03
レジェンたちが戻ると町は騒然としていた。ダロンが報せたのもそうだし、重傷を負い、今もなお意識の戻らないロトスを見れば、人々の不安をかき立てるのになんの不足もない。
きっとまた、戦が始まる。いいや、きっとなんかじゃあない。これを戦わずしてどう収めようというのか。敵は理不尽に、戦場でもない場所で、騎士でもない人を傷つけたのだ。
「コモードはすぐにも攻めてくるだろう」
集会所の前に集まる人々に、ウォルドが言う。それを聞きながらレジェンとチェリファリネは顔を歪め、決して声の主を見ようとはしなかった。拳を固く握り、唇を噛み。眉間に寄せたしわは、自然と視線を足元に落とさせる。
兄――ガウリスは? だれに問うでもなく駆け巡る。答えを知る者は、今ここにはいない。
町の人々は騒ぎ立てた。どうしてこんなことが起こったのか、戦には勝ったんじゃなかったのか。これから自分たちはどうなるのか、武器まで盗られて、敵に勝てるのか。
訴えているのでも、ブリランテの騎士らを非難しているのでもない。ただ不安を口にする。ウォルドもきっとわかっていただろうが、それでも、安易な言葉で彼らを慰めることはできなかった。
レジェンたちはなにも言わない。あとからやって来たレジェンの両親――つまりガウリスの両親でもあるのだが――も、ガウリスの身に起きたことを聞いても、声を失ったかのようにただ黙っているだけだった。
その夜、町の明かりが消えることはなかった。
――眠らぬままに迎えた朝は、終わらない悪夢の序章にも似ている。
ふと、いつか島に訪れた吟遊詩人の言葉を思い出す。彼は兄に夢を与え、未来を導いた。今もこの小さな世界のどこかにいるのだろうが、名も知らねば行方も知れない。
どうでもいいことだ。少なくとも今、重要なことではない。単純に、ようやくこの言葉を本当の意味で理解することができた、というだけだ。
朝の肌寒い風に、潮の香りが濃く含まれる。見上げれば目一杯に澄んだ白が広がるそこは自宅ではなく、町の入り口――平原と町を隔てる木柵が口を開けた門。彼はブリランテの騎士らとともに、そこで夜が明けるのを待っていた。
いいや、待っていたのは朝ではない。兄だ。
もしかしたら昨夜は、うまく逃げられたのかもしれない。だとすれば帰ってくるはずだ、そう考えて。けれどそれは叶わなかった。
これまでの数時間、騎士らはレジェンに、幾度も家に戻るように促した。わからないでもない、彼らは町を守らねばならない義務があったし、それには少々邪魔に感じたのかもしれない。もしかしたら、ガウリスは彼らにとっても顔見知りであろうから、その実弟がこのように兄の帰りを待っているのを見るのがいた堪れなかったのかもしれない。
真意はどうあれレジェンはそこを動く気はなかった。夜露に湿った草の上に腰を下ろし、膝を抱え、遠くに波音を聞きながら平原を見つめていたのだ。
なにも考えていなかった。ただ兄が戻るならば、一番にここで迎えたかった。それだけの思いでここにいた。だから――朝陽がこんなに残酷に思えたことはない。
「少し休めよ」
ウォルドが言った。
「もうわかったろ――おれももう休む。次に目が覚めたときには、きっと戦場だ」
ひどく疲れた、けれど冷たく鋭い瞳。やって来た交代の騎士と挨拶を交わし、彼は集会所のほうへと歩いていった。
――わかっているさ。
けれど言葉にはできない。額を両膝に押し付けて、乾いた溜め息で返事をする。全身に響き渡る諦めという感覚に、拒否反応を示す。閉じたがるまぶたとは裏腹に、いつまでも大きく打ち続ける脈拍が、身体をそこに縛り付けていたようにも思える。
見かねて、代わりの騎士が言った。彼とは面識がある、サー・バーネスだ。ウォルドよりも一つ歳の若い、金色の髪の小柄な騎士だ。とはいっても、レジェンから見れば頭一つ、見上げなくてはならないが。
低く落ち着いたその声が、レジェンを優しく慰める。
「ガウリスが戻ったら、すぐに報せる。たとえ戻らなくても、またきっと戦が始まる」
たとえ戻らなくても。戻らない可能性のほうが明らかに高いのに、それは彼の優しさだろう。
バーナスは続ける。
「今ならまだ手を貸せる。さあ、家にお戻り」
言いながら差し伸べる手。レジェンはそれをじっと見つめて、しばらく考えてから首を横に振った。それから自ら立ち上がり、一言礼を呟いて、町の中へ戻っていった。
ひどく、重い。
ゆっくりと身体を引きずる彼の背を、バーネスは見送る。けれどレジェンは一度も振り返ることなく、ただうつむいていた。
よい眠りではなかった。
あんなにこの時間を乞うていたまぶたも、閉じれば悪夢を見せて彼を叩き起こす。昼前には完全に目が覚めたけれど、身体は正直に疲れを訴える。
そんな彼を見て、母は心配そうに気遣った。母とて寝ていないのだろう、椅子に腰掛けたまま窓の外を見つめ、父が話しかけても答えのないことがしばしばあった。むろん、父も平常ではない。必死に冷静を保とうとしているが、ふだんは無口なのに今日はやたらと騒がしい。
昼過ぎにはチェリファリネが訪ねてきた。レジェンが朝までガウリスを待っていたことをウォルドから聞き、心配して様子を見に来たのだという。彼女も彼女で、ひどい顔をしていたが。
なんだかおかしな感じだ。人の心配をする前に、自分たちだってそうとう疲れているじゃないか。けれど彼らにそうさせているのは、他でもない、自分。
それがどうにも、歯がゆい。
「――ねぇ、レジェン」
ほかのだれよりも両親といるのがつらい。十八年一緒にいたけれど、こんな彼らを見るのは初めてだったから。まるでこのまま、なにもかも崩れていくような気さえする。
逃れるように食堂をあとにして自室に戻ると、チェリファリネもついてきた。神妙な面持ちは、きっとなにかを考えているのだろう。さして長くも広くもない廊下をちらちらと何度も振り返るのは、両親の動向にも注意を払っている証拠。彼らには知られたくない話に違いない。
寝直そうとベッドに横になるレジェンに、彼女はドアの外にだれもいないことを確認してから、こう切り出した。
「クワジ山に行きましょう」
ごちゃごちゃしていた頭に、一つ、明瞭な思考が突き抜ける。
「ガウリスを、助けに行きましょう」