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みちくさ  作者: 斎木伯彦
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廣瀬中佐

 「杉野は何処(いづこ)、杉野は居ずや」と歌われる、「廣瀬中佐」は日露戦争で戦死した軍人です。

 日露は朝鮮半島での主導権争いが過熱して、戦火を交えるに至りました。

 日露戦争の初期、旅順港を封鎖するべく聯合艦隊が出動します。都合三度の作戦が行われましたが、廣瀬武夫少佐が出陣したのは第二回の作戦です。

 三月二十七日、閉塞船福井丸を指揮して、旅順港の入り口に福井丸を自沈させます。

 その時、部下の杉野孫七上等兵曹が見当たらず、沈み行く福井丸船内へ三度も捜索に行きます。

 脱出艇にも危険が及ぶと判断して、廣瀬少佐は撤退を決意し戻りかけたところをロシア側の砲弾を浴びて戦死。遺体は海中に没しました。

 五日後、福井丸の船首付近を漂流していた少佐の遺体をロシア軍が回収し、鄭重な葬儀が執り行われます。

 これは廣瀬中佐がロシアに駐在武官として赴任していたことが理由と思われます。

 没後、階級特進して中佐になり、我が国最初の軍神として廣瀬神社が創建されました。

 今回は文部省唱歌『廣瀬中佐』を紹介して終えます。


轟く砲音(つつおと)、飛来る弾丸(だんがん)

荒波洗ふ デッキの上に、

闇を貫く 中佐の叫び。

「杉野は何処(いずこ)、杉野は()ずや」。


船内隈なく 尋ぬる三度(みたび)

呼べど答へず、さがせど見へず、

船は次第に 波間に沈み、

敵弾いよいよあたりに繁し。


今はとボートに 移れる中佐、

飛来る弾丸(たま)に 忽ち失せて、

旅順港外 恨みぞ深き、

軍神廣瀬と その名残れど

廣瀬中佐、遺作

七生報国、一死心堅。再期成功、含笑上船


なお唱歌『廣瀬中佐』は著作権が失効しています。

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