大和魂考②
前回に続いて、大和魂を考察します。
武士道由来の「滅私奉公」の他に、我々日本人が持つ美徳は何でしょうか?
それは「堅忍不抜」「隠忍自重」と表現される「忍ぶ心」ではないでしょうか?
徳川家康は若い頃の失敗を教訓に堅忍不抜して天下を掴みました。
武士は隠忍自重して、承認欲求を抑制しました。「出る杭は打たれる」ので、出しゃばらないのが美徳とされるのですが、この武士の美徳は儒教由来です。
武士が抬頭する以前の隠忍自重は、平兼盛や式子内親王の歌からも明らかなように、感情を抑制する意味でした。
武士も元を糺せば公家ですから、本来は感情抑制の意味で隠忍自重していたはずです。感情抑制するのは、激情のままに物事を処置すれば失敗を招くからでしょう。
例えば、木梨軽皇子のように激情を抑制できず、身の破滅を迎えた人物もおります。
そうした古代からの積み重ねが、隠忍自重と堅忍不抜として我々日本人の心に宿り、日清戦争後の「臥薪嘗胆」へと繋がります。
これまた東日本大震災の話ですが、お子さんが行方不明になっていた若い母親がいたそうです。お子さんの服装などの特徴を自衛隊などに知らせて、捜索を続けていました。
そのようなある日、震災発生から一ヶ月近くして、特徴と合致する男児が見つかったと連絡が入ります。服装の写真などを見せ、我が子と認めた母親は無言の対面を果たします。自衛官たちは声も掛けられません。
母親は冷たくなった我が子を抱き上げ、こう言いました。
「良かったね、自衛隊さんが見つけてくれたよ。本当に良かったね。
次に生まれて来る時は自衛隊さんに入れてもらおうね、助ける側になろうね」
自衛官は号泣です。母親はもう一度、感謝の言葉を述べて我が子を連れ帰りました。
これが隠忍自重ではないでしょうか?
もしこの話で目頭が熱くなったとしたら、それはあなたの胸の奥にある大和魂を刺激したからかもしれません。
平兼盛 「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで」
式子内親王 「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする」