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06

 山のふもとの暗闇に、コモード軍の焚く炎の小さな明かりがぼんやりと浮かび上がる。けれどチェリファリネの見つけた影は、どうも山の裏、敵軍の天幕とは違う方向に向かっているようだった。

「妙だな」

 呟いたのはレジェンだ。

 山の裏になど、なにもない。せいぜい景色のいい海岸線だけだが、こんな夜闇だ。この時分、行く理由などない。そもそも天幕に帰るとして、なにも迷うことなどないだろう。彼ら――レジェンたちですら迷わずに済む目印があるのだから。

「もう戻ろう」

 山に行くには天幕の横を通り抜けなければならない。炎の明かりに人影がはっきり見えるほどまで近付いたとき、ウォルドが言った。

「見たろう、あの影は山の裏に向かっていった。コモードではなく、我らブリランテの使いに違いない。きっとジェイファン王子が、モソ村に向けて出したのだ」

「モソ村に向かうなら、こんな道は選ばないわ」

 チェリファリネの静かな答えに、ウォルドは口をつぐんだ。

 ――わかっている。

 村に行くなら遠回りだし、危険でもある。使いを出すにしても、わざわざこのような時間を選んだりはしまい――とうに昼に出しているはずだ。けれどどうにも、これ以上進んではいけない気がしてならない。

 わかってはいたが、もはや二人の歩みを止める術はない。

 ようやく顔を見せた月に、足元が照らされる。軟らかい土と踏み砕かれた作物の残骸は、そこがかつて畑であった証し。チェリファリネは少しうつむいて、溜め息をついた。

 一方ウォルドは、装備のその重さのために足が土に沈んでしまい、これまでよりもっと歩きづらそうにしている。レジェンは彼を助けたが、畑を通り抜けるころにはすっかり疲れ果ててしまった。

「帰りにはさっきの騎士の馬を拝借するさ」

 自嘲気味に呟く。二人はただ、口許だけ笑ってみせた。

「それにしても、コモードの人たちもなにもしてこないわね」

 天幕のほうに目をやると、見張りらしい騎士がこちらを意識してるのは明らかだった。先ほどまでは均等に並んでいた八つほどの影が、一箇所に集まって十数名に増えている。なのに、彼らはそれ以上、こちらに近付いてこようとはしない。

 むろん、コモードの彼らとて騎士だ。真実の騎士の心得さえあれば、わざわざ出て来て止めるはずもない。三人の向かう先は天幕ではないし、ウォルドはともかく、他の二人は武装もしていない、明らかな庶民なのだから。

 夜の戦地を通り抜けるのに騎士を連れたのは、身を守るためには仕方あるまい。

「無駄な争いはしたくないのだろう」

 矛盾があることはわかっている。けれどウォルドがそう考えたことには、それなりの理由があった。

「コモードの王子、マリアンには一度会ったことがある。父王とは違って、とても礼儀正しい人なんだ――今、敵軍の司令官は彼だ。彼は卑怯な手を使うことはしない」

「でも現に鍛冶場は襲われたし、ガウリスは連れ去られたわ」

 怒りをあらわに言うチェリファリネの言葉に、ウォルドは眉間にしわを寄せた。それに答えようと口を開きかけたが、思考に目線を泳がせ、やめた。

 そんな彼の様子を見て、レジェンが言う。

「ウォルド、きみは最初から、これがコモード軍の意思とは思ってなかったんだね」


 しばらく考えてから、ウォルドはうなずいた。

「コモードの騎士のだれの仕業、だとは思う。けれどマリアン王子はこんなことはしない、それははっきり言える」

 敵軍の司令官をこうまで信頼するのもおかしな話だが、と続けて。もしコモードに生まれたならば、きっと彼に従事したろう。

「証拠はない。けれど、ここにきて確信を持てた。そうでなければ、無事に通り抜けることなどできるはずもない」

 ウォルドの瞳が光る。彼に抱いた信頼に裏切りがなかったことへの喜びでもあるし、彼の部下に彼を裏切る者がいるという憎しみでもある。しょせんは敵軍のこと、それをどうするわけにもいかないが、腹立たしさに唇を噛んだ。

「関係ないわ」

 チェリファリネが腹立たしげに言う。

「コモード軍がガウリスをさらったのは事実よ。彼らにどんな対立があろうと、彼らの中の非道な騎士がした恥ずべきことに、ガウリスは苦しめられているのよ」

 瞳は今にも泣き出しそうに涙をたたえている。今までより力強く踏み出した一歩は土をはね、二人の先を行く。

 まもなく山に着くというところ、天幕から一人の騎士が馬を走らせてきた。鎧を身につけ、槍も楯も備えていたが、兜はつけていない。騎士は三人を呼び止めると丁寧に挨拶をした。

「こんな夜更けにこんなところまで徒歩で来るだなど、どうなさったのですか」

 声は優しい。栗色のやや長い髪は月明かりに柔らかく光り、色白の肌は暗がりによく映る。ウォルドはその顔に覚えがあった。かつてマリアンと会ったとき、彼の傍にいた騎士だ。

「サー・キャロスですね」

 問いに、騎士はうなずいた。

「あなたはサー・ウォルドですね。お久しぶりです」

 言いながら、馬を下りる。チェリファリネは思わず一歩退き、遠巻きに彼を見つめた。

 ――コモードの騎士。

 ウォルドの態度から見て、そう恐れる必要はなさそうだ。しかし、敵軍。殴りかかりたい衝動を抑えて、彼女は拳を固く握った。

「――兄を探しに来たのです」

 質問に答えたのはレジェンだった。

「兄は刀鍛冶です。昨夜、鍛冶場が何者かに襲われました。そのときに、兄は連れ去られてしまったようなのです」

 声は震えていた。チェリファリネ同様、レジェンも騎士を恐れていた。敵軍の騎士。どんなにウォルドが彼と親しげに話していても、それだけで心は彼を拒んだ。

 キャロスはまさに寝耳に水と言わんばかりに目を見開き、顔をしかめた。眉間にしわを寄せ、唸るように言う。

「ひどいな‥‥しかし、それが我が軍の騎士の仕業だと?」

「ほかにだれがいるのよ」

 叫んだのはチェリファリネだ。レジェンの背後からキャロスに訴える。敵を目の前にしてむき出しになった感情が、彼女の瞳から涙をぽろぽろと振り落とした。

 努めて冷静を装ってここまで来た。だからだろう、キャロスの言葉が無神経に思える。

「すまない、あなたがたを疑っているわけではないのだ――そのような愚か者が我が軍にいるのかと思うと虫唾が走る」

 声は怒りをあらわにしている。高ぶる感情に肩を震わせるチェリファリネに歩み寄ると、一つ礼をして侘びを重ねた。

「事情はわかりました。こちらも調べてみましょう――きっとマリアン様もそうなさるに違いない」

 理解ある返事に、レジェンは安堵した。しかしチェリファリネに目をやれば、彼女は決して信用はしていないようだ。彼は彼女の手を握り、無言に慰めた。

「とにかく、今日はもうお帰りなさい。馬を貸しましょう、今、三頭連れてきます。ここでお待ちください」

 そう言って再び馬に跨がると、キャロスは天幕へ引き返していった。

 残された三人はなにを言うこともできずにいた。キャロスの申し出は嬉しいものばかりだ。けれどそれを信じていいのか、レジェンにはわからない。チェリファリネは疑っているし、ウォルドは信じているけれど、彼は敵なのだという意識がどこかにある。

「――なあ、チェリファ」

 レジェンが言いかけた。けれどやめた。それより先に、彼女が走り出したからだ。

「チェリファ?」

 慌てて追い駆ける。追いつくことはレジェンにはさほど難しいことではない、けれど彼女の視線の先にあるものを見つけたとき、止めることはできなくなった。

「おい、行くな!」

 背後、遠くでウォルドが叫ぶ。彼は追えない。その重い鎧が彼を引き止める。

 馬が駆ける。センプリーチェの方向へ、既にようやく見えるくらいまで遠ざかっている。

 さっきの、影だ。

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