「柳橋 美綺」
柳橋美綺は、道ですれ違えば誰もが振り返るような、美少女だ。
天の川銀河を宿したような、「光り輝く闇の色」とでも表現するしかない、美しい黒髪。
整った鼻筋に、朝露に濡れる蕾のような唇。
さらさらの睫毛が縁取る瞳は、深い知性を閉じ込めた海底の色。
高い身長にスタイルも良く、モデルだと言われれば信じない人はいないだろう。
さらに、成績も抜群。
名門中の名門お嬢様校、王華女学院中等部にあって、十年に一人と言われた才媛。
それでも、彼女に友達いないのは。
「ね、ねえ、柳橋さん? さっきからずっとドアノブを見つめて……何してるの?」
中学の、トイレの個室前。
昼休み中ずっと、ドアノブを鑑賞している美綺へ、クラスメートが引きつった笑顔を繕い、聞いてくる。
「ああ、ごめん。使うよね。どうぞ、僕はただ、見てるだけだから」
「う、ううん、使わないけど。ただ、何でドアノブ見てるのかなーって」
恐る恐る尋ねるクラスメート。ちなみにお手洗いの外では他の女子が、
「勇気あるわね、あの子。美綺さまへ話しかけるなんて」
「ああ、私も美綺さまと、お近づきになりたい……!」
なんて、噂してる。銀河級な美少女の美綺と、仲良くなりたがる人は多いのだ。
けれど、そんなクラスメートへ、美綺はにこっと微笑んで、
「ドアノブって、宇宙だよね」
「???????????????????」
「僕、地球の回転と宇宙の摩擦に興味があってね。ドアノブの金具の摩擦、人が握る手との摩擦が、研究テーマに通じるなって、インスピレーションが湧いてくるんだ。ふふ、小さなドアノブから大宇宙をイメージするなんて、おかしいと思うかい? けど、このトイレだって宇宙の一部だから、そんな突飛な発想じゃないよね?」
「ごめんなさい! 何を言ってるか分かりません!!!!」
クラスメートは諦めた。色々と。
「うう、私みたいな、普通の子には無理だったのよ。美綺さまと並び立つだなんて!」
がんばった、がんばった、と慰める、他の女子たち。
「仕方ないよ。柳橋さん、やっぱり変だもん。……顔は良いけど」
「そうそう。毎日、新しい奇行を更新してるもんね。……顔は良いけど!」
変人。でも顔は良い、孤高の天才少女。
それが、周囲から見た、柳橋美綺の印象。
(どうやら僕は、少し「変な子」らしい)
美綺自身がそう自覚したのは、わりと最近だ。ボーイッシュな子たちが使ってる一人称を真似して、「僕」と名乗ってみたら……周囲から、ぎょっとされた。
黒髪ロングのご令嬢という、とってもフェミニンな容姿から男言葉が出るのに、皆違和感を覚えるらしい。
けど。「女の子らしい言葉遣い」なんて、誰が決めたんだと反発する気持ちも有るし。
戻すのは負けたみたいで悔しいから、そのままにしている。
(僕は、やってみたいと思ったことは、試さずにいられない。ただ、それだけ)
周囲からは奇行に見えたとしても。∞(無限大)の好奇心のままに、まずは何でも挑戦。
それが、柳橋美綺の、心意気なんだから。
彼女の通う中学、王華女学院の方針にも、救われた。
「天上天下王華独尊」「頂点に咲くもののみを華と呼び、残るはすべからく雑草である」という、徹底したナンバー1志向、能力主義。
非常に厳しいことで有名な王華の教師陣も、優秀な成績を修める美綺には好意的だった。
だから、中学では興味の赴くまま、色々と試した。
たとえば「筆を使わない書道」を思い付いて、手で墨汁を紙に塗ってみたり。
「やるじゃん美綺ぽん! この前の、大きな展覧会で特別賞だって!」
雑誌を手に話し掛けてくるのは、寮の先輩で、数少ない、気軽に話しかけてくる人。
水志摩詩織。声優志望で養成所に通いつつ、王華での勉強も続ける努力家さん。
ショートカットの明るい性格で、中等部と高等部で校舎も違うのに、何かと気に掛けてくれる。
「『書道とは認められないが、アートとしては大変面白い』だって。ほら、審査員の日本画の……桶屋画伯が、絶賛してるよ」
でも、美綺は考え込んでしまう。
「……そうか。ここまでやると、絵になってしまうのか。書道という概念がどこからどこまでなのか、確かめてみたかったのだけど」
「あっはは、喜べばいいのに。やっぱり美綺ぽんは変わってるね」
またある時は、「絵の無い絵本」に挑戦。線と色だけで、人間や動物は一切描かずに、浦島太郎の悲哀と孤独を表現してみた。
これも、前衛的だ、芸術的だと話題になって。
「天才中学生芸術家、現る!」なんて、騒がれもして。
王華高等部からは、奨学金の出る特待生待遇での進学を打診もされた、が。
「……高校は、星花に行く?」
中学3年に上がってすぐ。寮の温室……1年中薔薇の咲いた、ガラス張りのサンルームで。
詩織に声を掛けられた時に、うち開けてみた。
「なんで!? 日本一の王華だよ? 皆、美綺ぽんには期待してるって……」
驚く詩織へ、美綺は、長い髪をふぁさ、とかき上げて、
「……息苦しく、なってしまって」
王華女学院は、生徒のチャレンジを後押ししてくれるけれど……「やるからには、死んでも頂点取りなさい」というスタンス。
「でも、僕は。色々なコト、やってみたけど」
「……そっか。芸術家が志望ってわけじゃないんだね?」
さすが詩織は、すぐに察してくれた。
美綺の奇行の一部が、芸術面で評価されて、皆に誤解されてしまったけど。
どうも表現者が、僕のやりたいことと、いうわけでもないみたい。
(僕の、本当にやりたいことって、何だろう……?)
もう一度、それを見つめ直すには、王華より気軽な学校に通いたい。
「それに、星花は実家から近いんですよ。実家、小さいけどアパレル系の会社だし、天寿は一応商売敵だから、遠慮してたんですけど」
「……」
じっと、見つめてくる詩織に、思わず頬を赤らめ、視線を逸らしてしまう。
だって、王華を離れると決めた、一番の理由は……。
「……そっか。美綺ぽんが真剣に考えて決めたなら、間違いのはずないよね。うん、応援する。貴女が、本当にしたいこと、見つけるのを」
「ふふ、信じてました。先輩なら、分かってくれるって」
ぎゅっと手を握って微笑む詩織へ、美綺も微笑み返す。
「僕も、応援してます。先輩のこと。声優デビューしたし、もう寮は出ちゃうんですよね」
本音では、これが一番の理由。仲良しな詩織のいない、王華高等部に進学しても、何も楽しくなんか……。
「……うぅーん、それなんだけどね」
頭を掻いて言い淀む詩織。
「実は、今日、美綺ぽんを誘ったのは、その関係でさ」
何から話そうか、と呟きながら、
「バイト先の喫茶店に、同じ声優志望の子がいてね。南原美緒奈ちゃんって言って、私よりひとつ上なんだけど。この子がロリ可愛くて、面白くてさ。すっごくロリで、アイドル向きな性格してるし。しかもロリで、めっちゃ私好みで」
「先輩、ロリが3回入ってます」
……何だか、面白くない。ついムッとしてしまうけど、それには気付かず詩織は、
「その子と組んだら、アイドル声優路線も行けるなって思って。えへ、私だってさ? 容姿、悪くはないって思うし」
「もちろん! 先輩は、とっても可愛いです!」
「お、おう? そんなストレートに言われると、照れちゃうにゃぁ?」
赤くなりながら、詩織は、こほんと咳払いして。美綺の海色の瞳を、真っ直ぐに見つめてきて。
「……美綺ぽんも、一緒にアイドルやらない?って、誘おうと思ったんだよね」
思わず、目を丸くしてしまう。
だって、僕がアイドルなんて。考えたことも無かった。
どう答えるかも思い浮かばず、ただただ戸惑っていると。……詩織に、勝手に納得されてしまった。
「……でも美綺ぽんは、星花でやりたいこと探すんだもんね。ごめん、今のは聞かなかったことにして?」
笑って、手を振りながら温室を出る詩織。
「じゃあね! 私が寮を出ても、美綺ぽん星花に行っちゃっても、メール毎日するからね! ばいばーい!」
「……あ、はい。さよなら……」
何だか、置いてかれた気分だ。
胸にぽっかり穴が開いたような……。
いや、いいんだ。僕にアイドルなんて、向いてるとも思わないし。自分のやりたいコトかって聞かれたら……やっぱり、違うって思うし。
だのに、こんなに寂しく思うのは、何故なんだろう?
温室を出ようとして、数歩歩いて。唐突に、腑に落ちた。
「……ああ、そうか。僕は、詩織先輩に、誘ってほしかったんだ」
急に、顔が真っ赤になる。今の自分、中学3年の今日に至るまで、一度もしたことがない顔してる。
とても、他人には見せられない。
温室には誰もいないけど、ついうずくまって、膝で顔を隠してしまう。
(何だこれ。胸が締め付けられて……まるで、恋する乙女。僕が、普通の子みたいじゃないか)
僕に、こんな感情が有ったなんて。
今なら、まだ。立ち上がって、詩織を追い掛ければ。そんな想いが、脳裏をよぎるけれど。
「ふふ。見つけた。……新しい、私」
失恋と呼ぶには、幼すぎる、甘くて苦い、この気持ち。
何だか今は、浸っていたい気分。
(星花に行ったら、色んなこと、やってみよう。思い付いたことは、何でも。きっと、そのうちに……大好きになれる自分に、出会えるはずだから)
こうして、柳橋美綺は、星花へと羽ばたいていく。
……ちなみに、詩織からは、本当に毎日メール来た。
美滝百合葉を知ったのも、そんな、詩織からのメールが最初。