。
「まけっまけてぬいもん‼ うげろげろげろげろ」
そして吐きやがった。
屈んで、クトゥーナが目を回しているのを見ていると、なぜだか、自分が育てた魔物の事を思い出した。
モンスタージャッカーは魔物を使役する職業だけれど、プラグの種類、強さによってぶっ刺せる世代が変わる。
プラグをぶっ刺したからと言って、必ず使役できるものでもない。
またモンスタージャッカーに出来る事は四つある。
1,プラグを魔物に刺し、その場で使役する。
確率は完全なるプラグの性能依存、プラグの性能より反抗確率があり、30秒毎に発生する。
2,プラグを一定時間魔物に刺し続け、乗っ取り使役すること。
確率は性能依存、反抗確率は時間と共に減少し、無くなると使役できる。
3、プラグを刺し魔物の能力を奪い、使用できる。
プラグを魔物に刺すのが条件、何の技がプラグに入るのかはランダム。
4,プラグを魔物にぶっ刺して行動を制限すること。
この四つだ。
3の魔物の能力を奪い使用するには、プラグとヘッドホンが必要となる。
能力を得たプラグをヘッドホンに刺し、初めて能力を使用できる。
ヘッドホンが無ければ使用できない。
保有個数はヘッドホンのランクにより、確か最大で四つまで保有できたはず。
デメリットはある――ヘッドホンの耐久値、防御力がゴミなところ。
FPSゲームでヘルメット装備しないで敵に撃たれたらどうなるって話。
俺が使役していた魔物に、常時使っていた個体が一体いたはず。
なぜ忘れていたのか、その個体をなぜ思い出せないのか、なんだっけと首を傾げてしまう。
魔物にも色々な種類がおり、大まかに装備型、自立型に分かれる。
装備型は装備し、扱うもの、魔剣エンヴァーはその類。
自立型は勝手に戦ってくれるものを指す。
魔物は他の魔物を倒すと能力を吸収し、扱うことができるようになる。
しかし元の能力値が変わることはなく、あくまでも補正として付与される。
女性型の魔物はいる――当然俺も使役をしようと思ったけれど、そこは当時ムッツリだった俺には敷居が高かった。
定期的にギルメンに会うし、戦闘で出すとお飾りで邪魔だった。
俺のホムンクルスは全員女性型。
それも恥ずかしかったし、使役している魔物も女性型だともう女好き、ドスケベを地で行っているようなものだ。
一人はセーラー服着ているしもうね。
初恋の相手なのかとからかわれて当時初心だった俺の顔は真っ赤になった。
ホムンクルスが人型と言うのは別に特別な事ではない――だけれど自らの行いにより成長の異なるホムンクルスの仕様により、どう成長するかはまったくの未知。
金髪不敵美女、角あり不敵美女、女子高生の三体じゃもう言い逃れできねーよ。
俺は直前までこのゲームのエンドコンテツをしていたんじゃないのか……。
まるでゲームの仕様が違うじゃあないか。
俺の記憶と記憶が食い違っている。
ゲーム終了時に記憶の改変まであったとは思いたくはない。
そんな事をする必要がないようにプレイヤーは外から選ばれたんじゃないのか。
それとも、この体の、記憶だとでもいうのか。
「すてらいれ……」
ゲロを吐きながらクトゥーナが俺を掴んで訴えてくる。
「すてらいれください」
縋り付いてくるクトゥーナを見ていて、脇に手を通して、考えている自分がいる。
俺が寂しかった時、苦しかった時、一人で耐えた。
眠れなくて、飯を食っては吐いて、それでも仕事に行かなきゃいけなくて、今日は体調不良だって言い訳して、サボろうとして早退しようとして、でも上司にそんな事言えなくて、なぜだか言えなくて、結局最後まで仕事して……。
俺が言わないから、周りの人間が俺を気にすることも無くて。
先輩のミスをカバーしたり、後輩が残らないようにカバーしたり、しなくてもいい仕事したり、何やってんだろ俺って、こんなに頑張っているのに誰も俺のことなんて気にしないと、怒りも沸いてさ。
なんで俺がおめーのミスをカバーしなきゃいけないんだよ。
おめー上司だろ、普通は逆だろ、俺のフォローしてくれよ。
後輩よー仕事した面で帰るのはいいけど、フォローしてんの俺だからな。
有能ですって面する前にお前のせいで残業する俺のフォローぐらいできるようになってくれよ。
じゃあフォローしなけりゃいいだろって言うんだろ。
結局フォローするのが俺のためなんだよ。
上司のくだらないプライドを刺激してキレられんのも面倒だし、俺が上になるとどっちが上司かわかんねー、後輩は仕事増えると不満言い出して結局やめるし。
上司がキレて仕事回らなくなっても、後輩が仕事やめても結局俺の仕事が増えるだけ。
こいつら俺のいないとこでは言いたい放題言うんだよ。
俺の前ではだんまりだけどさ。
わかってるって、じゃあ仕事変えればいいって言うんだろ。
そうだよ、その通りだ、止める気ないなら黙って仕事しろってな。
なんで俺がおめーらの都合で仕事変えなきゃいけねーんだよ。
わかってるって、結局邪魔者は俺だってこと。
俺がいなけりゃ全部うまくいくのかもしれない。
偉そうに言っているけれど、有能ってほど有能でもない。
ミスだってするよ……。
笑ってごまかすんだよ。
ここぞとばかりに責めらるんだ。
俺がおめーらを責めた事なんてないっていうのに。
家に帰ると誰もいなくて、玄関で靴を脱いで、そのまま横になって。
ただ触れてほしいだけなのに、誰かに触れられたいだけなのに、そんな願いすら言葉にできなくて。
ただ誰かに手を握ってほしい――ただそれだけなのに。
それを口にしたらきっと傷つくのは俺だって。
もういい年で、親に甘える年でも無くて、俺は他人を傷つけないように生きているっていうのに、ただの自己満足で。
俺の記憶――確かに俺の記憶だ。
俺は幽霊を信じていない。
幽霊に記憶があるのなら、思考があるのなら、脳みそなんていらねーだろって話だからだ。
じゃあ、なんで違う体に俺の記憶がある――。
俺は、なんなんだ。
結局俺は、どこにもいらないんじゃないか。
その答えは是であり、必要される存在になればいいという答えも是だった。
俺が俺を俺と認識している限り、俺としてゆるゆる生きるしかない。
例え誰に必要とされなくとも存在している。
コイツが捨てないでと言うたびに、少しうらやましく思う。
自分らしく生きろとか、我慢しなくていいとか、嫌な事はやらないとか、嫌われる勇気とか。
みんな自分勝手に生きたら世界なんて簡単に壊れちゃうだろ。
誰かが我慢しなくなったぶん、他の誰かが我慢すんだよ。
違うのかもしんね。
脇に通した手――背中まで伸ばして、引き寄せて、触れる肌。
俺には、俺がいなかったよ。
こういう事言うと、自分の事ばっかりだねって言われる。
はははっ笑っちゃうよ。
いろいろな思考が混ざりあって、結局全部めんどくせぇって投げ捨てちゃうんだ。
はぁ~あぁ、ため息ばかりで嫌になる。
そういや、ビンテージのジャケット、どうなったかな。
裏に竜が刺繍してあってすげぇ綺麗なんだぜ、でも十万もするなんて思わないよな。
どうなったかな……。
まぁあんなもん、外で着ようものならヤンキーだと思われるし、ヤンチャさん達に目を付けられるから家の中でしか着れなかったけど。
俺にはできなかったけどさ、お前は好きにしていいんだぜ。
「傍にいたけりゃいればいい、いたくなけりゃ何処かに行けばいい」
最初からそう言っている。
顔を上げ見える表情、大きな可愛い目は充血し、濡れそぼる頬に、鼻をすする音。
青く染まった頬や手、服――これゴブリンの血だな。
いよいよ本格的に石鹸が欲しくなってきた。
背中に回ってくる手、生きている約束。
俺は何がしたいんだろうな。
ちょっと意地悪しすぎてしまったかなと思ってしまったが、止める気もさらさらなかった。
嫌われるぐらいが丁度いい。