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「体力が! 足りなかったわ!」
全国のファンの心配をよそに、百合葉はお昼ご飯いっぱい食べていた。
念のための検査で入院中。
病室のベッドで食後の筋トレとか考えてる百合葉へ、お見舞いに来た美綺が呆れる。
「体力の問題じゃないだろ、もう。僕がどれだけ心配したと思って……」
「へぇー? 美綺ぽんってば、心配してくれたんだぁ♪ そんなに私のこと、大好きなのね♡」
口に手を当て、悪戯っぽくニマニマする百合葉へ。
その手を取って、
「……好きだよ」
「ふぇぇっ!?」
真剣な顔で返され、真っ赤になる百合葉の表情を、瞳に映しながら。
「だから、誤魔化さないで。今日こそは、聞かせてもらうよ。君が、倒れるまで頑張る理由」
ベッドの上。鼻先が、くっつくほど。吐息が掛かるほど近く。
キス寸前の距離に、
(か、顔が近い近い近い近い!?)
百合葉の心臓が大暴走するけど、美綺はわざとらしく、その距離で停止。
妖しく微笑む黒髪ロングの美少女。
「え、えと。キスする流れじゃないの……?」
「ふふ。百合葉はどうしたい?」
「ま、魔性の女……!」
……キスしてほしければ、話しなさいと。そういうことみたい。
ちょっとこんな顔の良いのが至近距離じゃ理性がもたないので、百合葉は降参した。
「……分かったわよ、話すってば。もう、強引なんだから」
「百合葉には、負けるけどね。出会った日のコト、忘れたのかい?」
頬っぺたに軽くキス。
やっと美綺の顔が離れて、百合葉は騒がしい鼓動が鎮まるのを待って。
病室の窓から入る初夏の風が、頬の火照りを冷ましてくれた頃。
ようやく、語り始めた。
「私ね、子供の頃、すごく引っ込み思案だったの」
子役で芸能界入りしてからも、泣き虫で、いつもビクビクしてて。
「そんな私を変えてくれたのが、アイドルの卵だった先輩。お腹の底から、大きな声を出してみようって。きっと気持ちいいよって、教えてくれたの」
それが、アイドル美滝百合葉の原点。背筋を伸ばして、大きな声を出したら、世界が違って見えた。
百合葉をアイドルにしてくれた、自分もこんなアイドルになりたいって憧れた、その人は……。
「……結野あきら。知ってる?」
元々アイドルに詳しくもない美綺。聞いたことがあるような、無いような。
首を横に振ると、
「……そうよね。有名じゃないし。だって、有名になる前に」
うつむいて、前髪で表情を隠して。この続きは、言いたくない。言いたくないけど、でも。
「美滝百合葉」が自分と向き合うなら、避けては通れないから。
やっとの思いで、言葉を絞り出した。
「……私が、殺しちゃったから」
美綺が、息を飲む。まさか言葉通り、殺人を犯したという意味ではないだろう、けど。
百合葉の声には、どうしようもない悔恨が滲み出ていて。
ただ、続きを待つしかなかった。
「あきらさんのアドバイス通り、大きな声を出すようにしてから、私、どんどんお仕事もらえるようになったわ。もちろん、自分から、手を挙げるようにもなったんだけど」
今でこそ歌手がメインの百合葉。天才子役として、世間に知られるようになったのが、小学校高学年の頃。
大河ドラマで主役の淀君……茶々の子供時代を演じた頃から、テレビの常連になって。
星として、輝き始めた。
「けれど、私と違って。……あきらさんは、ずっと、高校卒業してもお仕事無くて、苦しんでたみたい」
そんなある日のこと。
中学生になる前に、百合葉の歌手デビューの話が来て。
作詞が、憧れの結野あきらさんだと知って、舞い上がって。
「それが、私の18番。『∞×∞』よ」
明るく前向きで。どんな壁も、限界も、乗り越えて行こうと語り掛ける、力強い歌。
百合葉のシャウトに、この上も無くぴったりハマる。
一気に美滝百合葉を有名にした。
百合葉のために、百合葉に歌われるために産まれたような、その歌は。本当は。
「……あれは、あの歌は。本当は、あきらさんが、自分で歌うために。やっと決まったソロデビューのために、作った歌だったの」
詳しい事情は知らない。百合葉を売り出したいスポンサーの意向とか、色々有ったらしい。
ただ、結果として。あきらさんが血の滲む思いで、ようやく掴んだチャンスを。輝く星を。
私は、横から掻っ攫った。奪ってしまった。
「……歌は大ヒットしたわ。私は無邪気に、憧れの人が作った歌で、アイドルになれたのを喜んで。それからは目が回るみたいな忙しさで。やっと、少し落ち着いて、あきらさんにお礼を言おうと思った時には……」
病室に、強く風が吹き込む。百合葉と、静かに聞く美綺の髪を揺らす。
「その人は、自殺していたの」
遺書は、見せてもらえなかった。
「けれど、お葬式で。あの人のお母さんが泣きながら、『貴女のせいじゃない』『貴女のせいじゃないの』って言ったのが……本当は私のせいなんだって、言ってるようで……」
「……百合葉」
肩を震わせる百合葉を、美綺は抱き締める。
……どんな気持ちで、歌い続けていたのだろう。トラウマそのもののはずの歌を。
胸に、ナイフを突き立てるような苦しさだったろうに。
ああ、そうか。美滝百合葉は、その時、自分に呪いを掛けてしまったんだ。
「……私が、あの人を殺した! 全部、奪ってしまった! だから、私は、アイドルに、なるしか、なかった……!」
百合葉という星の、輝きが産んだ影。誰かの可能性を奪った分、美滝百合葉は、どんな可能性も諦めることを許されない。
死せる結野あきらの分も、私は、あの人のもののはずだった歌を、歌い続けて。
あの人がなるはずだった「最高のアイドル」を、目指さなくては、いけなくなった。
∞を謳い、口ずさみながら。「諦める」「楽になる」そんな選択肢だけは、絶対に許さないと、自分の中から殺して。
美滝百合葉という少女は、翼を傷だらけにしながら、求めて嵐の中へ飛び込んで、飛び続けて来たんだ。
「こんなものじゃない」「もっと出来るはず」「これで満足したら、あの人に許してもらえない」。
そう、自分を追い詰め続けて、ここまで。
「……」
胸の中で静かに嗚咽する百合葉へ。どう声を掛けるべきか、美綺は考える。
百合葉のせいじゃない? それは多分、言ってはいけない言葉だ。
だって、彼女が信じない。結野あきらの自殺の真相がどうあれ、百合葉にとっては、「私が殺した」というのが真実で。
軽率に「貴女のせいじゃない」だなんて。それは、安易な許しを拒否して、今日まで駆け続けてきた百合葉の努力を否定するようなもの。
だから、考える。百合葉のことを。
華奢で、細くて。ほんとは泣き虫なのに、強く、明るくあろうと笑顔であり続けた、頑張り屋の女の子のことを。
そしたら、美綺の胸には、愛しさが溢れてきて。
抱き締める腕に力を込めて、こう言った。
「……頑張ったね」
ああ、これが。これが、百合葉の欲しかった言葉。
闇も、心の傷も、今日まで百合葉の原動力だったには違いないのだから。
許されるより、褒めて欲しかった。
「……うん。うん! 私、頑張ったの。頑張ったんだよ。あきらさんの分まで……!」
ぼろぼろ零れる涙で、アイドルの顏がぐちゃぐちゃ。
「……いけない。アイドルがこんな顔、見せられないわ」
百合葉がそう言うから。美綺は、もう一度、彼女を胸に抱き止めて。
泣き顔を、隠してあげた。




