それでも生きなければ
肌寒さすら感じさせる夕方、道東の真臼町駅には真夏の黄昏が訪れていた。
NJR(北日本鉄道)の道東列車駅はここまで。
朝の上り、夕方の下り、それぞれ僅か1本ずつの列車は、乗客も疎らな不採算路線。
無人駅のホームに佇むスーツ姿の男性は、普段地元では見ない顔。
まだ幼さすら感じさせる横顔は締観に満ち、誰かを乗せている気配さえ窺えない列車到着に合わせ、乗降口より幾分列車寄りに歩みを進め、ホームの端限界に立ちすくむ。
プオオォーッ……
列車のホーム到着を告げる合図に合わせ、スーツ姿の男性は目前で両手を合わせて目を閉じ、ホーム下の線路へと身を投げた。
長年の経営不振に喘ぐNJRを買収したのは、かつてIT業界の寵児として持て囃された、堀谷哲。
有り余る程の富と名声を手にしたものの、利己的な経営手腕が株主と役員の怒りを買い、10年前にクーデターによる会社追放の憂き目に遭っている。
彼は後に大腸癌を患い、完治後も小さな転移を繰り返す現実を受け入れて改心し、生まれ故郷の北海道の為に身を捧げる決意を固めた。
まずは社内を改革し、役員報酬を必要最低限まで切り詰め、自らは無報酬での社長就任を決定する。
報酬を切り詰めた役員には勤務地異動無しという特典を与え、過疎地での勤務は高齢の未経験者や前科者も積極的に採用して人件費を減らし、その差額を不採算路線の維持に充てた。
経済が疲弊する北海道に於いて、高齢化する道民の足を確保した堀谷は今や、「北海道の救世主」として絶大なカリスマを誇る経営者となったのである。
「……また真臼町かよ……」
そんなNJR社員の最近の悩みは、辺境の駅での自殺者急増問題。
辺境の駅は基本的に無人で、訪れる列車も運転士のみという事態が往々にしてある為、自殺志願者の間で「NJRの〇〇駅なら迷惑を掛けなくて済む」という、社員にとってはそれこそ迷惑な噂が広まった。
自殺志願者がわざわざ前日から現地入りする周到さは洒落にならないものの、僅か1泊でも地元の宿には死活問題。
労働人口減少に喘ぐ真臼町では、事実上自殺志願者は野放し同然なのである。
「河野、明日から頼むぞ」
堀谷は社長としての業務を副社長の河野に任せ、辺境の駅での自殺問題の対策に取り掛かる事となった。
癌を患う堀谷は社長としてフルタイムの勤務ではなく、自ら辺境の駅に出向いてNJR活用PRを行う等、会社の広告塔としての活動に力を注いでいるのである。
「佐川と日吉に連絡を付けてくれ」
翌朝、北海道の辺境の駅でのよろず業務を担当する社員、佐川の車で真臼町入りした堀谷は、佐川との昔話に花を咲かせていた。
佐川は以前からNJRの社員であったが、腕っぷしの強さと酒癖の悪さが災いし、迷惑客に暴行を振るって死亡させてしまった過去を持つ、訳あり社員である。
迷惑客の行為が悪質であり、佐川に殺意は無かった事から刑期は短縮されたものの、先代社長のもとでは当然懲戒免職。
出所後ホームレスに転落していた所を、堀谷に救われたのだ。
「すまんな佐川、折角の連休を潰してしまって」
「とんでもない!社長がいなければ、俺は一生ホームレスのままでしたからね。こんな田舎じゃ休日に遊ぶ所も無いですし、仕事が出来るのは幸せです」
人間より鹿の数の方が多そうな、鬱蒼とした山道を手馴れた運転で走り抜ける佐川と、随分と長い間助手席で大人しくする事の無い開拓者タイプの堀谷。ともに白髪が目立つ50歳。
偶然ではあるものの、平坦な道を歩めない両者は互いの立場を超えた相棒の様な雰囲気を醸し出している。
「旅館からの報告がありました。昨晩にも若い男性客がやって来て、食事にもろくに手を付けていないそうです。漁業の町に来て食事を楽しまないなんて、観光目的じゃありませんよね」
「……また自殺目的、か……?」
佐川の言葉に頭を抱え、うつむく堀谷。
堀谷はITバブルに乗るまでは、ただのコンピューターおたくに過ぎない人生を送り、両親や親族からは見下され、学校でも差別やいじめを受けて来た。
それでも、自分の特技を活かせる業種で起業するという夢を追い掛けて、遂に手にした富と名声。
可能性に満ちている若者が自ら死を選ぶ風潮を、堀谷はどうしても許す事が出来なかったのである。
駅裏に車を停め、真臼町駅構内へと向かう2人。
今日は土曜日。
夕方には列車がホームに到着はするものの、明日日曜日の列車は運休。
この時点で、宿泊客は2泊するか、退路を断つか、その2つしか選択肢は残されていない。
「……!? 社長……!」
佐川は思わず息を潜め、駅の入口前で堀谷を制止した。
狭い駅構内にぽつんと座り込む、スーツ姿の若い男性客がそこにいる。
「……随分若いな。まだ学生じゃないのか?」
入口前で身体を屈め、小声で佐川に訊ねる堀谷。
あどけなさの残る顔立ちと、スーツを着ているというより着られているといった雰囲気から、恐らく就職活動に悩む大学生といった所であろう。
「……どうします?まだ昼前、夕方の列車到着まで随分時間がありますが……」
「とにかく話してみよう」
男性客の真意を確かめたい堀谷は、佐川からの問いに即答して駅構内へと歩みを進める。
「こんにちわ、真臼町へようこそ!」
突然現れたフレンドリーな態度の中年コンビに、男性客は呆気に取られて思わず目を逸らした。
「おや?この方をご存知ない?この鉄道会社の社長さんだよ?この堀谷社長を知らないたぁ、さては君、北海道民じゃないね?」
北海道民なら知らない者はいない堀谷ではあるが、道外からの観光客の記憶は10年前のIT長者といったレベル。
今の大学生なら、彼を知らない者がいても何ら不思議では無い。
佐川はおどけたジェスチャーを一時中断し、堀谷にバトンを手渡す。
「こんにちは、まだ列車が来るまで何時間もあるよ。まあ確かに真臼町は、する事の無い退屈な町かも知れないが、海の幸を食べて時間を潰した方が楽しいと思うがね」
作り笑いすら見せず、思い詰めた様に下を向く男性客の姿を見た堀谷は痺れを切らし、佐川とともに彼に詰め寄った。
「……君、まだ学生だろ?この駅に自殺しに来たのかい?」
それから暫く、男性客とのコミュニケーションを図った堀谷と佐川は、彼の現状を聞き出す事に成功する。
男性客は、流石に社長を前に列車で自殺するとは明言しなかったものの、自分が名古屋で就職活動中の大学生である事と、成功へのプレッシャーを感じる地域での就職活動に絶望感を募らせていた事を告白してくれた。
「……君の気持ちはよく分かる。我々の時代とは、就職の難しさは桁違いだからね。でも、私も差別やいじめを乗り越えて来たし、隣にいる佐川君は罪を犯して逮捕され、出所後はホームレスにまで落ちぶれた後、ウチの正社員にまでなったんだよ。今の辛さは、いつか必ず実を結ぶはずだ。希望を捨てずに頑張るんだ」
うつむいたままの学生には、自身の言葉は単なる老害の説教だと思われるだろう。
また、努力が報われた成功者の言葉など、何の慰めにもならないと思われても仕方が無い。
だが、それでも生きなければいけないのだ。
死ぬ自由は、誰にでも平等にある。
誰にでも平等にあるからこそ、大切に使わなければならない。
命を無駄にしてはいけない、それは即ち、いつでも死ねるタイミングを、若い内に無駄遣いしてはいけないという事なのである。
「……君、腹が減っただろう。俺はラーメン屋で修行した事もあるんだ。真臼町でしか食べられない、特製のラーメンをご馳走するよ。満腹になって、それでも自殺したければ、俺達に君を止める権利は無いからな」
辺境の駅である真臼町駅は、災害時の避難所としての機能を持たせていた。
佐川は冷蔵庫から、趣味で仕込んでいたガラスープと麺を取り出し、真臼町原産の肉厚な根昆布によるダシを加えた特製の醤油ラーメンを学生に振る舞う。
北海道ならではの濃口醤油による黒いスープではあるが、鶏ガラと根昆布によるあっさりしたベースに細い縮れ麺の組み合わせは、玄人も唸らせる味わいに満ちていた。
「わあ……美味しいです!」
前日から殆ど食事に手を付けていなかった学生は、悩みを打ち明けられた解放感からラーメンを勢い良く食べ始める。
その姿を眺めながら微笑みを浮かべていた堀谷と佐川の表情が、徐々に歪んだものへと変わっていく。
「よし、佐川……やれ」
「はい!社長」
堀谷の合図で、佐川は自身のバッグから冬場のタイヤに使用する滑り止めのチェーンを取り出し、学生の背後から素早く首へと巻き付けた。
「……ぐっ……!?」
突然の事に状況を把握出来ず、自身の首に巻き付いたチェーンに絞め落とされる学生。
咄嗟にチェーンと首の間に指を入れようと試みるも、かつて人を暴行死させた佐川の腕力には歯が立たない。
「……あが……おお……」
力なく両手は離れ、苦し紛れに蹴飛ばしたテーブルからラーメンは崩れ落ちていく。
額に汗を滲ませながらも、何処か恍惚とした表情で学生の首を絞め続ける佐川を、堀谷は不適な笑みを浮かべて見守っていた。
学生が動かなくなると、堀谷が彼が死んだ事を確認し、佐川と向かい合ってハイタッチを決める。
「やりましたね、社長!最高の気分です!仕事を貰えて、殺しも出来る。俺は日本一の幸せ者ですよ!」
興奮を隠せない佐川を横目に、冷たくなった学生の身体に蹴りを入れた堀谷は、勝ち誇った様に大声を張り上げた。
「社会に出た事も無いヒヨッコが、死にたいだと?ふざけてんじゃねえよ!そんな考えで、大切な誰かを守れるのか?大切な故郷を守れるのか?お前みたいな人間は、これからの日本には必要無いんだよ!」
堀谷と佐川は学生の遺体を線路に転がし、夕方の列車の車輪が首の絞め跡を轢きちぎれる位置に合わせて、入念に角度を計算する。
これで、自殺の後の轢殺が証明されるのだ。
「今日の列車運転は日吉だ。奴なら黙って轢いてくれるさ」
堀谷は佐川の他にも、窃盗の前科持ちから採用した男、日吉を不採算路線の運転手に抜擢していた。
彼は腰が不自由で、運転席から線路を見る事が出来ない。
下を見なくて良い程に見晴らしの良い路線しか担当出来ない為、必然的に辺境の駅コース限定の運転士となったが、元来辺境の駅周辺に生活基盤を置きたくない一般の社員は、佐川や日吉の存在を無視していたのである。
「……日吉、堀谷だ。今日の真臼町駅前に、鹿の遺体がある。ああ、人手不足で動かせないんだ。轢いても構わん。明日は日曜、夕方の列車に乗る地元客はいない。停車したら、すぐ出発しろ。分かったな。ああ、お前には感謝しているよ」
日吉への連絡を終えた堀谷は、1日の暑さのピークを示す14:00の陽射しに眉を潜め、佐川とともに駅裏の駐車場へと歩き出す。
「……くっ……げほっ!」
突然、激しく咳き込む堀谷。
口を押さえた右の掌には、血が付着していた。
「社長!? 大丈夫ですか?」
前のめりによろめく堀谷を、背後から駆け付けた佐川が支える。
「……癌が、胃まで来ているのさ。俺はもう、長くない。だが、それでも生きなければ。その時が来るまで、俺は生きなければ」
真臼町にようやく訪れた真夏の陽射しを背に受ける堀谷は、佐川に支えられながら、帰路を目指す車に向かって歩き続けていた。
(終わり)
如何でしたか?
私は所謂氷河期世代で、就職難も経験しているので、敢えてこういったラストを書くべきなのか少し考えましたが、敢えて書くべきだと決めました。
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございます!