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(ほんとに、大人しくなったな……)
2人でテスト勉強。
夕焼けの海から潮風の薫りが窓辺へ吹き込み、お風呂上がりの石鹸の匂いと混じり合う中で。
ノートを写す百合葉の横顔を見て、美綺は思う。
これも、本職のアイドルならではかも。騒がしい百合葉も、いざ勉強を始めると、大した集中力だ。
聞こえるのは潮騒と、ノートの上を走るペンの音だけ。
(……まったく。僕のことなんて、そんなに知りたいんだろうか)
※ ※ ※
シャワーを浴びながらの、百合葉の問い掛け。
「美綺は、何をしたい人なの?」
……漠然としてなら、答えは有る。でも、将来の夢というほど確たるものじゃなくて。
やりたいこと。なりたい自分。まだ、ふわふわと、漠然と思い描くだけ。
現役アイドルとして、お仕事してる百合葉へ、さらけ出すのは、気後れしてしまって。
ぐいぐい踏み込んでくる百合葉の興味を逸らすべく、リビングでテレビを点けてみたら。
「はぅっ!? 義紀さんってば、夕方のニュースでまで、櫻木くんと共演してる……♪」
百合葉が、変なところに食いついたので、美綺はポカンとすることに。
「デキてるよ……。やっぱりあの2人、付き合ってるよ共演多すぎだもん。櫻木くん疾風のメンバーより義紀さん好きだよ絶対、ほら視線が絡まったー♪」
「も、もしかして。百合葉、君って」
恐る恐る、美綺が尋ねてみる。
「……いわゆる、腐女子ってやつ?」
「乙女の嗜みだよぅ!!」
アイドル、美滝百合葉がテレビでもあまり見せたこと無いくらい、キラキラと瞳を輝かせて熱弁するのを、美綺は聞かされる羽目に。30分ぐらい。
「……で、王道はやっぱり義紀さんが攻めなのよね。けど、この話でこの前、あのお姉さん、ほら天寿から監査で来てる……」
「蝶茶韻さん?」
「そうそう! ん? 何かそう呼んだらえらく怒られた記憶が有るけど……。とにかく監査のお姉さんと盛り上がったんだけど。お姉さんが言うのよ、『ふ、まだまだお子様ね。櫻木くんのドS誘い受けこそ、エリート!なオトナのBLよ!』って。でも私、やっぱり王道って大事だと思うの! リバでも地雷じゃないけど、やっぱり義紀さんが大人の魅力でリードするのが、このカップリングの基本!」
ぐっと拳を握って、同意を求める百合葉。
「ね、美綺ぽんはどう思う!?」
「うん、ドン引き♡」
「なしてー!?」
理解者を得られずショックを受ける百合葉に、美綺は氷点下な視線を向けて、
「……っていうか君さ。共演者を、そんな目で見てたんだね」
「うぅ、だってぇ。顔の良い男の人が2人いたら、ね? 妄想するのが乙女の本懐って、詩織先輩も言ってたし」
百合葉の口から、彼女のアイドル仲間で、美綺の中学の先輩、水志摩詩織の名が出たので、美綺も思い当たる。
「君を沼に引き込んだの、あの人か!? そういえば、詩織先輩も、こういうの好きだった……」
美綺が中学生の時。詩織先輩が頬を染め、もじもじしながら。「ね、ねえ美綺ぽん? 私さ、最近メイド喫茶で仲良くなった早乙女さんって子に、素敵なご本を頂いたのだけど。貴女も気に入ると思うの。……一緒に、読まない?」なんて、誘ってきたけど。
……何だか身の危険を感じて、逃げたのだった。
「……ああ。あの時、僕が逃げたばっかりに。替わりに君が引きずり込まれて……」
百合葉に同情し掛けるけれど、
「ふぉっはぁ!? 見た!? 今の見た美綺ぽん!? 義紀さんってばもー、櫻木くんの肩に触れちゃって♡ ヤヴァいよあれはまずいよ、櫻木くんが妊娠しちゃう……♪」
キャー♪と黄色い声上げて床をゴロンゴロンする百合葉の姿に、美綺はさらに引いちゃう……。
「うわぁ。その妄想、下村先輩には絶対聞かせられないや」
「ちなみに。先輩のルームメイトの黒犬さんには、同人誌をお貸ししてみました♡」
「布教済みかァァァァァッ!?」
自分の父親がネタにされたBL同人誌を、娘が読んでしまう……。そんな怖ろしい事件が起きないことを、美綺は心から祈った。
……まあ、そんな悲劇が起きない限りは、
「……誰かの迷惑になるわけじゃなし。僕には、ちょっと理解できない世界だけど」
君が楽しいなら、それでいいのかもね。
美綺がそう微笑むと、百合葉もニコっとして、
「うん。だから、美綺ぽんの楽しいコトも教えて?」
……忘れてなかった。
すっと指を伸ばし、美綺の鼻先へ触れる。
「私が今、いちばん興味あるのは。貴女のことだもの」
「……もう。分かったよ。ちゃんと集中して、勉強したら、ね」
そして。本気の百合葉の集中力を、思い知らされたのだった。




