満州国
昭和七年三月一日、満州国の建国が宣言されました。
満州国執政は愛新覚羅溥儀、後に即位して康徳帝と称されます。
当初の元号は大同で、帝政開始と共に康徳へ元号が変更されました。
満州国は何かと物議を醸す存在ですが、建国理念は「五族共和」と「王道楽土」を掲げ、善政を布いたのは間違いありません。
北方からソビエト連邦が幾度となく国境侵犯を繰り返していた為、国軍だけでは手薄になる安全保障を日本の帝國陸軍(関東軍)が駐留することで補っていました。これは現在の日米安保と同じ構図ですね。
満州国の産業は鉄道事業と農業です。特に大豆は当時の国際生産量の六割が満州国産であったと言われています。
帝都新京(長春)の発展は目覚ましく、世界最大規模の都市でした。多くの学校と博物館、美術館、商館が整然と建ち並び、大通りは都大路と呼ぶに相応しい佇まいです。これらは記録映像が残っていますので、御覧頂けると幸いです。
このような発展も、ソビエト連邦の侵略戦争で破壊され、満州国は滅亡し、中華人民共和国に併合されてしまいます。
国家の興亡を見る時、やはり国防を担う自国の軍隊が必要であるのは、古今東西共通の課題です。
ソビエト連邦は宣戦布告なしに満州国を侵略して、掠奪などの不法行為(戦争犯罪)を行いました。連合国の言い分では満州国は中華民国の一部なので宣戦布告の必要はないということですが、それならば中華民国政府は住民(非戦闘員)に対して避難を呼び掛けるか、保護する必要性があったはずです。
戦争は結局、勝てば官軍、負ければ賊軍です。
五族共和の五つの民族
・満州人
・蒙古人
・漢人
・朝鮮人
・日本人
ソビエト連邦の国境侵犯は甚だしく、国境線を定めた石碑を勝手に移設するなどもありました。
関東軍は、国境警備の巡回でそれらの是正も実施しています。