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<三> 変わった二人

 烹炊員は、蒸し暑い朝から始まる。

 大艦の艦底は下士官や水兵たちの苦労があり、士官や司令官たちは知らない。それは想像するよりずっときついのだ。

 烹炊員の水兵、年少兵が米麦を容れた大ザルを担ぎはじめる。蒸気の濛々と立てこもる烹炊所の熱気は、既に摂氏五十度を超すような勢いで、三〜四馬力の冷房位では何の用もなさない。動き回る兵員の身体は、滝のような汗にベトベト光っている。朝直の兵員ならばもっと辛い。眠い、重い、熱い、そして下らない、地味すぎると考え及ぶ時、自分こそは主計兵なり、烹炊員なりという誇が、若い兵隊たちに持てるかどうか。それが試される所でもある。

 艦底では蒸し暑い兵員たちが汗水垂らして働き、艦上では度々の戦闘訓練などが行われている。そして腹を空かせた艦上の住人たちが、艦底で汗水垂らしてつくられた飯を食べに来る。

 三笠も同じだった。

 烹炊班班長である三笠は、多くの兵員たちを率いることにも気を引かねばならない。汗が体中から吹きだし、手は肉や野菜を切って釜に入れようとも、口は兵員たちに指示を出している、という大忙しである。自分の身体があと何人分か分けられたら…なんて思うのもある。

 訓練を終えた艦上の住人たちが降りてくるまでに、早く飯を用意せねばならない、時間との勝負でもあった。間に合わなければどうなるかはわからない。だが空腹な人間に機嫌が良い奴なんて存在しない。さらに向こうは訓練後の身体である。

 正に、この瞬間こそが、烹炊員である自分たちにとっての『戦闘』なのだ。

 訓練ではない、『実戦』。毎日が一日、実戦である。一日三食が、烹炊員の『実戦戦闘』だ。

 時計を見る。戦闘を終了せねばならない時間まで、あまりない。

 急遽、動きを早める。

 三笠は首に巻いたタオルで額を拭うと、またすぐに手の動きを再開した。



 そんな緊迫した戦闘が展開される蒸し暑い艦底とは裏腹に、心地よい風に長い黒髪を揺らした少女、神龍が戦闘訓練の風景を見ていた。

 神龍は昼間の烹炊所には一度も行ったことがない。何故なら兵員たちがとても忙しそうにしているのもあるが、なんといっても蒸し暑いからだ。神龍は暑がりでもあるため、そういう場所は苦手である。夜中の烹炊所にはよく忍び込んだことはある。(夜な夜なつまみ食いしていた)

 「対空戦闘―――っ!」

 伝声管から響き渡る声に、大勢の兵員たちが各配置に走った。機銃、高角砲、副砲、主砲、艦橋、射撃指揮所など、兵員が配置に付くたびに、伝声管を伝って艦橋に「配置完了しましたっ!」という報告が続々と入る。

 最後の配置完了の報で終えると、副長の吉野逸三よしのいつぞう中佐は手に持っていたタイムウォッチを止めた。

 「総員配置完了致しました。 時間、七分三十二秒」

 それを聞いた草津重次郎くさつじゅうじろう大佐は、重そうに口を開いた。

 「…遅すぎる。 総員に伝えよ。五分以内まで短縮するまで訓練は続行する」

 草津大佐は護衛戦艦『神龍』の艦長である。かつて戦艦や空母に乗り込んで戦線で活躍していた英雄であったが、ミッドウェー海戦で重傷を負って以来、暫く戦線に復帰することはなく、『神龍』に着任するまではずっと傷の治療と練習艦の教官に務めていた。ミッドウェー海戦のときに負傷した左目には眼帯を付けている。当時、敵機の銃撃を受けて左目と左手の指二本を失ったのだ。かつて英雄だった軍人は、今や日本が託した巨砲の新世代である護衛戦艦『神龍』の艦橋に立っていた。

 艦橋に現れた神龍は「ふぅ…」と吐息を吐いた。まるで訓練に疲れた兵員みたいだった。既に今日、この訓練は既にこれで五回目である。これほどやってもタイムは変わらない。すこしずつは変わっているが、まだまだである。六回目となると見ているこっちも疲れそうである。

 しかし訓練に従事する兵員たち、艦橋にいる士官たち、目の前にいる艦長たちも、とても頑張っているということは、神龍にはよくわかる。

 彼らは日本のために、これほどまでに努力している。戦局が悪化し、いつ激しい戦闘に遭遇してもおかしくない。この時に備えて訓練せねばならない。強くなって、あの大国である敵国アメリカと戦わねばならない。そういう宿命が待っている。

 『神龍』はまだ実戦に参加したことはない。だからいつ、初の実戦に出陣しても、勇敢に戦わねばならない。初めてだろうが、何をやっても最初は初めてから始まるものだ。だから、初めてということに怯えず、前に出られるようにならなければならない。

 六回目となる訓練再開に、神龍も拳に力をこめて、意気込んだ。

 「私も、頑張らなくちゃ…!」

 また『神龍』の艦上に、兵員たちの走る靴音が響く。

 

 神龍は光とともに自室へと現れて足を床につけた。

 自身の身体である艦内のため、艦内であれば好きなところに瞬間移動できる。

 使われていない部屋が、神龍の部屋である。

 そんなに広くない部屋に、ベッドと机しかない。そして目の前の机を見て、神龍は溜息を吐いた。

 「そう、頑張らなくちゃ…」

 机の上にはどっさりと、山のように積まれた書類と資料がある。艦魂とて、訓練や実戦以外は錨を下ろしてじっと留まっているわけではない。人の姿をした艦魂は、そのじっと待つ自分の艦内で、兵員たちと同じように、仕事というものが存在するのだ。

 艦魂にも上下関係や階級が存在する。そしてその立場に見合った仕事もある。

 特に神龍は、艦魂の中では参謀長に位置する。大和が司令長官であり、その下で働いている。他の戦艦(現在健在である戦艦)、長門・榛名・伊勢・日向も参謀に位置する。そんな参謀たちの仕事の一つが、山のようにある全ての戦局が記載されている書類を拝見することであった。

 自分たちを動かす人間たちだけでない、実際に戦う戦艦である自分たちも戦局などを把握しておかねばならない。

 神龍は今頃自分の艦内と艦上で懸命に訓練に励んでいる兵員たちを思い出しながら、書類の山へと踏み込んだ。

 引いた椅子に座り、山頂から一枚を引く。そしてびっしりと書かれた内容に目を通す。

 「…………」

 いきなり参謀である『戦艦』、それも特別な『護衛戦艦』として誕生した神龍にとって、最初の仕事は本当にきつかった。いきなり山のような書類を見せられたとき度肝を抜かれたことを覚えている。あの時もひぃひぃ言いながら、それでも初めてだからか、大和や、生きていた武蔵たちに助けられてなんとか仕事をしたことも鮮明に覚えている。しかし今も十分には慣れていない。助けはもう必要としない(というかするわけにはいかない)から最近は一人でやっている。

 「…本当に、疲れる」

 苦労して読む書類に書かれた戦局も、悪い内容ばかりでますます疲労が重なる。そして悔しさと悲しさが溢れてくる。こうして目を通してみると、戦局は本当に日本が危機的状況にあった。ミッドウェー海戦の大敗北(この時は神龍は生まれていないが)から始まり、特にマリアナ沖海戦での敗北から一気に落ちるところまで落ちたと思う。そしてレイテ沖海戦の連合艦隊の事実上壊滅。この時、大和の妹だった武蔵や、多くの艦艇も、戦死した…。

 信じたくはないが、戦局を把握するために至って認めざるを得ない。完全に、日本の敗戦の道は、たとえ引き分けの道があったとしても、勝利の道はなく、敗戦への道のほうが見える。

 かつて無敵神話を誇ったアメリカ、イギリスと並んだ海軍大国第3位だった日本の連合艦隊も壊滅し、生き残った艦隊も多くない。殆どが、現在、呉に停泊している。

 今、呉にいる艦隊が、日本に残された最後の希望だ。

 だから、たとえ戦局がどんなに悪かろうが、祖国を守るために戦わねばならない。それは兵器として生まれた自分の宿命でもある。

 御国のため、天皇陛下のため、『護衛戦艦』という自分が、在る。

 まもる。それが、自分の存在意義だった。

 ―――コンコン。

 神龍の部屋のドアに、ノックの音が響いた。

 「はい、どうぞ」

 三笠二曹かな、と思った神龍だったが、開いたドアに振り返ると、そこに立つ人物は予想とは違った。

 「参謀長。 矢矧やはぎ参りました」 

 「あぁ、矢矧ですか…。お疲れ様です」

 神龍の前に訪れた訪問者は、矢矧だった。

 

 矢矧やはぎ

 帝国海軍の軽巡洋艦。しかし彼女こそが、帝国海軍最後の軽巡洋艦となっている。阿賀野型の三番艦であり、艦名は、長野県から岐阜県を経て愛知県に至る矢矧川にちなんで命名された。


 大して長くない髪の毛をまとめてギリギリのポニーテールに縛ったような頭が可愛らしいが、眼鏡の下にある顔は凛々しく、かっこいい容姿も窺えた。書類を胸に抱え、直立不動で敬礼し、神龍の部屋に足を踏み入れる。

 そんな彼女は、第二水雷戦隊旗艦、『矢矧』の艦魂である。これまでに、マリアナ沖海戦で機動部隊の壊滅、レイテ沖海戦で連合艦隊の事実上壊滅を目のあたりにし、なお生き抜いてきた彼女は、主要な戦闘での敗北の場にいた。よって、戦局がどれだけ日本に不利なのか、彼女自身が身に染みて知っている。

 「先月の二月、我が艦で人事異動がありましたのでご報告いたします。詳細はこの書類に記載されておりますのでご確認ください」

 「ありがとう。わざわざご苦労様です」

 神龍は矢矧が持ってきた書類を受け取る。矢矧の手から神龍の手に書類が渡るとき、矢矧は神龍の表情を見て察知した。

 「…………」

 「後で読んでおきますね…。 どうしました、矢矧?」

 眼鏡の奥にある凛々しくきれいな黒い瞳が、自分を射抜いている。吸い込まれそうな黒い瞳。無表情に見詰めてくるので、付き合いも長くはないので、考えがよくわからない。

 しかしその瞳は、じっと見詰めて、何かを見透かせているような瞳だった。

 「…失礼しますが、参謀長」

 「はい?」

 参謀長と呼ばれている神龍だが、彼女は部下に対しても敬語を使っている。一応神龍より矢矧のほうが年上だし、『参謀長』というのは立場上(艦種)だけの飾りなのかもしれない。そして常に敬語である。まぁ、誰に対しても丁寧だからか、色々な艦魂から親しいのもある。

 「少々落ち込んでいますね」

 「…え?」

 言われた瞬間、ぎくりとした。その瞬間でさえ、矢矧の黒い瞳が見透かしてるみたいだった。

 「なにを言って… まぁ、最近忙しいですから疲れているのかもしれませんし」

 「いえ、それだけではないと思います。 先ほど私がノックした際、参謀長の応答はまだ活気が含まれたお声でした。しかし私が失礼して参謀長が私の存在を確認した次第、少々落ち込んだと分析いたします。私の推測では、期待はずれ…と言ったところでしょうか」

 「なっ…!」

 矢矧は無表情だが、微かに口元が微笑んでいるようにも見える。神龍は頬を朱色に染めた。

 「なにを、期待しておられたのですか…?」

 「な、なにも期待などしていませんっ!」

 明らかに動揺している神龍。しかし矢矧は全てを見透かすように、口を開いた。

 「そういえば最近、参謀長がお見えになる人間が現れたと、お伺いしましたが…」

 「知ってるんですか?! 誰から聞いたのですっ!」

 「大和長官からです」

 「あ…」

 自分が見える人間と初めて出会い、嬉しさのあまりに神龍自身が信頼する一人、大和に打ち明けたことを思い出す。

 「現在艦魂の間では知らない艦魂もおりません」

 神龍はますます頬を朱色に染めた。

 よく考えれば、バラしたのは自分自身だった。嬉しさのあまりに大和に話し、そして大和から広がったのだ。やはり一人に話せばやがて噂や話は広がるものだ。それに気付いて今更恥ずかしい気持ちになった。

 「そして、私が考えるにその期待とやらは、おそらくその人間のことですね」

 「矢矧…ッ!」

 無表情だった表情、口もとだけの微かな微笑みから、誰が見てもわかるくらいに表情が変わった。

 矢矧は、くすくすと微笑んでいた。

 「すみません」

 「もうっ… からかいすぎです…」

 神龍は頬をぷーっと膨らませた。

 「参謀長をからかいますと、からかうこっちが面白いので」

 「うー… 三笠二曹も矢矧もなんで私をいじめるのがそんなに好きなんですかー…」

 「三笠二曹?」

 「っ!」

 神龍は口を両手で隠した。口を滑らせてしまった神龍はチラッと矢矧のほうを一瞥すると、矢矧は頬を朱色に染めて優しく微笑んでいた。

 「参謀長がお気に入れられた人間は、三笠二曹というのですか」

 「気に入ったってなんですかぁぁぁっ!」

 「お気に入れられたのではないのですか?」

 「あ…うっ…いえ、その…」

 頬を朱色に染めて目を逸らし動揺する我らの可愛い参謀長が、本当に可愛らしく見えて、自分よりずっと幼く見える。実際矢矧のほうが年上だが。

 「な、なに子供に向けるような優しい笑顔を放射してるんですかぁぁぁっ!」

 「参謀長、落ち着いてください」

 「あなたは私を馬鹿にしてるんですかぁぁぁっ?!」

 「そんなことございません」

 「本当ですかっ!?」

 「もちろんです。 それから参謀長、お尋ねしたいことがあるのですが」

 「なんですか」

 「参謀長がお気になさる三笠二曹って、どんなかたですか?」

 「矢矧ぃぃぃぃぃぃっっ!!」

 動揺する神龍と、神龍をからかって楽しむ、微笑む矢矧のやり取りが、ずっと続いていた。



 なんとか間に合うことができた三笠は、タオルで額と首の汗を拭った。

 訓練を終えた班の代表者が一名ずつ、配られる飯を受け取りにやって来る。「第十二分隊機銃班、お願いしますっ!」と言われれば、「よしっ」と返して、巨大な蒸気釜を開ける。艦では直火が使えない。豊富にある蒸気と電熱器で調理する。ご飯だって数百人分を一度に炊きあげる。そうやって炊きあげた飯はとても美味しい。何より旨いのはカレーだというのが兵たちの常識だ。開いて、もわっとした湯気と一緒に現れた真っ白な白米をよそって、配る。

 腹を空かせた兵員たちの唯一の楽しみが、飯の時間だった。

 配る役は年少兵などの他の烹炊員たちであるため、とりあえず今日の一つの戦闘を終えた三笠は、まずこんな蒸し暑いところから一分も早く立ち去りたかった。

 「じゃ、あとは頼む」

 「はい。お疲れ様です!」

 鍋から飯をよそう川原に告げると、さっさと逃げるように足早に蒸し暑い烹炊所から出る。廊下に出ると温度差が激しかった。サウナから出たような気分で、三笠は廊下を歩いた。

 「さて… どうするかな」

 兵員たちの食事を作り終えて、三笠の自由時間だった。しかしまたこれから二食の戦闘が待っている。それまでの間、時間は長いとは言えないが、ちょっと休んでおこう。それとも…

 「神龍はどこだろ…」

 神龍に出会ってから、最近は神龍とよく会っていた。神龍と共に『大和』に乗り込んで艦魂の大和と出会ってあれから数日が経ち、神龍と出会ってからは一週間が経った。

 今では自分の仕事を終えれば、神龍と居ることが三笠の日課だった。そして、三笠の手に持つもの、神龍に食べさせようと思っているものを持ってくるのも、いつものことになっていた。

 だいたい神龍がいるところは、彼女のお気に入りの主砲の上か、彼女の自室である。三笠は神龍の自室には既に行ったことがある。確かに使われていないと聞かされた部屋だったが、見てみるとしっかりと人が住んでいる気配を漂わせる部屋だった。艦の魂である神龍でも、自分である艦内に、自分の部屋を持っているということに、なんだか可笑しくて笑ってしまった。(その時神龍は頬を膨らませて怒っていたが構わなかった)

 とりあえず、艦上に出てみた。

 ハリネズミのように張り巡らされた高角砲と機銃座。そして艦橋の前方には『大和』より大きな50口径の主砲が艦首に向かって伸びていた。

 その主砲の上に神龍はいるのだが…。下から見ても、気配を感じない。ためしに登ってみて顔を出して主砲の上を覗き込むと、やっぱりいなかった。

 「今日はいないのか」

 主砲によじ登り、一人、主砲の上に立つ。穏やかな風が肌に心地よく当たる。見渡せば、港から水平線まで続く蒼い海。しかし空は曇り空。その下には帝国海軍の軍艦が錨を下ろしている。

 いつもなら隣に神龍がいるのだが、今日は一人で主砲からこの光景を見る。神龍と一緒に見ているうちに、いつの間にか自分もこの光景を見るのが好きになった。主砲の上から見る景色も中々のものだった。

 こうして見ていると、気付かされる。蒼い海と空。穏やかな波の音が耳に届く。潮の香り。そしてたまに肌寒く、普段は涼しい風。戦争の真っ只中だというのに、そんなことも忘れられる。確かに、ここは軍港だから、軍艦が目に入るし、今見ている海や空だってどこかでまた命が散らされている。どこかの海で尊い命が海の底に沈んでいる。どこかの空で空中戦があって命が散っていく。

 広がる蒼い海が世界、そして荒れる波が、戦争。その荒い波によって飲まれるものが、命。

 広がる空にも同じことが言える。

 神龍もきっと、同じことを感じているのかもしれない。だから、ここが良い。

 現実である戦争を感じる、その戦争の隙間にある平和も、感じられる。

 そんな波のように揺れる感覚を、ここは感じられる。

 「最近、暖かくなってきたな…」

 三月に入ると、冬から春に変わろうとする時期だからか、寒かった感覚もすこしずつ桜を咲かせる心地よい暖かさへと変わっていく。海というのは陸より気温が低いため、季節の変わり目を強く感じられる場所でもある。

 その時、主砲の上から下を見下ろすと、誰もいない上甲板に一人の兵員の姿が見えた。その姿を見て、三笠は声をあげた。

 「山城ぉ―――――っ」

 三笠の声が木霊こだまするほどに響く。

 呼ばれた相手が、あたりを見回した後、主砲の上に気付いて手を振ってくる。

 三笠は主砲の上から降りた。

 ちょうど、三笠と同い年である少年が来た。

 「山城、お前も休憩か?」

 「うん」

 「飯、食べたのか?」

 「いや、まだだよ」

 山城一人やましろかずひと。機関科第二分隊に所属する二等兵曹であり、三笠の同期でもある。

 三笠は海軍学校主計科、山城は海軍学校機関科を卒業し、偶然にも同じ『神龍』に乗艦した。兵科は違うが、よく一緒になって色々とやらかしたものだった。親友と呼べるのに値する。

 三笠より身長が高く、180cmはある長身でもある。海軍学校時代でもそうだったが、この『神龍』でも山城はその大きな図体を生かして、柔道に敵はいない。眠っているんじゃないかというぐらい細い目とほのぼのとした顔だが、こう見えても長身の強者である。

 ぐう〜…

 山城の腹の虫が鳴った。二人は顔を見合わせ、笑った。

 「食うか?」

 三笠は手に持っていた袋包みを山城の目の前に掲げた。山城は細い目で袋包みを見て訊ねる。

 「いいの?」

 実は神龍に持っていこうと思っていた、神龍の好物である握り飯が包まれているのだが、あげようと思っていた本人がいないので山城にあげようと思った。

 「ああ。 中は握り飯だけど食え」

 「ありがとう」

 「あそこで食わないか?眺めは良いし、最高だぞ」

 「主砲の上?勝手に登っていいの?」

 山城はとてもマジメな奴である。対して三笠はそんなことは気にしない。その点でも反対な二人だが、仲は良い。何故二人が知り合い親友になったのかは説明すると長くなるのであえて語らない。また機会があればその時が来るであろう。

 「いいだろ。俺なんて何回も登ってるぞ」

 艦橋にいる士官たちに見え見えだと思うけどなーと思いつつも、三笠に同意する山城だった。

 

 主砲の上で、二人は腰を下ろし、握り飯を頬張る。

 空は曇り空だが、蒼い海が広がっている。そして世界最大最強不沈戦艦といわれた『大和』、『榛名』をはじめとした他戦艦、軽巡洋艦『矢矧』、駆逐艦『雪風』をはじめとした陽炎型姉妹艦が並んでいる。これが、日本に残された最後の艦隊と言っても過言ではない。

 「ねぇ、三笠」

 よく噛んでもぐもぐと頬張る山城が、ゆっくりとした口調で訊ねた。

 「最近、なんかあった?」

 「は?」

 三笠は握り飯を食べるのをやめて横に居る山城を見た。山城は前を見たまま握り飯を頬張っている。

 「なんで」

 「いや… なんだか三笠、元気そうだから」

 「俺は別に落ち込んだことはあまりないがな」

 「なんていうかさ、楽しそうなんだよね。普通の人が見てもわからないと思うくらい微妙な変化だけど、長い付き合いの僕だからこそ、なんとなくわかるんだよね」

 言っている意味がよくわからなかった…と思う。三笠は山城の言うことに黙って耳を向けた。

 「確かに三笠はさ、料理得意だから、三笠が作るご飯をみんなが食べておいしいおいしいって言ってるのを聞いて、三笠はいつも嬉しそうで、楽しそうにしてたけど、それとは別の、あるいはもっと、今の三笠は、元気と言うか…変わってるんだよね。変わってると言ってもいい意味でね」

 「…………」

 「でもそれはいい意味で変わってることだから、原因がなんであれ、いいことだよ。最近の三笠を見てると、僕もいい意味で変わりたいと思えるよ」

 三笠はフッと笑って、前に視線を戻した。そして残った一口を、口に放り込む。

 三笠は、いつも山城の場所にいる、少女のことを思い浮かんだ。

 「ごめんね、いきなり変なこと言い出して…」

 「…いや、お前の言うとおりかもしれない。確かに、俺は変わってるかもしれないな。微妙に。いい意味までは自分じゃわからないけどな」

 「うん」

 「俺が最近あったことは、一握りの珍しいことなんだ」

 「そうなんだ、だから三笠は変わってるんだね。微妙に」

 「ああ、微妙にな」

 二人はまた、笑った。

 「じゃあそんなに特別なものだったら、僕は変われないかもなぁ」

 「別のことで変われるだろ。人は変われるんだ。なんであっても」

 「…そうかもね」

 ゆっくり食べていた山城も、ようやく最後の一口を口にして、これもまたゆっくりと頬張っていた。

 「おにぎり、ごちそうさま」

 「お粗末さまでした」

 二人は、眼前の光景を見る。曇り空だった空から、雲の隙間から微かに日の光が射し込み、港の蒼い海をきらきらと輝かせていた。しかしまた、やがて隙間はなくなり、日の光は閉じられるだろう。だが、その時まで、この光景を見ることができる。

 「いい景色だね」

 「だろ?」

 自分が見つけたわけじゃない。彼女が見つけた景色だ。だが親友に知ってもらうことができたことに、誇らしげに思う自分がいた。

 二人は、そのまま眼前に広がる景色をただ、見詰めていた。



 神龍の自室には、神龍と矢矧の二人がいた。

 「ねぇ、矢矧…」

 矢矧の神龍いじめ(?)が神龍の無条件降伏によって幕を閉め、現在書類の整理に従事する神龍と、その作業に手伝う矢矧がいた。無言で黙々と作業していた二人だったが、神龍によって沈黙が破かれた。

 「はい」

 「………」

 神龍は言おうかどうか迷った。こんなことを聞いても良いのだろうか…。しかし当事者である彼女がよくわかっていることだ。聞いてみれば最もなことを答えてくれるだろう。しかし同時に、彼女に悪いことをしてしまう感じがする…。

 無意識に、口が開いていた。

 「矢矧は、この戦争の戦局、行く末……どう思う?」

 「………」

 矢矧は沈黙したままだった。神龍は矢矧のほうを一瞥する。矢矧は無表情だった。しかし眼鏡の奥にあるきれいな黒い瞳は、微かに揺れているようにも見えた。

 「………」

 神龍は待つ。心の中では聞かなければ良かったかなという後悔もあった。

 自分は戦場に出たことはない。だから実際に戦場に出て悪化する戦局を目のあたりにした矢矧の気持ちは、わかっていないのかもしれない。こんなことを聞くのは、無知だ。愚かとさえいえるかもしれない。だけど、聞かずにはいられなかった。実際に戦った彼女から見た、この戦争に対して、感じたことを…。

 「私は、我が皇国にとって悪い方向に進む戦争しか、見たことがありません…」

 大東亜戦争(太平洋戦争)開戦直前に起工された『矢矧』が竣工を迎えたとき、戦線は縮小へと向かい、日本軍が各地で次々と敗北している状態であった。第10戦隊旗艦としてマリアナ沖海戦で機動部隊の壊滅、レイテ沖海戦で事実上の連合艦隊壊滅を目にし、生き抜いてきた。

 「私はマリアナ諸島で、フィリピンで、大規模な決戦を目にあたりにしました。そして私は圧倒的な敵兵力をこの目で見ました。我が軍は御国のため、本当に奮闘しました。しかし無残にも、仲間たちが次々と沈み、惨敗しました…」

 「でも矢矧、あなただって、敵艦を…」

 「はい。私自身、仲間と共に戦い、敵駆逐艦をこの手で葬ったことがあります。しかしそんな戦果など、大したものではありません。あの大艦隊を見て、アメリカの工業力を見て、あんな損害などすぐに再生されると思い知らされました」

 「………」

 「私は、この目で見たから、この身に染み付いたから、わかるのです。正直申し上げますと……戦局は我が皇国にとって決して思わしくありません」

 「…やっぱり、そうですよね…」

 神龍は整理した書類の一枚を見る。

 「じゃあ、やっぱりこの戦争の行く末は…」

 「ですが」

 「矢矧?」

 「私は、戦局がどうであれ、我が皇国のためにこの身を捧げる覚悟です。我が皇国を守るためならば、私はこの身が滅びようとも、戦います」

 「矢矧…」

 矢矧の黒い瞳は、強さがこめられていた。神龍と目線が合うと、じっと神龍の視線を貫くように見詰めていた。

 「参謀長も、同じなのでは…?」

 我が情勢が悪化する戦場しか見たことがない、立ち会ったことがない彼女だからこそ、特に強く抱く思い。それは、日本の戦う戦士たち全員が思う気持ち。だが矢矧は特にそれを思っている。未だに実戦に出たことがない神龍も抱く気持ち。

 「はい、そうですね…」

 「………」

 神龍は作業を再開した。

 矢矧もその手を再び動かす。

 再び沈黙が、舞い降りていた。


 

 <三>変わった二人 【登場人物紹介】



 矢矧やはぎ

 大日本帝国海軍第二水雷戦隊旗艦阿賀野型三番艦『矢矧』艦魂

 外見年齢 21歳

 身長 165cm

 体重 49k

 阿賀野型三番艦『矢矧』の艦魂。第二水雷戦隊旗艦として駆逐艦八隻を伴うことになる。そんなに長くない髪なのだが無理矢理縛ってポニーテールっぽくしている。本人が好きだからやっているらしいが殆ど丸くなっているポニーテール(?)が可愛らしい。しかし容姿は凛々しく眼鏡が特徴的。(委員長タイプといった感じ)基本的に無表情だが柔らかい表情も出せる。

マリアナ沖海戦での機動部隊壊滅、レイテ沖海戦での連合艦隊事実上壊滅を目のあたりにして生き抜いてきた。敗北の戦場しか見たことがないため、戦局が悪化している情勢にその身を持ってよく知っている。



 山城一人やましろかずひと

 大日本帝国海軍護衛戦艦『神龍』機関科第二分隊

 年齢 19歳

 身長 182cm

 体重 65k

 『神龍』の機関科兵。三笠とは同期であり、親友。長身と大きな図体。そのためか柔道が強い。マジメで心優しい少年。多くの弟妹たちの兄であるため、子供が好きで世話好き。上官に教えられた「機関室は艦が沈むときは一番最初に沈む場所。だから艦が沈むとは自分たちも共に死ぬ」ということを心している。



 草津重次郎くさつじゅうじろう

 大日本帝国海軍護衛戦艦『神龍』艦長・大佐

 年齢 52歳

 身長 176cm

 体重 63k

 『神龍』の艦長。広島県出身。以前は傷の治療と練習艦の教官を務めていた。ミッドウェー海戦で重傷を負い、左目と左手の指二本を失っている。左目の眼帯はその時の傷が隠されている。護衛戦艦『神龍』の艦長に着任して再び前線へと戻る機会を窺っている。戦争に『時間』は重要と信じて、戦闘配置の時間をなるべく早くするように努めている。広島に妻を残し、一人息子も士官となって海のどこかで活躍している。



 吉野逸三よしのいつぞう

 大日本帝国海軍護衛戦艦『神龍』副長・中佐

 年齢 49歳

 身長 175cm

 体重 65k

 『神龍』の副長。東京出身。冴えた頭脳と的確な判断力を持っている優秀な人材。補佐役の副長として草津を支える。東京の下町には妻と小学生の娘を残している。実戦経験はもちろんあり、レイテ決戦にも参加したことがある。乗っていた艦は雷撃によって沈み自身は海に放り投げられたが救助され、現在に至る。



 

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