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02

 早く会いたい。

 高まる期待は無意識に彼を走らせた。町から北へ少しはずれた、ダロンの鍛冶場へ。そこに兄がいる。もう五年も顔を合わせていない、けれど彼には自慢の兄。

 そろそろ空も闇色を含んできたころ、小屋からは金属音が響いていた。きっと兄が剣を鍛えている音だ――レジェンはそう思ったが、小屋に近付くにつれ、違和感を覚えた。

 音は乱れている。

 剣を鍛えているというより、剣同士が打ち合い、擦れ合うような――‥‥

 期待は不安に変わる。レジェンは少し足を止め、小屋を見つめた。窓からは赤々と燃える炎に照らされて、いくつもの人影が見えた。いくつも‥‥一人は兄だとして、では他の影は?

 ――いいや、きっと師匠様や他のお弟子さんに決まっている。

 言い聞かせる。きっと杞憂に終わるに違いないんだ。けれどなんだって、こんなに不安になるだろう?

 レジェンは拳を固く握り、振り切るように走り出した。せいぜいあと五十歩の距離が、妙に遠くに思える。



 モソ村にコモード軍がやってきたとき、レジェンは偶然にもその場にいた。もう三年も前の話だ。けれど今も、昨日のことのように思い出せる。

 あの日村にいたのは、島唯一の蔵元である彼の家で造られた酒を、村で小売店を営む叔父夫婦の家に届けていたからだ。さくら酒と呼ばれ、島ばかりでなく大陸の貴族たちからも愛される。

 子どものない叔父夫婦は、昔からガウリスとレジェンの兄弟を可愛がっていた。その日もせっかく来たのだからと、叔母の焼いたケーキをご馳走になった。

 村から町までは、徒歩でも半日もあれば着ける。レジェンは荷馬車を持っていたから、昼過ぎに村を出れば、満月が東に顔を出すまでには家に帰れたろう。

 けれどできなかった。

 そのときコモードの一軍を統率していたのは、サー・トルディアスタだった。のちにウォルドは、彼の名は大陸では有名で、コモードの王、ゲスディンの信頼を一身に受ける騎士だと話した。嫌な目の男だ、と忌ま忌ましげに付け加えて。

 レジェンが軍の来襲を知ったのは、いよいよ村を出ようとしたときだった。村を駆け巡る男の声。目をやればその形相は尋常でなく、衣服は赤く染まっていた。なにを叫んでいたかは今となってはわからない。すぐあとを追いかけてきた従騎士に、男の口は塞がれてしまったから。

 抗う術のない村人にした従騎士の行為を目の当たりにしながら、いったいなにが起きたのか、理解するまでに時間を要した。

 従騎士は村人が息絶えたのを見ると、満足そうに笑った。それからレジェンの馬を目に留めるとつかつかと歩み寄り、馬をよこせと要求した。

 思わず馬をかばった。けれど言葉が出ない。彼にできる、精一杯の抵抗だった。

 従騎士は気に食わなかったようだ。今しがた村人を殺めた赤く染まる剣を光らせ、温もりのない瞳でレジェンを睨みつける。

 振り上げられた敵の右腕に目をつぶった。瞬間響いたのは、擦れるような金属音。体は後ろに押し倒され、背中の痛みに目を開く。

 助けられた。だれに? ――騎士だ。なぜ? それを確認する間もなく、意識は遠のいた。



 擦れる金属音。あのときと同じそれは、レジェンが小屋の前まで来ると静まった。代わりに慌ただしい足音と、混じって満足そうな下卑た笑い声が聞こえる。ドアノブに手をかけたが、開くには勇気が足りない。

「さあ、戻ろう。急がなければ、ダロンがもう、軍に報せているだろう」

 それからしばらくして、中は静かになった。

 心を落ち着かせる。このドアを開いたとき、兄はいるだろうか。いや、いるはずだ。ただし無事ではあるまい。だとしたら、それは見たくない。

 逃げられはしない。けれど。

 手のひらがじんわりと汗ばむ。意を決し、勢いをつけてドアを開く。火は消され、真っ暗になった屋内には、男が一人倒れているだけだった。

 血の気がさあっと引いていく。慌てて駆け寄るが、それが兄ではないことはすぐにわかった。前にも会ったことがある。ダロンの一番弟子、ロトスだ。息はまだあるものの意識はなく、見るも無残な痛々しい姿で横たわっている。

 流れる血を止めようと、辺りを見渡す。けれど暗闇は不親切で、レジェンは自分のシャツを切り裂くことで補った。町へ連れ帰るか、いや、下手に動かしてもいけない。第一、今のレジェンには、彼を町まで運ぶ術もない。

 彼には聞きたいことがある。聞かねばならないことがある。そのためにも助けなくてはいけない。レジェンは小屋を出て、町へ助けを呼びに行くことにした。

 しかしそこへブリランテの騎士が六名、馬に乗ってやってきた。先ほどコモードの騎士が話していたことから考えて、ダロンが呼んだのだろう。中にはウォルドもいた。

 レジェンを見て、ウォルドは驚いたようだった。なぜここにいるのか、それもそうだろうけれど。

 いつもの陽気な彼からは考えられない情けない顔に、ウォルドも不安げな表情を見せた。

 騎士たちはレジェンの話を聞くと、一人はロトスを急いで馬に乗せて町へ走らせた。三人は裏手から逃げたらしいコモード軍を追い、一人とウォルドは小屋に入り、中を調べた。それにはレジェンも立ち会った。

 ――兄さんは。

 兄、ガウリスはどこへ行ったのだろう? ウォルドの話からすれば、町にもいない。ではどこに、どうして?

 考えてわかることではない。希望とすればロトスだけだ。

「剣がなくなっているな‥‥槍も、ナイフもだ」

 コモードの騎士の仕業だろうか――いや、それ以外にない。

「あちらさんも武器がなくなってきたのか。それにしても、やり方が汚いな」

 憤りをあらわにウォルドが吐き捨てる。こんなこと、本当に騎士だと名乗るならできるはずがない。コモードの悪評は現実だった、と続ける。

 レジェンはただ黙って聞いていた。それしか、できなかった。

 小屋にはもはや、なにも残ってはいなかった。兄に繋がる情報も、なにも。コモードの騎士を追ったものの捕らえられず、やがて戻ってきた三人の騎士らとともに、彼らは一度町へ引き上げることにした。

 気が付けばずいぶんと長い間、そこにいたらしい。来たときは出てもいなかった満月が、まもなく南中しようとしている。

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