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みちくさ  作者: 斎木伯彦
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大和魂考①

 前回、大和魂について言及しましたので、その考察をしたいと思います。

 大和魂が渇望された最近の事例は戦後にあります。時代劇が制作され、古き良き時代を回想して、失われつつあった大和魂を取り戻そうとする動きでした。

 この頃の大和魂の解釈は「滅私奉公」でした。

 例えば戦時下で「自分一人が死んでも、他の全員は生還させる」という考え方です。西洋人は「他の全員が死んでも、自分一人は生還する」ぐらいの思考ですから、全く正反対ですね。

 しかしこれは、軍人勅諭などを通じて形成された考え方でしょう。庶民はもっと生に執着しています。

 ただこの「滅私奉公」の源流は武蔵坊弁慶の「立ち往生」にまで遡ると思うのですが、真似できない偉業だからこそ、そこに痺れる憧れるのでしょう。

 こう考えて来ると、大和魂の中には「武士道」が入っているのが窺えます。

 武士道は山本常朝をして「武士道とは死ぬことと見つけたり」と言わしめるほど、滅私奉公に重点を置いています。

 明治政府は国民を教育するに当たり、武士道を活用しました。忠誠心を国家に集めるには便利な思想体系でしたし、国家の指導層は武士階級の出身者が大半でしたから当然とも言えます。

 その最中、日清戦争にて木口小平という陸軍の喇叭手が戦死し、その際に喇叭が口元にあったことが「滅私奉公」に値するとして称揚されました。

 尋常小学校の修身教科書には「キグチコヘイ ハ テキ ノ タマ ニ アタリマシタガ シンデモ ラツパ ヲ クチ カラ ハナシマセンデシタ」と掲載されています。

 現代の価値観からするとバカバカしいかもしれませんが、この類型の一つに東日本大震災の逸話があります。

 消防団員だったその方は、津波被害が予想される街中を消防車で駆け回り、年配者を高台へ送りつつギリギリまでマイク片手に避難を呼び掛けていたそうです。やがて津波が押し寄せ、消防車は波間に消えました。

 被災後、その方の奥さんが探し回って、転覆していた消防車から足が出ているのを見つけます。やっとの思いで車内から引っ張り出すと、その手にはしっかりとマイクが握られていたそうです。

 もしこの話で目頭が熱くなったとしたら、それはあなたの胸の奥にある大和魂を刺激したからかもしれません。

木口小平は当初、白神源次郎と取り違えられていました。両名共に岡山県の出身です。

また正露丸のラッパのマークは、木口小平の話に基づいております。



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