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<三十六> 奇跡を起こすための誓い

前の更新からまた結構な日が経ってしまいました。ていうか今更新したこの時間、零時を回って日が変わっちゃってる!(汗

今回はすこしだけ長いかもしれません。絶望のドン底に突き落とされた三笠。

そんな三笠を次々と登場する人物たちがすこしずつ三笠を絶望から救い出していきます。

では、ご覧ください。

 

 「神龍、おすそ分けだ」

 「三笠二曹のおにぎりは本当に美味しいですっ! いただきま〜すっ」

 

 烹炊所で炊いたお米から握った、握り飯を持ってくる。主砲の上を登ると、そこには長い黒髪を潮風に乗せて靡かせる一人の少女の背がある。

 その華奢な背に声を掛け、あるときは「驚かさないでくださいっ!」と怒ったりとか「おはようございます、三笠二曹」と笑顔で迎えてくれたり、様々なパターンで彼女の表情と反応を見せてくれた。そして持ってきた袋包みを見て喜び、二人並んで海を見ながら握り飯を頬張る。何気ない会話をしたりして、至福のときを過ごしながら、自分が握った握り飯を頬張る彼女の笑顔が、いつもそこにあった。

 その笑顔から、自分はどれだけ力をもらったのだろうか。

 どれだけこの温かい気持ちを抱いたのだろうか。

 今になって考えると、彼女から色々と自分はもらってばかりだった。

 では、自分は彼女になにか与えることはできただろうか。

 

 『――――――』


 世界が闇に包まれ、無音が始まる。

 さっきまでの彼女の姿はどこにもなかった。

 そんな無音で何も見えない、まさに『無』だけの世界で、微かな声が聞こえた。

 

 『あなたの生きる世界はまだまだ続く。終わりはない。彼女を失ったけど、あなたは生きている――――あなたたちの物語は続いている』


 どこかで聞いたことあるような声。


 『物語は続いていることを忘れないで。 それは―――奇跡を起こすチャンスがまだあるということだから』


 その声が徐々にはっきりと聞こえてくる。


 『弱いままだと奇跡は叶わない―――』


 闇の中で生じる光。その光の中で人型のシルエットが浮かんだ。

 そこから発せられた声が力強く、言い放たれた。


 『強くなれっ!』


 

 「――――――ッ!」

 目が覚めた。

 視界に入るのはいつもの風景。見えるのは天井。

 窓から陽光が射し込み、外から微かに鳥の鳴き声が奏でられる。いつもの一日の始まりを迎えた朝だった。

 最初は幸せだった頃の、『夢』。最後になるとよくわからなくなったが、確かになにかの声を聞いたような気がする。

 なにかこの先を見出せそうなものをもらったような気がする……。

 いつものように一晩寝ても、やはりいつものように心にへばり付く悲しみと辛さはこれっぽちも取れていなかった。寝起き以上に気が抜けた表情で、三笠は起き上がるとそのまま洗面所に歩いていった。

 蛇口から水が流れ、水が満たされていく。水が満たされる洗面所に立ち尽くしたまま、三笠はずっと満たされる水面を見続けていた。

 水に映る自分の顔は酷いものだった。寝起きではなく、それ以外に気が抜けたようなだらしない顔だった。やがて自分の顔を映し出す水は洗面所の床を濡らしていく。

 顔も洗わず、三笠はずっと水に映る自分の顔を見続けていた。



 呉市の何の変哲もないごく普通のアパート。

 空き部屋がいくつかある、人気が少ない古いアパートの二階にある205号室が三笠の部屋だった。

 呉市はかつて日本有数の軍港都市として有名で活用されていたが、戦争中に三度の大空襲を受けて軍港機能を失い、市自体も空襲を受けて戦争の傷が見られる。そしてその呉の隣にある広島市は終戦直前の八月六日に投下された新型爆弾(原子爆弾)によって草木一本も生えない廃墟と化している。

 広島と同じように長崎も八月九日以降、死の街を化している。

 長かった戦争は八月十五日に日本の敗戦として終戦となり、九月一日には東京湾上の米戦艦『ミズーリ』で降伏文書調印式が行われた。

 終戦後に進駐軍が入国し、日本は連合国の占領下に置かれ、列強諸国を畏怖させた極東の島国、大日本帝国は明治以降の栄光に幕を下ろし、崩壊した。

 今の日本にあるのは、絶望と希望。

 膨大の尊い犠牲を払い、ボロボロになって終戦を迎えた日本。かつての敵国に占領され、戦前の日本を駆除するような占領政策によって日本は変わっていく。そして戦争の傷跡から立ち上がって復興しようという希望も確かにあった。

 犠牲。―――特に自らの命を絶った特攻は多くの命、若い命を散らした。

 特攻の犠牲になった英霊の数は果てしない。彼らは、そして彼女たちは靖国神社から、変貌と遂げる護ろうとした日本をどういう目で見ているのだろうか。

 本当に、多くの犠牲を払った。

 失ったものは多すぎた。

 そして大きかった。

 三笠自身、『神龍』沈没後、唯一の生存者として米戦艦部隊に救助され、日本が終戦するまで米軍の捕虜として身柄を保護されていた。日本に帰ってこれたのは終戦後間もないときだった。

 帰るとそこはなにもかもが変わってしまった、―――いや、失っていた祖国、そして郷里だった。街は焼かれ、港も、そこにいた彼女たちも、失っていた。

 三笠は愛しい彼女との思い出が近くにある呉市のアパートを借りて住むことになり、それから数週間のときが過ぎた。しかし三笠の暮らしはずっと変わらない怠惰と悲愴に満ちた日常だった。

 まるで心まで失ったかのような無気力な毎日。仕事も探さず、ただ呼吸をして生きているような生活だった。

 

 ザアアアアアアア………

 上空を支配する雨雲からシャワーのような大雨が降り注いでいる。

 雨に打たれながら、ぼろくて古い、黒いコートを着た三笠はただ歩いていた。

 なにもない毎日の中で、今日はただ外に出て歩いただけ。特に意味はなかった。

 歩きながら、戦争の傷跡を見ながら、ただ昔を思い出す。

 ―――そう、あの時も雨だった。

 神龍を失って、その日からずっと、海は嵐によって荒れていた。

 まるで自分の慟哭のように、海は代わりに泣き叫んでいたみたいだった。

 濡れた前髪から雫が滴る。全身をビショヌレにしながら、三笠は帰路を歩いていた。

 カン、カン、と段を踏むたびに鳴る階段をのぼる。

 ふと下げていた視線を上げると、部屋のドアの前に立つ一人の人影を見つけた。

 「神、龍……?」

 一瞬、その人影が神龍と重なった。

 しかし次の瞬間には、まったく違う本当の人物が浮かび上がった。

 「菊也、久しぶりね」

 姉だった。

 前に会ったときよりスラリとすこしだけ背が伸びたような、一層綺麗になったような容姿がそこにあった。優しげな瞳は変わらない。姉の皐月はビショヌレの三笠を見ても、微笑みは変えることはなかった。

 皐月からひょっこりと顔を出して三笠を見る、妹の玖音もいた。

 「………」

 玖音はなにも口を開かず、変わらないむすっとした無愛想な表情を向ける。

 「ビショヌレじゃない、菊也。早く中に入って拭かないと」

 三笠は久々に再会した二人の姉妹に対しても無言だった。皐月と玖音は何も言わず、ただ三笠を促して部屋に入った。


 「菊也、元気だった? それにしてもあなたを探すのには結構骨が折れたわ」

 皐月はそう言いながら台所で袋から野菜などを出して並べていた。

 すこし離れたところで、三笠はただ無言のまま、無気力な表情で頭をタオルで拭いていた。服は着替え終え、身体も拭いていた。

 玖音は台所で準備する皐月の手伝いをしながら、ジッと厳しそうな視線で三笠を見詰めている。

 「でも……本当に生きてて良かったわ。 遺書を貰ったときなんて……―――ッ」

 玖音は心配そうな瞳で皐月の顔を覗き込んだ。皐月はぐっとなにかに堪えるようにしていたが、玖音の心配する視線に気付くとにっこりと微笑んだ。

 「―――びっくりして本当に心配したけど、それでも菊也が生きて帰ってきてくれて本当に良かった…。 お姉ちゃん、ずっと菊也が生きているって聞くまで本当に心配だったんだから」

 「………」

 皐月は背中越しに三笠の無言を感じ取る。

 皐月の隣で玖音は下唇を噛みながら、変わり果てた兄の姿を睨んでいた。姉がどれだけ心配したことか、そしてせっかく会えたというのに、話しかけているというのに、兄のこの姿。玖音はなにか言いかけようとしたが、その肩を皐月の細い手がそっと乗った。皐月は首を小さく横に振った。

 玖音はただ兄のことを忌々しげに睨むことしかできなかった。

 「ちゃんとご飯食べてる? 大して持ってきてないけど、ご飯つくるね。 三人で暮らしていたころは菊也が美味しいご飯を作ってくれたけど、今日はお姉ちゃんが腕によりをかけて作ってあげる。 こう見えてもお姉ちゃん、弟に負けないようにと思って日々頑張ってたんだから」

 皐月の声だけが虚しく聞こえる。玖音はただ姉の手伝いをし、兄のことを睨むだけ。三笠はただ無言で座り込んで、うな垂れているだけだった。

 やがて、食卓に皐月の料理が並べられ、皐月に促された三笠を入れて、三人の血を分けた兄弟が食卓を囲んだ。

 「いただきます」

 「…いただきます」

 「………」

 皐月は変わらずにニコニコと優しげに微笑みながら箸を取ってご飯を頬張る。玖音も続けて箸を取り、ご飯や姉お得意の野菜炒めを口に運ぶ。三笠も遅れて箸を取り、黙々と口に運んでいた。

 姉の皐月が明るく話をするだけの食事だった。

 食事が終わり、食器等を片付ける。時計は午後八時を過ぎていた。

 時計の針を見た皐月は、玖音を連れて帰る準備を始めた。

 「それじゃ菊也、私たちはここで失礼するわね」

 泊まっていけばいいかもしれないが、皐月は三笠のことを考えて一人にしてあげようと思っていた。

 「夜はちゃんと寝るのよ」

 「………」

 ドアの前に立つ二人は、居間で背を向けて座り込んでいる三笠を悲しげな瞳で見詰める。

 「菊也、おやすみなさい。元気、出してね……」

 「………」

 皐月はドアを開けて出て行く。その後を玖音が、三笠の背を一瞥してから、後を追うように出て行った。そしてバタンとドアが閉じる音を最後に、部屋を静寂が支配した。

 三笠は姉妹が帰ったあともしばらくずっとそのままだった。

 

 雨の中を傘をさしながら二人の姉妹が歩いていた。

 それぞれの傘をさし、姉の皐月が前を歩いている。その後ろを玖音が足元ではじける雨水を見ながら歩いていたが、やがて足取りが止まった。

 「どうしたの玖音?」

 振り返ると、そこには立ち尽くした妹の姿。背が低いため、カサで顔は隠れて見えなかった。

 「玖音……」

 「…なにさっ……馬鹿兄貴のやつ……。 久々に会えたって言うのに……一言も喋らなかったよ……」

 紡がれた玖音の言葉は震えていた。すこし離れた二人の距離、ただ地面を叩く雨音が響き渡る。

 「せっかく……この世でたった三人の家族なのに……なんなのさ……あんまりだ…」

 「玖音…」

 「ひっく……ぐすっ…」

 地面と傘を叩く雨水とともに、玖音の白い頬に涙の雫が伝った。肩を震わせ、涙の雫がぽたぽたと地に落ちる。

 「玖音、泣かないで…」

 皐月は震える玖音のそばまで歩み寄ると、傘を投げて、そっと妹を抱き締めた。

 抱き締められ、姉の胸に顔を埋める玖音も、傘を落とした。

 「仕方ないわ……――菊也は、戦場から帰ってきたばかりなんだから……。ゆっくりと、時間を掛けるしかないのよ…」

 胸の中で、玖音が嗚咽を漏らす。

 抱き締める姉の皐月の頬も、雨水と一緒に、瞳から涙の雫が伝っていた。

 身体が雨に打たれながらも、二人の姉妹は抱き締めあい、お互いの温もりの中で泣いた。


 

 ―――彼女がそばにいてくれている気がした。

 確かに、彼女と約束した。


 ―――私は、ずっとあなたのそばにいますから―――


 だから、彼女は約束どおりに自分のそばにいてくれているのかもしれない。

 だが、姿は見えない。

 触れない。

 話せない。

 だから、変わらない日常。

 聞こえるのは窓を叩く雨音。窓は雨水が滝のように流れていた。大雨が街に降り注ぎ、その上夜だからか、外の風景は見えない。

 滝のように流れる窓に手を当て、外を見る。窓に自分の顔が滝の中に映る。

 この窓の向こう側に、彼女がいるような気がした。

 しかし自分との間にある窓が、彼女との間を隔てている。

 こつん、とおでこを窓に当てる。

 窓に当てた拳を握った。

 「う、うう……ッ」

 気が付くと窓におでこを押し付け、手が白くなるまで拳を握り締める自分がいた。

 そして、瞳から溢れんばかりの涙を流し、泣いていた。

 「う、うああ……ッ …し、…神、龍……ッ …うわあああぁぁ……ッッ」

 そのまま窓におでこを押し付けながら、崩れ落ちる。

 外から聞こえる雨音とともに、三笠の嗚咽が部屋に響いていた。


 

 大切なものを失うと、それは大きな穴となって心を崩す。

 その崩壊ぶりは自分でもわからないくらい。

 それは無残で気の毒な姿だった。


 

 また『夢』を見た。

 『無の夢』。

 いつの頃からだろうか、たぶん、彼女を失った頃からだろう。

 自分がなにもない夢を見るようになったのは。

 それは『無』だった。

 しかし最後には必ず、光から声が聞こえるのだ。


 『いつまでも弱いままでいるの? あなたはそれを繰り返したいの?』

 

 すこし咎めるような口調で聞こえる声。


 『私と会ったことを思い出しなさい。 私から聞いた言葉の数々を思い出しなさい』


 声はいつも力強く放たれる。

 

 『信じれば、強くなれば、覆せる―――』


 『覆すこそが、奇跡―――!』


 

 ドンドンドンッ!

 「――――――ッ」

 ドアを叩く音で、目が覚める。

 ゆっくりと上半身を起き上がらせる。ドアの叩く音が強くなる。

 ドンドンドンドンッ!!

 ふらふらした足取りでうるさいドアに近づく。そのまま鍵を掛けていないドアノブを捻り、ドアを開けた。

 目の前に、鼠色のコートを着た一人の青年がいた。

 「よっ。 久しぶりだな」

 三笠を見た青年はにっこりと笑みを浮かべた。

 「……二ノ宮、少尉…」

 青年は二ノ宮朱雀だった。戦艦『榛名』にいた、榛名や日向と一緒に騒いでいた彼を思い出す。『榛名』の砲術士なのに、いつも日向に蹴られたりしていた記憶がある。

 「少尉はよせよ、僕はもう軍人じゃないんだから」

 「………」

 「あがらせてもらうよ」

 そう言って二ノ宮は何も答えない三笠を通り越して靴を脱いであがった。広くない部屋を見回し、台所を見つけてから三笠のほうに振り返った。

 「水飲んでいいかな? 喉渇いちゃって」

 「…あ……」

 三笠が微かに声を漏らしたとき、二ノ宮は蛇口を捻ってコップに水を満たした。水を満たしたコップをぐいっと一気に口から喉奥に流し込む。

 「ふぅ……」

 一気に飲み干したコップを置き、三笠のほうに振り返って「ありがと。うまかった」と屈託のない純粋な笑顔を向ける。三笠はその笑顔を見て、温かい懐かしさを胸に感じた。

 「元気だった?」

 コートを脱いで座り込んだ二ノ宮がニッと白い歯を見せるような笑みを見せる。それに対して三笠はただ無表情で言葉も出ることはなかった。

 そんな三笠に二ノ宮は「ふぅ」と小さく溜息を吐いてから、明るく三笠に振舞うのを崩さない。

 「まさか生きてるとは思わなかったよ。『大和』以下第二艦隊と第二水雷戦隊が沖縄に特攻したって後から知ったんだから。その話を聞いたときと同時に『大和』と『神龍』も沈んだってことも聞いたし……」

 「…ッ」

 三笠の拳がぎゅっと握り締められた。

 「……悪い。 だけど、君だけでも生きてると知って僕は嬉しかったよ。本当だ」

 「………」

 「……彼女のことは気の毒だったかもしれない」

 二ノ宮の表情がふと暗い影を落とした。

 「……みんな、いなくなっちゃったね。―――榛名や、伊勢。日向まで……」

 「―――ッ!」

 三笠は胡座あぐらをかいて顔を伏せる二ノ宮の落とす影を見た。膝の上に置いた二ノ宮の拳もぎゅっと握り締められていた。

 ―――二ノ宮の周りにいつもいた最古参の戦艦三人組だった榛名、伊勢、日向も、終戦直前の七月末に襲来した敵機の三度目の大空襲によって湾の底に果てた……。

 神龍の義姉として誰よりも妹想いだった戦姫榛名。

 容姿端麗・大和撫子の字がふさわしい仲間想いの伊勢。

 ちょっと乱暴で、それでも二ノ宮や榛名、そして姉想いの日向。

 古くから日本を護り続けてきた古参戦艦の三人は、どれも『想い』がある三人だった。

 しかし、出撃する神龍たちを見送ってくれた仲間たちは、今は神龍たちと同じように、いなくなっていた。

 重い空気が下り、沈黙が続いた。

 立ち尽くす三笠と、顔を伏せる座り込んだ二ノ宮。

 かつて彼女たちと過ごしたことがある、二人。

 しかし今の二人の周りには、彼女たちはいなかった。

 自分たちだけが、そこにいた。

 「……まぁ、ここに来たのはちょっとした理由があるからなんだ」

 沈黙を破ったのは二ノ宮だった。

 「三笠」

 二ノ宮は三笠の前に立ち上がった。そして次の瞬間には三笠の腕を掴み、さっさと三笠を連れて部屋を出て行った。

 戸惑う三笠に構わず、二ノ宮は段を踏むたびにカンカンという景気の良い音を踏み鳴らしながらアパートの階段を下りた。引かれるがままになっている三笠はその先にある一台の車を見つけた。

 「さっさと乗れ」

 さらに車の後部座席に無理矢理押し込まれる。意味がわからない間に、バタン!とドアが閉じられた。

 三笠を後部座席に乗せた二ノ宮は自分も運転席に乗り込んだ。そしてエンジンを掛け、二人を乗せた車は走り出した。

 揺らされる車内で、三笠は困惑の表情のまま、前に顔を乗り出す。

 「あ、あの…ッ! 二ノ宮しょう……二ノ宮さん、どこに行くんですかっ?」

 「連れて行きたいところがあるんだ。あるヒトが君と会いたいって頼まれてね」

 「あるヒト…?」

 「そうさ。 ずっと、君のことを待っていたヒトだよ……」

 三笠は意味がわからないという風に首を傾げた。さらに追求するが、二ノ宮はそれ以上答えることはなかった。三笠は諦めて背中を後部座席の椅子に預け、身体を揺れに任せた。

 三笠は外の風景を一瞥する。高速で流れる風景は呉市の街の風景だ。建物が立ち並び、人々が行き交い、この車以外にも、少ないが車も走っている。そしてそんな風景の中に、焼け地や廃墟、散乱した残骸、大穴、そんな廃墟の上に建てられた粗末な家など、戦争の傷跡、そして復興の兆しを見せる光景が広がっていた。

 ―――彼女たちが護ろうとした故郷は、荒れ果ててしまった。しかし確かに彼女たちが愛した日本は、復興の兆しを見せ始めている。

 ―――そして人々も生きる希望を見出しているようにも見える。

 ……しかし、自分は――――

 様々な思いを渦巻いた心中を持つ三笠を乗せた車は、真っ直ぐに市街地を通り抜け、かつての思い出が溢れた呉港に向かっていた。


 

 外に出ると、顔に心地よい潮風が当たり、海の香りが鼻をついた。

 そして聞こえるのはせめぎ合う波の音と海鳥の鳴き声。

 見えるのは水平線と、蒼い大空。

 記憶と変わらないままの風景だった。

 三笠はその風景にしばし呆然としていたが、後から出てきた二ノ宮に肩を叩かれて我に返った。

 煙草を咥えた二ノ宮はマッチの火で煙草の先端から紫煙を漂わせる。そしてマッチの棒を海に捨て、ふぅ、と紫煙を吹いた。

 「海の煙草はうまい。よく『榛名』の上でも吸ってたなぁ…。 吸う?アメリカ製だけど」

 「…いや」

 「そう? アメリカ製は中々うまいよ。艦の上で吸えたらもっとうまいんだろうけどなぁ」

 そう言って、二ノ宮は紫煙を口から吹き出す。

 紫煙はやがて空気に浸透するように消えていく。

 二人はそのまま湾岸から懐かしい海を見続けていた。猫に似た海鳥の鳴き声が頭上を通り過ぎ、視界に数羽の海鳥が白い羽を羽ばたかせて水面上を滑るように飛んでいる。その水面は、かつて空襲で多くの艦艇と飛行機が底に沈み、機銃と爆弾で荒れていたときもあったというのに、当たり前なのだが今はとても穏やかだった。

 穏やかな水面に海鳥が着水し、波に揺られている。それはなんだか暖かい光景だった。

 「……それで、二ノ宮さん。俺に会わせたいヒトって…」

 三笠は唐突に思い出し、隣で紫煙を曇らせる二ノ宮に声を掛けた。

 「…ああ、うん。あそこにいるよ」

 と、言った二ノ宮は前方右斜めの方向に向かって指を指した。海鳥が波に揺れる水面を見ていた前方から視線を移動させた三笠は、視界に入った光景に驚愕の表情を表した。

 「――――ッ!」

 かつては姿を見せていた多くの日本艦艇がいなくなっている呉港内で、その艦だけが、そこにいた。

 呉の湾岸に係留しているのは、空母『葛城』だった。

 三笠をずっと待っていた、会いたかったと言っていたヒトは―――彼女は、……そこにいた。


 

 七月二十四日及び二十八日の大空襲で、『葛城』も直撃弾を受けて被弾、中破した。姉妹艦の『天城』は大破着底したうえ横転して果てた。しかし、機関部などの艦体下部や艦橋などには大きな損傷はなく、航行可能な状態で終戦を迎えた。

 その巨大な艦体は出撃の機会を遂に与えられることなく、航空機も乗せることもなかったが、その身は武装解除され、丸裸にされるも損傷した部分は改造修理された。しかし被弾で膨れ上がった飛行甲板はそのままの状態であった。

 誰もいない飛行甲板にあがった三笠と二ノ宮。既に二ノ宮が許可を貰っているので問題なかった。ちなみに『葛城』の現管轄を担当しているのは第二復員省(旧海軍省)だ。

 初めて訪れたときは空襲に備えて島に係留され、迷彩を施されて偽装塗装された身だったが、今は空母としての面影を取り戻していた。しかし彼女が空母として出撃することは二度とない。彼女は既に空母でさえなくなっていた……。

 海鷲たちが翔け抜けるはずの広い飛行甲板の上に歩を刻む。三笠は無意識に彼女を捜していた。

 そして、水音を聞いた。

 

 ―――パシャン。


 水が跳ねる音。

 それは彼女がいる証だった。

 三笠は水が跳ねた音がしたほうに向かって走り出した。そして高い甲板上から広がる蒼い海面を見下ろした。そしてあの時のように、2.0の視力で海面を凝視する。

 そして、見つけた――――

 雫を舞い上げ、長い黒髪をまるで魚の尾のように揺らす、白い珠のような肌を煌かせる少女がそこにいた。―――まさしくそれは、人魚だった。

 彼女を見つけ、すこしばかり見詰めていると、彼女はハッと気付いたかのように海面からこっちに仰いだ。そして目が合ったと思ったときには、その海から彼女は消えていた。

 次の瞬間、背後から懐かしい声と水が跳ねる音を聞いた。

 「菊也ッ!!」

 ぱちゃぱちゃと濡れた足が踏みしめる音が聞こえ、背後から冷たい感触、そして続いて体温の温かい感触が伝わった。ぎゅっと背後から抱き締められ、三笠は背後を振り返って、しばらくぶりに口もとを緩ませた。

 「……久しぶり、葛城」

 「菊也ッ! 菊也、菊也……ッ! 良かった、会いたかった……」

 背中から三笠を抱き締める葛城の瞳から頬を伝って海水以外の雫が流れた。葛城は綺麗な涙を頬に伝い、ずっと三笠の温かい体温を感じ取っていた。

 「…おかえり、菊也」

 「…ただいま、葛城」

 ぽたぽたと海水が滴り、葛城の立っている場所は海水に濡れていた。抱き締められる三笠の背中もビッショリだが、暖かった。

 あの時、出撃前の夜は神龍や大和、榛名たちがいて、葛城たちもいた。最後の夜をみんなで過ごしたことを二人は忘れていない。忘れるはずがなかった。今、ほとんどの艦魂がいなくなり、唯一残っているのは、彼女くらいだった。

 葛城も姉や仲間を失った身。そんな彼女に帰ってきた三笠の存在はとても救われるものがあった。

 「菊也……」

 葛城は彼の顔が見たいと思って、三笠の両肩を掴んで身体をこちらに振り向かせた。三笠もそれに応えて振り返ろうとしたが、突然、何故かいきなり両肩にあった葛城の手が両頬にがっしり押さえられ、そのままグイッと首だけを元の方向に戻された。

 「いだだだッッ!? か、葛城……ッ?! いツツ…!」

 一瞬振り返ろうとしたときに見えた葛城の真っ赤に染まった顔、そして―――水が滴る煌いた身体を思い出して、理解した。

 葛城はさっきまで海で泳いでいたため、今も全裸だったことを思い出して振り向かせようとした三笠を慌てて元の方向に戻そうとしたのだった。

 しかし慌てすぎて、顔だけを元の方向に戻そうと思い切り曲げてしまったため、三笠の首に重い負担が掛かった。

 ちなみに二ノ宮は葛城が現れた最初から身体ごと逸らして見ないようにしている。

 ぴったりと密着した葛城の肢体は海水に濡れているため、太陽の光を反射して妖艶に煌いていた。そんなことは三笠が(頭だけ)違う方向に向けられているため見ることはできないが、頬を桃色に染めた葛城は三笠の身体に密着してこちらに振り向かせないように抑えていた。

 お互い身動きがとれず、二人は困惑する。三笠は身体に密着する膨らみに動揺し、顔を真っ赤に染めるしかなかった。

 とりあえず三笠にこっちを見ないように言って身体を離し、三笠が待っている間に急いで身体を拭いて服を着る葛城だった。

 


 第一種軍装を身に着けた葛城は変わっていなかった。別れて半年が経っていたが、どちらとも変わっていない。日本が降伏し、日本軍が解体されても、葛城は今も大日本帝国海軍の第一種軍装を着続けていた。

 艦の損傷として片腕に包帯が巻かれているが、完治間近なので大したことはないらしい。

 そして『葛城』自身も改造修理を終え、武装を解除し、塗装も変更され、彼女はかつて日本海軍最大だった航空母艦ではなくなっていた。

 「……私は特別輸送艦として、戦地に待っている兵士たちを日本に連れて帰る復員輸送に従事することになった」

 戦争が終わっても、日本から遠く離れた南方や海外諸国には大勢の日本軍兵士たちがいた。彼らは祖国に帰る迎えを待っている。

 戦争を生き延びた艦艇の中から、特別輸送艦として復員輸送に駆り出される艦艇もある。その中の一隻なのが、『葛城』だった。『葛城』は特別輸送艦として最大の大きさを持っていた。

 「私の艦体には日の丸と『KATSURAGI』という文字が刻まれた。……アルファベットの文字でも、確かに私には日本が、そして私の名前が刻まれている。―――これ以上の名誉はない」

 改造修理の際、塗装も変更され、側面に日の丸と『KATSURAGI』の文字が入れられたのだ。

 「私は空襲で、姉者や多くの仲間を失った…。 でも、私自身は無事に済んだ。 私は生き延びてしまったことを悔いた……。 だって、姉者や仲間たちは立派に散っていったというのに……」

 葛城と三笠は座り込んで、海鳥が飛び交う海を見詰めていた。葛城からただ紡がれる言葉を隣で三笠は黙って聴いていた。

 「…私は国のために戦地で活躍することは出来なかった。 ……でも、私にはまだやれることが見つかった。 だから私は今は生き延びれたことを幸福に思える。 私は死んでいった姉者や仲間たち、そして日本と、私たちを待つ兵士たちのために、私はいく」

 「葛城……」

 「私はやっと自分が役に立てることが訪れて、本当に嬉しい……。 私は必ず、この任務をやり遂げてみせる」

 その葛城の瞳は真剣そのものだった。強い光が宿り、圧倒されるほどだった。戦争で姉や仲間を失い、自暴自棄になり、三笠のように絶望していた頃もあった。しかし今の葛城は自分がやれるべきことを見つけて、希望を掴んでいる。

 三笠は正直、目の前にいる葛城を、葛城の強さが羨ましかった。

 目の前で決意を込める葛城に比べ、自分はなんて弱いんだろう……。

 自分は彼女を失い、そして葛城も姉や仲間を失った。でも、葛城は立ち上がり、強くなった。

 ――――『強さ』

 三笠は『無』と『夢』から聞いた声を一瞬思い出した。


 ―――『強くなれっ!』―――


 自分が強くなければ、弱いままだと、奇跡は起こせない。

 自分は自分のためにも、失った彼女のためにも、強くならなければならないのだ。

 強く生きることが、大事だった。

 それを、目の前にいる葛城は教えてくれた。

 気が付くと、葛城はジッと強い光を宿した瞳で三笠の瞳を見詰めていた。

 「な、なに…?」

 「……菊也」

 まるで、全てを見透かせているような瞳だった。

 葛城の隻眼が三笠の瞳と一致する。

 「……………」

 「……………」

 しばし無言で見つめあう二人。しかし三笠は葛城から無言のメッセージを貰ったような気がした。

 自分の瞳を見続ける葛城の視線は何かを伝えていた。

 その想いを知ったとき、三笠の心にあった『弱さ』は、打ち解けて砕けた。

 そして、三笠の瞳にも強い光が取り戻された。

 それを、葛城は確かに見たのだった。

 「……なぁ、葛城」

 「…なに、菊也」

 「約束、してくれないか…」

 「うん…」

 三笠の開く口から紡がれる強き言葉を、待つ。

 「葛城はこれからも強く生きてくれ」

 「―――(コクリ)」

 葛城は無言で頷いた。それは昔のままだった。

 「俺も―――」

 その先の言葉が、一番待っていたものだった。

 「これからも強く生きるよ―――」

 「………」

 葛城は口もとを微かに緩ませ、コクリと頷いた。

 二人は見詰め合い、お互いの意志を確かに確認し合った。

 「ありがとう、葛城」

 「…お礼なんていらない。 これは、菊也自身の導き出した強さ。 褒められるのは、菊也」

 「そんなことない。 俺は……本当に情けなくて弱い男だ。だから、これからは……」

 三笠は愛しい彼女を、神龍の微笑む可愛らしい笑顔を思い出す。

 「あいつのためにこれからは強く生きるよ」

 三笠の確かな言葉に、葛城はコクリと頷いた。

 『葛城』の甲板上から見える、かつては軍港として栄えた港は今や静かに穏やかな港だった。水面に没して顔を出す彼女たちの面影が見えるも、その海を海鳥たちが優雅に飛び交い、潮風が心地よく海の香りを運んでいた。

 水面は穏やかに波がせめぎあい、羽を閉じた海鳥が揺れている。

 戦争の傷跡は確かにあった。しかしその中から平和と希望がいたるところから芽吹き、強く生きようとする表れが見られていた。



 やがて、『葛城』は特別輸送艦として復員輸送に従事するため外洋に出港することになった。『葛城』による復員輸送は第二復員省(旧海軍省)が担当し、昭和二十年(一九四五年)十二月より開始された。大型・高速の艦であったために、遠方の南方方面を担当し、『葛城』は約一年の間に8航海、計49390名の復員者を輸送をやり遂げて見せた。特別輸送艦として最大の大きさを誇り、その大きさを駆使して兵士たちを輸送した。

 復員任務終了後はその身を解体され、『葛城』は大勢の兵士たちを再び日本の土に踏みしめることを叶えさせ、その生涯を全うすることになった。

なんだか最後は、二ノ宮いらなくね?って思ったのは自分だけでしょうか(笑)

さて、絶望から立ち上がり、これからは強く生きる決意をした三笠。それは奇跡への誓いを意味する……。

これからどんな奇跡が起こるのか?

次回をお楽しみください。

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