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01

 「兄さんが帰ってきてるって?」

 弾む声でそう問いながら、レジェンが町の集会所――今はブリランテ軍の騎士たちの寝床になっている――に飛び込んできた。黒い瞳に同色の短い髪。年齢よりやや幼い感もあるその顔を、待ち望んだ兄との再会に輝かせている。

 彼を向かえたのは幼馴染みのチェリファリネだ。白く透き通るような肌、金に近い茶色の長い髪はとても美しい。ばら色のほほを柔らかくほほ笑ませ、ほうきを操る手を止めた。

「ええ、ウォルドがそう言ってたわ。でもここには来てないの――港からまっすぐ、鍛冶場に向かったらしいわ」

「鍛冶場?」

 残念そうに眉間にしわを寄せ、おうむ返しに言って溜め息をつく。

「なんだ、兄さんたら。五年振りに帰ってきたと思ったらこれだ」

 子どものようにほほを膨らせるレジェンに、チェリファリネは思わず吹き出す。それが気に入らなかったのか、レジェンはますますへそを曲げてしまった。

「まったく、あなたっていつまでも小さな子どもみたいね」

 もう成人したのだから少しは大人になりなさい、と続ける。レジェンはそっぽを向きながら、口をとがらせた。

「でも本当、わたしも早くガウリスに会いたいわ。今日の夕会には出てくるのかしら、楽しみだわ」

 夕会。ブリランテの騎士や侍従たちが、お祈りと、会食をする。とはいえ、今夜はきっと宴になるだろう――チェリファリネはそれが楽しみだった。

 けれどこの島に宗教はない。教会がなく、ブリランテ軍が集会所を使っているのもそのためだ。

 ――ガウリスも〝神様〟というものに、お祈りをするのかしら。

 妙な感じだ。彼とてこの島の出身。神だなど、信じているのだろうか。

「鍛冶場に行ってくるよ」

 考えた末、レジェンが言った。

「夕会には、ぼくは出られないからね。それに兄さんのことだから、終わったらきっとすぐに戻ってしまうだろ?」

「それもそうね」

 再び掃き掃除を始めて、チェリファリネが相づちを打つ。たしかに、ガウリスの性格を考えればそうするだろう。まったくこの兄弟は、自分のやりたいことには子どものように夢中になる。

 ガウリスが島を出たのは五年前だ。大陸から来た吟遊詩人の話を聞いて刀鍛冶に憧れ、両親の反対を押し切って大陸に渡った。ブリランテの国王、ロスダルニャの友人でもあるダロンに弟子入りした。

 ガウリスのほかにも多くの弟子を抱えるダロンは、ブリランテはもちろん、大陸一の刀鍛冶と称えられている。またその娘、パリスは絶世の美女で、王子ジェイファンの婚約者でもある。

 このことはブリランテの騎士、ウォルドから聞かされた。ウォルドはガウリスを友人だと言った。

「じゃあまた明日な、チェリファ」

 慌ただしく集会所を出て行く彼を見送りって、彼女もほほ笑んだ。

 ――いい日だ。

 こんなに心が弾むのはいつ振りだろう。

 今はブリランテの騎士たちのもてなしやら世話やらをしているけれど、チェリファリネの家はもともと農家だった。そんな彼女の両親が畑を捨てた原因は、やはり戦。山のふもとに拓かれたそこは、あっという間に戦場になった。

 彼女の家だけではない。土地を奪われた者は多くいる。けれどその責任をだれに求めることもできない。

 島民はそんな人々を支えたけれど、長引く戦に明日も見えぬ暗闇。いつしか心はすさんでいった。

 ――けれど、きっともう終わる。

 木枠の窓から外を眺める。夕刻の町は橙に染め上げられ、道の端では婦人たちが楽しげに会話に花を咲かせていた。この時間、海から吹く強い風で、潮の匂いに包まれる。

 平和。

 島の中ほど、クワジ山のふもとの平原での戦で先ごろブリランテ軍が収めた勝利に、町はすっかり酔いしれていた。

 まもなくやってくる花咲きの季節を前に、人々は戦の終わりを信じきっていた。



 日が落ちると、集会所には昼間出掛けていた騎士たちが戻ってきた。皆、次々に用意された卓につく。

 その中にはウォルドもいた。彼はガウリスと同い年で、レジェンやチェリファリネからは四つばかり年上にあたる。とはいっても騎士の中ではまだまだ若輩者だ。

 剣には多少、実績がある。たとえば騎士に叙任される少し前に成し遂げた冒険といえば、ブリランテ国内にありながらまだ拓かれておらず、凶暴な獣が住むとして恐れられたトリル山の話が挙げられる。

 経験を重ねた年配の騎士にも遂げられなかったそれを、彼は一度は失敗したものの見事に成した。この成功によりウォルドは騎士の称号を得、この戦の最中も、また戦争が終わってからも、彼はいくつもの冒険を成し遂げることになる。

 もっとも、今はただ将来を有望視された若い騎士でしかない。

「お帰りなさい、ウォルド――今日はどこへ出掛けていたの?」

 いくつものろうそくに火を灯しながら、チェリファリネは問うた。夜とはいえ雲のない空に満ちた月。柔らかい風が通り抜ける集会所は、どこか温かくも感じられた。

「モソ村さ。コモード軍がクワジ山のふもとに天幕を張っているだろう。やつらも必死でね、昨日も村の作物を盗みに入ったらしい」

 まったく騎士が聞いて呆れる、と嘲笑を含んだ溜め息をつく。乱暴に椅子に腰掛け、チェリファリネの差し出したコップ一杯の水を一気に飲み干した。

「そのてん、センプリーチェはあなたがたがいるから安心だわ――いつもご苦労さま」

 彼女がほほ笑むと、ウォルドは少しほほを赤らめながら笑顔を返した。

 そこへ、ジェイファンがやって来た。ブリランテの王子で、軍の司令官も務めている。

 初めてウォルドに会ったときにもずいぶんと背が高いと驚いたけれど、ジェイファンはそれよりもう少し背が高い。栗色のやや長い髪は整えられ、切れ長の目はこの夜空のような藍色の瞳を持つ。端整な顔立ちはきっと、大陸でも評判であろう。

 彼の登場で一堂は静まり、全員が立ち上がった。皆が彼に注目している。彼が席に着くまでを、じっと見守っていた。

 彼は置かれた杯を取ると、頭上に掲げて静かにお祈りと、神への感謝の言葉を述べた。皆がそれに続く。チェリファリネはいつものように、黙って眺めていた。

 それが済むと、ジェイファンはようやく着席した。騎士らもそれに習う。そこでチェリファリネや他の乙女たちは、彼らの食事を運んできた。

「今日は実にいい日だ」

 王子がそう言って、会食は始まった。しかし室内を見渡しながら、チェリファリネはどうにも不安な気持ちでいた。

 そっとウォルドに尋ねる。

「ガウリスは、夕会には来ないのかしら?」

 彼の姿は、ない。

 ウォルドも首を傾げて答える。

「来るって言っていたんだけどな。そうだ、もしかしたら熱中しすぎて忘れているのかもしれない――いや」

 彼の視線は、つい今しがた入ってきた男へと向けられた。年老いてはいるものの腕はたくましく、けれど表情は強張っているその男――‥‥

「ダロンさんだ」

 ガウリスの師。

 彼はまっすぐに、ジェイファンの元へと歩み寄った。足早に、息を切らせながら、そして口を開く。

 彼が告げたその言葉は、そこにいただれの耳にも、恐ろしく信じがたいことだった。

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