ペット産業の女
亘が姪と最後に会ったのは、九月の終わり頃だった。
姪は感情の起伏に乏しくなり、亘と会話していても上の空の状態が続いていた。
「そうだ、今日は君にプレゼントがあるんだ」
「何?」
姪の上体は全く動かない。顔を横に向け、目線を合わせようともしない。むしろ仕切りであるアクリル板から遠ざかっているような気さえする。亘のアクションに対して何の期待もしていないのは明白だった。しかし、姪の虚無的態度は、亘の次の言葉で容易に決壊する。
「ポコを連れてきた」
「嘘」
否定しつつも、姪の目は亘の目に据えられ、手は透明な仕切りを押し退けようと前へと突き出されていた。
「ずっと君は犬を連れてこいと俺に言ってきた。正直、気が触れていると思ってたよ。犬なんか連れてこられるわけないからな。でも生きていないものなら別だ」
亘はひし形の白い固まりを手のひらに載せて姪に見せた。固まりは、手のひらにすっぽり収まる大きさで、透過性は全くない。
「それが、ポコなの?」
ポコの死に関して疑問を呈したのは、水島だった。
姪の飼っていた犬は死んだという話だったが、その死因は不明のままだった。既に遺体は火葬されており、死因の究明はできない。今ある骨は兄の家に保管されていたものを借りてきものだ。
「ここからは推測になるが」
亘は前置きをして、ポコの死因について話始めた。
姪の彼氏である荒太という男は、ポルノめいた動画の他、ペット動画もあげていた。
最初は、簡単な芸を披露する健全なものだったが、じょじょに過激になり、虐待に近い無理なものを上げるようになったようだ。
「荒太という男は、ポコを殺してしまったんじゃないか。偶然か、故意かどうかは別として」
「仮にそうだったとして、どうして私がそのことを警察に言わなかったの? 隠す意味ないじゃん」
「推測だって言ったろ。おっさんの独り言だと思って聞いてくれ」
亘が姪に抱いたシンパシーの正体にようやくたどり着こうとしている。共同幻想のような甘い罠かもしれない。それでも確信はあった。
「君は頑張れなかったから男を殺したと言ったな。ポコが死んだ理由が判明したら、ポコが頑張れなかったと思われるのが嫌だったんじゃないか」
ポコは姪の分身だった。姪自体も、動画で男の傀儡になっている以上、その可能性はありうる。もし、どちらかの尊厳が傷つけば、もう片方に影響を及ぼすことは容易に想像できる。
姪の目はポコの骨にまっすぐ向けられている。感情を隠しているが、呼吸が浅くなり前かがみになってきた。
「……、意味がわかりません。おじさんおかしいんじゃないの」
「実は俺、妻に別居を言い渡された。自業自得だから別にいいんだが、それで君の気持ちがわかった」
凝り固まっていたものを解き放つように亘は言った。
「大人になると頑張ったなって、人に誉めてもらえなくなるよな。社会に出ればなおさらだ。だから君は嬉しかったんだろ、男に囁かれる感謝の言葉が」
「うるさい! わかったようなこと言わないで」
姪は耳を塞ぎ、絶叫する。刑務官は制止しなかった。亘は続ける。
「俺もそうだった。妻からの感謝、職場の評価、そんなものでしか自分を計れなかった。煙草が吸えない、子供が作れない、それだけで潰れかかってる。笑えるだろ?」
姪は畏怖するような視線を亘に向けた。
「探偵ごっこはもうたくさん。私にどうしろって言うの。死ねって言いにきたの?」
「違う。俺みたいになるな。飼い慣らされる奴になるな。ペット産業の女になるな」
人は産業に組み込まれた歯車と呼ばれて久しい。亘もそれを受け入れて生きてきた。だが、大学を卒業したての頃はどうだっただろう。もっと今の姪のようにあらがっていたんじゃないだろうか。
「おっさんの独り言、終わり。ご静聴ありがとうございました」
亘は姪の顔を見ずに席を立った。自分の演説が急に気恥ずかしくなったのである。
「無理だよ……、そんなの」
姪の泣き言が、亘の耳に入った。
「やだよ、溺れちゃう。ポコみたいに。一人でできるわけないよ」
一人でやり通すしかないんだ。それが罪を背負うということなんだ。亘はそこまで言わずにその場を後にした。