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<八> 日本本土無差別爆撃と艦魂たち

 昭和二十年三月十日未明、B29の大編隊(300機以上)が首都圏上空に飛来。東京の下町一帯の民家に焼夷弾が投下された。

 三月九日夜、米軍編隊が首都圏上空に飛来。二十二時三十分(日本時間)、ラジオにて放送中の軍歌を中断して警戒警報が発令された。同編隊は房総半島沖に退去して行ったため、警戒警報は解除されることになったが、ここで軍民双方に大きな油断が生じた。その隙を突いて、九日から十日にかけて日付が変わった直後(午前零時八分分頃)に爆撃が開始された。B-29爆撃機325機(うち爆弾投下機279機)による爆撃は、午前零時七分に深川地区へ初弾が投下され、その後、城東地区にも爆撃が開始された。午前零時二十分分には浅草地区でも爆撃が開始されている。火災の煙は高度15000mの成層圏にまで達し、秒速25m以上、台風並みの暴風が吹き荒れた。

 日本の国防能力を嘲笑うかのように低空飛行による無差別爆撃。米軍爆撃編隊は、当初はヘイウッド・S・ハンセル准将の指揮により軍需工場などの軍事拠点のみを目標に空襲を繰り返した(何故ならハンセルはかつて日本軍が中国に行った無差別爆撃を非人道的だという感情を抱いていたから)が、思わしい効果がなかったので、指揮官が変わることになり、1945年(昭和20年)一月二十一日にカーチス・E・ルメイ少将と交代した。

 「軍需工場の労働者の家や使用する道路、鉄道を破壊することが効果的だ」というヘンリー・H・アーノルド大将の意を受けたルメイは、大規模な無差別攻撃を立案、その手始めに東京を選んだ。

 低高度による侵入など、他にもリスクを負うことになったが、東京大空襲はその中でも最も米軍側にとっては大成功であった。「この空襲が成功すれば戦争は間もなく終結する。これは天皇すら予想できぬ」「我々は日本降伏を促する手段として火災しかなかったのである」とルメイ自身も証言している。

 日本側の損害は、負傷者は四万人以上に上り、被災者は約百万人、被災家屋は二十六万八千三百五十八戸ほどを焼かれ、死者は約十万人に達した。

 そして、三月十二日には名古屋大空襲が、三月十三〜十四日に大阪大空襲が、それぞれ実行され多数の死傷者を出している。

 日本の主要都市である街々の殆どが、この大空襲によって焦土と化した。



 

 日本有数の軍港、呉。

 東京大空襲があった翌朝。兵員たちもそうだが、艦魂たちも臨時放送を流すラジオに耳を傾けていた。

 『去ル三月十日未明カラ朝ニカケテ、帝都上空ニ来襲シタB29編隊ハ、帝都ヲ盲爆セリ……』

 雑音が入れ混じってよく聴き取れなかったが、帝都・東京が敵編隊の大空襲を受けたことだけはよくわかった。ラジオを聴いた兵員たちは愕然とし、ある者は憤怒を見せ、ある者は目を涙で光らせた。艦魂たちの中でも、悔しさに顔を歪ます者、憤りを感じる者、犠牲になった人を想い涙する者、愕然となる者、それぞれだった。

 さらに、名古屋・大阪まで大空襲を受けた報が届き、艦魂たちは急遽、緊急会議を始めた。

 戦艦『大和』艦内にある第二会議室が、呉にある帝国海軍最後の艦隊の艦魂たちが集う会議場だった。全艦魂の代表である大和が指揮を執る。

 「みんなも聞いていると思うが、ご存知の通り、帝都・大阪・名古屋などの日本における主要都市が大規模の空襲に晒された」

 腰下まで伸びた大きくて長いポニーテールを揺らし、クールな雰囲気を纏った『大和』の艦魂、大和が指揮棒を手に持ち、黒板を叩いた。黒板には、『三月十日:帝都空襲。三月十二日:名古屋空襲。三月十三日:大阪空襲。』と書かれていた。

 黒板を指揮棒で叩きながら説明する大和もそうだが、黒板に書かれた文字に視線を集中させてピリピリとした雰囲気を作り出している艦魂たちも、皆険しい表情をしていた。

 日本本土空襲は今までも幾度とあり、そして昭和20年に入ると激化した。やがて軍事拠点のみが狙われた空襲が、いつしか民間人が狙われた空襲という、無差別爆撃が始まった。

 しかし今回の帝都空襲を始めとした大空襲は、今までに比べ物にならないほどの大規模なものだった。帝都は焦土と化し、日本の主要都市が爆撃された。犠牲者も尋常ではなく、もはやこれは戦争ではなく、虐殺だ。

 「鬼畜米英めっ! 絶対に許さんっ!!」

 榛名が頭に血を上らせ額に血管を浮かばせるほどに激怒していた。その気持ちはここにいる誰しもが同じだったが、榛名は中でも飛びぬけるほどに憤っていた。

 先日、ちょっとした騒動も終結し、いつもの日常に戻った矢先に帝都空襲の話。榛名は落ち着いていた心を高めて、拳を机に叩き付けた。

 「この我が国の損害状況はなんだっ?!あまりにも酷すぎるっ!これはもはや戦争ではなく、虐殺だっ!所詮、愚かな陸軍の中国人虐殺と奴ら鬼畜米英は変わらないではないかっ!」

 「榛名。いくら陸軍嫌いでも、ここで私たちの国の陸軍と敵国を同じにしないで」

 日向が鋭い目つきで榛名を射抜く。日向はこの事態に憤りを感じているが、今の榛名の言葉にも憤りを感じていた。榛名は日向を一瞥して「ふんっ」と荒い鼻息をついて顔を背けた。

 「それにしても我が守備隊は飛来する敵機を撃墜できなかったのか?ふん、所詮は飛行機だな」

 「そんなことはない」

 榛名の言葉に、今度は大和が反論した。これには榛名も予想外のことに目を見開いた。

 「陸軍も海軍の航空守備隊も帝都を護ろうとよく頑張ってくれたようだ。実際、帝都空襲の際には、飛来したB29編隊に対して迎撃に向かった部隊が、26機撃墜、86機撃破と本土空襲の中で最も大きな損害を与えている。その功績を出して散った中には特攻隊も含まれている。私は命を賭けて圧倒的な差を持つ敵機に立ち向かい護ろうとしてくれた彼らに、深謝を表したい」

 「………」

 榛名は黙り、大和はずっと冷静なクールのままだった。

 「榛名。お前の気持ちはここにいるみんなが同じだ。少しは落ち着いてみたらどうだ」

 榛名は身体にさっきからこみ上げてくる熱い感情を意識し、そして抑制することに努めた。無言で大和に一礼してから、静かに椅子へと座った。

 それを見届けた大和は頷き、一同を見渡す。

 その中に、誰よりも悲しそうな表情をする神龍の姿があった。

 「神龍」

 今まで黙っていた神龍はびくっと肩を震わせ、「は、はいっ」と応えた。

 「どう思う」

 「えっ?」

 「この空襲を」

 「……とても、悲しいです…。お国のこともそうですが、私は、降り注ぐ爆弾による炎に焼かれていって犠牲になった人々が可哀想でたまらなくて、本当に悲しいです…」

 神龍は、あ、と声を漏らして慌てた。

 「す、すみませんっ…!私、一応参謀長なのに感情的なことしか言えてなくて…」

 「いや、感情的でも別に構わんよ。実際、さっきの榛名は思い切り感情的すぎてたしな」

 榛名は「ふんっ」と鼻息。姉を責めるような空気にしてしまったことに気付いて神龍はますます慌てる素振りを見せる。そんな神龍に、大和は優しく声をかける。

 「気にするな」

 「………」

 榛名とはあの一件があったから、未だにどこか気まずい空気がある。無事に仲直りし、お互いに理解し合い、より深い姉妹の絆が結ばれたことを実感した。だが実際、いつもの元通りになるのは時間が必要だった。特に榛名は三笠に対しては未だに厳しい態度を取るので、その方面では神龍も困ったり苦労をかけたりしている。

 「しかし…改めて思い知らされますね。B29…。飛行最高高度は高度1万米を超す…。我が皇国の飛行機でもそんな超高度まで達することができる飛行機はありません」

 全参謀補佐である、矢矧が独自で作成した資料に目を通して述べた。雪風が配った米重超距離爆撃機に関した資料(矢矧作)が全艦魂たちに配布されている。

 「この点に関しても、米国の工業力と軍事力の巨大さが窺えます」

 「うむ。それは認めざるをえないな」

 矢矧の冷静的判断による発言と司令長官である大和の肯定に、艦魂たちの中には落ち込む者、憤りと悔しさを滲ませる者、悲しむ者など、多々あった。

 しかし中でも、榛名は憤りを感じて仕方ないといった感じで、隣に座る伊勢が場の空気を見守るように沈黙しており、日向も会議の流れにただ聞いているだけという感じで特に豊かな感情は見られなかった。神龍は大和たちをはじめとした艦魂たちの顔色をチラチラと窺い、身を強張らせて緊張している。

 「サイパン・テニアン・グアムを占領した次第に日本本土爆撃基地を作った米軍は今年にかけて空襲の規模を徐々に上げています。このように帝都をはじめとして、日本の都市という都市が爆撃され、日本本土は焦土と成り果てようとしています。本土を散々爆撃され、最後に待ち受けるのは、米軍の本土上陸による本土決戦に至るのは確かです」

 矢矧の淡々とした説明に、艦魂たちに更に重い空気が募る。

 「私たちがあの『あ号作戦』を勝利していれば……くっ…」

 榛名が嘆くように悔しそうに歯を噛み締める。その隣にいた伊勢が悔しそうに拳を握り締める戦友を宥める。

 「仕方ないわ、榛名…。あの戦いは私たち帝国海軍が一丸となって戦った。それでも勝てなかった。相手が悪すぎたのよ…」

 「仕方ない?相手が悪すぎた? 何を言っているっ!戦闘に参加できなかった奴の言う言葉かっ!?鬼畜米英など、我が帝国海軍の敵ではないっ!その筈なのだっ!卑劣なアメリカとイギリスなど、必ず皆殺しにしてやるっ…!」

 「…ごめんなさい、榛名。でも、私だって行きたかった…。私たち姉妹も日本の為に戦いたかった…。………」

 「姉さん…」

 伊勢が悲しそうな瞳を俯かせ、日向もそんな姉を見詰め、自分の心も苦しくなるのを感じた。戦艦『伊勢』と『日向』はあのマリアナ沖海戦に参加できなかった。『日向』が砲塔爆発事故を起こしたのをきっかけに伊勢型戦艦である二隻は航空戦艦へと改装されることになり、マリアナ沖海戦の時期は、まだ二隻は改装途中であり、戦いに参加できなかった。マリアナ沖海戦は、サイパン・テニアン・グアムのマリアナ諸島海域で起きた日米両海軍の決戦の一つである。昭和十九年(1944年)六月十九日から六月二十日にかけてマリアナ諸島沖とパラオ諸島沖で行われたアメリカ海軍空母機動部隊と日本海軍空母機動部隊の海戦。『あ号作戦』というのはこの海戦の日本側の呼び名である。(アメリカの『あ』から取った)サイパン・テニアン・グアムを占領し、日本本土爆撃基地(ここを占領すれば東京も爆撃可能になる)を作るため、米軍が進攻を開始。迎え撃つ日本の艦隊が米軍と衝突し、マリアナ沖海戦と呼ばれる海戦が勃発した。日本側は小沢艦隊・栗田艦隊・角田艦隊を出撃させ、進攻する米艦隊を妨害しようと奮闘した。しかし戦況結果は、日本の大敗。出撃した艦艇の殆どが、沈没・大破など、大損害を受け、日本の海軍航空戦力は壊滅した。これまでの幾多の戦いで消耗を重ねてきた日本海軍機動部隊であったが、マリアナ沖海戦での大敗北は機動部隊としての戦闘能力を喪失するほどのものであった。日本側の敗因要因は、搭乗員の技量不足(戦況が悪化し、大勢のベテランが戦死していく日本の中は、未熟な搭乗員がほとんどだった)・航空機の性能さと進化した米軍の防空システム・物量の差である。(日本の精神主義がアメリカのハイテク技術に粉々に打ち砕かれた)この海戦には『大和』・『武蔵』、『榛名』も参加していた。絶対国防圏の要というべきサイパン島がこの海戦の大敗北によって米軍の手に落ち、日本のこの戦争に関しての勝利や有利的条件は完全に消失し、ある者は「これで日本の敗北は確定的になった」と言ったほどだった。そして、マリアナ沖海戦に勝利した米軍はサイパン・テニアン・グアムに上陸し、占領した。これによって日本本土は米軍の爆撃に連日晒されることになったのだ。

 「敵が日本本土に上陸することになれば、その時になれば我々がこの国を護ることになるな。ここにいる我々は最後の艦隊だ。我々が護らねば、この国は敵の土足に汚される。帝都、大阪、名古屋……このまま行けば本土の都市全てを爆撃した米軍は本土に上陸を仕掛けるかもしれん」

 「来るなら来い。私の主砲でB29だって撃ち落してやる」

 榛名のその言葉は、日本に未だに根強く残る大艦巨砲主義の表れのようだった。航空機と航空母艦が主役の時代になり、前時代の主役だった戦艦が現在の主役である飛行機に勝とうなど、相当難しかった。

 「しかし妙だな…」

 ふと、大和が呟く。それを聞き逃さなかった艦魂たちが視線を大和に集中させる。

 「ここ、呉は日本有数の軍港であり、そして内陸にある日本の主要都市である広島も空襲の被害を受けていない」

 艦魂たちはっと気付き、そして嫌な悪寒が身体に駆け巡った。それは大和も同じだった。

 先日の帝都空襲に続いて大阪・名古屋大空襲。しかし、先日の大空襲以前から頻繁に空襲の被害を受けた帝都・大阪・名古屋とは違って、何故か広島や軍港として在る呉は、未だに敵の盲爆を受けていない。だからこそ日本最後の艦隊が呉に停泊していられるのだが、気付いてみると、不気味でならなかった。戦局の悪化と日本各地の空襲に呉にある艦魂たちは戦慄を覚え、常に非常体勢のような心意気で戦う覚悟を欠かさなかった。しかし『未だにここを攻撃されていない不気味さ』には、今更ながら気付かされた。

 後に、これが日本にとって、歴史に刻まれる恐ろしい出来事になるであろうことを、今の艦魂たちは知る由もなかった。この『未だにここを攻撃されていない不気味さ』は、『広島の悲劇』によって後から日本に激震の波を押し寄せることになるのだ。

 「――――ッ!」

 一瞬、大和は世界を包み込む白い閃光の光景が、頭を過ぎった。それは一瞬のことであったが、脳内には生々しい戦慄に似た違和感を植えつけられていた。

 「どうしました?長官」

 矢矧がいち早く大和の異変に気付き問う。大和はすぐに常に戻って「なんでもない」と返す。その際、大和は自分と同じような状況になっている神龍を見つけた。

 「………」

 神龍の顔は青かった。大和の視線に気付くと、戸惑うように顔を逸らした。

 大和は、自分と同じか、と直感した。

 重い空気に包まれながらも会議はこれからも続き、日が暮れる頃になって会議は閉幕した。

 会議は終了し、艦魂たちが各々の艦に戻るとき、神龍は大和に呼び止められ、神龍だけは大和の使う自室へと向かった。

 大和も『大和』艦内の使われていない部屋を自室として使用している。神龍は緊張する思いで鉄の扉を叩く。鉄の扉の先から「入れ」という凛と通った声が伝わる。

 「失礼します」

 ドアノブを捻り、入室する際に敬礼する。

 「神龍、参りました…」

 入室した際に神龍が見た光景は、神龍の自室とは違った感じだった。さすが司令長官らしい、部屋に入ると先に視界に入るものは、正面にある机と、高価な椅子だった。机の上には資料や書類といったものが丁寧に整理されて山積みされ、数冊の開いた本が広がっている。高価な椅子には、大和が腰掛け、正に司令長官といった雰囲気が漂っていた。

 指先でペンを回していた大和は立ち上がると同時にペンを開いた本の頁の上に転がした。

 「どうした、語尾の先が元気なかったぞ?」

 腰下まで伸びた大きくて長いポニーテールを揺らし、クールを保った大和が直立不動で立つ神龍に近寄った。そして神龍の前に立ちはだかると、ゆっくりと滑らかに、大和の手が、指が、神龍の首から顎、頬をなぞった。

 「なにか悩みがあるのなら、お姉さんに相談してみないか…?」

 大和の柔らかそうな桃色の唇が、神龍の眼前にまで距離を詰めていた。吐息がかかるほどの距離に神龍はドキリとして、頬を朱色に染めた。大和の艶やかな指が、神龍のふっくらとした桜色の唇に触れた。

 「あぁ…可愛いなぁ神龍は……」

 「っ!」

 大和が『男だろうが女だろうが可愛いものは愛でるモード』になったことを神龍は悟った。距離は詰められ逃げられないことも同時に悟った。神龍は心の内で覚悟を決め、流れるままに従うことにした。

 大和は目を瞑ってフルフルと震える神龍を目前にして、クスリと微笑んだ。

 「冗談だ」

 「………」

 全然冗談に聞こえない、と言いたげな視線を浴びせる神龍に大和は笑った。そして背を振り返り、大きくて長いポニーテールを揺らし、コツ、コツ、と靴音を鳴らしながら、赤い西日が射す窓の方へと歩いた。

 その背から、声が届く。

 「神龍、どう思う?」

 「はい…?」

 「先日の米軍による都市無差別爆撃。そして…ここ、呉と広島が未だに爆撃に晒されていない不気味さ」

 「………」

 「なにかあると思わないか…?」

 「………」

 大和は背後で顔を俯けて落ち込む気配を感じ取った。

 「もちろん攻撃を受けていないのは幸いだ。いや、本当にそれは幸いのことなのか…。日本本土は連日のように米軍の空襲を受けている。正に日本は焦土を増やし、国は焼け野原と化している。なのに主要都市、そして最大の軍港としての機能を働く拠点を攻撃しない。あの大国のことだ。何か裏で考えているのかもしれん…。それが不気味でならない」

 「………」

 神龍は沈黙を通すが、内心では大和に全面的同意の意を込めていた。大和と全く同じことを考えていたのだ。今まで帝都も度々の空襲はあったが、先日の大空襲によって、完全に薄々気付いていた現実の不安、陰の部分が、あからさまになった。主要都市である広島、軍港としての機能を働かせて日本最後の艦隊がある呉。どれも、いつ攻撃の目標にされてもおかしくないのに、今のところ被害はない。それは良いことなのかもしれないが、同時に不安と不気味さを感じさせる。

 「実は…神龍」

 「はい」

 神龍は大和の背を、腰下まであるポニーテールを見て、微かに戸惑いの気配を感じた。しかし戸惑いの気配は大和の背から消え、と同時に、大和が口を開いた。

 「これを考えた途端、見えたんだ…一瞬だけ」

 大和が冷静に述べた。神龍はそれを聞いて、一瞬の鼓動が高まった。

 「自分でもよくわからないのだが、これを考えた途端、突然頭の中が真っ白になった。目の前いっぱいが同じ世界のようだが別世界のようになって、白い閃光のようなものが世界を包み込んだんだ。それを見た瞬間、身体が硬直した。震え上がるのを通り越して、固まった。確かに一瞬だけ、この私が恐怖というものを感じたのに…なにがなんだか……」

 大和は自分の言っていることに苦笑した。しかし大和は背後に神龍の強い気配を感じた。

 「大和さん…」

 神龍はすこし、震える声で言った。

 「私も、見ました…」

 「なにっ?」

 大和は怪訝な顔になって、振り返った。そして見たものは、神龍が青い顔になって小刻みに肩を震わせる姿だった。

 「ここがまだ攻撃されてないなんて妙で、この先になにか起こるんじゃないかって一瞬だけ思ったんです……そんな恐ろしいことを思ったその一瞬、変な世界を見ました。恐ろしい世界です……」

 やがて神龍の足がガクガクと震えだす。

 「白い閃光のようなものが、眩しい光が、全てを包み込みました…。…でも、それだけじゃないんです…っ」

 「神龍…?!」

 神龍は身体を震わせ、震える唇で必死に言葉を紡いでいく。両手で頭を抱えるようにして、額からは汗が滲み出ていた。

 「白い光が世界を包み込んだかと思うと、全てが…全てのものが一瞬で吹き飛んだんです…全てが、焼き尽くされたんです……物も、家も、人も……全てっ……全てっっ…!!」

 「落ち着け神龍っ!」

 頭を抱えて膝から落ちた神龍の震える肩を大和が掴む。

 「なにか……とても恐ろしいことが起こる気がしますっ…!日本がっ……!!」

 「神龍……っ」

 大和は震える神龍を抱きしめる。大和の胸の中で神龍はカチカチと歯の震える音を鳴らし、大和が包み込む身体も震えていた。大和はぎゅっと神龍を抱きしめる。

 神龍も、見えたのだ。

 大和が見たものを。

 しかもそれだけではない。神龍のほうが、遥かに鮮明に広く見えたのだ。

 大和と神龍は戦艦の中でも特別な戦艦であるが故に眠っていた能力なのかもしれない。そして特別という意味では大和より遥かに『護衛戦艦』という神龍は、特別の度が違う。だから、神龍はより強くその能力を発揮した。

 おそらく、二人は未来を見た。そして恐怖した。

 そして神龍のほうがその未来がよく見え、そして一層強い恐怖を募った。

 大和は神龍を抱きしめ続ける。小さく震える身体を、優しくそっと包み込む。

 神龍は、優しい温もりの中、落ち着きを取り戻していく。

 「(一体、この先我々に……日本に……なにが、待ち受けているんだろうか…)」

 大和は温もりに包まれる神龍を、強く抱きしめ、その温もりを神龍の心に溶け込ませていった。彼女が見た、自分が見たものと同じ世界…そして自分より鮮明に広く見えてしまった彼女を、優しく包み込む。


 

 三笠の手には、大きな袋が下がっていた。

 大きな袋には野菜や肉などの食材がぎっしりと溢れるようにあり、その後を川原が重そうに袋を懸命に抱えてきた。

 「待ってください三笠二曹〜っ」

 「遅いぞ、川原」

 二人は陸に上陸して、食料の買出しに行っていた。普段なら、陸から艦に食料が送られてくるか、他の担当の兵たちが持ってくるのだが、今回は違う。

 三笠個人の買出しだった。(川原はそれに付き合わされている)

 「しかし三笠二曹……」

 「聞かない約束だろ?」

 「そうですけど…でもこんなに持たされて理由を聞きませんと納得ができないと言うか…」

 三笠は個人の買出しに川原を無理矢理同行させて、そして何故買出しをするのか理由を言わない。川原は上官の命令ということで渋々手伝っているが、実際にこんな重い思いをしていると、やはり納得がいかなかった。

 「上官のことにあまり口出しや深い追求は避けたほうがいいぞ」

 「…わかりました」

 三笠は川原がぶつぶつと何か呟く気配を感じながら、両手に食材が溢れる袋を下げて歩いていた。

 実は、三笠はあることを考えていた。

 それは、姉妹の仲直りパーティである。

 先日、神龍と榛名という姉妹のちょっとした(?)騒動があって、(三笠が原因でもあるが)三笠がその身を呈した末に、姉妹同士で分かち合い、理解を深め、絆を強く結んだことによって、騒動は解決した。それを祝すパーティを三笠と艦魂たちは計画していたのである。

 会場は、『神龍』艦内の第三会議室。兵員たちが寝静まったところで、誰もいない会議室に全員が集まってパーティをするということである。それを企画進行させたのは大和も含まれる。大和はこの際に「面白そうだからと言って悪化する事態に気付かずに放置し、そして結果として、この騒動が起こってしまった。総員を束ねる司令長官としてはそれは自分の責任でもあるから、この際に謝らせてほしい」という大和の心がけからだった。

 「(俺も、なにか詫びたいからな…)」

 三笠も申し訳ない気持ちがあった。自分がいたから、神龍たちに迷惑をかけた。それは間違いのない事実だ。榛名はただ、姉として、神龍を心配しただけのことなのだ。不器用だったけど、妹に対する榛名の愛情はわかる。同じ妹を持つ者として、妹を想う気持ちは痛いほどにわかる。そして、神龍の気持ちもわかる。三笠は妹だけでなく、姉もいる。だから、愛する側と愛される側双方の気持ちを理解している。そんな三笠にとって、二人の各々に抱く気持ちは二人分の気持ちとして知っている。

 三笠は双方の気持ちを理解しているが故に、自分は何かお詫びをしたかった。

 『神龍』艦内に戻り、烹炊所へと向かう途中、廊下を歩いていると川原が「あっ!」と声をあげた。

 三笠は両手に食材溢れた袋を下げながら口を開ける川原に振り返る。

 「どうした」

 「…すみません、三笠二曹。忘れてました。自分は、これから当直の時間なのですが…」

 「は?そうなの? それは早く言えよ…ていうか忘れるなよ。何時からだ」

 「確かそろそろです…」

 兵員たちは各時間ごとの当直を分けられている。特に雑用が多い年少兵にとっては当直の仕事が多い。(下士官や士官にも割り当てはあるが)そして軍隊という組織は規律と同じように時間にも厳しい。要は決まりごとには厳しいのだ。それを逆らったりすればどうなるか、川原は身を持ってわかり尽くしていた。結果として脂汗が吹き出る。

 三笠は溜息を吐く。

 「仕方ないな…。後は俺が全部自分で運ぶから行っていいぞ」

 「いえっ…!最後までお手伝いしますっ!」

 「いいから…。当直なんだろ?」

 「ですが…」

 川原も中々引き下がらない。頑固というか意地っ張りというか…。上官である自分のありがたい意思が変わらないうちに素直に応じればまだ可愛げがあるものを…。

 「なんなら私がお手伝いしますよ☆」

 「………」

 三笠と川原の間に入るように、ひょっこりと、満面な笑顔を輝かす童顔の少女が現れた。

 ふわふわとした髪に、童顔にある大きな瞳が、遠慮気味に戸惑う川原と、少女を見詰めて目を細める三笠を交互に見た。

 「…川原。行け」

 「しかし…っ」

 「いいから行け。俺の気が変わらないうちにさっさと行ったほうがいいぞ。遅れたら大変だ。俺が無理矢理頼んだことだしな…。今までご苦労様だ」

 川原は数秒、悩んだ末に、顔を上げて頷いた。

 「…わかりました。三笠二曹、自分はこれで」

 「ああ、付き合わせて悪かったな」

 「いえ、とんでもございません。またいつでも…。では、失礼します」

 川原は一礼すると、申訳なさそうにその場を後にした。一人…いや、二人取り残された三笠は、溜息を吐いて、傍でにこにことしている少女に振り返る。

 「…で、雪風。お前、ここでなにしてるんだ?」

 「あはは、二曹さん。どうもこんにちは〜ですっ」

 中学生のような幼い童顔に笑顔を輝かせる少女は、陽炎型駆逐艦八番艦『雪風』艦魂―――雪風だった。

 柔らかそうなふわふわとした髪がふわふわっと揺れ、大きな瞳がぱちくりと開いている。無垢な笑顔が眩しすぎて、しかも服装である紅白の巫女服が似合いすぎて、三笠は無意識に頬を朱色に染めて顔を逸らしてしまう。

 「(いかん…なんていうか……)」

 「どうしました二曹さん?」

 雪風がまたその大きな瞳で上目遣いで見詰めてきた。これには三笠はドキッとした。

 「(まるで小さな可愛い子供を見てる気分だ…。現に玖音くおんのことを思い出させるなぁ…)」

 「二曹さん?」

 「いや、なんでもない…。それより、もう一度聞くが、お前ここでなにしてる?」

 雪風は、あはは〜と無邪気に笑った。

 「さっきまで艦魂たちの会議があったんですよ。それで、参謀長に用があって…」

 艦魂も会議をするんだな、とまた新たな発見に、つい可笑しくて笑ってしまう。人間のようなことをしていることに、可笑しさがあった。確かに艦魂である彼女たちは人の姿をしているが、想像していて、微笑ましいのだ。

 「そうなんだ」

 「二曹さん、こんな大荷物、どうしたんですか?」

 雪風は三笠が両手に下げる大袋と、川原が置いてあった同じ大袋を見渡した。

 「ほら、例の一件が解決したから、お祝いに宴会を開こうってことになったんじゃないか」

 雪風は三笠と初めて会ったことを含めたある姉妹の騒動を思い出し、頷いた。

 「そういえばそうでしたね」

 雪風はにっこりと笑った。

 「それならば、これは全部宴会のご馳走ですね? わぁっ!それは楽しみです!お手伝いさせていただきますねっ」

 「あっ…でもお前…」

 「大丈夫ですっ!任せてくださ………あぅっ?!」

 袋の持ち手を掴んだまま雪風はそのままの姿勢でぷるぷると震えていた。袋はずっしりとその重量感を床に附着するように留まり、雪風の細い腕がそんな荷物を持ち上げることなど出来るわけがなかった。それをわかっていた三笠は実際にそれを見て肩をすくめた。

 「やっぱり無理だろ…」

 「いえいえっ……これしきぃぃ……あぅぅっ〜……」

 ぷるぷると細い腕が震え続け、袋は微動だにしない。雪風の顔は真っ赤になりながらも、袋は残酷にも床にくっつくようにあった。

 三笠はそんな必死になる雪風を見てくくっと笑った。そして袋とともにその場で膠着する雪風に歩み寄り、手を触れた。

 三笠の手が、雪風の手に重なる。

 雪風の心臓が一瞬だけ大きく跳ね上がり、咄嗟に袋を持っていた手を引っ込めた。三笠は雪風の手から解放された袋を簡単に持ち上げた。

 「俺が全部持つよ」

 雪風はまだ高鳴る心臓を抑えながら、おずおずと尋ねる。

 「ですがっ……そんな荷物を一人で全部は…」

 言いかけた雪風の目の前で、三笠は次々と無茶な体勢でひょいひょいと荷物を持ち上げた。三笠の上半身を隠すように荷物の山が築かれ、雪風は唖然とその光景を見上げていた。

 「(すごいです…。ていうか全部持てるんなら、何故他の人に頼んだんでしょう…?)」

 雪風は疑問に首を傾げながらも、三笠と共に、烹炊所に大荷物を運んだ。山のような食材を詰めた袋を置いてから、二人は神龍の自室へと向かった。しかし神龍はまだ不在であったため、三笠の提案によって二人は『神龍』の上甲板に出ることにした。

 快晴の青空が無限に広がり、その下に広がる蒼い海から静かな波の音が聞こえる。潮の香りが鼻に届き、心地よいそよ風が、雪風のふわふわとした長髪を靡かせていた。

 「主砲の上にもいないなぁ…」

 部屋にいないなら、お気に入りの場所である主砲の上にいるかと思ったが、神龍はいなかった。三笠は降りようとしたが、雪風が主砲の上からの景色に見惚れているのを発見して、やめた。

 眼前に広がる景色に見惚れる雪風の隣に、三笠が立つ。

 「いい景色ですね…」

 「そうだな…」

 水平線にまで続く果てしない蒼い海と、同じく蒼い空が広がる。白い雲を靡いて、鉄の巨体が太陽の直射日光を浴びて、蒼い海の海面もきらきらと輝いていた。

 そんな太陽の日光を浴びて海に浮かぶ艦艇が見渡せる。雪風は指を差して三笠に伝える。

 「あれが私……駆逐艦『雪風』です」

 三笠は太陽の日差しを浴びてその艦体を煌かす駆逐艦を見た。戦艦や巡洋艦と比べて小さいが、必死に戦場を生き抜いてきた貫禄が、『雪風』から感じられた。これまでに数知れぬ戦場に参加し、戦い生き抜いてきた。『栄光の艦』などと、幸福艦として呼ばれているほどだった。しかし…三笠は知っている。その反面、なお戦闘や護衛に参加しながらも周りの艦だけが沈み、『雪風』だけが大した損害も受けずに生きて戻ってくることに、『疫病神』や『死神』と呼ばれていることも…。

 しかし太陽の日光を浴びて蒼い海面と同じように輝く『雪風』は、故に長きに渡って多くの戦場を経験してきた貫禄や威厳が戦艦より劣る駆逐艦でありながらも強く伝わってくる。正に『雪風』は日本の全駆逐艦……いや、全艦艇の中でも、優秀な名誉ある艦と言えるかもしれない。

 「…ん?」

 三笠は横からじっと見詰める雪風に気付いた。

 「どうした?」

 「あのっ…」

 雪風は頬を朱色に染めて柔らかそうな桃色の唇を微かに動かし、戸惑いながらも、その唇から震えるように声を漏らした。

 「どう、ですか…?私……」

 「えっ? あっ…うん、可愛いぞ」

 雪風はぼっと顔を赤くして、ぶんぶんと勢いよく首を横に振った。

 「ち、ちちち違いますっ! 私でなく、『私』自身……本体である艦のことですっ!」

 「あ、そっちか…」

 三笠は笑い、雪風は顔から蒸気がのぼるほどに真っ赤に染めて、あぅあぅと声を漏らして動揺していた。三笠は再び『雪風』を見る。雪風が顔を赤くしながらもチラリと三笠を一瞥する。三笠は『雪風』を見詰めながら、頷いた。

 「かっこいいと思うぞ」

 「ほ、本当ですかっ?」

 「ああ、戦艦にも負けないくらいかっこいいぞ」

 「そ、そんなっ…」

 雪風はますます顔を赤くして背を向けて縮こまった。縮こまる背に三笠は微笑を漏らした。

 「(本当に、可愛いやつだなぁ…)」

 三笠は心の内でそう思った。

 雪風の仕草はまるで幼い子供そのものだった。褒めれば本当に嬉しそうに、しかし凄く恥ずかしそうになっている。嬉しさより恥ずかしさを全面的に表す雪風の姿は微笑ましい。

 極度に恥ずかしがる雪風が、やっと、ボソリと声を漏らした。

 「…ありがとうございます」

 しかしその声は、そよ風に乗ってしっかりと微笑する三笠の耳に届いていた。


 

ここで補足。今回の話の中で、大和と神龍は未知なる能力で変な世界を見た風に描かれていますが、わかりにくいかたもいると思うので一応申し上げちゃいます。原作の艦魂を調べているうちに、艦魂は瞬間移動の他に「仲間とのテレパシー」や「自分の死期がわかる予知能力」があるらしいんですよ、たぶん。それで「テレパシー」の部分は前回の姉妹動乱編の中で出てきましたが、今回は「予知能力」の部分を出してみました。「自分の死期がわかる」部分はないことにして修正しましたが。というわけで、大和と神龍が今回の話で発揮させた力は、「予知能力」です(ネタバレ)なにを見たかは読者のかたがご想像されたものだと信じます。それとご覧の通り、三笠が神龍一人以外の艦魂たちが見える設定は黒鉄大和先生の艦魂から参考にさせていただいた部分です。

そしてもう一つ。最近投稿が難しいです。実は私も学生ですのでテストが近くなっている状況です。今週が明けて七月に入れば期末テストが近づきます。学生って本当に辛いですねぇ…。期末テストが終われば待ち受けるのは夏休みなんですけどね。

次回からは雪風と、その妹たちが登場する予定です。そして前回まで続いた姉妹動乱編の仲直りパーティが開かれます。あまり重要だったり大きなことではないのでお気になさらなくても良いですけどね。単なる予告です。これからテストが近づいてきますが、テスト勉強期間に入るまで残り僅か、投稿のほうを頑張りたいと思います。


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