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<二十七> 最後の夜を過ごす二人

 沖縄へと向かっていた第一遊撃部隊、戦艦『大和』護衛戦艦『神龍』をはじめとした日本海軍最後の艦隊は、途中、米高速空母機動部隊の航空母艦から発進した米艦載機の猛撃を受け、沖縄にたどり着くことなく、二時間の死闘の末に、不沈戦艦と謳われた旗艦『大和』が沈没。軽巡洋艦『矢矧』、駆逐艦『朝霜』『浜風』も沈没した。そして生き残った艦艇も傷だらけであり、駆逐艦『磯風』『霞』『涼月』も大破又は航行不能に陥り、戦闘の途中で艦隊から落伍していた。

 満身創痍に戦い、そして散った『大和』。

 そんな『大和』を護るために、護衛戦艦『神龍』と、またわずか九隻で『大和』を護っていた随伴部隊の戦いも苛烈を極めた。

 第二水雷戦隊旗艦として随伴した『矢矧』は、艦隊の先頭に位置していた事もあり『大和』と同時に第一次攻撃から集中攻撃の目標とされた。

 『矢矧』は、一時間を超える奮戦の末に機関室が浸水し、機関員が全滅。航行不能に陥り、排水量わずか七千トン弱の艦体は合計で魚雷七本、爆弾一〇発、至近弾多数の耐久力を大きく上回る命中弾を短時間に受け波間に消えていった。この命中弾数の多さは航行不能に陥ったところに集中攻撃を受けたことによるものである。

  また、第二十一駆逐隊の旗艦『朝霜』は機関故障を訴えて先に日本に帰還途中、敵の攻撃を受けて沈没したと思われる。第二艦隊の中で一番最初に沈んだ艦だった。間違いなく米艦載機の集中攻撃を受けて沈んだと推測できるが、その最期を看取る友軍は無く、米軍側にも『朝霜』の最期とはっきり特定できる記録が無いために最後の様子は詳しく判っていない。

 第一七駆逐隊の『浜風』は第一次攻撃第一波で撃沈された。姉妹艦である『雪風』『磯風』を残して……。

 『大和』右舷側方に位置した『浜風』は、敵雷撃機の侵入コース上に陣取り輪形陣の要として奮戦していたが、そのため集中攻撃の目標となり衣川の戦いにおける武蔵坊弁慶の如く多数の命中弾と至近弾を受け航行不能となり、水面下に没した。

 そしてもはや艦隊の中で無事なのは『神龍』『冬月』『雪風』『初霜』の四隻。 

 大型艦である『神龍』が無事だったのは奇跡としか言い様がないだろう。

 生き残った中でも最も大きな損害を受けていたのは『涼月』である。

 妹の『冬月』と並んで有力な対空能力を有する『涼月』は、『大和』の左舷後方に位置し『大和』へ向かう急降下爆撃機や雷撃機を阻止していた。

 しかし第一次攻撃隊第二波の急降下爆撃により艦首部第二砲塔後方に爆弾の直撃を受け、第二砲塔弾火薬庫が誘爆して大火災をおこした。

 これは直ちに沈没につながる危険性が極めて高い大きな危機であったが、隣接する第一砲塔弾火薬庫にいた三名の兵員が自らの命と引き替えに第一砲塔弾火薬庫とその上にある居住区の船室を内部から閉鎖して誘爆と浸水を阻止した事で辛うじて沈没を免れた。

 このように艦首部と艦橋設備に大損害を受けた『涼月』は、この後僅か三ノットの超低速後進で執拗に繰り返された米艦載機の追撃をかわし、生き残ることに成功した。

 また、妹の『冬月』は『大和』右舷後方に位置して戦い続け、最後まで『大和』の直衛任務を全うして距離約五〇〇メートルの最も近い位置で『大和』の最期を看取った。

 だが自分自身もロケット弾二発(二発とも不発)と無数の機銃掃射や至近弾の破片を受け、見張員や対空機銃座の操作員達が次々と死傷し甲板上は血の海状態となり、上部構造物にも多くの損害を受けていた。

 しかしもし、命中したロケット弾が爆発していたなら、『冬月』の運命も違っていただろう。幸いにも不発で最悪の事態は免れていた。

 さらに開戦以来の連戦の中で大きな損害を受けることがなかった『幸運艦』の名を持つ武勲艦として有名な『雪風』も、『大和』右舷側方に位置して最後まで直衛任務を全うしたが、至近弾や機銃掃射により多くの損傷を受けていた。

 しかし、このような難戦の中で初春型最後の生き残りである歴戦の『初霜』だけは、他の随伴艦が次々と落伍する中で『大和』左舷側方に位置して義務を果たし続けたにもかかわらず、命中したのは機銃掃射と至近弾の破片のみで、死傷者もわずか二名と極めて少なく幸運艦の名を高めた(しかし、帰国後『初霜』はこの戦いで武運を使い果たしたかのように終戦間際の七月三十日に英軍機を含む艦載機の空襲と接雷により宮津湾で擱座して果てる事になる)。

 辛うじて作戦能力を残して戦いを終えた『神龍』『冬月』、『雪風』、『初霜』の四隻は、『大和』沈没後も米艦載機の執拗な追撃の中で、海上に漂流する沈没した『大和』や随伴艦の乗組員達を可能な限り収容し続け、艦橋設備の損害により東南方向へと迷走していた『涼月』に日本本土の方向を教え生還を助ける等と随伴艦隊としての義務を最後まで果たした。

 しかし、戦いを生き抜いても日本に帰ることが出来ない駆逐艦が二隻、あった……。



 二時間の死闘、戦闘の途中で航行不能に陥った『磯風』と『霞』は東シナ海の海上を漂っていた。沖縄に向かうことも、日本に帰ることも、果たせない様子なのは明確だった。

 浮力は充分に残っているものの浸水によって航行不能であれば日本本土まで自力で帰還することは不可能。ならば曳航はどうかと検討されたが、執拗に繰り返される敵機の攻撃と潜水艦の攻撃等の危険を考慮し、処分という苦渋の決断を下した。

 夕刻、日がオレンジ色になり始めた頃。

 先ほどまで二時間も死闘が展開されていたなんて嘘のように海面は澄み切っており、オレンジ色の日の光が海面に反射して煌いていた。

 オレンジ色に照らされる艦体で、乗員たちが『冬月』に移乗しているとき、変わり果てた姿を晒した『霞』の甲板で、倒れた霞を初霜が抱きかかえていた。そして周りを神龍をはじめとした生き残った艦魂たちが囲んでいた。

 普段は冷静沈着の初霜も、涙を流して、自分の負傷した傷も気にせずに血だらけの霞の身体を抱き締めていた。同じ駆逐隊に所属し、付き合いが長かった初霜にとって、これから行われることは非常に辛いものがあった。

 「霞……ッ」

 嗚咽を噛み締めるように、初霜は呼びかける。

 「……初霜さん…泣かないで……あなたにとっては珍しい表情だけど…見てて気持ちいい気分じゃないです……よ…」

 霞は震える手で、そっと涙が伝う初霜の頬を触れた。

 「私の分まで……生きてくださいね…」

 周りの艦魂たちも嗚咽を噛み殺していた。

 最後には、甲板に寝かせられた霞に向かって、神龍たち一同は見事な敬礼をして見せた。

 霞のもとから次々と仲間たちが立ち去り、霞は安らかな気持ちで瞳を閉じた。

 そして……実行された。

 『君が代』『海ゆかば』が次々と奏でられる中、『冬月』から放たれた魚雷が白い雷跡を引いてゆっくりと漂流する『霞』に向かっていった。

 処分実行を任せられた冬月は、悲しさのあまりに魚雷を放った瞬間、悲鳴をあげた。

 そして全員が見守る中、『霞』は砲雷撃を受けて火柱と水柱をあげ、『霞』は完全に東シナ海の海面下に沈没した。

 ――――朝潮型駆逐艦最後の生き残りであった『霞』は、『大和』左舷側方に位置していたが、第一次攻撃第二波による二発の直撃弾と数発の至近弾を受けて機関部が破壊され航行不能に陥り艦隊から落伍した。そして曳航が断念され、夕刻に駆逐艦『冬月』へ乗員を移乗させた上で一七○○時頃に雷撃により処分された。

 『霞』の人的損害は、戦死十三名、戦傷四十七名で、喪失した他艦と比べ死傷者が少なかったのは艦長松本正十中佐指揮の下に奮戦した乗員全体の連携密なる功績が成したことだった。

 

 

 そして同じように、航行不能となった『矢矧』の救助に入ろうと速度を落としたところを狙われ、敵機の至近弾を受けて機関部が浸水、航行不能に陥った『磯風』も『霞』と同じ理由で処分が決まった。

 「嫌だ……ッ 嫌だよぉ……」

 「姉さん…」

 雪風は顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくり、ふわふわした髪は何度も首を横に振ることによって掻き乱れていた。

 「浜風を失って……今度は磯風がいなくなって……私はこれからどうやって生きていけばいいの……? 私、一人ぼっちだよ……なんで…私の大好きな妹ばかり……」

 雪風のこぼれる涙がぽたぽたと磯風の頬の上に落ちる。磯風の頬から雪風の涙が伝い、磯風はそっと雪風の涙の跡がくっきりと残る頬を撫でた。

 「…一人ぼっちなんかじゃない……姉さんの周りにはみんながいるし……私も…姉さんのそばにいるから……」

 「磯風ぇ……うわぁぁ……ひっく…」

 『磯風』の処分に、雪風は激しく抵抗し、最後まで泣き崩れていたが、残酷な現実を受け止めるしかなかった。

 そして死闘終了から数時間も経ち、闇夜が更けた。

 暗闇が支配する暗海で、『磯風』から姉の『雪風』に乗員が移乗した。 

 「姉さん……。 乗組員たちを……頼んだよ…」

 普段は無口な磯風も、最後の表情は安らかで、姉に頼る言葉を吐いていた。

 雪風は涙を流しながらも、磯風の血に染まった力も残されていない手を、そっと包み込んだ。

 「うん…ッ うん…ッ! 必ず、生きて日本に連れ帰ってみせるから……ッ」

 磯風はゆっくりと、力がない腕を伸ばし、目の前で泣きじゃくる姉のふわふわした髪を撫でた。

 「姉さんの髪は……やっぱり気持ちいい…」

 「磯風…ッ!」

 雪風は耐え切れないと言う風に磯風に抱きつき、わんわんと声をあげて泣いた。磯風は微笑みながら、そっと泣きじゃくる姉を抱き締めた。

 その光景を見守る艦魂たちも、嗚咽を漏らしていた。

 「姉さん……頼みごと、頼めないかな…」

 「……なんでも聞くよ……なぁに…?」

 磯風は懐から、そっと一冊の本を取り出した。磯風の血で緑色の表紙の半分が赤黒く染まっていた本を、磯風は雪風に差し出した。

 「これ……三笠二曹に…渡してくれないかな…」

 「二曹さんに…?」

 それは、呉出撃前夜の宴会で妹から取り上げたことがある短歌集だった。ぱらぱらと捲ると、ある頁に止まる。いつも同じ頁を繰り返し開いて読んでいれば、本を捲っていると自然とその頁に止まる自然の摂理だった。

 「うん……あの時…読んでみたいって言ってたから……渡してほしい…」

 「でもこれは磯風の…」

 いつも肌身離さず持っていた、おそらく磯風の宝物。宝物なら、最期まで一緒に持たせてあげたいと雪風は思っていた。

 「いいの……もう、私の頭の中には…全部書いてあるし……それに…もういらない……」

 「磯風……」

 「姉さん……ううん」

 磯風は雪風の涙がこぼれる瞳を見詰めた。

 「……お姉ちゃん。 今までこんな無愛想な妹で迷惑掛けてごめんなさい……私や浜風の分まで生きてね……」

 磯風の瞳から初めて一筋の涙が伝った。雪風は瞳にいっぱい溜めた涙を溢れ出した。

 「な、なに謝ってるの……謝るのは私よ…ッ……今まで、悪いお姉ちゃんでごめんね…」

 「そんなことない…。 お姉ちゃんは私たちを大切にしてくれた……姉妹想いのお姉ちゃん……本当に、ありがとう…」

 「……私こそ…ありがとう……」

 二人の姉妹は再び抱き締めあった。嗚咽を漏らし、二人の姉妹は声をあげて泣き続けた。

 「…浜風に、よろしくね……」

 「うん……」

 その時、どこからかラッパが鳴り響いた。処分実行の合図だった。ラッパが鳴り終わると、続いて国歌が流れ、そして軍歌が流れてきた。

 最後の別れを惜しみながらも、時間は来てしまった。艦魂たちはそれぞれの自艦に戻っていく。最後まで残り、磯風を抱き締める雪風の背を見詰めてから、神龍の涙の雫をこぼしてから、光に包まれて消えていった。

 磯風からそっと離れた雪風は、踵を揃えて敬礼した。磯風も返礼する。

 二人の姉妹は微笑み合い、そして雪風は、最後に手を振った。

 「……またね」

 さよならは言わない、また会える思いを。

 「……うん」

 涙を浮かばせながらも輝くような微笑みを最後まで見せてくれた雪風は光と共に消えていった。残された磯風は仰向けになり、星が輝く空を見た。

 「こんな綺麗な夜空の下で死ねるなら……いいか…」

 磯風は、クスリと微笑んだ。

 

 『磯風』の砲撃処分が実行される。

 そしてその『磯風』を処分するのは……

 ――――姉妹艦、『雪風』だった。

 

 夜空の生暖かい南海の風が肌を撫でる中、ふわふわな髪を靡かせた雪風は、夜空を仰いでいた。

 『雪風』の50口径12.7cm連装砲の砲塔が唸りをあげながら仰角を合わせた。

 自分から放たれた砲弾が落ちる先に、愛する妹がいる。

 数少ない姉妹は、浜風を失い、そして磯風を失えば、雪風は一人ぼっちも同然だった(同じく生き残りの姉妹艦『天津風あまつかぜ』も不思議と姉妹の後を追うように沖縄特攻の四月六日に米陸軍機の攻撃を受け中国・厦門アモイ湾にて擱座、戦没している)。

 「……磯風」

 妹の名を呟いたと同時に、砲塔が爆音を轟かせ、白煙と同時に火の玉を吹いた。

 ドンッ!という自分の命を消し飛ぶ音が聞こえ、磯風は瞳を閉じた。

 そして、微かに口を動かして、ある詩を呟いた。

 「瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり……」

 自分は死ぬ、その想いを込めて少女は大好きな詩を紡いだ。

 そして不気味な音が伸びた矢先、『磯風』は夜闇の中、真っ赤に光った。

 ズドォォォォォォンッッ!!!

 遅れて大音響が海面を揺らして『雪風』に届き、見張り員の声が聞こえた。

 「『磯風』沈没ッ!」

 雪風はゆっくりと目を開き、妹がいた海を見た。

 そこには、もうもうと天高く昇る黒煙と、海面に燃える紅蓮の炎が照らす赤い光だけで、妹の姿などどこにもなかった。

 雪風は数秒立ち尽くしてから、ガクリと膝を折った。

 そして嗚咽を噛み殺すように、瞳にたまった涙をこぼして、泣き出した。


 ―――第一七駆逐隊に所属する『磯風』は『大和』右舷側方に陣取り、姉妹の『雪風』と共に『大和』へ向かう敵機を阻止しながら対空射撃と適切な操艦で第一次攻撃を無傷で戦い抜けた。

 しかし、第一次攻撃により損傷して航行不能に陥った『矢矧』から第二水雷戦隊司令部を移乗させるため、そして救助に入るために『大和』を中心とする輪形陣から離れて『矢矧』に横付けを試みたところに敵の第二次攻撃隊による集中攻撃を受け、艦尾部への至近弾による損害で速力が大きく低下して艦隊から落伍した。

 その後、『磯風』は『霞』と同じ理由で処分が決定され、夜間になり『雪風』へ乗員を移乗させ、二二四○時頃に姉妹艦『雪風』の砲撃により処分された。




 二隻の駆逐艦が処分撃沈され、残った艦艇も傷だらけだった。これ以上の沖縄突撃への作戦続行は不可能と判断され、連合艦隊司令部からの中止命令もあり、生き残った艦艇は日本本土の佐世保に引き返すことになった……

 ―――かに思えた。

 連合艦隊司令部からの電令第六一六号、海上特攻作戦中止命令が『神龍』のもとに届き、『大和』の生き残った随伴艦隊は日本に撤退する方針を余儀なくされた。

 しかし、今『大和』を失った艦隊の中で、『大和』並の威厳さをかもし出していた『神龍』は異なった動きを見せていた。

 『神龍』艦橋は慌しい雰囲気に包まれた。

 「……駆逐艦隊はGF(連合艦隊)司令部の電令通りに佐世保基地への帰還に当てられたし。 我が護衛戦艦『神龍』は、これよりGF司令部の指揮下とは別の意志に従い行動することとする。 単艦にて沖縄への特攻作戦続行を決す」

 『神龍』艦長、草津重次郎大佐の発言に、艦橋の幕僚たちはざわめいた。

 草津は冷静に艦橋の中、一同の顔を見渡した。

 「我々は『大和』の果たさせなかった無念を晴らす。 戦死なさった伊藤長官も、沖縄に先行すべしと言っておられた。ならば、私はこの『神龍』だけでも沖縄への先行を決断する」

 草津は言い切った。草津の言葉は、草津の命令によって伝声管を伝って艦内放送として全兵員が聞いていた。『神龍』艦内の兵員たちは驚きながらも草津たちの艦橋の様子を耳を済ませて伺っていた。

 「誰か異論はあるか」

 静まった艦橋の中、副長の吉野が訊ねた。

 「……艦長。それは司令部の命令に逆らうことになります。軍法会議ものと言われてもおかしくありません。それに、『大和』が沈み、今日本に残された最後の希望はこの『神龍』のみとなってしまいました。作戦が正式に中止され、せっかく生き延びた『神龍』は、これからも次の作戦のために温存すべきでは……」

 「馬鹿者ッ! 今作戦は元々生きて帰らないことを前提としたものだ。作戦中止と司令部が言えども、次の作戦はないッ!これが最後の我が帝国海軍最後の出撃だ! この機会を逃せば永遠に出撃はないッ! このまま日本に帰れば『神龍』は本当の浮き砲台となる! このまま突撃を続行しない限り『神龍』だけでも祖国に帰ることは許されんのだッ!」

 真珠湾からの歴戦の戦士としての威厳がビシビシと艦橋の中を跳ね返っているようだった。正面から受け止めた吉野は冷静な表情で草津を見詰め、口を開いた。

 「……では、せめて駆逐艦の護衛は付けることはできませんか。我ら、一隻だけで突撃というのは当初よりも無謀すぎます」

 「……一撃を喰らえばひとたまりもない駆逐艦まで連れていっては無駄に死を作りすぎてしまう。 戦没艦の生存者を乗せた駆逐艦は司令部の命令に従って佐世保基地に帰投させる。屍は我ら『神龍』だけで事に足りる」

 先ほどの激昂から切り替え、至って冷静に言った草津に、艦橋の雰囲気は同意する者たちを増やしていった。

 艦内放送として会話の概要を聞いていた兵員たちも、草津に同意する興奮した声で奮えたち、士気は最高潮に高まっていた。

 「敵機動部隊は『大和』と大半の艦艇を沈め、我々がこれ以上進撃することはないと思い、勝利気分に浸っているだろうが、我々がまだ屈していないことを見せ付けてやる。『大和』並の巨大戦艦に、奴らは度肝を抜かれるだろう。敵戦艦部隊はもうすぐだッ! そうなれば、我々は敵部隊に突撃し、艦隊決戦に花を咲かせようぞッ!!」

 草津の言葉に比例するように艦橋にいる幕僚や士官たち、そして艦内の士気はヒートアップした。

 吉野は小さく吐息をつき、最後まで冷静に口を開いた。

 「…艦長の意志はとてもよくわかりました。賢明なご判断です、艦長」

 「…賢明な人間なら不戦不敗の道を選ぶ。しかし我々はもう後を退けない。前進あるのみなのだ。その先が、たとえ死であってもだ」

 その後、艦内放送を伝えて草津の旨を改めて兵員たちに伝えられ、艦を降りたいものは撤退する駆逐艦に移乗することを認めた。強制ではなく、これは志願制だった。しかし九割が艦に残った結果に、草津は兵員たちに感謝の仕様がなかった。そして共に往く部下たちを思い、最後まで成し遂げることを心に誓った。

 日にちが変わり、〇〇二〇時、『神龍』は一路沖縄への進路を航海していた。日が昇るまでの間に駆逐艦も護衛のために同伴していた。日が昇れば、駆逐艦は救助した生存者を乗せて基地に帰る手筈だった。

 三笠も『神龍』と共に往くことを選んだ。一割が辞退したが、九割が同伴する。辞退する一割は、決して臆病者ではない。彼らも彼らなりに考え、決断した結果なのだ。生き延びる彼らも、共に死にに往く者たちも、全員が何も変わらない同じなのだ。

 烹炊所に、三笠一人だけがいた。片づけを終わらせ、明日の朝食の準備を済ませたところだった。三笠も補充兵として弾の下を走り回ったが、奇跡的に怪我もしていなかった。同じく補充兵に駆り出された多くの主計科兵は戦死し、又は負傷を負った。川原も弾薬を運ぶ途中に敵弾を受け、左腕が負傷した。命に別状はない。しかし川原のような負傷者たちも仕事に手を出せない者も多かった。

 そのために烹炊所は多くの主計科兵を失い、人手が足りなくなっていた。そして最後に残っていたのは三笠一人だけだった。

 最後の閉めを終わらせ、ふぅ…と首に巻いたタオルで滲み出た労の汗を拭っていると、背後から気配を感じて、振り返った。

 そこには、入り口越しに立つ長い黒髪を流した少女、神龍がいた。

 「おお、いたのか」

 三笠は神龍の雰囲気がいつもと違うことに気付いた。神龍も奇跡的に軽い負傷で済んでいた。目立つのは右腕に巻いた包帯だけである。

 「三笠二曹……」

 その声はとてもか細かった。弱々しく、折れそうなものだった。

 「…どうした? 何か傷でも痛むのか…?」

 心配する彼を潤んだ彼女の細い瞳が見詰めた。三笠は神龍のそばまで歩み寄り、三笠は神龍を見下ろす格好となった。

 その視線は神龍の腕に巻かれた包帯に向けられていた。

 「痛むんなら無理しないで休んだほうがいいぞ…」

 本気で心配してくれている彼を見詰め、神龍は心の奥底からこみ上げてくる何かを感じた。

 「神龍……?」

 神龍はそっと三笠の背に手を回し、ぎゅっと抱き締めていた。三笠は気恥ずかしさに一瞬慌てたが、自分の胸に顔を埋めて見せない神龍を見て、大人しく抱き締められていた。

 そして三笠も神龍の頭を優しく撫でてあげた。綺麗な黒髪がさらさらと心地よかった。

 「どうしたんだよ……甘えん坊だな…神龍は……」

 こういうことを言えばいつもなら顔を赤くして怒るだろう。しかし神龍は頭を撫でられたままずっと三笠の胸に顔を埋めたままで、抱き締める力をぎゅっと強めていた。

 「……三笠二曹もいくんですか」

 「え…?」

 ぽつりと、神龍の声が漏れた。

 「三笠二曹も……一緒に来てくれるんですか」

 「………」

 三笠は微笑を含めた溜息を吐いてから、神龍の頭を優しく撫でた。

 「当たり前だろ? 俺は……ずっと神龍のそばにいるんだからな」

 「……私」

 三笠の胸からゆっくりと顔を離した神龍は、見下げる三笠のほうを見上げた。

 その表情は悲しみか、色々な感情が交叉した複雑な表情だった。

 「…変なんです。私は三笠二曹が危ない目に合わずに無事であることを願っています。…でもその反面、三笠二曹がそばにいるって言ってくれたことに私はとても嬉しく思っているんです。 ……三笠二曹は助かってほしいと思っているのに私と一緒に来てそばにいてほしいと思う自分がいるんです… 矛盾してます……変ですよね、私……―――あれ…?」

 気が付くと、神龍の瞳からぼろぼろと涙の雫がこぼれていた。神龍の表情は呆気に取られているようだが、その瞳からは次々と涙がこぼれていく。三笠は正直視線をはずしたかったが、はずせなかった。ずっと目の前にいる彼女を見ていないといけないような気がした。

 「す、すみません……。 これって……何の涙なんでしょう…? よくわかりません……やっぱり私……変なコですね……」

 「……変じゃないさ」

 三笠はぽん、と神龍の頭に手を置いた。

 「…どっちにしても、神龍の優しさに変わりはない」

 決死するかもしれない彼女自身よりも自分のことを心配してくれている優しさに、三笠は言い切れない気持ちでいっぱいだった。こんな目の前にいる華奢な少女が、大人顔負けの覚悟を決め、死ぬかもしれない死地に赴くことを自覚している。なのにここまで自分のことを思ってくれている。

 三笠はそんな神龍の優しさを思うと、心がどこか温かくなるような感覚を感じていた。

 目の前の見詰めてくる神龍を見ていると、胸が鼓動を打っていた。

 この気持ちはなんだろう、と模索していると神龍はぽつりと呟いた。

 「三笠二曹……」

 三笠は神龍を自分の身体に引き寄せ、そっと抱き締めた。

 「俺は最後まで神龍と付き合うよ。 …俺は神龍と出会って、そして最後のときまで一緒にいよう」

 それは素直な本当の気持ち。

 ぎゅっと抱き締める細い身体は力を入れれば簡単に折れてしまいそうなほど華奢だった。なのに彼女は今までの壮絶な戦いをこの華奢な身体に叩き込まれてきたのだ。そしてそれでもこれからの戦いにも赴く身体。この身体をいつまでも抱き締め、自分の内におさめたい。一つになりたい。そう思う自分がいた。

 こんな風に考えるのは初めてだった。自分で不思議に思いながらも放っておくことにした。

 そんなことは、どうでもいい。そう思うのなら、そうなのだ。

 「はい……」

 神龍も安堵な心地よい表情に瞳を瞑り、三笠の背に白い手を回し、ぎゅっと力を込めた。

 長い時間だっただろうか、それとも短い時間だっただろうか、二人はお互いを抱き締め合った後、どこからというわけでもなく、惜しむように離れた。

 「朝には突撃開始……順調に行けば敵部隊に突撃できるのは昼前だろうな。だから、今日が最後の夜だ」

 「そうですね…」

 今回の最後の夜は既に色々なことがあった。

 霞と磯風が死に、そして三笠と過ごす最後の夜にもなる。

 「そうだ、神龍」

 「はい。なんですか?」

 「一緒に寝るか」

 「………へ?」

 三笠のあっさりと出た言葉に、神龍は一瞬思考が追いつかずにぽかんと呆けた。

 そんな立ち尽くす神龍に、三笠は首を傾げる。

 「どうした?」

 「い、いえ……えっと…え……?それはその……ご一緒に夜をお供するという…?」

 「だから一緒に寝ようって言ってるんじゃないか。あまり何度も言わせるな。こっちが恥ずかしくなってくる」

 そう言う三笠の表情は既に頬が微かに染まっていた。

 「わ、私が恥ずかしいですよ…ッ!」

 神龍はカーッと顔を真っ赤に染める。

 あっという間に顔を赤くしあった新鮮なカップルのような二人が出来上がってしまった。

 「でも……」

 神龍はモジモジと、両手の指と指を絡めながら、口から言葉を紡いだ。

 「私は別に……嫌じゃないです…。 最後の夜ですし……だから…その……」

 俯いた顔をトマトのように真っ赤に染め上げ、モジモジと落ち着かない様子を見せる神龍に、三笠は恥ずかしさに視線を逸らした。

 「えっと……わ、私……こういう経験って初めてですけど……三笠二曹なら…その……」

 これ以上三笠は耐え切れなくなり、慌てて口を開く。

 「言っておくが深い意味はないぞッ! 約束を守るだけだからッ!」

 「約束…?」

 「前に俺が上陸するとき、一緒に寝てやるって約束したじゃないか。俺が言って、お前が頷いたんじゃないか。まだその約束果たしてなかったからな」

 「…そ、そうですよね。 私、何を勘違いして……あ、あははは…っ」

 「はははは……」

 二人は少々引きつらせた表情で笑いあった。しかしそんな笑いは長く続かず、重い沈黙が舞い降りた。気恥ずかしさに、二人は再び顔を赤くする。

 それではいつまで経っても埒が明かないので、とりあえず三笠の自室に行くことした二人。

 そして消灯時間となり、三笠のベッドの布団には今日は二人分が山を作っていた。

 壁のほうに顔を向けて横になる三笠の隣に、天井をじっと見詰める神龍が布団に埋まっていた。はじけるような緊張が二人を包んでいた。

 「三笠二曹……」

 「なんだ」

 「私、三笠二曹と一緒に寝られて嬉しいです」

 三笠はチラリと神龍のほうを見た。神龍は天井からこちらに視線を向けて、頬を朱色に染めながらもにっこりと輝くような微笑みを向けていた。暗闇でもよくわかるような眩しくて可愛らしい笑顔だった。

 その笑顔に三笠はドキリとなったが、隠すように再び壁に視線を戻した。

 「そ、そうか…」

 「はい。それに、初めてで最後ですから。私、この日を忘れたりしません」

 「…俺もだよ。さぁ、明日は早いと思うから、寝よう」

 「…はい。寝ましょう……」

 沈黙が舞い降りた。そして時間が経つが、二人の寝息は聞こえない。

 暗闇にすっかり慣れた目で、三笠は天井を見詰めていた。鉄の天井。冷たさをイメージさせるが、隣にいる彼女からは、温度を感じる。なんとも不思議な感覚だった。

 ふと、三笠はすぐそばからすすり泣く声が聞こえた。

 「……ひっく……えぐ…っ」

 思ったとおり、隣で横になり、大半を布団に埋めた神龍の頭が小刻みに震え、布団の中からはかみ殺したようなすすり泣く声が聞こえていた。必死に声を押し殺して涙を流しているだろうが、すぐそばにいる三笠には丸聞こえだった。神龍は三笠のほうに表情を向けないように横になって、泣いていた。

 当たり前だった。これまでにあんな熾烈な戦闘を戦い、そしてその戦いで大勢の仲間を失ったのだ。特に仲が良かった矢矧が死に、そして大和が死に、磯風たちも死んで、失うものが大きく、そして多すぎた。まだ外見が十五歳ほどの少女の幼い心にとってはとても重いものがあった。三笠はそれをわかっていた。だけど、掛けてあげる言葉は見つからない。どうすればいいのかわからない。だけど、なにかしてあげたかった。

 自分が出来ることは、こうしてそばにいることくらいだ。

 そして、手が届くならば、まだしてあげることはあるはずだ。

 三笠はそっと、布団の中から手を伸ばした。

 そして身体を近づけ、ぴったりと震える神龍の背後に付いて、優しく抱き締めた。

 その時、一瞬神龍からすすり泣く声が途絶えるが、三笠が抱き締めてやると、神龍は再び嗚咽を漏らし始めた。今度はよく聞こえるような泣き声で。

 涙を流し続ける神龍を抱き締める三笠、二人はずっとそうしていた。

 多くのものを失いすぎた日が終わりを告げ、夜が更ける。そしてまた新たな明日が始まる。

 しかしそれは最後の夜、そして最後の日。

 日が昇り始めたと同時に、神龍の運命のカウトンダウンが動き出し、時空に刻み始めたのだった。

最近相変わらず更新が遅れ気味というか……他の先生がたのように早く投稿できないですね…。自分はただでさえ書く手は遅いほうなのに、更に最近は学祭が近づいていて忙しいので、書くのが大変です。言い訳になってすみません…。なるべく書いているつもりなのですが、いつもいつも更新が遅くて申し訳ないです…。

こんな小説ですが、もうすぐこの物語もラストスパートです。どうか見捨てないで最後までお付き合いくださいね。

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