13
二人は日が沈む前にはラグリマに入った。が、それから彼らは途方に暮れてしまった。あの活気あふれる港と同じ国だとは思えないくらい、この町は静まり返っている。アウクを待つにしても、どこにいればよいのか見当もつかない。
いいや、そもそも、彼を待っていいものか。せっかく二手に分かれたというのに、町の中で行動をともにしたのなら意味もなくなる。
「とりあえず、食堂を探そう」
港のときと同じように。食堂になら、ある程度人がいるはずだ。聞き込みもできる。レジェンはそう考えた。
アウクの言う通り、町は一度は果てたものを今また建て直しているといったふうだった。石を重ねて造られた家屋は三軒に一つが崩れているが、瓦礫は整理され、今日も作業をしていたのだろう、掘り返した土に新しい足跡が残っている。
ほとんどが民家のようで、小さな窓からはほのかな光がこぼれる。こっそりと覗けば、小さな暖炉で焚かれた炎に、幼い少年がまきをくべていた。つぎはぎだらけのシャツはこの町の貧しさを物語る。
なおも進んでいくと、いくつか店の並ぶ通りに出た。町の中央まで来れば家屋はほとんど直されていて、それなりの人通りもある。気になるのは、恐らく家を持たないのだろう子どもたちが、道の片隅に横たわっていることだ。
「センプリーチェのほうがいくらも平和ね」
チェリファリネの呟きに、レジェンはそっとうなずく。路肩で眠る子どもたちのほとんどが、まともに衣服すら着ていない。
と、一つ鐘が鳴った。
途端に子どもたちが目を開き、よろよろと体を起こす。呆然と眺めていると、彼らは皆一斉に、同じ方向へ向かって歩き出した。
「なにかしら」
目で追えば、そこはさほど遠くもなかった。間口の広い大きな建物があり、眩しいまでの光があふれている。入り口には子どもだけでなく大人も紛れているが、彼らは集まる子どもたちを誘導し、整列させている。
近付いてみると、食事の配給だということがわかる。建物は食堂で、店内は子どもたちでごった返していた。食事を終えた子どもたちはまた、薄暗い町へと消えていく。
「おまえたちもこっちに並べ、列を乱せば食事はないぞ」
窓から覗いていると背後から声をかけられ、振り返る。簡単な装備を身につけた背の高い兵士が、優しくほほ笑みながら彼らを見下ろしていた。親切のつもりだろうが、レジェンは自分たちに言われていると気付くのに時間を要した。アウクにも子どもだと言われたが、この兵とはさして年齢も変わらないだろう、それなのにそう思われるだなどとは。
「いいえ、ぼくたちは食事に来たのでもなければ、子どもでもありません」
言うと兵士は驚いたようだが、旅の途中に立ち寄ったのだと伝えると酒場を教えてくれた。
教わった通りに歩くと、そこはすぐに見つかった。一軒だけ明かりが灯り、賑やかしい声が外まで響く。ドアを開けると五、六人の男が酒を交わし、中には騎士らしい者もいた。
店主は二人を見ると、やはり子どもだと思ったのだろう、出て行くように促した。こうまで間違え続けられるとさすがに苛立ちを覚え、レジェンはとっくに成人した、と大声で宣言した。
「食堂にいた兵士に、ここを教えてもらったんです」
店主は訝しげに首をひねり、顎鬚をなでた。浅黒い肌に深く刻まれたしわは年齢を感じさせる。半分ほどが白くなった黒髪は短く整えられ、ぎろりと睨みつけるような瞳は二人をまっすぐに見つめている。
「それでおまえさんがた、金は持ってるのかい」
あるなら適当にかけな、と空席に促す。が、その言葉で二人は気付いた。
思えば島を、いいや、町を出てきたときも、二人は金など持ってはいなかった。まさか大陸に渡るなどとは考えていなかったし、そもそも島の通貨を持っていたとしてもこの国では使えない。
店の入り口で、いつまでも立っているわけにもいかない。そう思い立ち去ろうとすると、ドアが表から開けられ、深く帽子を被った少女が入ってきた。彼女もまた大陸の民ではないのだろうか、二人よりももっと小柄ではあるけれど、店主はまるで当たり前のように彼女に奥の席を勧める。
「やあアンジェニ、しばらくだな」
朗らかな挨拶に、少女は黙ったままうなずいた。席に着くと帽子を脱ぎ、脇に置く。それを見てチェリファリネはあっと目を見張った。
白い髪。
耳たぶの下で揃えた短い髪は、年齢に見合わぬ白髪だった。美しく光をはねるまっすぐなそれには、レジェンも思わず目を奪われた。
視線に気付いて、アンジェニと呼ばれた少女はじろりと二人を睨みつけた。気に触ったのだと思い、レジェンは早く出ようとチェリファリネを促す。が、次に店内に響いた少女の声は、意外な申し出だった。
「こっちにおいでよ、二人とも。金ならわたしが出す」
まるで、親しい仲のように。驚いて振り返ると、少女の口許は無愛想にへの字に曲げながらも、大きな瞳はじっと彼らを待っていた。
店主にも促され、二人は恐る恐る奥へと進む。少女は二人にと、ホットミルクを注文した。
「まだ飲める年齢ではないだろう?」
小声での問いに小さくうなずくと、おかしそうに苦笑した。二人は成人したとされる十八だが、大陸では酒が許されるのは二十だと決められている。島を出たのは初めてだけれど、この法はウォルドから聞かされていて、よく知っていた。
けれど、なぜわかったのだろう? 幼く見えるというのは十分わかったけれど、十八と二十の年齢に、見た目の差がそれほどあるはずもない。
不思議に思っていると、アンジェニが笑った。それから自分は、さくら色の酒を一口飲む。その独特な香りは、レジェンにとって馴染み深いものだった。
「さくら酒」
「ああ、久々に手に入ったと聞いてね。それでこんなに賑やかなのさ――でなければ酒場とはいえ、このご時勢にこうも客は入るまい」
よく知ってるねと続けて。たしかに、酒を知らないはずなのに見ただけでわかるというのは不思議かもしれない。
店内を見渡せば、皆が同じ色の酒を手にしていた。ハオン島の名産、その蔵元こそレジェンの実家。銘酒と称えられているとはいえ、島を離れた地で目にするとは思わなかったから、彼はひそかに誇らしくなった。
「彼の家はさくら酒の蔵元なのよ」
チェリファリネが言った。さほど大きな声ではなかったと思うが、他の客も数人が振り返り、店主もそれを聞き逃さなかった。集まる視線に、思わず身を縮める。
少女も意外そうに目を見開き、それから小さく笑った。
「じゃあ今日の見返りに、いつか酒を頂きに行くよ」
少女が酒を飲み干し、二人もミルクを飲み終えると、三人は店を出た。二人が礼を言うと、アンジェニは首を横に振って言った。
「レジェンとチェリファリネ、だろう? アウクから聞いてる」
ふふ、とほほ笑む彼女。だが、聞いた途端にチェリファリネの顔がみるみる険しくなる。レジェンとて、こんな幼い――むろん彼らよりは年上だろうが、彼女がアウクと繋がっているとは思っていなかった。
いいや、むしろ納得できる。彼女がアウクになにを言われて来たのかは知らないが、レジェンの警戒心はいくらも薄らいだ。
彼女は続ける。
「アウクは、ここには来ない」




