19
夜が明けて、最初に目を覚ましたのはサー・マーティアルトだった。彼はいたずら心に眠っているチェリファリネのもとに忍び寄ったが、彼女はいち早くそれに気付いて目を覚まし、傍らのレジェンを叩く。レジェンはゆっくりと意識を現実に引き戻していったが、チェリファリネが悲鳴とも取れる声を上げているのを聞くと、ハッと体を起こした。
「なにをなさっているんです?」
彼が睨みつけるようにそれだけ言うと、マーティアルトは舌打ちして彼女から手を放した。チェリファリネはすぐさまレジェンに身を寄せて、レジェンも彼女をかばう。それを見て、マーティアルトは下唇を噛んで眉根を寄せた。
「ふん、ガキが色づきやがって」
「ガキですって? あなたは騎士のくせに、ずいぶんと無礼を働くものね」
チェリファリネが言うと、マーティアルトは顔を真っ赤にして押し黙った。それからチェリファリネが、わたしたちはただの幼馴染みよ、と言うと、マーティアルトは少し考えてから目をそらし、ふんと鼻を鳴らして二人から離れた。
「大丈夫、チェリファ?」
レジェンが問う。彼女は不快そうにしながらも、一つうなずいた。
やがて全員が目を覚ますと、まずレジェンたちは丁寧に礼を言って、マントをオリエルに返した。それから司祭と騎士たちが朝食に誘ってくれたので、二人はありがたく加わった。このときマーティアルトがチェリファリネの隣に座ろうとしたが、レジェンがすぐさま間に入ったので、マーティアルトはいかにも不機嫌そうな顔をした。
「気を悪くしないでくれ」
オリエルがそっと、チェリファリネに耳打ちする。
「あいつはこの間、カースの妹にふられたばかりなんだ」
欲求不満なんだ、と続けて笑いをこらえるオリエルに、マーティアルトが気付いて怒鳴る。チェリファリネはますます不機嫌に、レジェンに耳打ちした。
「こんな不埒な人、ふられて当然よ」
ため息交じりにうなずき、騎士らに目をやる。オリエルは慣れた様子でマーティアルトをたしなめる。カースはただほほ笑んでいる。が、ときどきふっとどこか遠くを眺めているのを、レジェンは見逃さなかった。
昨日聞いたことを、反芻する。彼は今、きっと弟と妹を思っている。いいや、きっと今だけでなく、片時も頭を離れることなどないのだろう。
その気持ちは――今の彼なら、よくわかった。
城に行くなら一緒に来るといいと誘われ、断る理由もない二人はそれに甘んじた。いいや、理由というならマーティアルトが気に食わないといえば十分だろうが、この先、城までの道を安全に進めることを考えれば些細な問題に思えた。
食事を終えると、一向は再び歩き出した。途中の分かれ道で選んだのは山へ直進する北への道ではなく、城に戻るための南への道。二日も歩けば着くと、オリエルが説明してくれた。
彼らは昼過ぎに森に入り、夕方には抜けた。そのころには空はすっかり赤く染まり、東からは藍色が広がりつつある。平たい原を辿って先に目をやれば、なるほど、建物の影が見えた。少し右手に視線をずらせば、アウクと出会った港が城よりも近くに見える。
一向はそこで再び天幕を張った。マーティアルトもそろそろチェリファリネを諦めたのか、ちらちらと彼女を気にしてはいたものの話しかけてくることはなかった。
この夜も二人はオリエルからマントを借り、暖かく寝た。それからこの夜もカースはすぐには眠らなかったようだが、司祭がたしなめると、素直に横になった。レジェンはその一部始終を、耳を澄ませて聞いていた。
立ち上る焚き火のあとの白い煙。ある程度まで空に近付くと、風に流されて消えてしまう。そのもっと高くに瞬く星々の光を邪魔するものはなにもない。雲もなく、月もなく。
黙ってはいたが、チェリファリネも眠らずにいたことに、レジェンは気付いていた。
――花重ね、年重ね。
思い出すのは、古い歌。
夜が明けるか否かのうちに、二人は起こされた。なにかと尋ねれば葬列だと返ってくる。ラドリアナの教えに倣って、山へ続く道ですれ違う者は祈りを捧げなければならない。付け加え、死者の通る道で眠るものには霊が憑くと信じられている。二人は信者ではないけれど、司祭らはそれを恐れて彼らを起こした。
ゆっくりと立ち上がり、葬列が来るのを待つ。ふと気付けば待ち受ける騎士が一人多い。なぜと問うと、司祭が答えた。
「葬列にはわたしのような司祭が一人と、最低三人の騎士が必要です。司祭は祈りを唱え続けるために、騎士の二人は棺を運ぶために、それから最後の騎士は、先に進んで、道の先で眠っている者がいたら起こしてやるのです」
つまり、彼は葬列が来ることを報せにきてくれたのだと説明した。葬列は山に着くまで眠らずに進む。それには必要不可欠な役割を、三人目の騎士は担っているのですと司祭は続けた。
「このたびの葬列に送られるは、一人の教徒です。どうぞ彼の冥福をお祈りください」
葬列の騎士はそう言って六人に一つ、礼をした。司祭や騎士らが礼を返すと、騎士はそのまま先へ進んだ。
まだ暗い道の向こうから、程なく葬列が来るのが見えた。司祭の説明した通り、お祈りを唱えるものが先導して、あとを棺を担いだ騎士が二人、ついて歩く。棺といってもまるで板に取っ手をつけたような簡素なもので、運ばれる体は白い布に包まれ、落ちないように縄でしっかりとくくられていた。
葬列は六人の前で止まった。騎士ら四人はまず葬列の司祭に挨拶し、棺の前へ進む。レジェンたちもそれを真似て、棺に近寄った。
白い布は頭まで覆っていた。大陸の人間にしては小柄のようにも思える。一瞬女性かとも思ったが、葬列を報せる騎士は「彼」と言っていたから、男性だろう。では子どもだろうか。
棺を担いだまま、先頭の騎士が述べる。
「神の御許に旅立つは我らが仲間なり、若き魂の冥福を、心からお祈りくださいますよう」
葬列の司祭が、胸を二つ叩いてお祈りをする。死者への祈り――レジェンたちもそれに倣った。
しかし他の四人は訝しみ、カースが不安げに葬列の騎士に問うた。
「若き魂とはいったい、どなたなのですか?」
葬列の騎士は眉間にしわを寄せ、うなずいて答える。
「わかりません。ですがこの戦です、恐らく家族を亡くして、一人で放浪していたのでしょう。身元がわからないのです」
それを聞くと四人は心得がいったようで、改めて祈りを捧げた。そのうちに平原の向こうから朝の陽光が差し始め、辺りが少しずつ明るくなっていった。司祭は葬列に、夜明けの辞を述べた。
と。
「――あ」
棺の後方を担ぐ騎士が驚いたように声を上げた。
一同が彼に注目する。次に、彼が見つめる視線の先を辿る。レジェンはただ、目を見開いた。
葬列の騎士は、レジェンを見て驚いていた。そしてなにかを言いたげに口を開くが、しばしの間をおいて首を振り、やめた。
その間に棺の前方の騎士が気付く。彼もまた、レジェンをまじまじと見つめている。気付けば、葬列の司祭も同じようにしていた。
そう思いつくことは、決して難しくはなかった。
心臓の鼓動が乱れる。手がぶるぶると震える。けれどなにを言ったらいいかわからず、レジェンは黙っていた。チェリファリネも同じだった。
「ガ‥‥」
彼女ののどから出ようとする、その名を呼ぶ声。けれどレジェンが止めた。今呼んではいけない。アンジェニがそう言った――もし兄に会っても、声をかけてはいけない。
けれど目の前に横たわる彼がこれから向かうのは、弔いの山。
二人は確認はしなかった。その体に触れることもしなかった。けれど、それが兄の体であることを疑うこともしなかった。大陸の人間にしては小さな体。けれど、島の人間なら。なるほど、合点がいく。
チェリファリネが、レジェンの手を探って握った。彼も握り返した。二人はそうして、再び進み始めた葬列を見送った。




