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朝。ソフトボール部から道具を借りて、ひとり投げ込んでいた百合葉。
彼女が汗をたっぷりかいてるから、美綺は、少し口を付けただけのペットボトル飲料を渡してあげた。
「ありがと。んく、んく……」
遠慮なく、ごっくんごっくん飲む百合葉……ラベルを見もしなかったのが、敗因。
盛大に噴いた。
「ぶふぉぉぉぉぉ!?」
「ちょ、汚いな。アイドルとしてどうなの?」
形のいい眉をひそめる美綺を、睨んで、
「な、なんなのこれぇ!? 苦味たっぷりの中にほのかなエグ味が喉に絡んで……端的に言って不味いわ!」
「ふふ、僕の最近のお気に入り。『香茶花伝・ワサビ昆布茶風しょうゆフレーバー』さ」
「……これは、お仕事でも飲めないわ、私」
それでも一応、ありがと、と言って、美綺へペットボトルを返す。
美味しいのに、と平気な顔で、残りのお茶を飲み干す美綺だった。
「ところで、何で投球練習? やっぱり、昨日の『VS疾風』の?」
美綺が尋ねると、百合葉の顔が青ざめた。
「……うぅ、疾風の中野くんにボールぶつけたとか。さすがの私も、怖くてSNS開けないわ」
「ボール、柔らかいんでしょ? リーダーも笑ってたし、TV的には美味しかったと思うけど」
実際、トレンド入りしたと言っても、炎上したわけじゃない。
大多数の視聴者には珍プレーとして捉えられたのだけど……それでも、百合葉自身は、納得できてないようだった。
「アイドルだから『下手でも仕方ない』とか、『可愛ければOK』とか、そういうの嫌なの。また始球式のお仕事とか有るかもだし、次までに絶対、上手くなってみせるわ」
ボールを投げる百合葉へ、美綺は肩を竦める。
「野球が本業じゃないんだから。そんなに全力尽くす必要、無いと思うけどね」
「……だめなの」
ふと、百合葉の声が硬くなった。
表情は、見えない。
「私は何一つだって、諦めちゃいけない。だって、そうでなきゃ、きっとあの人に許してもらえないから」
絞り出すような声に、何か、底知れない闇を覗いてしまったように思えて。
美綺は、ぎくりとする。
つい目を丸くすると、百合葉も、しまった、という顔で髪を弄り、誤魔化した。
「あー……えっと。み、美綺ぽんこそ、こんな朝早くにどうしたの? テスト勉強とか?」
笑顔の仮面で隠した心を、今は、見てほしくはないらしい。
百合葉だって芸能人だ。明るく、陰なんて無いように振舞ってはいても、抱えたものの一つや二つ、有るんだろう。
容易く、人の心に、足を踏み入れるべきじゃない。
(……いや、百合葉のほうは、結構平気でズカズカ入ってくる気はするけど)
美綺は優しいので、話題を変えてあげた。
「ふふ、来週には中間テストだからね。それこそ、野球の練習どころじゃないよね」
うぐ、と言葉を詰まらせる百合葉だけど。
美綺がにこっと微笑んであげると、彼女の方から察してきた。
「……もしかして。朝から学校に来たの、私を探してた? 勉強、教えてくれるの?」
「うん。僕で良ければ」
長い黒髪をふぁさっとかき上げ、美綺が微笑むと、百合葉が瞳をキラキラさせて、抱き付いてくる。
「神か! もー、美綺ぽん大好き♪」
ふわっと、甘く爽やかな匂いがして、美綺が微かに頬を染める……。
と、百合葉が急にジト目になって、
「あ、でも美綺ってさ……現国の授業で、問題文からオリジナル小説想像して、先生に読ませたりするんでしょ? あの新人の先生、涙目だったよ? 『あんまり高度なコトしないでー!? 反応に困るから!』って」
「ふふ、普通に勉強しても、簡単すぎるからね」
「うっわ天才発言!?」
人に勉強教えるとか、出来るの?と疑念を口にする百合葉へ、
「失敬だな。あくまで自分にはハンデを課してるだけさ。王華……中学では、詩織先輩たち上級生にも教えていたぐらいだよ」
すっと、白く美しい指を伸ばして。百合葉の手を取る。
「放課後、仕事が無かったら。おいでよ、僕の家へ」