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 まずはフィーネ双山へ行け、とアンジェニは言った。ここからではコモード城はおろか、アウクに連れられて抜けた森すら見えない。もちろん距離のためであり、起伏の激しい地形のためでもある。

 そもそもフィーネ双山を経由したほうが、道のりは長いが結果的に早く着けるのだと、アンジェニは言う。なにより安全だ、道は整備され、野盗もいない。

「山に着けば城も見えるはずだ。いいか、くれぐれもそれを失くすんじゃあないよ」

 銀色の幅の広い指輪。三日月を二つ重ねた紋章が彫られ、中央に青い石が埋め込まれている。

 レジェンは慎重に、指輪を鞄に納めた。メリアンという人物に会うに必要なのだから、失くしてはなるまい。けれど小さなものだ、万一落としても気付くまい。彼は考えた挙げ句、パンを少しちぎって指輪を包んで丸め、杯の底に押し込んだ。

 今一度、彼は魔女に向き合う。白髪の少女はその帽子の下から、どこか憂いを帯びた笑みで二人にほほ笑んでいた。

「もしこの戦を生き延びることができたら、島に行く。さくら酒、馳走になるからな」

「‥‥ええ」

 けれどもう会うことはあるまい。なんとなく、彼女の目がそう言っているように思える。でなければ未来を知る彼女だ、もし、だなんて言うだろうか。

 いいや。しょせん昨日会ったばかりの相手だ。真意など知る由もない。

「最後に、教えていただけますか」

 レジェンは気になっていたことを尋ねた。

「予知できたとはいえ、どうしてぼくらにこんなにも親切にしてくださるのですか」

 するとアンジェニはまるで愚問だとでもいうように笑った。決して嘲りではなく、心底、嬉しそうに。その声は大人びた口調とは裏腹に、幼い造りの愛らしい顔によく似合う少女のようだった。

「昨日も言ったろう、あんたたちこそ、この戦争を終わらせることができる。だからさ」

 初対面だとも思えなかった。なぜならずっと、戦が始まってから、あんたたちが夢に出ない日はなかった――そう続けて。



 山を見失うことはなかった。高くそびえる二つの頂は、なるほど、彼らを導いてくれる。

 アウクは今は近付かないほうがいいと言っていたが、彼が信頼を寄せるアンジェニがそうしろと言うなら、従わない理由はない。

 それにしても、見渡せば見渡すほど、歩けば歩くほど、大陸は広いのだと痛感する。島ではいつでもそばにあった海が、ここではどこにも見えないのだから。今目指している山だって、一日や二日では辿りつけまい。荷車を引いていたとはいえ、馬でも港からラグリマまで三日もかかったのだから。

 実際、朝早くにラグリマを出たというのに、山までそう近付かぬうちに日は暮れた。アンジェニの家から失敬してきたパンもそう多くはない。後々のことを考えれば、満足に食べることなどできるはずもなかった。

 だがこの道を辿ったのは間違いではなかった。幾十、幾百と年を重ねた道は、ところどころに水場がある。川であれ井戸であれ、澄んで清らかな水は、ここを通る旅人ののどを潤して来たに違いない。

 日が落ちてから歩き回るのは賢いことではない。二人はせせらぎと虫の声が響く川岸で、一晩明かすことにした。明かりは空に輝く星のみで、月はまだ昇らない。

「‥‥もうすぐ、花重ねね」

 河原は石で敷き詰められている。川の流れに角をなくしてはいるけれど、寝るに心地よくはない。もちろんわがままなど言えないから、レジェンは衣服を脱いで枕にし、チェリファリネには腕を貸した。

 見上げるものは、ただひたすらに高い夜空。

「あと、五日よ。あと五日で花重ね‥‥ね、覚えてた?」

「‥‥忘れてた」

 やっぱりね、と、チェリファリネが笑う。どこか寂しげに、目を閉じながら。

 レジェンも笑いたかった。それができなかったのは、虚しくも思えたからだ。毎年兄を信じて待っていた花重ねの儀式。まさか、自分まで忘れてしまうとは。

「わたしも忘れてたわ」

 ふううとゆっくり吐いた息を、ひんやりと冷たい夜風がさらっていく。

 大陸に来て、まだ四日だ。だがそれでも大陸が広すぎることは十分にわかった。島は一日もあれば一周できるのだ、ここが島ならもう四周したことになる。

 山に着くには、あとどれほど歩けばいいだろう。花重ねの日までには、着けるだろうか。

 大陸に来てから初めて、二人だけで眠る夜。島を出てから途絶えることのなかった緊張から、ようやっと解かれた。

 二人は深く眠った。


 翌日も彼らは歩いた。しかし、山が近付く気配は一向ない。あっという間に日は落ちて、彼らはまた、水場の近くを寝床とした。

 二人とも、疲れきっていた。それでも今まで不満に曇らせていたチェリファリネの顔はすっかり払拭されていた。レジェンにとって、それは大きな救いだった。

 昨夜と同じように二人は身を寄せて眠る。傍らで湧き出る清流は、周囲に草木を繁らせる。葉を摘み敷けば、いくらか体も楽だった。

 さて、その夜の明け方だった。

「レジェン」

 抱きしめていた温もりが腕を逃れ、少し離れたところで呼んでいる。いいや、手を伸ばせば十分に届く距離なのだけど、眠気はそれさえ億劫にさせる。

 声は苛立って体を揺すった。

「起きて、だれか来るわ――蹄の音がする」

 言うなり、チェリファリネは遠くに目をやった。レジェンも薄く片目を開くが、どこを見ていいやらわからない。耳をすませれば、なるほど、どこか遠くから馬の駆ける音が響いてくる。恐らく、一頭。

「山に向かってるみたい。ひどく急いでいるわ」

「急いでる?」

 不思議に思い、呟く。理由を考えるまでの覚醒はしていないものの、レジェンは思考を巡らせた。

 こんな早朝に、なにを急ぐというのだろう。

 むろん馬の行き先を知るわけではないが、山ではあるまい。山の方向へ向かってはいるが、それは単純に、ここしか道がないからだろう。となれば、彼らに思いつけるのは一つ。

「城に向かってるんじゃないか」

 城へ、急ぎの報せ。もしくは、アウクのように日中は動けぬ商売。公道を使うならばまだ慣れた者ではないのだろう。

 ‥‥それとも。

「悪党」

 チェリファリネが呟く。

「島で見た悪党だわ」

「まさか」

 冗談だろうと、ようやく体を起こす。チェリファリネの視線を辿り、レジェンはその馬を見つける。なるほど、闇に溶け込むマントを羽織り、楯を手にしているその様は、ハオン島で見たあの不穏な影と重なる。間違っても城への早馬や不慣れな裏の商売人ではない。しかして、どうしてそれが今、ここにいるのだろう?

「考えすぎだ、チェリファ。きっと別人さ」

 そうは言ってみたけれど、レジェン自身、あの悪党だと確信していた。あの背格好に、紋章のない白い楯。あの夜の騎士も、その楯は真っ白だったことを記憶している。いいや、紋章があればそれがだれだかわかってしまうのだから、当然といえばそうなのだが。

 悪党はあっという間にかすみに消えた。二人はしばらくその行き先を見つめていたが、やがてチェリファリネが立ち上がって言った。

「早く、先を急ぎましょう」

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