<二> 不沈戦艦『大和』
学生としての身分のおかげか、更新が中々難しいです。それでもなるべく更新していくつもりです。
今回は戦艦『大和』の艦魂が登場します。黒鉄大和先生の大和とは全くキャラが違うので違和感を感じさせるかもしれません。
早朝。総員起こしの三十分前だったが、まだ幼さを残した彼は目を覚ました。
入隊前は学校に寝坊する遅刻の常習者だったというのに、厳しい軍隊に入ればそのだらしなかった生活習慣も完全に更生されてしまった。彼にとって一番苦手だったのが朝だった。軍隊に入隊し、まず不安だったのが、自分がちゃんと起きられるかどうかだった。この話をすれば、他の兵に笑われるのだが、彼にとっては真剣な悩みだった。最初はやはり苦労したが、上官に殴られ苛められ、おかげさまでそんなこともなくなった。
今ではむしろ逆になっている。
「川原、お前も起きたなら早く来い」
声がした方を振り返ると、同年兵の木島が立っていた。木島は機関科だが、居住区は川原と同じだった。
「わかったよ……」
まだ眠気が残る頭を振りつつ、木島と共に廊下を歩く。廊下を歩いていると、最近乗艦した新兵と出会う。川原達の一年後輩に当たる少年兵が川原達に気付くと、欠伸をしかけた口を一瞬で閉じて、ピシリと敬礼する。
木島は気付いていないようだったが、川原は彼の開きかけた口に気付いていた。しかし自分も今正に同じ状態で、後輩の気持ちはよくわかっていたので、気付かないフリをしてあげた。
川原と木島も敬礼を返し、新兵の前を通り過ぎる。
総員起こしまで三十分もあるのに、何故彼らは他の兵よりも早く起きるのか。もちろん何もしないわけではない。他の兵や上官達が起きてくるまでに、急いで掃除道具を揃えて、掃除の準備をせねばならない。こういう仕事は年少兵がすることだった。
オスタップを持って、水を汲んでくる。朝の水はとても冷たいが、弱音は言わない。木島は箒と内舷マッチ(雑巾)を準備した。川原が甲板バケ、ソーフ、ブルーム、ハタキなどを所定の位置に用意する。
総員起こし十五分前になると、川原は半年先輩の兵を起こして、吊床括りを手伝って納める。次は一年先輩の兵を。そして木島と連携で、順番に古い兵を起こしては、寝具を納めてやるのである。これも彼ら特別年少兵の仕事である。
「総員起こし、五分前」
やがて善行章二本の下士官たちが起き出した。軍服と靴を揃えておいて、寝具を手早く片付ける。
入営より三年間、大過なく任務を遂行した者には、山型の形をした善行章一線が授与される。更に三年ごとに一線ずつ授与され、勤務成績に応じ制服や軍服に佩用が許される布製の記章。それが善行章である。ちなみに、戦功を挙げた者には特別善行章も授与される。
善行章は最高で5本佩用することができ、軍服の右腕部分、階級章の上に縫いつけられた。善行章は階級社会である軍隊において畏怖される権威を有するものであり、受章本数により俸給にも相違があった。授与本数の多い下士官兵は部下の者の畏敬を集めたとも言われている。
「総員起こし、総員吊床納め」
善行章三本以上の下士官達が起き出した。
川原達は、寝台になっていたテーブルを組み立てたり、毛布を畳んで片付けたりと大忙しであった。総員起こしからこの時までに、五分以内に手早く片付けないと、次の号令がくる。
「総員上甲板、体操始め」
全員上甲板に出て海軍体操を始める。広大な『神龍』の上甲板は大勢の兵達で溢れていた。そして全員がまるで波のように同じ動きをする。
体操が終わると、次は居住区の掃除にかかる。掃除の役目も古い兵から軽い仕事が決まっている。若い兵、新兵は当然ながら常にきつい仕事をやらされる。甲板バケやソーフを持ち、裸足にされて「回れ!回れ!」と、床を這いずり回され、動作が遅い者は容赦なく直心棒で尻を叩かれる。このように、掃除に関しても痛い目に合う事は珍しくない。というよりは軍隊において痛い目に合わない事の方が滅多に無い。
上官に尻を叩かれ、また「回れ、回れ!」と怒鳴られて甲板掃除が行われるのであった。
主計科の烹炊班である川原は一番乗りで烹炊所に入った。そしてすぐに視界に飛び込んだものに驚愕した。
「み、三笠二曹!?」
なんと、夜中ずっと烹炊所で待ち構えていたらしい三笠が、壁に背を預けて寝ていたのだ。三笠の身体には、しっかりと毛布がかけられていた。
「三笠二曹! 起きてくださいっ!既に総員起こしですよっ!」
「んぁ……?」
三笠の半開きの目が川原を見た。ぼーっと川原を数秒見詰めたあと、キョロキョロと周囲を見渡した。
「あれ……神龍は……?」
「『神龍』がどうかされましたか?」
「あ……、いや、何でもない」
あれは、やっぱり夢だったのだろうか?
三笠はまだ眠気がある頭をボリボリと掻いた。
一方、寝ぼけているのだろうか、と思った川原はとにかく三笠の目を覚まさせることにした。
「主計科長、おはようございます!」
「!?」
次の瞬間、三笠は脅威の素早さで立ち上がった。慌てた様子で主計科長の姿を捜すが、周囲には誰もいなかった。
「三笠二曹、目が覚めましたか?」
「……おかげ様で、川原二等兵。おはよう」
「おはようございます。 もしかして、ずっと朝までここにいたんですか?」
「ああ、寝ちまったんだな俺。 ん?」
三笠は自分にかけられていた毛布の存在に気付いた。毛布を掴み、川原に差し出す。
「これ、お前?」
毛布を見て、川原は首を横に振る。
「いえ、自分ではありません。 自分が来た頃には既に三笠二曹にかけられておりましたが」
川原の言葉を聞いた三笠は、はっと何かに気付いたかのようになって、そして納得したように頷いた。
「そうか、夢じゃなかったのか……」
「三笠二曹?」
「いや、なんでもない。起こしてくれてありがとう」
毛布を川原の方に手渡しながら、三笠は言う。
「悪いけどこの毛布、片付けておいてくれ。 急いで朝食の準備をしなきゃならないしな」
「わかりました」
三笠から毛布を受け取った川原は烹炊所を後にした。その入れ替わりに他の主計兵が入ってきたのを見て、三笠は急いで朝食の準備に取り掛かった。
烹炊所に、今日もまた蒸すような暑さが戻っていた。
蒸し暑い烹炊所とは裏腹に、兵達が掃除をした上甲板は、兵たちの拭く濡れた雑巾によるものか、風が濡れた上甲板に吹いて涼しかった。
掃除を終えて食事に向かうためにぞろぞろと上甲板を歩く兵達を、50口経の主砲の上から、黒い長髪を靡かせた少女が見下ろしていた。
空を仰げば、海のような蒼が無限に広がっている。今日は雲一つない快晴だった。こういう日は断然気分が良い。それに、昨日はもっと良いことがあったから、もっと気分が良い。
大和撫子にふさわしい程の美しい黒い長髪が風に揺られる。日光の光でさらさらと艶のある髪が輝いていた。
「神龍」
自分の名前を呼んだ方を振り返ると、主砲の上に昨日出会ったばかりの彼が登ってきていた。
三笠は神龍を見つけると、「よう」と手を上げ、主砲に這い上がった。神龍のにっこりとした笑顔が三笠を迎えた。
「おはようございます、三笠二曹」
「おはよう、神龍」
主砲の上に座って足をぷらぷらさせる神龍の隣に、三笠が腰を下ろす。
「ふぅ」
主砲に這い上がって登ってきた三笠は一息吐いた。チラリと隣にいる神龍を一瞥すると、神龍は黒い長髪を風に揺らしながら蒼い空を仰いでいた。その横顔は、どこか神秘的に感じた。今まで色々な女を見たことがあるが、神龍のような少女は初めてだと思った。
それは彼女が人間ではなく、艦魂という存在だからか。それとも、彼女が単にそういう雰囲気を纏っているからか。
はっきりとした理由はわからない。だが、それでも三笠はじっと神龍の横顔を見詰めていた。
三笠の視線に気付いた神龍は、三笠の方に顔を向けて訊ねた。
「どうかしましたか? 私の顔に何か付いているでしょうか」
「いや。 やっぱり、夢じゃなかったんだな……ってな」
三笠の言葉に、神龍は目を丸くしたが、すぐに口元を緩ませた。
「そうですね」
今目の前にいる彼女は、やっぱり昨夜出会った艦魂である神龍だった。上甲板にいる兵達は神龍の事に気付いていない。見えないのだ。神龍が見えるのは、三笠唯一人なのだ。
「まったく、昨夜は酷い目に合いました」
「だから悪かったって」
まだ根に持っていたらしい神龍が、口を尖らせる。三笠は改めて頭を下げた。
「あんな辛いもの。 ましてやお酒まで飲ませるなんて、最悪です」
神龍は頬を膨らませ、ぷいっと顔を逸らした。
三笠は苦笑しながら頬を掻き、思い出したようにある物を手に取った。
「ああ、そうだ。 神龍に渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの?」
興味を示した神龍は、三笠の手元を見る。三笠は神龍の目の前で袋包みを解くと、二つの白い握り飯を見せた。それを見た神龍が「わぁっ」と目を輝かせた。
「朝食の米から作ってきたんだ。神龍のもどうかなと思ってな」
「……辛くないですよね?」
「今度はちゃんとした握り飯だから安心しろ」
と言って三笠は広げられた布の上にある二つの握り飯を神龍に差し出した。神龍は「ありがとうございますっ」と嬉しそうに言って、一つ、握り飯を手に持った。
「あむっ♪」
ぱくっと握り飯にかぶりつき、頬張る。もぐもぐと、よく噛んで食べている。
「おいひいです。 三笠二曹の握ったおにぎりはやっぱり美味しいでふ」
「昨日の激辛握り飯も美味いはずだったんだけどなぁ」
「あれは別です。私は今まで、毎日のように夜な夜なつまみ食いしてたんですから」
どうやら夜な夜な残飯を漁られていると言う噂は本当らしい。見かけに寄らず、意外と食い意地を張った娘のようだ、と三笠は苦笑した。
「――だから、三笠二曹のご飯は他のご飯と違って本当に美味しいってわかるんです♪」
「………………」
その笑顔が、一番眩しかった。
三笠は心に暖かいものに触れたような感覚を覚え、口元を緩ませた。
「……そうかい。 そう言えば似たような内容の幽霊話があったんだけど、その幽霊が勝手に残飯をつまみ食いするから、つまみ食いがあった度に俺達がよく疑われたんだけどな」
「むぐっ。 そ、そうだったんですか……?」
「ああ。 まぁ、実際に烹炊所に忍び込んで勝手に缶詰持っていったり、つまみ食いする奴もいたからな」
「い、いけない幽霊さんですねぇ~。一体どんな幽霊なんでしょう」
「………………」
三笠のジトッとした視線が神龍を刺す。視線を当てられた神龍はだらだらと汗を流した。
「……すみません」
「……まぁ、さっきも言ったけど、本当に馬鹿な兵もいた事があったから。疑われる事はお前だけのせいじゃないよ」
「そ、そうですよね。それに、この艦は『私』なんですから、私の自由ですよねっ」
「開き直るな」
「痛っ」
ビシリ、と三笠が神龍の頭をチョップする。神龍は小動物のように「きゅう~」と頭を抑えて悶絶する。
「痛いです、三笠二曹……。 もぐもぐ……」
「それでも食べるのはやめないんだな」
神龍は瞳に涙で潤ませながらもぐもぐと食べるのを止めない。その姿が三笠には可笑しくて、くくっと器用に喉を鳴らして笑った。
「川原から聞いたお前の幽霊話というか、噂でもそうだったけど、お前って食べる事が本当に好きなんだな」
「ほぇ?」
神龍はもごもごと頬張りながら三笠の方を見た。神龍の口元に米粒が付いているのを見て、三笠はまた噴き出していた。
「な、なに笑ってるんですかっ!」
「米粒、付いてるぞ」
「え、嘘っ!」
「よし、じっとしてろ」
「へ? ―――ッ?!」
三笠は手を伸ばすと、神龍のふっくらとした唇の周りに自分の指を当てた。三笠の指が神龍の口元に付いていた米粒を取ると、神龍は肩をびくりと震わせ、顔を真っ赤にした。
「ありがとうございます……」
「別に構わないけどな」
と言った三笠の方を見た神龍は、三笠の行動に驚きを隠せなかった。三笠は神龍の口元から取った米粒をそのままパクリと自分の口元に運んでしまったのだ。
「――――!!」
「ゆっくり食べればいいさ。 美味しそうに食べてるお前を見てると作ったこっちも嬉しいからな」
「は、はい」
神龍は耳まで赤くなって、身体を小さくしてしまった。三笠は神龍がどうして顔を赤くしているのかはわからなかったが、こうして見ると、神龍はやはり外見の歳相応の普通の女の子にしか見えなかった。
実際彼女自身はまだ生まれて一年ほどしか経っていない戦艦だ。そして艦魂である神龍の姿は年端もいかない少女の姿だ。見ることができる彼女の仕草や行動は本当に普通の少女そのものだ。戦うために生まれた兵器だとは誰が思えるだろうか。こんな少女が、いつかは兵器として戦わねばならない時が来るだなんて。とても信じられなかった。
「三笠二曹……?」
気が付くと、神龍が三笠の顔を覗き込んでいた。
「どうかしましたか…?」
「いや、何でもない。最近忙しいから疲れてるかもしれない。主兵科の烹炊班って結構重労働だしなぁ」
「……お疲れ様です。 無理しないでくださいね?」
心配そうに顔を覗き込む神龍を見た三笠は彼女の頭に手を置くと、優しくぽんぽんと叩いた。それは全然痛くなかった。優しかった。「ありがとな」と三笠が言うと、神龍はまた顔を赤くした。だが、その表情は、柔らかく微笑んでいた。
『神龍』が停泊しているここ、呉は日本有数の軍港である。港を見渡せば、多くの艦艇の姿を見る事ができる。
三笠は神龍の隣から呉の軍港を見渡してみる。そして護衛戦艦『神龍』から離れた所に停泊している一隻の戦艦が視界に入る。離れた距離にあっても、その姿はかなり大きく見えた。それこそが大日本帝国海軍が誇る大艦巨砲主義の象徴――世界最大最強の超弩級不沈艦。戦艦『大和』であった。
山の如く巨大な体躯を有する『大和』は、やはり日本が誇る世界最大最強の戦艦だ。『神龍』だって負けてはいないが、『大和』もまたそのスケールの偉大さがビシビシと伝わってくる。人を魅了させる何かを『大和』は持っていた。さすが日本の象徴する戦艦である。
何度見ても壮観な『大和』の姿を眺めていると、神龍がジトッとした目で自分の方を見詰めている事に三笠は気付く。
「な、何だよ?」
「……三笠二曹、さっきからずっと『大和』ばっかり見ています」
「悪いかよ」
「別に」
何故か頬を膨らませて、ぷいっと顔を逸らしてしまう神龍。あの日本が誇る戦艦『大和』が視界に入れば、否応なく見惚れてしまうのは、帝国海軍軍人なら仕方のない事だと三笠は思う。実際に見ていると、本当に芸術品のような戦艦なのだ。美しいとも思える。
不機嫌になる神龍に三笠は首を傾げた。
「なぁ、思ったんだけどさ。 神龍の他にもやっぱり艦魂っているのか?」
「……いますよ。 艦魂は文字通り艦に宿る魂ですから、全ての艦に艦魂がいます。水雷艇から潜水艦、駆逐艦や戦艦、空母まで、様々な艦魂が存在しますよ」
「へぇ……」
この世には自分がまだまだ知らない不思議な世界があるんだなと、三笠は改めて知った。神龍に出会った時もそうだったが、自分が知らなかった世界が、実はここまで広がっていたのだ。神龍のような艦魂が他にもいる。それを聞くと、また興味を抱かざるにはいられなかった。
「他の艦魂も見てみたいな」
三笠の言葉に神龍は目をぱちくりとさせた。その目の奥に、悲しみとも驚きとも取れる色が一瞬浮かんだように見えたが、すぐに神龍が三笠に向かって口を開いた。
「会ってみますか?」
「え?」
神龍の言葉に、三笠は驚きを隠せない様子で神龍を見た。
「三笠二曹がそう言うのなら、私が他の艦魂を紹介させていただきます。もちろん三笠二曹の事も他の艦魂に紹介しますよ」
「本当か!?」
「はい」
―――本当は、あまり乗り気ではない。
出会ったばかりだけど、生まれて一年、初めて自分が見える人間と出会えた。そんな彼とこれから二人だけの時を過ごしてみたいと思っていた。でもこんなに早く、それは叶えられないようだ。ちょっと、残念。
「ありがとう神龍!」
「きゃっ?!」
突然、三笠が神龍に抱きついた。いや、と言うよりは抱き寄せられた。三笠の胸に神龍の顔が押し付けられる。意外に固くて温かい彼の胸の温もりに、神龍は顔を真っ赤に染めた。三笠は神龍の心境など知らず、更に歓喜の声を上げた。
「神龍のような艦魂が他にもいるんだなと思うと、見てみたくなってさ! 本当にありがとな、神龍!」
「あ、あの! 放してください……ッ!苦しいです……」
「あ、すまん」
ようやく三笠から解放された神龍はほっと胸を撫で下ろした。まだ頬が朱色に染まっていて、心臓が高鳴っているが、そんな神龍の様子に気付いていない三笠は言葉を続けた。
「それで、どんな艦魂に会わせてくれるんだ?」
「えっと、それでは……」
神龍は『大和』の艦体を一瞥する。
「『大和』の艦魂、大和さんに……」
「――や、『大和』!? あの戦艦『大和』か!」
興奮の声を上げる三笠に、神龍は思わず身体をびくりと震わせた。
まるで子供のように喜ぶ三笠の姿を見て、神龍はクスリと笑った。まだ二十歳に満たない彼の幼さを微かに残した顔付きのせいか、本当に純粋な子供のように見える。
「でも大和さんは私達艦魂の司令長官を務めています。普段は忙しいんです。ですから、大和さんにはお時間がある時に頼んでみます」
「おお、さすが戦艦『大和』の艦魂! 簡単には会わせてくれないってわけか……」
三笠の頭の中で、艦魂としての大和の姿が想像として浮かぶ。やはり『大和』の艦魂だから恰好良い姿なのか、それとも日本の象徴らしい美人な大和撫子なのか――と、妄想を繰り広げる三笠を目の前に、神龍は口元を緩ませた。
「楽しみにしていてくださいね」
神龍の中に、渦巻いていた独占欲のようなものが、いつしかなくなっていた。
―――という事で、翌日。
三笠は遂に、戦艦『大和』に乗り込む事となった。前日の夜、神龍が早速大和本人の承諾を持って、三笠に伝えに来たのだ。その話を聞いた時、三笠は飛び上がりたい程に喜んだ。帝国海軍軍人の憧れ、『大和』の艦魂に会えるのである。三笠は昨夜、まるで遠足を控えた小学生の如く眠れない夜を過ごした。おかげで寝不足である。
「ふあ……」
「なに欠伸してるんですか」
相変わらず蒸し暑い烹炊所で手早く仕事を終え、潮風が吹く甲板に出る三笠の前に、待っていたらしい神龍が声を掛けた。
「あ、神龍。おはよう」
「おはようございます。 三笠二曹、もしかして寝不足ですか?」
「昨日はちょっと興奮し過ぎて眠れなくて……」
子供ですか、とツッコミを入れた神龍は、溜息を吐いた。
「これから大和さんに会うっていうのに。 良いですか、だらしない姿は見せず、決して失礼のないようにしてくださいよ」
「わかってるよ。 そう言うお前も気を付けろよ?」
「わ、私は常に行儀も礼儀も正しいので、何も心配は要りません!」
「本当かぁ?」
「本当ですっ! さ、さぁ早く行きますよ!」
突然、神龍が三笠の手を両手でぎゅっと握った。
「どうやって行くんだ? 今更なんだが、『大和』に乗艦するには許可がいるんじゃ……」
「飛びます!」
神龍が声を上げると、突然、神龍と手を繋いだ三笠は光に呑み込まれた。神龍の身体から放たれたと思われる光は、一瞬にして三笠を包み込んだ。そして気が付くと、床に足を下ろしたと思うと、見慣れない艦内の廊下に立っていた。『神龍』に似ているが、どこか雰囲気が違う廊下だった。
呆然とする三笠に、神龍が説明する。
「艦魂は瞬間移動することができるんです。 だから移動だってこの通り。自分の艦と相手の艦が近ければ、こうして飛ぶことができます」
「……便利なもんだな」
三笠はきょろきょろと辺りを見渡した。なんだかよくわからないうちに、憧れの『大和』艦内に乗り込めたらしい。信じられないが、今の瞬間までの体験を思い出して、実感が沸いてくる三笠だった。
「さ、行きましょう。大和さんが待ってるはずです。 あ、それから三笠二曹。楽しみにしていた『大和』艦内に入れたからといって勝手にどこかに行ってはいけませんよ? 『神龍』でもお判りかと思いますが、『大和』もとても大きいので、艦内は広くて、艦内をよく知らなかったら迷子になりやす……」
振り返って、言いかけて――神龍の口が止まる。既に、神龍の後ろにいたはずの三笠が忽然とその姿を暗ましていたからだ。
神龍は一人ポツンと、その場に立ち尽くしていた。
「三笠二曹おおおぉぉぉっっ!!」
神龍の声が、『大和』艦内に響いた。
一方、神龍の忠告も聞かずに勝手に独断行動をしている三笠は、『大和』艦内の廊下を歩いていた。不思議と、誰にも会わない。それほど艦内はやっぱり広いのだろうか?それとも偶然だろうか。
「――あれ?」
三笠はようやく気付いていた。何を気付いたかというと、神龍がいないことにである。
「神龍の奴、どこ行っちまったんだ? ったく、迷子か。仕方ねぇな……」
勝手に自分からいなくなったというのに、神龍が聞いたら怒りそうな事を言う三笠であった。
「伝声管で迷子の艦内放送かけて呼びかけようか、なんてな」
ふざけた冗談を言いながら、三笠は『大和』の長い廊下を歩き続ける。やがてある部屋の前に足を止めた。自分でもよくわからないが、何故か足が勝手に止まった。まるで何かを察知したかのように。
「何だ?」
まるで誰かに呼び寄せられるかのように、三笠はゆっくりとその部屋に吸い寄せられる。
「……?」
三笠はおそるおそる、扉に手を掛けた。鍵もかかっておらず、簡単に開いた。慎重に部屋を覗き込むようにして開けてみる。
室内は真っ暗だった。使われている痕跡も見えない。やはり、使われてない部屋なんだろう。変な違和感を覚えつつ、扉を閉じた。
「何者だ?」
「――ッ!?」
後ろから聞こえた声に、慌てて振り返る。
三笠の目に入ったのは、見慣れない、背の高い女性だった。縛ったポニーテールが腰下まで伸びている。凛々しくて、女性にしても男に負けないようなクールな顔付き。格好は神龍とは違い、軍服でなく、胴着姿だった。腰には数本の刀が挿し込まれている。
そんな彼女の姿を目に入れた途端、神龍を見た時と似たような感覚が体中に駆け巡った。
「……艦魂?」
「私が見えるのか」
腰下まで下がったポニーテールを揺らし、きっちりと着込んだ胴着姿をした彼女が、少し驚いたような声を上げる。ゆっくりと三笠の方に歩み寄る。立ち尽くす三笠を見詰めながら、その頬に彼女の手がそっと触れた。
「……ふむ。 君はもしや、神龍の言っていた兵曹かな?」
「あ、ああ。 護衛戦艦『神龍』第三分隊主計科の三笠菊也二曹だ」
とりあえず敬礼して自己紹介する。目の前に立つ艦魂らしき彼女も背を正して返礼した。
「大日本帝国海軍、大和型一番艦『大和』艦魂――大和だ」
「あんたが……」
「神龍から話は聞いているよ。 神龍が初めて見えた人間だってね。ありがとう、神龍が喜んでいたよ」
「?」
戦艦『大和』の艦魂――大和と名乗った彼女は、フッと微笑んだ。
「『自分が初めて見えた人間と出会えて嬉しい』と大変喜んでいたよ。しかも相当、君の事を気に入っているようだ」
「そ、そうですか……」
改めて、目の前に立つ大和を見詰める。神龍のような艦魂が他にもいると聞いていたが、彼女は容姿も性格も神龍とはまるで違うようだった。やはり艦魂にしても、様々な性格、個性を持つ艦魂がいるのかもしれない。しかしさすが戦艦『大和』といったところか、存在感と言うか雰囲気がまた違う。三笠が今までに見てきた女性の中でも、見た事がないタイプの女性だった。男にも負けないような威圧感と、どんな女性の中でも最高の部類に入るだろう美人、しっかりと着込んだ胴着姿等は大和撫子の鏡を思わせる。何と言っても、その胴着姿は色々な意味で印象が強い。
特に女性らしい、胸に実った二つの豊満な果実が、胴着で身体が引き締められているせいで更にその存在感が強調されている。
三笠の視線に気付いた大和が、不敵にニヤリと笑った。
「ほぉ、貴様も男だな」
「……まぁな」
「貴様、どんな女が好みだ?」
「そうだな、やっぱり女はその性の特徴である胸がなければまず論外だ。中には胸が無いのが趣向の輩もいるが、俺は至って正常だから、当然、あった方が良いと思う」
「胸フェチか」
「そう言っていただいても結構」
女に、しかも艦魂相手に何を言っているのだろう。そう気付きつつも、三笠は大和から放たれる変なペースに呑み込まれていた。
「で? 他には」
「まぁ、あとは可愛いのもそうだが、心優しい女性も好きかな。俺が守ってあげたいと思える女とか……」
何故初対面の女にこんな事まで言っているんだ、と気付いた三笠はハッと口元を覆う。
「最後の言葉は良いだろう。 守ってあげたい、そう思えるのはとても大事なことだ」
一瞬、大和が真剣にそう言ったのを、三笠は聞き逃さなかった。
「いつか貴様にも守りたいと思える相手が現れるだろう」
大和はくくっと喉を鳴らして笑った。
「三笠二曹、私の好みを教えてやる」
「おお、日本の象徴たる『大和』の艦魂はどんな男が趣味なのかな?」
「まずはこれを被ってくれ」
「は?」
大和の手のひらから生まれた光によって具現化された物が三笠に手渡された。三笠はなんのことかわからないまま、とりあえず言われるままに帽子を脱いでそれを頭に被ってみた。
「被ったけど、これは何――んッ?!」
手渡された物を頭に装着した瞬間、大和の目の色が豹変した。目が星のようになり、ぎらぎらと危ない光を輝かせている。しかも息が荒く、ヨダレが口元から垂れている。
「はぁはぁ」
「ちょ、ちょっと大和さん……?」
「か――」
「か?」
「か、かか……」
「?」
「かわいすぎる……」
「――げっ!?」
三笠は頭につけたものを触れてようやく気付いた。これを付けた自分に、目の前に居る大和は興奮している。実に危ない。今、三笠の頭に付いているもの、それは――獣耳だった。
「実に似合うぞ、三笠二曹……」
「大和さん? 目つきが恐いのですが……」
「と、取って食っていいか?」
「なに言ってるの!?」
じりじりと追い詰められる三笠。気が付くと、いつの間にか三笠は使われていない真っ暗な部屋の中に入ってしまっていた。目の前の出入り口から、大和が両手をわきわきと不気味な動きをしながら近付いてくる。退路は完全に塞がれていた。
「いつの間にドアが開いて室内に――」
「ふふふ、逃げられまい。 観念しろ、三笠二曹」
「な、なにする気だ!?」
「知れたこと。 私は可愛いものなら男も女も関係なく好きだ。そして目の前に可愛いものがあれば……うふふふふふふふふふふふ」
「こえぇーよ! ていうかそっちのほうが変態じゃねーかぁぁっ!!」
胸がどうとか女の好み等を初対面の女の前で言っていた自分の比にならない程の変態が、正に目の前にいた。
まさか憧れていた戦艦『大和』の艦魂の本性がこんなのなんて。そして自分の貞操の危機に、ただ絶望するしかなかった。
「さぁ! おとなしく私に食われるが良いっ!!」
「いやあぁぁぁぁっ!! らめぇええええぇぇぇぇっっ!!」
「ちょっと待ったぁぁぁっっ!!」
救世主の声に、三笠は真っ暗な空間の中で希望の光を見た。三笠を押し倒して馬乗りになる大和が、後ろを振り返る。二人の視線が向かった先には、神龍が立っていた。
神龍は二人を見ると、顔を真っ赤に染めて怒鳴った。
「二人とも、ここで一体なにをしてるんですかぁ!」
「し、神龍ぅぅ!」
「いやいや、自然の摂理に従ってこの少年を捕食しようと――」
「食うって言った、この人!?」
「大和さん! その辺でやめてくださいっ!三笠二曹もなに嬉しそうにしてるんですか!」
「……これが嬉しそうに見えるか?」
「あ……」
何かに気付いたかのように、神龍が顔を赤くする。三笠は神龍の様子に首を傾げた。
暗闇だったために細かい部分までは見えていなかった神龍だったが、その瞳には、倒れている三笠の頭にちょこんと立つネコミミがあった。
「――かわいい」
神龍がボソリと呟くと、大和はニヤリと笑った。
「そうだろう神龍? しかし私としたことが、尻尾を忘れてしまった。すぐに出してくれ」
「何を言ってるんだよ! 神龍、早く助けてくれっ!」
「はっ! 私は何故こんなものを……」
神龍の手にあるのは、猫の尻尾だった。
「てめえぇぇぇぇぇッッ!!」
「さて、潔く観念するんだな三笠二曹」
神龍から受け取った猫の尻尾を掴んだ手を、取り押さえた三笠にゆっくりと近付けた。三笠はそれを見て、涙を流しながら咆哮した。
「やめろぉぉぉ!! そんなもの付けたら男として……うわあああああっっ!!」
三笠の断末魔が、『大和』艦内に木霊した。
「私から離れるから、こうなるんですよ」
ぐったりと脱力したように項垂れる三笠を見下ろしながら、神龍が言う。
「助長したお前が言うなよ……」
「いやいや、実に可愛かったぞ二曹。 写真を撮っておけば良かったな……」
「本当に勘弁してくれ……」
「大和さんって普段は頼りがいがあって、とてもかっこいいんですけど、可愛いものには目がないんですよ。 自分が女でも、可愛い女なら構わず襲っちゃいますもんね。私も襲われたことありますし……」
それ、自分が可愛いとも言っているようにも聞こえるが?と思った三笠だったが、どうやら彼女自身はその事に気付いていないようなので無視する。
「そんな大和さんと三笠二曹、一対一にするわけにはいかないと思ったから一緒にいようと思ったのに……全然意味なかったです」
「まぁお前も大和側に回ってたしな……」
「あれはその、つい……。すみません……」
「しかし先ほどは失礼したな、三笠二曹」
顔を上げると、胴着姿を引き締めた大和の姿があった。その顔が微笑む。
大和が手を差し伸べてきたので、三笠はその手を握って、立ち上がった。
「改めて自己紹介をさせてもらおう。 私が大和型戦艦一番艦の『大和』艦魂――大和だ。以後よろしく頼む」
「こちらこそ。 護衛戦艦『神龍』第三分隊烹炊班の三笠菊也二等兵曹だ」
二人は強く、手を握り合った。
「うむ、やはり君は神龍の言っていた通りの男だな」
「え?」
三笠の横で、神龍がぴくりと反応した。
「神龍をよろしく頼むよ」
「……はい、もちろん」
再び、手を強く握り合う。三笠の横で、神龍が頬を朱色に染めていたが、大和は神龍にウインクした。神龍は頬をまた更に朱色に染めた。
三笠、神龍、大和は、『大和』上甲板に出た。既にすこし肌寒い風が肌に当たり、空は海と同じ蒼く、雲が多く漂っていた。予想以上に広い『大和』の上甲板から、離れた場所に停泊する護衛戦艦『神龍』の姿が目に入った。
「今日はありがとうございました」
『神龍』を背にして振り返った二人。神龍はペコリと大和に頭を下げた。
「お忙しい中、わざわざ……」
「いや、構わん。私も楽しかったしな。またいつでも来れば良い」
「ありがとうございます。 三笠二曹も」
「あ、ああ。 今日はどうも、大和。『大和』に乗れて楽しかったよ」
「今度来たら、またアレ付けてくれると嬉しいな」
「遠慮する……」
笑い声が大和の上甲板を包んだ(ほとんど大和が笑い、神龍は微笑むだけで、三笠は苦笑いだが)。大和の目の前で、神龍の手と三笠は手を握り合い、光に包まれた。
大和が見送る中、二人は光と共に、消えた。
「面白い人間だな。 三笠菊也二曹……か」
冬から春に変わる前だというのに、すこしだけ肌寒い風が吹き、大和の腰下まであるポニーテールが揺れていた。
<二> 不沈戦艦『大和』 【登場人物紹介】
大和
大日本帝国海軍大和型戦艦一番艦『大和』艦魂
外見年齢 20歳
身長 177cm
体重 51k
帝国海軍が誇る大艦巨砲主義の象徴、世界最大最強の超弩級不沈艦と謳われた戦艦『大和』の艦魂。後に第二艦隊旗艦となる。連合艦隊亡き今、残された帝国海軍の艦の頂点に君臨する大和は司令長官のような立場にある。(ちなみに神龍は参謀長)優秀な戦闘能力と統率力を持ち、クールな女性として艦魂達からも親しまれている。しかし可愛いものに目がなく、男だろうが女だろうか構わず襲ってしまうのが玉に瑕。
木島勝治
大日本帝国海軍天龍型護衛戦艦二番艦『神龍』特別年少兵・機関科
年齢 16歳
身長 170cm
体重 57k
鹿児島県出身。父と母、兄、弟妹を抱える6人家族の二男。兄は鹿児島の航空隊基地に所属している。川原の同年兵であり、責任感が強い。自分が失敗を犯したり、仲間が失敗を犯しても、連帯責任と考えてかまわずに刑罰を受ける。川原とはよく話す友人関係。同じ機関科の三笠の同期である山城の下で働いている。
次回は他の艦魂たちも登場させる予定です。