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少しは見やすくなったかなと思います。5/25直し。

 体重をかけても大丈夫だろうか、乗る時に少し不安になったが、俺が体重をかけた程度ではビクともしていなかった。

 競走馬は足の骨を折ると再起不能になるというが、この馬は足の骨を折っても大丈夫そうだ。

 騎士の前に乗り、俺の前にクトゥーナが乗る、三人乗っても大丈夫なのかと疑問を浮かべ、馬が足を踏み鳴らす様子により問題ないようだと思う。

 鱗はテラテラと翠色の光を反射し、これ自体がまるで鎧のよう。

 触れると硬く、ケチン質――というのだろうか、その中にも温かさがあった。

 クラは革製だろうか、鱗に足が当たらぬようにガードされている。

 もしクラが無ければ鱗で足が傷ついて血が流れていたかもしれない。

「クラの取っ手を握ってください」

 クトゥーナが握る取っ手を上から握り。

「これですか」

「えぇ、気を付けてください。舌を噛みますよ。

 走り出すと愕然とする――この馬、ケツがいてぇ……。


 馬の後ろ脚が跳ねると俺の腰が浮き、前足で着地すると重さが来る――モモに力を入れる、力を抜くのを繰り返すので降りたらモモの筋肉が引きつりそうだ。


 地面が揺れる感覚、流れる景色と風、気持ちいいのかと言われれば、不快だ、こんな乗り物に長時間乗るだなんてストレスでしかない。

 今すぐにでも降りたい衝動に囚われる。

「大丈夫ですか!?」

 そうデンギンに問われ、苦笑いを隠しながら目線を送る。

「えぇ、大丈夫です‼ 少し安定するまで時間がかかるかもしれませんが‼」

 風の音が耳に痛く、デンギンの声を聞き取り辛い、それを理解しているのか、デンギンは大声をあげているようだったので、俺も声を張った。


 舌噛みそうだ。

 他人に自分の行方を任せる行為ほど不快なことはない――クトゥーナは楽しそうにして、時々振り返り、目が合うとにんまりと笑みを浮かべる。

 クトゥーナは馬に乗れるのかもしれない。

「初めてはみなそんなものですよ‼ これより事情を説明いたします‼」

 事情……事情ってなんだ。

「そうですか‼ それで事情とは‼」

 大きな笛の音が響く、なんやねん。

「申し訳ありません‼ 早駆けします‼ 口は閉じてください‼」

 耳鳴りがした――何かが通り過ぎていく、それは刹那で点のようで、だがしかしそれは矢だった。

 見えたのだ。正面――眼前に迫る点、即座にクラから手を放して出した左手の指から甲、表面の流体に点が当たり、反れた。

 横を通り過ぎる刹那の、鈍い光と形がはっきりと。

 何言ってんだコイツって思われそうだが、見開いた目の中に、確かに矢が止まって見えた。

 音だ、音と風が横を一瞬で過る。

 一気に瞳孔が開くのを感じた。

 あぶねっ……お前いま、俺、お前、俺、今死んでたぞ。


 やだ、矢で狙われるのなんて初めて、こんな貴重な体験ができるなんてと少し感動すると共に、少し興奮する、楽しくなってきたと思う、なぜ矢で狙われているのか。

『反撃するのだ?』

(反撃しないのだ)

『いいのだ?』

(いいのだ)

 まるで映画で見る戦乱の中にいるみたいじゃないか。

 おしっこ漏らしそう。

 やべぇ、こわっ、楽しいんじゃない、怖くて興奮しているのを楽しいと錯覚しているだけなんだ。

 喧嘩売ったな、じゃあ、反撃してもいいって事だよな、お前が俺に危害を加えてくるならよぉ、俺はお前をぶっ殺していいってことだよな、そうだよなぁ。

(大人しくしてなさいな、カオス)

(カオス‼)

(火吹いたら怒る)

(カオス‼)

 だからさ、弱いから粋がんなよおっさん、おっさんなんだよ俺は……。

 理想の中でオ〇るのはいいけど、現実見ような、弱いんだからさ。

 そうだよな、俺、喧嘩弱いんだよな。


 流体を広げて馬まで覆い守る――包み込んだ瞬間馬の速度が増した。

 テリトリーは一応ある程度持ってきている。

 足元で俺の動きにそって波打っていた――村に残して来たテリトリーは俺と地続きではないので操ることはおろか接続することもできないだろう。

 リリアーヌに会うだけだってのに、なんで狙われるのか、普通に考えて俺が邪魔だからだよな、俺が邪魔な理由とは……情報が少なくてまだ推測はできない。


 流体で包み込むと腰が跳ねる事はなくなる。

「どうして、矢で攻撃されるのでしょう」

 大声を出さなくともよくなる――デンギンを包み込んではいない。

 邪魔になるかもしれないからだ。

「実は貴君の事を良く思わない方々がおります‼ 本来ならもっと手勢を連れてきたかったのですが、貴君の護衛は一人で十分だろうと制限を受けてしまいまして‼」

「リリアーヌ様が一番偉いというわけではないというわけですね」

 矢が流体の表面に当たるたびに、ゆるりと表面を滑らせて反らす。

「いえ‼ リリアーヌ様は現当主であり‼ 現在も領主であります‼」

「では……ご高齢が関係しているのですね」

「その通りです‼ リリアーヌ様には血の繋がらない息子が三人、娘が四人おります‼ さらにその子供がおりまして、リリアーヌ様の血縁が、今更現れたら困るわけです‼」

「なるほど、納得がいきました」

 つまり相続争いというわけだな、違うのか、納得してなくね、やべ、わかったように言ってしまったが、実際のところ何一つ憶測の域を脱してねーや。

「とまれええええええ‼」

 とまれって言われて、止まる奴っている……のか。


 男たちが道を塞いでいる。

 ――馬が跳ね、男たちを飛び越した。


 馬と息を合わせて、跳ねた時は足の力を少し抜いて、馬が駆けるのに合わせて体重移動、重心移動、さらに落ちないようにバランスを取る。

 この馬――俺の魔力流体に乗っている。

 一見すると地面を走っているようで、波となっている俺の魔力に乗り走っていた。

 馬は魔力に乗るのか――どちらかと言えば、風に乗る、という事なのか。


 馬に乗るのが難しいわけだ。

 さらに前方を見て、手綱での指示を考えると複数の行動を無意識かで行う必要性がある。

 その分うまく乗れた時の馬との一体感はさぞ気持ち良いのだろうな。

 それに伴う危険も大きいだろう――ゲームでさ、操作ミスってあるじゃん、ゲームでも操作ミスするんだぜ、車や馬だって当然その操作ミスが起きると思わないかな、思わないか、俺だけか。

 魔力流体で包み込んだ馬との一体感を感じ、デンギンとクトゥーナを邪魔に思う。

 この二人がいなければ、もっと早く走れるのにと――。

「今日は馬の機嫌が大変良いようです‼ このまま駆けます‼」

「貴方は私を邪魔だとは思いませんか?」

「私はリリアーヌ様に忠誠を誓っておりますので‼」


 忠誠って本物なら金では買えないものなのだろうな。

 有能なものほど金では動かなくなると、俺は思うのだが、金でしか動けなくなるものもいるし、決めつけは良くないな。

 何度か矢を射られたが、矢が追いつくことはなかった――一気に駆け抜けて街に到着する。

 本来なら一日か二日かかる工程なのだろう。

 最初は嫌だったが、乗っているうちに、段々と心が落ち着くような、一体感を得るような気持になってくる。

 馬が俺を気遣っているとわかるのだ。

 なぜわかるのか聞かれても答えようがない――しかし確かに馬が乗っている者を気遣っているのに気づく。

 自分の動きを俺に合わせているからだ。

 一人ならもっと早く走れるけれど、俺が乗っている走り方をしている。

 俺が馬の動きに合わせられさえすれば――そう思った時、この馬と心が通じたような気がした。

 気がしただけだぞ。


 馬だって生き物だ、疲れもすれば、嫌にもなる。

 早く駆けるのはさぞ辛いことなのだろう、俺だってマラソンは嫌いだ。

 体育の授業で50分走れって言われるのが好きだった奴いるのか、少なくとも俺は嫌だった。

 それでも走っているのは命令だからではないだろう。

 馬だって嫌になれば振り落とすし逃げるよ。

「銃ではなくてよかったです。さすがに銃では馬が驚きますから」

「そうなのですか」

「舐められたものですね。矢で十分だと思ったのでしょう」

「デンギン……様は魔術がお使いになれるのですか?」

「私はライセンスを持っておりますので、魔術を使うことができます」

「そうなのですか、すごいですね」

「そのように言っていただければ、光栄ですよ。街に入ればさすがに襲撃はないでしょう。行きましょう」


 街は高い壁に囲われていた――壁の前には堀があり、入り口には開閉式の橋がかかっている。

 近づくにつれて弱まる馬の脚に、馬が残念に思っているように思えた。

 道から橋に変わる瞬間は少し緊張を、馬の足音が変わって木造作りを強く感じる。

 聳え立つ壁、随分と厳重な作りのようだが、壁の色や劣化具合から新築の類ではないと認識できる。

「私は、身分証のようなものをもっておりませんが、大丈夫でしょうか」

「その点は心配ありません、リリアーヌ様がすでに身分を用意しております」


 馬に乗ったまま、門番の前を――素通りした。

 門番の方が頭を下げた――この辺りの領主だものなリリアーヌ、その私兵もそれなりの身分や特権を持っているのだろう、マジですげぇな、帰りたくなってきた。

 銃が存在するのか、怖いなと素直に思ってしまった。

 銃なんて漫画やゲームの中でしか見たことが無いからだ。

 引き金を引くだけで人が死ぬんだぜ、怖くね。


 門の影に入り、横から飛んできた何かが首元を通り抜けた――金属音と火花が散って、デンギンの小手が俺を守るように覆っていた。


 影は右からやってきて、なにかしらの攻撃を加え、左に、そして影の中に消えていった。

 俺の流体に触れる前にデンギンに防がれていた。

 振り返り見上げると、デンギンの顔に余裕はなかった――余裕はなかったが、俺が無事な事に安堵しているようだった。

 俺の顔を見て、俺の体に傷が無いことを視認すると表情が少しだけ軟化したのが見て取れた。

 デンギンも流体で覆えば良かったと少し後悔したが、流体で覆わなかったのは彼の行動を阻害する恐れ、俺が魔力を操れるのを見破る可能性を考えてしまったからだ。

「まさか暗殺者まで雇うとは思っておりませんでした」

 これが本命だろうな、油断させておいてこれ、か。

 こえー。

 デンギンはそう言い、ナイフ状の物を甲から抜いて眺めた――滴る血が鎧を伝い、デンギンはその掌を何度か握り、具合を確かめているようだった。

 いやお前、刺さってるよ、手に、まじで、見てるだけでいてぇよ。

「リリアーヌ様は公爵であり、この辺りを治める領主なのでしょう。その権力は相当なものではないですか? 身近にあるとわかりにくいものですが、それだけのものを持っているということなのでしょう」

 この辺りの領主という肩書は、街を見るだけで大きなものだとすぐにわかる。


 デンギンは改めて俺を見下ろし、キョトンとしたあと、少しだけ笑った。

「豪気なようですね。若かりし頃のリリアーヌ様そっくりです。確かにその通りです。安心してください、命に代えても私がお守りいたしますので」

 そっくりなわけねーだろ、他人なんだからよ。

「私ごときに命を賭ける必要はありません。手の傷は大丈夫ですか?」

「えぇ、まさかこの手甲を貫くとは思いませんでしたが」


 ナイフは手の甲を貫通している、赤い血とそして少しばかりの異臭。

「毒のようですが」

 本当に毒かどうかなど俺には判別できないが、毒物の臭いである可能性は高い。

 無味無臭の毒だってあるかもしれない、臭いがするという事の裏を考えてしまう。

 クトゥーナを臭いから遠ざけるようにする。

「この手の毒には多少免疫がありますので心配ありません。デネボアの毒でしょう。臭いを嗅がないよう気を付けてください。先を急ぎましょう。手練れの攻撃ともなれば、私とて損じることはあります。あれが最後とは限りません」

 デンギンはナイフを布で包み、懐に入れた。

 使い捨てのナイフに、犯人を特定するような情報が残っているとは思えないけれど。

 それからぎゅっとデンギンが強く手を握ると、血が噴き出して――止まった。

 なにそれ止まったのと、手を眺めてしまう。

 今ので毒を輩出したのか、マジですげぇな、んなわけあるかい。


 何事もなかったかのように馬は進み、俺は今のでおそらく最後の襲撃だろうなとなんとなく思った。

 即去りしたのは何時でも殺す準備があるという事、急ぎの殺しではないのでは、街中に入ったという気のゆるみ、その不意を突いた一撃、デンギンの筆頭騎士だという肩書、リリアーヌの影響力、毒の塗られたナイフ。

 人間ってさ、いきなり死ぬ。

 死ぬときは何をしたって死ぬ。

 ある日さ、聞くわけさ、誰誰が亡くなったって、多分、俺が死んだ時も、そんなもんだ。

 死体を処理したり、葬式をしたりと、実際にはもっと色々あるのだろうけれど――。

 肌がピリピリしている、妙に冷静だ、こういう時、怖気づかない限りは大丈夫だ。

 怖気づいたら動けなくなる、俺はそういう奴。

 流体の中に少し毒が入った――大事に流体の中へ包み込んでおく。

 デネボアね、覚えておかなくちゃ、デネボア、何度も思い返して忘れないように。

 クトゥーナに後で毒を覚えさせる。


 門から入ってすぐに大きな通り、目を引く舗装された道、並べられた石、視界が上がると綺麗な街並みが目に入ってくる。

 影から陽の下に、慣れた目が陽の傾きに気づき、夕方であることがわかる。

 もうそんなに時間がたったのかと、出発してからの時間間隔を短く感じ、驚く。

 街中を歩く人、まばらな人の群れ、肌の色が綺麗、誰彼かまわずハグしてやりたくなる。

 久しぶりに会った沢山の人達、人間の国家、秩序――この中に埋もれて片隅で静かに生きたいと思ってしまうのだ。

 人を隠すなら人の中、これガチ。


 衣類は簡素な上着とスカートやズボン――そこまで技術が発展していないとは思えない。

 よく見れば衣類はしっかりと作られており、その出来栄えは量産品とは思えないほどに良かった。


 女性の服装、二の腕から胸を露出する服装が好まれているのか、ほとんどの女性がそんな上着に長いスカートを履いていた。

 いいっすね、おっさん的にはいるだけでハッピーになれそうな街だが、一部の女性は憎しみに溢れそうだ。

 いや、別に貧乳の方々の心が狭いとか全然思ってないです、全然思ってねぇ、全然思ってねぇって言ってるだろ。


 男は薄オレンジ(白)色の上着にズボン、サスペンダー着用が多い。

 サスペンダーって初めて見た――なんでつけてんのかわかんねぇ……。

 いや、ズボンが落ちないようにしているのはわかるよ、えっ、違うんだったらやっぱり知らない。

「あれは、なんでしょう、肩からズボンにかけての、なのですが」

「あれはサスペンダーですね」

 サスペンダーと訳しているが、実際の発音は違うものだ。

「サスペンダーなのですか」

「えぇ」

「なんのために付けているのでしょう」

「……ズボンが落ちないためではないでしょうか」

「ふふふっ実はおしゃれで付けているのですよ、知らなかったのですね」

「そうなのですか、それは良い事を聞きました」

 いや、ウソだぞ。

 実際にはサスペンダーという名前ではないが、サスペンダーに近いものなのだろう。


 鎧を着た者や明らかに通常着とは異なった服装の者がおり、サーチャーだとわかる。

 混じった獣人達、人と獣人とその中間が確かに存在していた――否、中間を見かけない。

 クトゥーナよりも獣成分が多い者ばかりだ……くさそう。

 個人的な話だが、獣人の女性がみな美人に思えてしまう。

 こんなの抱きしめられたら即落ちするだろうというぐらいにはもふもふしている。

 一緒に眠りについたらさぞ良く眠れそうだと眺めていたら、クトゥーナが俺を嫌そうな顔で見上げていた。

「なに?」

「別に」


 露店を抜け、住宅街を抜け、やがて見えて来た大きな屋敷と門――門の前には門番と、金髪の少女が一人佇んでいた。

 門番と何やらやり取りをしているようだが、その語彙には圧を感じた。

 幼い顔立ちとは裏腹にケバイピンクのドレスが目に痛い。


 屋敷の前に到着すると、背後の気配が消えデンギンが地面に降りる音と、差し出された手を取り、クトゥーナを先に下ろして、飛び降りようとすると、さっとデンギンに腹を両手で支えられて、地面に降り立った。

 お前の血の付いた手で触れられたら俺の服に血がつくやろがいと思ってしまったが、一着しかないボロのワンピースに血がついた、マジ殺す。


 地面が揺れている感じと、視界がうねるような眩暈を覚えながら、平衡感覚に鞭を入れて平静を装う。

「ありがとうございます」

「いえ。申し訳ない、血がついてしまったようだ」

「気になさらず、大した召し物ではございません」

 クトゥーナは俺の体につかまって目を回していた。

 馬が俺の頬に鼻先を近づけてきて、擦りつけてくる――重かったし疲れただろう。

「あなたがマギサエルレイン?」

 急に話しかけてくるなと金髪の少女を見る――金髪をツインテールにした少女は不敵な笑みを浮かべ、俺の顔や体を値踏みするように眺める。

 マジでツインテールにしてやがる、こんなことは言いたくないが、リアルのツインテールはバランス悪いし可愛くねーからやめとけって、いや、似合う奴もいるだろうけれど。

 わかってる、好きでツインテールにしてるわけじゃないよな、ツインテールにすると顔の大きさが強調されちまうんだよ、お前のせいじゃねーよ。

 それがバランス悪く見えてさ、女の敵は女って知っているかな。

 可愛い可愛いって褒めるけど、内心ではやべぇコイツって思っているから信用するなよ。

 ソースは無い。

 だって俺、女じゃないし、偏見なんだ。

 俺は敵じゃないぞ、本音は言わないけど、なにこいつキモイって言って来たら、愛想笑いを浮かべながらお前のサンドバックになって自然にフェードアウトしてやるよ。

 悪口でも話題になれてよかったよ、でも悪口はやめよーぜ。

「あの死にぞこないに勝るとも劣らない地味さね」


 うるせぇバーロー可愛い顔をしているが死ね――と思ったが、さすがに口には出せなかった。

「申し訳ありません、私の名前はマギサエルレインではありません、きっとどなたかと勘違いなさっているのかと……私はタチアナと言います。はっ……もしかして……あなたの名前はマギサエルレインですか?」

 クトゥーナにそう聞くと、クトゥーナにあからさまに嫌な顔をされた。

 そんな嫌そうな顔するなよ、可愛い、いつもその顔だったら素敵、投げ捨てるけど。

「こちらがマギサエルレイン様です」

 俺はクトゥーナに手を向けて少女に紹介し、クトゥーナにもっと嫌な顔をされた。

「貴方の名前なんてどうでもいいわ。それにしてもさすがデンギンね。たった一人でここまで連れてくるなんて、筆頭騎士の面目が保たれたわね。それもたった一日で、その日のうちになんてね」

「おほめに与り、光栄にございます。では失礼いたします」

「ふんっ。五体満足に帰れるといいわね。あなた、タチアナ? だったかしら」

「えっと……タチアナ様とはどなたの事でしょうか。あなた、もしかしてタチアナと言うのかしら」

 クトゥーナはあきれた様子で首を振った――何あきれてんだよ。

「このっ‼ コイツ頭おかしいんじゃないの!?」

「エリゼール様、おやめください。我々は早急な用事がありますので、失礼いたします」

「フンッ毒で死なないといいわね、デンギン‼」

「ご心配には及びません、デネボアの毒で私が死ぬことはありません」


 フンはトイレでしろって思ったけれど、さすがに言えなかった。

 おフンだなんてお下品な言葉、とても口から発せられませんわ、う〇こ〇んこ。

「ごめんなさい、エリゴリラ様、私達はこれで」

「エリゼールよ‼ わざとやってんの!?」

「はらー……フンッ糞はトイレですることね‼」

「はぁ!?」

 かなり失礼な事やってしまった――だってコイツ、ツインテールなんだぜ、関わりたくねーよ。しかしいくらなんでもはらー……はねーよな、やってて笑っちまったわ、心の中で。

 わかってるって、お前らも俺に関わりたくねーよな。

 つまりウィンウィンじゃん、やったね。

 このまま二度と関わらない分岐世界までレッツゴー、キャー素敵。


 門は金属格子で出来ており、同じ金属で出来たバラなどが咲いていた。

 この門だけでも金がかかっているのが良くわかる、こういうのって以外と高いんだよ、いや、安いかもしれない。

 でも人件費って高いだろ、大体こういうのって特注だろうし、特注って高いよ。


 入ったら広い整備された道が続いており、左右は芝生になっていた。

「こちらをお持ちください」

 デンギンから渡されたのは二冊の日記だった。

 リリアーヌとドミナのものだ。

「ありがとうございます。手、大丈夫ですか? こんな事よりも早く手当てをしてください」

 この日記、ただの日記だけど大事なもんだからな。

 それと手を見て思った――こういう時、布とかちぎって結ぶんだろうけど俺はしねーよ。

 理由は俺がやっても気持ち悪いから。

「心配いりません」

 ぶっ飛ばしてぇコイツ。

 いやこの体格差じゃやられるのは俺の方だけど。


 改めて歩き出す。

 ただの芝生じゃなくて管理された芝生だ――先に宮殿のような建物が見えるけれど、あれが屋敷だろうか。

 家の前には老婆が一人、それと使用人と思しき人物が何人か。


 老婆に目が行く――順当に行けば、リリアーヌ、ということに、なるのだろうな。

 髪も白ければ、肌も真っ白で、車椅子に座っていた――一目見て思ったのは、隣に黒髪で背の高い綺麗な女性の形をした死神が穏やかに佇んでいるという印象だった。

 その死神は俺を見て嫌そうな顔をする。

 そんな嫌そうな顔しないでくれよ、綺麗なお姉さん、結婚しよう、そして二人は結ばれてエンド。

 いや、俺の妄想の話だ。


 綺麗な緑色の目、目の前で屈むと、老婆は前のめりになり、俺の体にもたれかかり体重を支える。

「その瞳、まさかお目覚めになっておられるとは――わたくしはリリアーヌ、リリアーヌでございます」


 世話をしてくれたのは日記を見ればわかるけれど、意識は無かったわけだし、実際に会ってみると、緊張以外の何もない、他人なわけだし――ただこの白さ、髪の白さや肌の白さは、亡くなった祖母を思い起こさせて、命がもう長くないのがよくわかった。

 異常なほど肌が綺麗なのだ。

 この様子では冗談も言えないだろう、世話になった恩を返せるうちに返そう。

「まずはデンギン様の治療を、毒を受けています」

「あぁ、そうなの? デンギン」

「心配はないと申しておりますのに」

 リリアーヌが何か言葉を発するよりも早く、使用人がデンギンの様子を見た――これなら心配はないだろうか。

 俺は改めてリリアーヌを見る――リリアーヌはデンギンを心配そうに見つめていた。

「本当に問題はございませんので、どうか私の心配はなさらぬよう、騎士の面子に関わります」

「そうですね、貴方は筆頭騎士ですものね、この程度で倒れるような男では無いですね」

「そうです、我が主、リリアーヌ様」


 うぅ、これが忠誠って奴ね、見ててかゆくなってくるわ、いや、ごめん、素直な感想なんだよ、俺、ウソが下手だからさ、軽蔑されそう、でもその軽蔑の眼差しがぞくぞくして素敵。

 言っとくけど、冗談だ。


 リリアーヌが改めて俺を見、俺はリリアーヌに語り掛けた。

「ドミナ様はお分かりになりますか? ドミナ様は……」

 俺はリリアーヌに持っていた二冊の本を差し出す。

「あぁ……これは、わたくしの……それにこちらは、ドミナのですね。あぁ……」


 リリアーヌは本を抱きしめながら泣き出してしまった、よろよろとよろめくリリアーヌを支え移動し、建物の中へ――玄関から入ってすぐにテーブルとイスが即席で運ばれてきて、リリアーヌを席に座らせる。

 やべぇ使用人だ、使用人は一言も発さず、目も伏せて、手は腹の前で組んでいた。

 言っとくけど腹の前で手を組んでも隣の国は関係ねーよ。

 お辞儀してねーからな。

 手を見せるのはおそらく武器を所持していないとアピールするためだ。

 違うなら知らね、腹が痛いんじゃね。


 リリアーヌはしばらくの間、自らの日記を懐かしい様相で眺め、俺はそんなリリアーヌの傍にいた。

「あぁ、懐かしい、ドミナったらこの時ね、リナも……」

 俺の知らない思い出ばかりをリリアーヌは日記をめくり喋り続けた。

 時を忘れるほどで、リリアーヌは後から後から思い出した記憶を喋り続け、何時まで聞けばいい、今何時だと、気まずさを笑顔で隠しながらひたすら聞いていた。


 こういう時、クトゥーナをうらやましいと思うよ。

 だってコイツ、俺に抱き着きながら船を漕いでいる。

 俺も手持ち無沙汰が解消されていいけれど。


 リリアーヌから若干の緊張を感じたので手を握ってもいいですかと断り、リリアーヌの手を握った。

 左手でしばらくマッサージしていると、緊張がほぐれて来たのか、喋る速度はゆっくりとなり、やがてごめんなさいね、こんな長話してと思い出話から解放された。


 なんだか母親の介護施設を思い出し、徘徊するばあ様の手を取りながら、一緒に歩いたのを思い出した。

 そのばあ様が歩いている途中で、不意に何かを思いだし喋り出す。

 通路の途中においてある丸い椅子に座らせ、手を握りながらずっと話を聞き、不意に全てを忘れ、また徘徊を始める。


 電車の中でもよくばあ様やじい様にからまれたものだ。

 ばあ様の乳がんの話やら、じい様の波乱万象の人生やらを聞いた。


 もっともどちらにも興味がなかったので、俺は適当に相槌を打ちながら、聞き流していたのだが。


 手を握るという行為は年をとった者には有効だが、若い女性や小学生以上の男子同士でやるのはおすすめしない。

 ソースは俺。

 高校の時、落ち込んでいる知り合いを励まそうと、手を貸してと手を出したらめちゃくちゃドン引きされたし、小学生の時は手を繋いで振り回して遊んでいたけれど、中学以上だとホモだと思われる。


 小学生のフォークダンスですら手を繋がれなかった俺の勇気を返せと言いたい。

 まぁ、男なんて両手が恋人のところがあるし、洗ったところで触りたくないというのも今なら理解はできる。

 でもそりゃお互い様だろとも思うけど。


 俺もしばらくここに滞在するよう促された、というよりも強制された。

 じゃあ挨拶は終わったので帰りますってわけにはいかないとは思っていた。

 夜も更けている――屋敷にいる間はデンギンが俺の護衛をするようだが、屋敷の中ですら安全ではないのだろうか、みな俺が襲撃に合っているという情報を、リリアーヌに伝えようとはしなかった。


 高齢ゆえに負担を気にしているのだろう、デンギンの話では、俺のこの体はリリアーヌの娘同然という事だ、会って喜んでくれたリリアーヌ、俺が襲われていると知れば倒れてしまうかもしれないと。

 流体は展開しておくが、できる限り他人のプライベートには関わりたくない。

 何処で誰が何をしているかなど、俺だって知りたくはない。

 浮気とか、裏切りとか、そういうのはそう言う人たちで勝手にやってくれよ、俺は妖精なんだよ、妖精を傷つけるなよ。

 恋愛は結ばれるまでを見るのが楽しいんだよ、ラクロスしたらもう生々しいんだよ、ピュアの欠片もねーよ。

 とはいえ、情報集めのためにある程度侵害するだろうな。


 俺が魔力を吸い所有してしまうと、俺の魔力を体内に取り込めない人達が衰弱してしまう可能性がある。

 魔力で口元を覆い新たな魔力の吸収を防ぎ、あくまでも建物の表面だけを覆うように流体を展開した。


 俺の恰好を見かけた使用人たちが、お風呂に入るよう勧めて来て、お風呂に入ることに。

 久しぶりに浴槽に入った。

 このために生きているようなものだと思ったけれど、俺、シャワーしか浴びない派だったわ。

 俺って最高にめんどくせぇ奴って思うじゃん、俺も思うわ。

 でも気持ちはよかった――使用人さえいなければ。

 今まで体を拭くだけで済ませてきたからわからなかったけど、浴槽にそのまま入ろうとしたら使用人たちが慌てた様子で髪をまとめてきた。

 どういうことかと思ったら、髪が痛むと言われた。

 正直、この体になって唯一面倒だと思ったのは髪の毛だ。

 この髪の毛、長さが固定なんだよ、だってそう設定したから。

 切ろうが剃ろうが元の長さで固定されてしまうのだ。

 濡れた髪が体に張り付くと頭皮をひっぱって痛いんだよ、マジキレそう。


 あがったら着替え――取り変えられており、配慮したのか、同じようなワンピースを使用人が着せてこようとし、自分で着られますのでと断り、自分で着た。

 真新しいブラにパンツを借りた。

 正直俺、男だからブラはいらないんだが、カップもAってとこだし、女性のような見た目だが間違えなく男なんだよ。

 でも新しいワンピースは乳首が透けるので、しぶしぶだがブラを付けた。

 乳首透けてるとか最悪だろ、お前よ、上半身裸なら男の中の男で通せるけど、乳首透けてる男とかただのギャグじゃん。

 今は男でもブラ付ける人いるしね。

 ブラジャーというよりは布当てと言った方が正しいのかもしれないけれど。

 一枚の布を真ん中で捻り、背中で結ぶだけだからだ。

 布が特殊なのか、それだけなのにぴったりとフィットしてなかなか具合が良い。

 シャツで良くねと思ったが後の祭りだった。

 クトゥーナも真っ白なワンピースだが、こちらは左肩が開けており、結んで固定するというちょっとお洒落なもの。

 下着のパンツにショートパンツを履いてヤンチャできるようにはされていた。

 俺にもパンツくれよ、下着のじゃなくて上着のをよとは思ったが、金の無い俺には選択権がなく、欲しいなら自分で買えって話だから何も言えなかった。

 そもそも借りているだけだし、元の服は補修して後で返すと言われた。

 服装なんてワイシャツとズボンがあれば十分だったし、お洒落にも興味がないので最低限あればいい。

 この世界にワイシャツがあるのならワイシャツが欲しい。

 あとズボンも。


 ついでに弾力のある円形の髪紐も借りた。

 何度か試してみたが、ポニテにしても邪魔なんだよ。

 まとめた髪を三回紐に通したあと、四回目に通す途中で止めて丸いたわみを作ると割とすっきりした。


 クトゥーナは使用人に服を着せられるのを嫌がり、仕方なく俺が着せた。

 簡易ながら芋とソーセージを出されて食べ、食べていると使用人がちらちらと俺を見ては気まずそうにしていた。

 つうかうめーなこの芋。

 芋、マジでうめぇわ。

 緑色でしっとりとして、一見すると芋っつうかウリだけど、芋なのかどうかすらわからねーわ、芋じゃないならなんて呼べばいいんだよ。

 今までの食事と比べるとマジでうめーわ。

 クトゥルナの粉は所詮粉だからな、いや、あれもうめーけどさすがに食べ飽きたわ。

 ソーセージは元の肉の方がうまいわ。

 女王蜂は有能だったのだな。

 なんでそんな気まずそうなんだよ、食べたらまずかったかもしれんが、もう食っちまったもんはしょうがねーよ。

 まさかあれか、雑巾絞り茶みたいな。

 俺は別にかまわないぜ――でもお前、その雑巾手で絞るのはやめようぜ、手が汚れるから、後一応犯罪だぜあれ、食中毒になったら傷害罪だからな。

 この世界に傷害罪あるか知らんけど。


 食べ終わると。

「どうでしたか?」

 とリリアーヌに聞かれた。

「とてもおいしかったです」

「そうですか? 不満などは……」

「そうですね、ソーセージの味付けが少し……肉と一緒に血も入れると良いかもしれません」

「血ですか……」

 いや、適当に言っただけなんだ。

 血なんか入れたら生臭くなっちまうかもしれないじゃん。

「このように食事を頂けるだけでも、大変ありがたく思います」

 大変うれしく思います、の方がよかったかもしれない。

「いいえ、そうですか。喜んでいただけたならなによりです。それ、私が作ったのですよ。料理なんて本当に久しぶりで、うまく出来たどうか」

 芋は蒸しただけだし、ソーセージは焼いただけって、俺の料理と同じレベルじゃねーか。


 俺はリリアーヌの手を取った。

「こうして、作って頂けるだけで、嬉しく思いますよ」

 これはガチ。

 母親以外で他人が無償で料理作ってくれることなんて稀にしかねーから。

 熱い掌返しも仕方ねーよ。


 食事が終わったら皿をクトゥーナのと一緒にまとめて重ね、下げやすいようにして置いておいた。

 それ以上は邪魔になりかねない。

 海外ではそのままにしといた方がいいぜ、その方がいいんだってよ、代わりにチップ払えってさ。

 クトゥーナがトイレに行きたいというので、洗面所を借り、ついでに歯磨きなどを済ませる。

 水道が整備されているのか蛇口などが普通に存在し、電気も通っていた。


 夜も更けたのでもう寝ましょうと促され、リリアーヌたっての頼みで一緒に寝ることに。

 大きなベッドで三人横になり、リリアーヌを真ん中にと思ったのだが、それではクトゥーナちゃんが寂しいでしょうと俺が真ん中にされた。


 顔の皺、特に眉間の皺の多さが、リリアーヌの苦労を語っているようだった。

 部屋の入り口にはデンギンと、ヨロムという騎士がいる。

 デンギンはリリアーヌ直属の騎士だが、ヨロムはどうやら異なるようだ。


 建物に展開したテリトリーに聞きドッグイヤーを立て、会話する内容からあらかたの背景は見えてきた。

 リリアーヌには沢山の養子がいる――孤児や奴隷などではなく他の貴族が息子、娘を子供のいないリリアーヌに引き渡して養子縁組をしたものだ。

 公爵リリアーヌ家は現国王の血縁に当たるのはもちろんだが、リリアーヌの父親が、二代前の王の兄に当たる。


 兄が王ではないのかと問われると、良くある権力争いの末、負けたようだ。

 王の兄が父親、そしてリリアーヌの汚名は雪がれている、さらに領地を与えられていることから、リリアーヌが如何に王家に貢献してきたのかがわかる。

 しかしリリアーヌには子供がいなかった。

 逃亡生活のち、約十年は俺の世話に当てられている――リリアーヌの現在の容姿から考えると城に戻ったのはおそらく三十路近く。


 王に忠誠を誓うため、子供は作らなかったのかもしれない、その背景に何があったのかは想像するしかない。

 しかしリリアーヌの死後も公爵リリアーヌ家は残る――他の貴族にとっては行幸だろう、なぜなら娘や息子を差し出すだけで、リリアーヌ家の権力や財力を手に入れられるからだ。


 実質的な乗っ取りとも取れる――リリアーヌがそれを知らぬはずもないし、王もそれを知っているのだろう、もしくは王の差し金かもしれない。

 リリアーヌは仮にも王家の血を引いている、下手に血縁があれば、将来禍根になりかねない。

 血縁が途絶えさえすれば、例え血縁の濃い公爵だろうと王には擁立できないだろう。

 詳しいわけではないが、王になる候補には色々な制約があると思う。

 盗み聞いただけで、しっかりとした契約書のようなものを見なければ、実際どうなのかは判別できないけれど、まったく関係ない者が王になることはないだろうと思う。


 良く庶民が王女と結婚して王になるという御伽話があるけれど、王になれるのは決められた王と王妃の子供のみ、というのが俺の中にある知識だ。

 王が他の女と子供を作ろうが、王妃が他の男と子供を作ろうが、後継に当たるのは決められた王と妃の間に生まれた子供のみと昔調べた時はそんな感じだったと思う。


 実際には側室などの制度もあるだろうし、国により違いはあるだろう。

 王の子供であれば誰でも良いというわけではなかったはずだ。

 しかし血の繋がりがとても大切に扱われているのはなんとなくわかる。


 現在リリアーヌの養子たちは、血で血を洗っているのだろうなとなんとはなしに思ってしまった。

 誰がリリアーヌ公爵家を継ぐか、という問題があるからだ。

 おそらくだけれど、たった一人しか公爵領を継ぐことはできないのだろう。

 普通に考えれば長兄という話だが、みな養子というし、後継者としてはみな同率なのかもしれない。

 厄介な事に、ここで俺という存在が現れてしまったわけだ。

 もしリリアーヌに血の繋がった実子がいるとしたら、養子など吹き飛んでしまう。


 王が仕組んだのなら王も困るだろう、あと一歩と言うところで、俺という得体のしれない者が現れてしまった。

 今、彼らは気が気ではないだろうな――もしリリアーヌが俺を公爵家の跡取りとして擁立し、貴族社会に押し出して各貴族に認めさせ、王家にも擁立してもらうとか言い出したら困るだろう。

 実際には娘でも息子でもないのだが、そんな不確定な情報を信じるよりも、俺を消してしまった方が早いのだろうなと、俺だって思うよ。

 そんな事ぐらいで人を殺すのかと俺だって思うさ。

 でも世の中にはたかだが五百円のために人を殺す奴だっているんだぜ。


 真実はどうあれ邪魔者は消してしまった方が早い。

 とんだ藪蛇だ。

 ベッドの上で上半身を起こしながら、ため息をついてしまった。

 見て思ったのだが、リリアーヌの体内の魔力は少なく、風前の灯だ――所有している魔力の量が少ないと共に、吸収される魔力より排出される量の方が多い。

 世話になった恩がある、多少の苦労は背負ってでも恩は返すべきだ。

 なによりも、相続争い、後継争いなどには巻き込まれたくはない。

 ここで大金と権力が手に入ると工作するが主人公なのかもしれないが、俺にはそんな気が毛頭なかった。

 人には器というものがある、俺にそんな大層な器はない。

 こんなところに長時間放り込まれたらストレスで胃に穴が開きそうだ。

 そりゃ金は大事だし、金が無ければ何もできない。

 金のために人は人を殺すし、奴隷にだってする。

 お金を返せなければ、契約の元に搾り取られる事だってある。

 金金金金金金……。


 金のために生きていると言っても過言ではない。

 稼げる金の量が人の格だと言っても過言ではない。


 大量に持っていれば人は寄ってくるが欲も寄ってくる。

 少なければ安全だと言うわけでもない――マイナスになったら死ぬか人生を切り売りするかのどちらかだ。


 だからこそ、分不相応というものだ。

 セッ〇スしないと愛情を感じられないとか俺はやだぜ。


 リリアーヌの体内の魔力を増やそうと試みたはいいものの、ダメだ。

「リジェヴァネーション……」

『ごめんにゃ、リジェヴァネーションは使えないのだ……』

 にゃって言ったぞコイツ、タヌキのくせに、可愛い。

(いや、いいさ。マロは天と壁属性に特化しているようだね)

『そうなのだ、天と壁属性に特化しているのだ』

 二極特化型。

 本来なら一属性しか極められない魔術、しかし他の属性を犠牲にすることで、二つ目の属性を極めることができる。

 これを二極と呼んでいた。

 一見すると二極の方が一極よりいいのではと思われるかもしれないが、その分、凡庸性は下がる。

 各属性には得て不得手があり、さらに攻撃魔術なのか、支援魔術なのか、回復魔術か、などの系統により細分化される。

 つまりソロで強敵と戦うのは難しいという欠点がある。


 だがそれを補ってありあまる余力はある――それは二極した者同士でパーティを組むことだ。

 相性のいい属性は決まっており、そうなると二極する属性も決まってくる。

 それぞれ異なる二極の者三人でパーティを組めば、それこそ魔術混合含め、全属性の魔術を行使できることになる。


 タンクと火力と回復、この三人でパーティを組めば、大体の魔物に負けることは無いし、効率も良い。

 天と壁のタンク、冥と焦の火力、流と漂の回復というわけだ。


 二極の一番いいところは、大魔術を二属性分使える事。

 やっぱ派手だし強い。


 カオスは焦と冥特化――マロの主人がタンク役、カオスの主人は火力特化だと推測できる。

 火力筆頭なら狩人等だろう――起爆矢とか撃っていただろうな。

 あれ、クッソ楽しいのだ。

 まぁ矢に爆弾くっつけて敵に撃って爆破するっていう良くある奴。

 冥と焦だと冥属性魔術爆弾化っていう魔術体系があって、魔術をことごとく爆弾にできる。

 なんでもかんでも爆弾化するからマジでボマーだ。

 しかも二極だと冥属性としての機動性を持った高威力焦属性爆弾が作れるっていう。

 もう冥なのか焦なのかわかんねっていう。

 これで味方に壁属性がいるとクラスター爆弾とか作れる。


 冥属性はめいも担当しているが、こちらは生命力を攻撃力に代えて攻撃するものなので、回復はできない。

 リジェヴァネーションは徐々に体力を回復させる魔術で、焦と流と天の複合魔術だ。

 天と流の複合魔術、天命より威力は上に当たる。

 流属性が足りないので使えない。


 冥属性大魔術の一つにスリーピングフィールドと言う大魔術がある。

 一定範囲内にいる全ての者を眠らせると言うアホみたいな魔術だ。

 しかもこれ、味方も寝るって言う、眠り耐性も貫通するくせに、常時発動していなければ解けるって、本人も何もできないって言う、馬鹿みたいだろ。

 でも使い道があって、乱戦時に使えば敵も味方もその場で寝るから一旦落ち着けるし、寝ている間は地味に回復する。自然回復なのだが。

 パーティが瓦解しそうになったらいったんみんな眠らせて対策や作戦を練り、発動解除と共に再開なんてこともできる。

 コーヒー飲みながら雑談して、一服したらじゃあやるかっていう魔術だ。

 三分も持たない魔術だけれど。

 解いた瞬間やっぱりだめで全滅したっていうのもざらで笑える。


 回復にはどうしても流属性が必要だ。

 今の俺には漂と流属性が無い――正確には漂と流属性の魔術を発動できない。

 魔力を流属性に変換するプロセスを再現できないし、漂属性に変換するプロセスも再現できない。

 プロセスを構築できないので発動できない、それを補っているのが宿星なのだろう。

 エターナルパフュームの効果である程度生命力を強化しているはずだが、リリアーヌにその兆候はない。


 肉体的な衰えと魔力的な衰えは別に思える――同じなのだろうか、魔力の衰えが肉体の衰えとなるのか、それともその逆なのか。

 現在はプラスよりマイナスの方が多い――マイナス方向でプラスが無いので強化してもプラスにはならないのだろう。

 リジェヴァネーションではリリアーヌを延命できない。

 肉体を癒してもおそらく無駄なのだ。

 枯渇しそうな魔力を増やさなければならないが、単純に魔力を増やせばいいというものではないだろう。

 有象無象にある魔力と個人が所有している魔力は別物と捉えていいだろう。

 リリアーヌが支配権を持った魔力を増やさなければならない。


 俺の血を一滴、リリアーヌの口元に垂らそうとして――やめた。

 俺が彼女の寿命を勝手に決めていいわけがない。

 彼女の最後は、彼女が決めるべきではないか……。


 ニャンコの言っていた言葉を思い出す――科学者になってわかったのは、できない事、解明されていないことが多すぎる事だけだって。

 ――少女のように眠るリリアーヌの髪を撫で、クトゥーナが良く眠れるように、胸をぽんぽんとリズムよく叩き続けた。

『聞いていいのだ?』

 マロが言葉を投げて来た。

(いいよ、別に、聞くだけならタダだよ)

『ぶっつけ本番で幻影を使ったけど、使えるって確信があったのだ?』

(……パンタノーラの幻影か、確信はなかったかな。あれはパンタノーラから直接貰ったものだ、だから使えるんじゃないかと期待はしてたよ)

『もし発動しなかったらどうしたのだ?』

(普通に殲滅したよ、マロやカオスに手伝ってもらって、流体で包んでもいいし、もちろん火は吹かれるし、森は荒れるだろうさ。もしかしたら流体で炎を防げたかもしれない。森が燃えるのを見た村人がストレスで狂って崖から飛び降りたかもしれない。全部かもしれないという工程の中で、あれがベストだと俺は思った。もしストレスで崖から身投げしても、流体で守ることはできた、と思う。ただ、やっぱり心の傷って奴は人間にとって致命的なものになることがある。ひどいものだと体の傷より荒れる)

『ストレスで死んでしまうのだ?』

(これは、本能っていうか、俺もそうなんだが、極度に緊張して、その状態が長く続けば続くほど、その緊張より抜け出そうとして、気絶したり、寝たりすんだよ。俺の場合は著しく眠くなる。今寝るのは明らかにおかしいって場所で眠くなる。試合の前とか急にな。そういうストレス、それがひどいものになると、そのストレスからなんとか抜け出そうとして死ぬんだよ。正常な判断ができなくなって、自殺っつってな。言い訳がましんだけど、もし発動しなかったら、俺は村人の精神状態は諦めていたよ。そこは強く生きてくれって願うしかない)


 発動しなかった時のことは考えないようにしていた――考えてしまったら、今更震えがきているなんて、もちろん例え崖から飛び降りたとしても、幻影が発動していないのならテリトリーは機能していたはずで、流体で守れたはずだったんだ。

 同時にやることは増えるさ、分散したヘルベロスの対処は骨が折れただろう。

 森は相当被害を受けただろうな、それでもマロとカオスが自立して魔術を行使してくれるのなら、なんとかなったとは思うのだ。

 流体を上手に扱えて、タイミングさえ合えば、噛み合えば……。

 もしそれで俺が死んだとしても。


 幻影は発動した――。

 でもそれで飛び降りられてさ、助けられなかったなんて絶望じゃん。

 アーサーがいなかったらと思うと、堪えるんだよ。

 もし亡くなっていたら、自分の考えがうまくいかなかったことに対するショックなのか、人が死んだことに対するショックなのか、ごちゃまぜになって自分がわからなっちまいそうで。

 それが一番堪える。

 そして寝たら、それを失ってしまうのだ。

 記憶の中にしか存在しないそれらを思い起こして……。


 いつか自分がわからなくなる。

 アルツハイマーや認知症になった自分を想像すると怖いのだ。

 何が怖いって、そうなった俺が、妄想を垂れ流すことだよ。

 現実と空想の区別がつかなくなって、それこそ、狂ってるって奴。

 そんな姿をさらしながら、気づけない自分が辛い。

 弱い自分がベストなんだよ、それを失ってしまったら、俺は俺じゃ無くなってしまうような気がする。


 それらを飲み込んで生きて行かなければいけないとも思うのだ。

 全部うまくやろうとしなくていいよと誤魔化して、俺は天才じゃないと誤魔化して、興味がないと言ってやりさえしなければ、自分ができない事にすら気づかないですむ。

 そうすれば、傷つかずに済むから。


 人殺しのくせに……何時まで引きずる気だ。


 マロとカオスを実体化させ、お腹を撫でさせて貰った。

 馬もそうだったけれど、マロも気遣ってくれているの、わかるよ。

 カオスも。

 善意には善意を返したい。

 考え過ぎるとダメだね、適当ぐらいが丁度いいのかもしれない。


 騎士達は俺が思ったよりも優秀で強かった。

 俺の力などいらなかったかもしれない――騎士達に任せておけば穏便に済んだかもしれない。

 全てかもしれないって話で嫌になっちまうよ。


 結局、何もしないのが一番いいと考えてしまうのが嫌だ。

 こういうの、人に話すと嫌がるだろう、だから話さない。

 自分語りはやめろってさ――じゃあお前はどうやって他人を知るんだよ。

 身近な人間の語りぐらいは聞き流しながら聞いとけばいいのにって思っちまう俺は、老害なのだろうな。


 翌朝リリアーヌが目を覚ますと、俺を見つめて息を吐いた。

 上半身を起こすのを手伝い。

「もしかしたら夢なのではと思ってしまいました」

「ここにおりますよ、リリアーヌ様」

「えぇ、確かに、そう、確かに、そのヴァイオレットピンクの瞳、とても綺麗。手を握ってもかまわないかしら?」

「かまいませんよ」

「どう表現したら良いのかしら……どうしてこんなに癒されるのでしょうか。あなたが傍にいるだけで、どうしてこんなにも満たされた気持ちになるのでしょう……ごめんなさいね。勝手に、こんな気持ちを」

 俺は改めてベッドの上で正座し、リリアーヌに向けて頭を垂れた。

 人は世話になった相手や、礼儀を感じる人間には自然と頭が下がるものだと思うよ。


 俺が世話をされたわけじゃねーよ。知るかって話だ。

 だけれど、俺がそれを言ってしまえば、リリアーヌは深く傷ついてしまうかもしれない。

 普通に考えてそんな事言えるわけねーよ。

「リリアーヌ様、貴方が私の世話をしてくださったこと、心から感謝しています。どうか私には遠慮なさらないでください」

 そう告げ、顔を上げると、リリアーヌは目に涙をためていた。

「思っていいのかしら? 母親のように、思っていいのかしら?」

「かまいませんよ」

 リリアーヌの手を取り、頬に寄せる。

「ありがとう、マギサ様」

「マギサでかまいません。私は貴方を母親のように思っていますから」

 俺の母親は、先にも後にもあの人だけだよ、ごめんなリリアーヌ。

 それは譲れねーよ、例えマリアンヌでもな。

「ありがとう……マギサ」

 使用人が様子に気づいて部屋の中に入ってきた――本当に上流階級の人間なのだなと思った。

「おはようございます。リリアーヌ様」

「あぁ、マリヨン、良く戻りましたね」

 お前かよと思ってしまった――ここの使用人だったのか。

「お体の具合はいかがでしょう?」

「えぇ、ありがとうマリヨン、なぜかしら、今日はとても調子がいいの。少しだけ若返った気分、あの頃に戻ったようで、とても体が軽いの」

 リナがリリアーヌの使用人で、リナの子孫がマリヨンならマリヨンがリリアーヌの使用人でもおかしくはない。

「良く我が娘、マギサを見つけてくださいました。心から感謝します。マリヨン」

「いいえ、わたくしこそ、このような任務を頂き、果たせたことを大変光栄に思っております」

「いいえ、良く遂行してくれました。貴方には感謝してもしきれません」

「光栄の極みにございます。我が祖母リナが聞いたのなら、一族の誉だとほめて下さるでしょう」


 二人で話をはじめ、俺とクトゥーナは蚊帳の外に、寝間着から着替えるために右往左往していると、使用人が現れて隣のお風呂に連れていかれた。

 昨日夜入ったのに朝から風呂かよ。

 いや、気持ちいいんだけれども、体、洗おうとするの、やめようか、お姉さん。

 使用人のお姉さんが俺の体を洗おうとしてきて、自分で洗いますと言ったらまた困惑された。

 クトゥーナが使用人を威嚇して牙を剥きだしていたので拳骨を頭にくれてやる。

 使用人って言い方もあんまり好きじゃないが、それ以外に言いようがない。

 メイドって言えばいいかもしれないけれど、それ結局女性の使用人って意味なんだよ。


 いや、仕事として選べて、しっかりとした対価を貰っているならいいし、本人が納得してやっているなら基本的にいいと思うよ。

 俺が口出しできるもんじゃないし、ただの気分の問題だ。

 わかってはいるんだけど、もやもやしちまうんだよ。

 俺がこの世界の貴族に生まれていたら、やっぱり使用人は使用人として扱っていただろう。そうでないなら、親が俺を矯正するだろうし、それでも意地を張るのならそれなりの評価と被害は受けるだろう。

 何の力もない俺は、あっけなく押し込められるか、権力に潰されるだろうな。

 俺が特別扱い、普通に扱った使用人が見せしめとして殺されたり妬まれて虐められたりするかもしれない。


 俺が孤児として生まれて、街の中で残飯を漁るような生活をしていたら、使用人として食事や風呂を提供されるのを拒まなかっただろう。

 歓迎すらしただろうな……。


 結局使用人にとって、一番良いのは使用人として扱う事だって言う――でなければ使用人というシステム自体を変えなければならない。

 権力と力を手に入れて……。

 いろいろな結果を考えて、結局俺がそれをする意味がない。

 俺より優秀な奴がもっと穏便に済ませてしまうだろう、結局、余計な事をしているに過ぎないのだ。


 座りクトゥーナの体に石鹸を塗りたくって雑に洗ってやった。

 背中にニキビがあって、舌打ちしてしまう。

 ニキビだよな――寝不足か、ミネラル不足か、ストレスか、アクネ菌なんて存在するのか。

「うぇへっうぇへへへへっ」

 だからお前そんな笑い方ある、笑い方おかしいだろ。

 そろそろ自分で洗わせた方がいいとは思うのだ。

 いや、コイツ自分で体を洗えるんだよ、教えたから、なんで俺が体洗ってやっているかって、てめぇで洗えよクソガキ、殺すぞって言ってみ、児童虐待で訴えられるから。


 自分の体は自分で洗いなさいって丁寧な口調で言うと、コイツやだって言うんだよ、ヤダって、それで何日も体拭わないで俺の上で寝ようとするんだよ。

 めっちゃ腹立つわ。

 それで洗ってやっている俺もダメなのだろうけど。

 今はいいよ、人の目もあるからな。

 流体で包んで湯船に放り投げ込んでやった。

 使用人たちは驚いていたが、流体でちゃんと包んでいるから無傷だよ。

 盛大に水しぶきがあがったが、湯船から飛び出して来たクトゥーナはえへへへへって変な笑い方しながら飛び出してきて抱き着いてきた。

 背中に抱き着いてきて、体を密着させてくる。

 かまわず俺は自分の体を洗う。


 ――この街、もしかしたらクトゥーナの暮らしていた街なのかもしれない。

 怖いのかもしれない。

 お前ぐらいはなんとか大人になるまで守ってやりたいとは思うよ。

 大人になったら好きに生きろ。


 じっと眺めていると、座る俺の前面に回って来て、膝の上に恐る恐る足をかけ、前面に抱き着いて来る。

 水で濡れた体と石鹸にまみれた体が密着する――心臓の音が、俺の心臓の音に合わさっていく。

 あまえてんじゃねーぞこのクソガキと立ち上がり、俺はクトゥーナの足を掴んで流体に包み浴槽へ投げ飛ばした。


 着替えも使用人たちが用意していたが、俺はただの庶民ですのでと断り自分で着た。

 クトゥーナはしてもらえばいいと思ったのだが、使用人に触られるのを極度に嫌がって暴れたため結局俺が着せた。

 お前、さすがにそれは人見知りってレベルじゃねーぞ。


 着替えて部屋に戻ると二人はまだ談笑していて、積もる話もあるのだろうと何とはなしに思った。

 使用人がぼそぼそと何かをリリアーヌに呟いて離れた。

「マギサ様、気にしなくて良いのですよ? あなたは私の娘も同然なのだから」

「様はやめてください、リリアーヌ様、私は人様から様をつけて呼ばれるほど大層な者ではございません。その言葉だけで十分ですので」

「ではわたくしが……」

「マリヨン様、私は自分の事は自分でできます」

 そう告げると使用人はなぜだか表情が緩んで嬉しそうにし、リリアーヌとマリヨンも顔を見合わせてふふって嬉しそうに笑った。

 なんでだよ。


 朝食を取るが、俺はともかくクトゥーナは料理の食べ方に戸惑っていた――食べ辛そうにしているクトゥーナの口を拭おうとすると使用人に止められ、使用人がクトゥーナの口を拭おうとすると飛び跳ねて避けられ、結局俺が口元を拭う。

 もう使用人たちはその光景に困惑してはいなかった。

 逆に俺の口が汚れると、リリアーヌは口を拭おうとする使用人に手をかざし、俺の口を拭ってきた。

「すみません……」

 そう告げると、リリアーヌは優しい目で俺を見た。

 その眼差し、それは母親が、俺に向けていた眼差しとよく似ていた。


 ご飯を食べ終えたら庭に行き、また談笑と、リリアーヌはドミナの日記を読み始め、俺は出された苦い飲み物を飲みながら、ぼんやりとしていた。

 マリヨンは用事があると何処かへ行ってしまった。

 視界に入らぬように配慮しているが、デンギンとヨロムもいる。

 デンギンは寡黙だが、ヨロムはしきりにデンギンに話しかけているようだった。

 どちらが強いかとか、勝負しないかとか、強さに興味があるとかそういう類だ。

「ドミナは随分苦労したのですね。私はドミナに、何もお返しすることができない」

 ドミナの日記の最後は、次は男に生まれたいと綴られている――男で獣人であるのなら、末永く貴方をお守りできるのにと、この貴方とはおそらく俺の体の事だろうな。


「ドミナ……ごめんなさい。ごめんなさいね」

 謝らないといけないのは俺だけど、俺は謝らないよ。

「あの頃は、何もなくてね、毎日生きるのに精いっぱいで、食べるものもなかなか見つけられなくて、三人で一つの芋を見つけて笑ってね。それでその芋が毒でね、お腹壊したりして」


 ぽろぽろとリリアーヌは涙を流し、打ちひしがれているようだった。

「今更毒の抜き方を知ってね、ふふふっ」

 芋ってよく毒があるよな。

「泥だらけになって、お風呂にも入れなかったのに、なぜだか、なぜだかね……胸がいっぱいで、気づかなかったくせに、後になって思うの。あの頃は満たされていたって」

 屋敷での毎日は穏やかなものだった――色とりどりの花が植えられた裏庭を散歩したり、特別なお茶を飲んだり、お風呂で背中を流したり、もしかしたら養子が乱入してくるのではと思ったが、屋敷の外で何かもめているのは見かけたものの、屋敷の中までは入ってこられないようだった。


 テリトリーに時たま引っかかる者はいる――しかしひとたび手を出そうとすれば、周りの使用人たちに消されていた。

 ゲロ吐きそうだと思ってしまった。


 リリアーヌは積極的に動き、一緒に料理をしたり、懐かしむように洗濯をしたり、よく笑っていた、俺はせめて娘のように振る舞うだけだ。


 リリアーヌはクトゥーナの事について、何も聞かなかった――そして俺も、跡目相続について、リリアーヌに話さなかった。

 仲良くなればなるほど、嫌われたくないと隠していた部分が露見していくものだけれど、リリアーヌは温和で優しく、意見の衝突などもなかった。


 なぜ沢山お金のある今より、昔に固執するのかって。

 俺の想像だが、あの世に金は持っていけないからだと思う、金では買えないものがある。

 かけがえのない人たち、リナ、ドミナ、リリアーヌ、三人と一緒にいた時間。

 死んだ人は蘇らない、また会いたいと、誰だって思う、俺だって思うよ。

 もっとも元から金のない俺にはどうしようもないことだ。


 精神がどんどん若くなっていくリリアーヌは少女のように笑ったが、体はやはり、ついていかなかった。

 庭園の中で、茶を飲み、草の上に座って、寄り添い、最後の言葉などもなく、俺の膝の上で、ただお昼寝でもするかのように、目を閉じて、二度と目を開けなかった――。

 気づいたら、もう、動かなかったって――。


 両親が死んだ時、こんな気持ちになるのだろうなと、俺はなんとはなしに思った。

 悲しいとも苦しいとも何とも言えず、幸せでしたかとも、苦労をかけてごめんねとも言えず、その生に意味はあったのかを考え、残された俺がその意味にならねばならない事に気づいてやりきれなくなる。


 どうにもできない運命のようなものがあり、抗えず、抱えるしかないその憤りに、叫びたくも嘆きたくも、棺桶に向かって物を投げてやりたくも、棺桶を投げ飛ばしたくもなる。

 そんなことできないでしょうとも思うのだ。

 苦しいよとも言えず、言えば楽になるものでもない、ただ我慢するしかない。


 他人を殺しておきながら、知り合いの死に涙するなんて、都合が良すぎるだろうか――思ったよりも傷ついていた。

 葬儀は街を起こして盛大に行われたが、俺が参列することはなかった。


 他人は死んだ人に、いい人だったと言う。


 義理は果たした。

 多少の面倒は目を瞑る――俺はここにいたくないから、早々に去る。

 リリアーヌが亡くなってすぐに俺は屋敷を出た。


 なぜって、俺、税金払ってねーんだよ。

 バレたらやばいじゃん。


ここで一区切りです。評価して頂き、ありがとうございます。また読んで頂ければ幸いです。

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