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初夏の夜、潮風の心地良い柳橋邸。
お勉強会を終えた百合葉、寮へ走って帰る気満々だったけど、さすがに美綺が止めた。
美綺パパが帰ってきたら、車が送ってあげる予定だ。
で、その前に。
約束通り、美綺の「好きなこと」「本当にしたいこと」を見せることに。
と言っても大したことをするわけじゃなく、自室へ入れるだけ。
なのに、美綺が恥ずかしがって躊躇うので、
「も、もしかして美綺ぽん。部屋にえっちなBL本、隠してるとか?」
むしろ期待するように頬を赤らめ、百合葉が聞く。
「違うから。……君こそ、寮に隠してたりするの?」
「……アイドルのプライベートを詮索とか、いけないと思うの♡」
髪を弄りながら誤魔化す百合葉を見てると、自分の秘密を隠すのが馬鹿らしくなって……もしかしたら、これも彼女なりの気遣いだったのだろうか? 美綺は意を決して、百合葉を部屋に招いた。
家そのものと同じに、すっきりとシャープな印象のお部屋。
インテリアは最低限に、アクセントに置かれた小物がセンスの良さを窺わせる。
けれど何と言っても目を引くのが、白い壁にピンで留められた……。
「写真がいっぱいね。これは……UFO?」
百合葉へ椅子を引いてあげながら、美綺は語り始めた。
「怖いんだ。砂漠が、とても」
いきなり脈絡の無い話ね……とか思ってそうな顔を百合葉はするけど、ここは大人しく聞き役に徹する。
「子供の頃、両親に連れられて、海外のあちこちに行ってね。その中で、タクラマカンの砂漠が、脳裏に焼き付いていてさ。何も無い、何もかも枯れ果てた世界。子供心に、いつか僕らの街も、世界も、こんな風になるんじゃないかって、たまらなく怖くなったんだ」
UFOに混じって張られた、星々、星雲の写真を、白い指でなぞりながら続ける。
「その反動かな。星、銀河、宇宙。そういったものに、すごく惹かれて。星の海……そこは砂漠と同じで、生命なんて無い世界かも知れない。けれど、有るかも分からない。無限の、可能性の世界」
いつかそこに、漕ぎ出してみたい。それが柳橋美綺の欲求。
「だからUFOと言っても、オカルト好きのつもりは無いんだ。お風呂での換気扇の話もそうだけど、僕は技術に興味が有ってね。宇宙を、星を渡る技術。それは、どんなものなんだろうって」
本棚から美綺が抜き取るのは、宇宙開発の技術史。
「知ってる? アポロ11号が月に降り立ったのが1969年。だいたい50年前だね。でもそこから、僕ら人類は、どれだけ前に進めたんだろうか。いまだに月にも火星にも住めやしないし、これが人類の限界なんだって言う人もいる。あの……怖い砂漠を、住めるように緑化する方がずっと現実的だって、それはきっと正しいんだろうけど」
でも、浪漫が無いじゃないか。限界なんて言われたら、何だか無性に悔しい。
星へ、星の彼方へ。未知の可能性へ手を伸ばすのは、人間の、いや生命の、当然の欲求なのだから。
「だから、僕は『誰もやったことの無いこと』をやりたい。人の可能性ってものを、拡げてみたい。それが、周りには変に見えるのは承知だけど……」
これこそ、柳橋美綺の奇行の正体。限界なんて認めない。少しでも興味を持ったことは、とりあえずやってみる。それがいつか、地球の閉塞を破って、宇宙へ飛び立つきっかけになればと願って……。
「……うん。いつかは、UFOを造ってみたいな。これが僕の、やりたいこと」
窓の外の夜空へ手を伸ばし、憧れを口にする。
そして百合葉の方へと振り返ると。
椅子に座ったまま、口元に涎まで垂らして、船を漕ぐ百合葉……。
「!? ……ごめん、寝てた!!」
「君ってやつは……。自分から踏み込んでおいて……!」
美綺が頭を抱えると、
「ごめんってばー!? で、でもほら。美綺ぽんはミステリアス美少女が売りだから。理解できないままのが、神秘的でキュートかもって」
「すごい言い訳始めた……」
……まあ、百合葉も疲れてたんだろう。そう美綺は納得することにした。
日々のアイドル活動に、勉強、とどめに今日は、この家までジョギングしてきたのだし。
それで長い話を聴かされては、眠くもなるのだろう。
「けど、大事な所は分かったから安心して? つまり美綺ぽんは、宇宙が好きってことね!」
「……ものっすごく端折られた気はするけど。まあ、違ってはいないよ」
ジト目で答えると、百合葉は何故か、ほっとしたように胸を撫で下ろした。
「良かった、思ったより普通で。私さ、この前『世界びっくり人間』とか収録したから。もっと、とんでもない秘密が出るんじゃないかって、構えてたんだけど」
「……普通なんて言われたの、初めてかも」
美綺は目を丸くする。奇人変人扱いされるのに慣れ過ぎて、「普通」と評されるのが、新鮮だったから。
「ちなみに、百合葉が思う、『普通じゃない』秘密って、どんなの?」
「そうね。実は悪の秘密組織の総統で、部屋を開けたらクローン戦闘員の培養槽がいっぱい……とかだったら、びっくりしたかも!」
「……ハードル高過ぎない?」
ちょっぴり呆れて。何だか、可笑しくなって。
「ふふっ。やっぱり、君の方が変な子だよ」
微笑むと、百合葉、それって褒めてる?と頬を膨らませて、
「……けど、わりと普通だって思ったのは本当よ。恥ずかしがって、隠すような趣味でもなかったじゃない?」
そう言われて。美綺も、首を傾げる。
「……そうだね。何で、君に見せるのを、恥ずかしいって思ったのだろう」
変な奴って思われるのは、慣れてるし。別に今さら、誰にどう思われたって、気にする性格でもないはずなのに。
美綺は自問して。すっと、腑に落ちた。
「ああ、そうか。……君が、特別だからだね」
長い黒髪が、窓からの夜風に揺れて。
にこっと笑うと。百合葉の顔が真っ赤になった。
その顔へ手を伸ばし、百合葉の亜麻色の髪を掬って、薔薇色の唇を当てる。
「……ふふ。君は、まるで火星の化身だね」
「な、何かよく分からないケド。褒められた、のよね?」
美綺にしてみれば、地球のお隣さん……火星に喩えたのは褒め言葉で。
「ああ、金星の方が良かった? イシュタルにアフロディーテ……美の女神に紐づけられるからね」
しかし火星の方が、地球と環境も近いし、賛辞としては適切なのではないか。
そう持論を展開し始める美綺へ、百合葉も、くすりと笑って。
「やっぱり、貴女も変な子よ。だから……見てて、飽きないのかな」




