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旅が終わる気配はない。いいや、これから始まるのだと、レジェンは悟った。
見上げた夜空はどこまでも高い。王女メリアンが貸してくれた塔の一室で、二人は遠い海を眺めていた。雲はないけれど星だけの、月のない夜。
花重ねの夜。
「わたしとあなたは十九歳、ガウリスは二十三歳になる」
目をほとんど閉じながら、レジェンは黙ってうなずく。頭の中では実にくだらないことをいつものように考えながら。
レジェンとチェリファリネは同い年だ。けれどその実、チェリファリネのほうが一年近く早く生まれたと聞く。ハオン島では一年に一度、皆が一斉に歳を重ねるからそういう計算になってしまうが、花重ねの儀式が終わると間もなく、チェリファリネの生まれた季節がやってくる。
その名には古い言葉で、島の花という意味がある。花とはもちろん、さくらのことだ。
花咲きの季節に生まれた彼女に、彼女の両親が与えた麗しい名。
「母さんたち、どうしているかね」
寂しげに笑いながらうつむく彼女に、溜め息だけの返事。そうだ、どうしているだろう。なにも言わずに出てきてしまって、きっと心配しているに違いない。
だれがドアを叩き、返事をするとカースとキャロスが入ってきた。カースは先ほどマリアンから、レジェンたちの世話をするように言いつけられたのだ。
「まもなく侍従が食事を持ってくる」
「ありがとうございます」
カースは優しくうなずいて、燭台に火を灯した。柔らかい光が室内を照らす。それから、この上の部屋がメリアン様のご寝室だから騒がないように、と注意を促した。なんのことかときょとんとするレジェンに、そっと耳打ちする。チェリファリネには聞こえないように、小声で。
「ベッドが一つしかないのに申し訳ないけれど、今夜は我慢してくれな」
からかうように笑うカースに、レジェンは顔を赤らめる。それから怒ったようにしてみせて、やはり小声で返した。
「ぼくたちはそんなんじゃありません」
「そうなのか?」
意外そうに驚くカースに、レジェンは黙ってうなずくことで肯定した。カースはちらりとチェリファリネを見やって、でもなにかしらあるだろうと問うたが、レジェンは力強く否定した。
チェリファリネはキャロスと話をしていた。チェリファリネは今もコモードを好いてはいなかったが、今やブリランテにも、疑いの心を持ち始めていた。
いいや、ブリランテ、そのものではない。
「レジェン、きみとも話したい。いいか?」
問うたのはキャロスだった。真剣な眼差しで、ここなら周囲にだれもいないから存分に話せる、と付け加えて。ふだんは物置代わりになっているために人数分以上の椅子もあって、彼らは円形に並べてかけた。
マリアンの部屋にあまり長居はできなかった。王子の一番の騎士であるキャロスは別にしても、本来ならレジェンたちのような庶民は愚か、カースだって王族の寝室に立ち入るなど考えられない無礼だろう。部屋を出たとき、取り囲む騎士たちの視線が痛かった。
それを心得ておきながらなぜカースがまっすぐ王子の寝室へ彼らを案内したのか。キャロスは話を始める前に、兄にそれを問うた。
カースは少し躊躇って、考えながら答えた。
「メリアン様に御用だったからさ」
短い答えは、わかりきったことだとレジェンに思わせた。けれどキャロスには、真意が通じたらしい。弟はしばらく考えてから、そうか、とうなずいた。対しレジェンらが不思議に首を傾げていると、カースは簡単に説明した。
「恥ずかしい話なのだがね」
そう前置きして。
この城には三つの派閥がある。つまり、王派、王女派、王子派だ。とはいっても、王子派は実質、他の二つのどちらでもない者たちを指す、中立的な派閥だ。
もとはといえば、王と王女の仲違いが原因だった。いいや、噂に違わぬ王の悪政に王女が反抗しているというだけのことなのだが。派という分裂を、王はともかく、王女自身は嫌っているらしい。
王派は三つの中で一番大きい派閥だ。対して王女派はごく少数で成り立っている。もとより極端な性格の持ち主といわれる王女に付き従う王女派は、城内では浮いた存在だという。王派の騎士は王女自身にさえ、礼儀を欠く始末だとも付け加えた。
そんな王女への客人は寝室に通すのが常だった。ほかの場所では王派がなにを言うか知れぬ。今回カースが王子の寝室へ案内したのも、それが理由だった。
「まあ、おまえがいなかったら明日まで待ったかもしれない」
「なら、いてよかった」
ふっと笑む。
島でレジェンたちが影を追っていったあと、残されたウォルドはそうとう焦っていたらしい。それから翌日も帰ってきていないとウォルドがこっそり探しに来たらしく、心配していたのだとキャロスは加えた。
「その責任を取って、彼はその日のうちに国に連れ戻されたらしい。いや、ジェイファン王子も同乗したというから、単に護衛だったのかもしれないな」
「ジェイファン王子‥‥」
その名を聞いて、チェリファリネが呟く。彼女が最後にジェイファンの姿を見たのは、ガウリスが連れ去られたあと、彼がレジェンの家を訪ねてきたときだった。それも直接言葉を交わしたわけではない、玄関先でレジェンの両親に挨拶しているのを見ただけだ。
それが最後。そう、思っていた。
察して、一つ息をついてからキャロスが問う。声量は控えめだが、毅然とした口調だった。
「十中八九、あの影は彼だ」
声の主はまっすぐに少女を、ほかの三人は声の主を見つめる。
「前々から怪しいとは思っていた。いかに一国の王子とはいえ、あの若さだ。軍の指揮を執るにはまだ若すぎる――マリアン様のような事情があるとは思えないしな」
マリアンの事情。つまり、前指揮官の横暴な振る舞いを制するための策。レジェンは三年前に我が身に降りかかった災厄を思い出す。
キャロスは続ける。
「だが戦の全ての理由が、あの杯一つで片付くものでもあるまい。王派の連中にもなにかしら利益がなければおかしい」
なにがあるのか。キャロスが考え始めたとき、レジェンはアウクの言葉を思い出した。
彼はこの件に深く関わっている。チェリファリネが出任せで言ったブリランテの裏切り者の存在を事実だと肯定し、目立つ身分の男だとも言った。けれど彼が運んでいたのは人ではない、品物。
アウクはブリランテになにかを運んでいった。帰りにも、きっとなにかを運んでくるだろう。取引は難しくない。
いや、しかし。
「兄のことだけを考えれば、あの杯で理由は十分です」
レジェンはぼそりと言った。少し間を置いて、チェリファリネがうなずく。
キャロスも、そうだね、と呟いた。なにかを言いたそうにしていたが、しばし躊躇って、結局やめた。
デライフの杯。ラドリアナ教徒の娘が愛する者に与え相手が受け取ると、それは婚礼の誓いを意味する。
メリアンが読み上げた、杯に刻まれたその名――〝パリス〟に、二人は聞き覚えがあった。メリアンはよくある名だと言ったが、レジェンたちが知る人物は一人しかいない。会ったことはないしまったくの別人かもしれないが、思い当たるのは彼女一人だった。
ガウリスの師ダロンの一人娘で美貌の持ち主。ウォルドはいつか、そう教えてくれた。また、ジェイファンの婚約者だとも。
答えはほとんど出ていた。ブリランテの裏切り者はコモードの裏切り者と手を組んでいる。コモードの裏切り者は王派のだれだろう。口にはしなかったが、キャロスらはおよそ見当がついているらしい。
そして、ブリランテの裏切り者は。
「ガウリスを陥れたのは、ジェイファン王子だ」




