14
すっかり静かになった食堂の脇を通り過ぎ、横道に入る。右へ左へとうねる細い道に、明かりは少ない。
ときどきすれ違う子どもたちは、物憂げに三人を見つめた。が、アンジェニは目を合わせるなと言った。
「期待はさせないことだ。あんたたちも、すぐにこの町を出るだろう――大丈夫、じきに、王子が手を打つ」
静かな声で。アンジェニは導くように二人の前を進み、振り返りもしない。言葉の意味がわからずレジェンが問うても、ただ黙るだけだった。
――王子? マリアンのことだろうか。けれどなぜ、彼女にそれが言えるのだろう?
彼女がなにも言わないから、彼らもそれ以上はなにも言えなかった。
やがて三人は、町のはずれの廃屋に着いた。屋根もなく壁も朽ち果てていて、一見、とても暮らせるようなものではない。
アンジェニは敷地の中央まで進み、二人を手招きした。それから足元の床板を持ち上げる。そこに現れたのは深い穴――縄はしごが備えられ、地下に続いている。
「ここがわたしの家だ。ついて来い」
「待ってください」
ほほ笑んで招いてくれたアンジェニを遮ったのはチェリファリネだった。訝しげに眉をひそめ、隣に立つレジェンの袖をきゅっと掴む。やはりアウクとの繋がりが気に食わないのか、言葉を選びはしなかった。
「なにを考えているんですか?」
――宿など、頼んでいない。アウクにも、もちろん彼女にも。それなのに、なぜ?
アウクも謎だった。なぜここまで二人を連れてきたのか。そもそも、来ないというのはなぜだろう? 知りたいことはたくさんあるが、この地下に降りていったら、なにが待ち受けていようと逃げ出せまい。
意図の読めない企みに、不安に思うのは仕方のないことだ。
その問いに、アンジェニは一つ息をついて返した。
「外では話したくない。だれにも聞かれたくないのでね。だからここまで連れてきた」
口角を少しだけ上げて、けれどやや細めた目に笑みはない。澄んだやや低めの声は、冷たいけれど柔らかく伸びる。深く被った帽子からわずかに覗く白髪に、なぜだろう、心を奪われる。レジェンはうなずくことで、信頼を伝えた。
袖を強く握り直したチェリファリネに目をやれば、まるで睨みつけるように彼を見ている。レジェンは優しく彼女の髪をなで、もう一方の手でぎゅっと手を握ってやった。
「大丈夫」
根拠などないけれど、なにかに導かれている気がした。
穴を降りれば、なるほど、広い部屋があった。ずいぶんここで暮らしているのだろう、過不足なく揃った家具は床になじみ、ベッドはまるで起き抜けたまま、掛け布団が捲れたままになっている。そのわりに、部屋には生活感がない。
「あまりここにはいないからな。ただ寝るだけの部屋さ」
自嘲気味に笑いながら、脱いだ帽子で椅子の埃を払い、二人に勧める。それから暖炉に火をおこし、自分はベッドに腰掛けた。
しばらく沈黙が続いた。アンジェニは膝を抱えて、組んだ両腕に口までを埋めて、二人を見つめていた。交互に、けれどまっすぐに、ゆっくりと。なにかを考えているようだった。
どういうつもりなのだろう。いくらも待って、ようやく口を開いたのはレジェンだった。
「それで、どうしてぼくらをここに連れてきたんですか」
自分でも不思議なくらい、冷静な心持ちで問う。部屋を暖める暖炉の火に照らされるアンジェニの表情は、なに一つ崩れない。レジェンが言葉を発してかも、すぐには応えなかった。
チェリファリネが苛立ってかかとを鳴らす。あまりに響いたその音に、レジェンは目で彼女を制した。
と、アンジェニがふうと息を吐きながら、足を崩した。途端、部屋を包んでいた緊張がほぐれる。理由のわからない行動に、二人は思わず、身構えた。
「いいや、悪かった。ちょっと、あんたたちの未来を見せてもらっていたのさ」
「未来?」
「そう」
なにをわけのわからないことを。奇怪な言葉に、チェリファリネは怒りを隠そうともしない。レジェンとて、不可解な少女に、苛立たずにはいられなかった。
だがそんな二人の視線を気にもせず、アンジェニは続ける。さも当然のようにうなずいて、火にかけていた湯が沸いたと台所に立つ。呆気にとられながら、レジェンもチェリファリネも、なにも言えないでいた。
アンジェニは慣れた手つきで茶を淹れ、二人に出した。芳しい花の香りは、恐らく大陸の花。以前に、ウォルドに少し貰ったことがある。名前をなんといったか、覚えていないけれど。
「ローズヒップだ。‥‥ハオン島にはなかったかな」
ふふ、とアンジェニは笑うけれど、チェリファリネの表情は強張ったまま、アンジェニが口にするまで飲もうとはしなかった。
ようやく答えが聞けたのは、それからだった。
「外で話したくなかったというのは、わかるだろう、アウクは表の人間じゃあない」
アンジェニ自身はこの町の住民とも親しいし、もちろんアウクとも知り合いだけれども、ではアウクと町の人々がどうかといえば、なんの関わりもない。アウクは一定の場所に留まるのを嫌うし、町としても、よくない人間がいるとなれば気分のいいものではあるまい。
「わたしは彼にあんたたちを頼まれたからね。あんたたちだって、見も知らぬ他人に助けられても戸惑うだろう? 説明するにも場所を選ぶ必要があった」
わたしはこの町を離れるつもりはないからね、と続けて。チェリファリネは不服そうに、もう十分に戸惑っているわ、と返したけれど、レジェンがなだめるとほほを膨らせながら黙った。
「悪かったよ、チェリファリネ。だけどね、仕方なかった。それはアウクもだ」
「‥‥彼は今、どこにいるの?」
「ブリランテ――もう、国境は越えたはずだ」
聞くにアウクの行き先は、もとよりここではなかったらしい。ならなぜ、二人を助けた上にここに立ち寄ったのか、次に浮かんだのはその疑問だった。
しかし、問う前にアンジェニが答える。
「アウクは、以前にわたしがした忠告を忠実に守っただけさ。わたしは一度、彼を助けたことがあるからね。義理の固いやつだよ、アウクは」
柔らかくほほ笑む彼女の瞳に、なんとなく寂しさを見る。うつむくと、眺めの前髪が彼女の深い黒を隠す。
――やはり、わからない。彼女が何者なのか。
さっきの言葉もそうだ、未来を見させてもらった、とは?
疑問を声にしようとして、ならない。なぜだか彼女の一挙手一投足に、二人の言動が制される。ほんの少し彼女が視線をずらしただけで、室内に緊張が走る。暗さのせいだろうか。それとも、彼女の持つ独特の雰囲気か。いいや、両方だろう。
問わずとも、彼女は答えた。
「予知、というのを知ってるかい――未来を見る力のことだ」
しばしの間をおいて、レジェンがうなずく。いつだったろう‥‥そうだ、島に吟遊詩人が来たとき、彼は魔女の歌を歌ったっけ。世界には魔女がいて、未来を予知する力があるのだと。しかしそのあと、吟遊詩人は御伽噺だけど、と言っていた。
おかしそうに笑いながら、アンジェニが言う。
「そう、魔女――わたしは未来を知る力を持っている」