<二十三> 天一号作戦発動。海上特攻作戦出撃
お盆での不在から帰還し、ようやく更新することができました。遂に物語は沖縄海上特攻作戦を発動して沖縄へと出撃します。
四月六日、一六○○時。第一遊撃部隊(第二艦隊及び第二水雷戦隊)は、『矢矧』を先頭にして一列縦隊となって出撃した。
乗組員たちは連合艦隊最後の出撃を、生きて帰れぬことを覚悟した。
そんな死地に赴く覚悟を持ったサムライたちが出撃しようとした時、奇跡が起こった。
出撃し、別れる祖国の大地へと帽を振りに甲板へと出た際に、目の前の光景が信じられない世界に変わっていた。
「見ろ…ッ!桜だ…!」
兵員の誰かが叫んだ。
誰もが息を呑んだ。岸沿岸に立ち並ぶ桜の木々が、一斉に開花していたのだ。今年は早咲きだったので今では散っている桜も多かった。しかし目の前に広がる光景は岸一面に桜のピンクと白色に咲き誇っていた。
まるで、旅立つ彼らに別れの挨拶をするようだった。
満開の桜吹雪が手を振るようにひらひらと揺れている。甲板は騒然となって、そして歓喜が沸いた。
騒然となる甲板で岸の桜吹雪を見詰める三笠と神龍もいた。
三笠は神龍を見た。
神龍は目を丸くして驚いている風に目の前の現実に広がる桜吹雪を見詰めている。前も聞いたが、神龍は桜を今まで見たことがなかった。そして今、生まれて初めて、しかも満開の桜吹雪を見ている。
「…綺麗ですね」
「そうだな」
神龍は見惚れるような瞳で桜を見詰め、三笠も広島で見た桜を思い出していた。
この光景を、ここにいる艦隊の全員が目に焼き付けていることだろう。
大和をはじめとした艦魂たちも、この奇跡を見詰め不思議な感情に浸っていた。
大和は咲き誇る桜吹雪に向かって、静かに敬礼した。
艦隊は岸に咲き誇る桜を視界に入れながら、名残惜しそうにゆっくりと沖を航海していた。
遠ざかる桜吹雪が満開する陸地を見詰めながら、三笠は口を開いた。
「良かったな、桜が見れて…」
「はい。とても、心が温かい気がします」
そっと手を胸に当てて、眼を閉じる神龍。長い黒髪が綺麗にさらさらと揺れて、隣に立つ三笠の鼻に甘い香りが漂った。
そんな彼女に、三笠は見惚れてしまった。
神龍は三笠の視線に気付いたように、「どうしました?」と訊ね、三笠は慌てて「なんでもない…」と視線を背けた。神龍は三笠の不思議な行動に首を傾げた。
「願いが叶って、良かったな」
顔を赤くしてそっぽを向く三笠の口から紡がれた言葉に、神龍は一瞬目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「散る桜、残る桜も散る桜…」
満開に咲き誇る桜吹雪を見詰め、大和は小さく呟いた。
『大和』艦橋。同乗した伊藤も特に驚いた風も表さずにただ奇跡のような桜吹雪を大和と共に見詰めていた。
大和の呟きにも、耳に入っていても伊藤は特に反応を示さなかった。
「最後の国の花か…」
伊藤も独り言のように呟いた。大和は伊藤を一瞥した。
「………」
真っ直ぐな視線で目の前の季節を見続ける伊藤を見詰め、大和は言い表せない不思議な感情を心に抱いていた。胸の前に手を当てて、ぎゅっと握り締めた。眼を閉じて、その感情に浸る。心が、高揚して温かった。
「…うむ。そうか」
大和は眼を開き、微笑んだ。
「やはり私に、悔いはない―――」
大和は伊藤と肩を並べ、艦隊が沖を出るその時まで桜の白色が覆う岸を見詰め続けていた。
『矢矧』を先頭として、その後ろを八隻の駆逐艦が菊水の幟を立てて、『神龍』は殿を取って前方斜め横にいる『大和』の護衛に従事していた。
『大和』『神龍』の巨艦が二隻も揃っての航海は、その二隻の前を航海する駆逐艦が更に小さく見えて奇妙な光景だった。
一九三○時過ぎ、豊後水道の出口を出た。そこを出れば制空権・制海権がない。もはや敵地であった。第二艦隊は慎重に、警戒態勢で航海を続けた。
警戒一時間後、第二配備となる。二二一五時、『大和』の通信指揮室に先駆けて、『神龍』の優秀な通信機器が、敵通信を傍受した。報告が艦橋に入る。
「敵通信傍受。発敵潜水艦。『大和』『モンスター』脱出、地点二一七五、速力両方とも約二十ノット、全軍警戒セヨ…。尚、これは暗号文ではなく、平文です」
「舐められてるなぁ…」
「しかも『大和』って名指しですか。それにしても『モンスター』ってなんでしょうね?」
士官の一人が問うと、草津が答えた。
「おそらく我が『神龍』のことだろう。米軍にとっては未確認の戦艦だろうからな。名前を知らないのは当然だ」
「しかし『モンスター』…。怪物ですか。これは面白いあだ名を付けられたものです」
「だが、かっこいいじゃないか」
「そうですね」
副長の吉野が微笑んで言い、艦橋は笑いに包まれた。
沖縄海域を埋め尽くす米英連合大艦隊は、沖縄の進撃の真っ最中だった。
四月六日○一五八時。 グアム北飛行場を離陸した F-13が、○九四六時に徳山沖の33゜57'N,131゜45'Eで『大和』と呉大空襲で確認された未知なる戦艦、一隻の軽巡洋艦と駆逐艦六隻を発見したという報告(実際の駆逐艦は八隻だったが)が米英艦隊のもとに入った。
呉大空襲以来、行方不明となっていた『大和』を発見したことに、米機動部隊艦隊は攻撃の時が来るのを待ち望んでいた。
戦艦『ニューメキシコ』の司令長官室で、レイモンド・A・スプルーアンスは本を読んでいた。本は彼にとって子供の頃からの山登りと同じ趣味であった。
旗艦にしていた重巡洋艦『インディアナポリス』が日本のカミカゼ攻撃を受けて修理中だったので、戦艦『ニューメキシコ』に移ったのだった。
沖縄への進撃作戦は進行中であり、自分は機動部隊の司令長官だ。自分の仕事はなかった。沖縄は上陸した部隊に任せているので、海戦が起こらない限り出番はないとレイモンドは考えていた。
「閣下。ご報告があります」
レイモンドは本から視線を外して声がした方を見た。
資料を抱えた白い海軍士官服を身に纏った女性が立っていた。
亜麻色の長髪を白い紐で縛って下げている、眼鏡をかけた長身の女性だった。見かけはまるで秘書官といった感じだった。彼女は戦艦『ニューメキシコ』の艦魂、ニューメキシコだった。
ニューメキシコの目の前にいる司令長官は、ソファーに寝転がって本を読んでいた。聞くところによると彼は昔からこんな感じだったらしい。作戦中も自分が出番に入る以外はほとんど横になって作戦を指揮していたという。初めて実際に見たときは信じられなくて、何度も説教をしたことがあるが、もう慣れてしまい、咎めることも面倒臭くなってしまった。
起き上がったレイモンドに、ニューメキシコは手にある資料を読み上げた。
「潜水艦からの報告です。『ヤマト』を確認。地点二一七五、速力二十ノット」
世界最大の戦艦『ヤマト』。艦隊の司令長官として興味を抱かないわけがなかった。航空主義を理解してはいるが、レイモンドも昔から艦を愛する船乗りだ。今でも時代遅れとされている戦艦が好きだったし、艦隊決戦というのも嫌いではなかった。レイテ沖海戦で、ハルゼーが同型艦の『ムサシ』を沈めているが、対抗心は燃やさないレイモンドでも、やはり『ヤマト』と戦ってみたいと思っていた。
「敵艦隊の全容は?」
「確認された戦艦は、『ヤマト』。そして…クレ空襲の際に確認された未知なる艦、我々が呼称する『モンスター』です。他は軽巡洋艦一隻、駆逐艦八隻。こんな少数の艦隊で何をする気でしょうね」
「君の疑問は最もだが、もう日本には艦艇は残されていないのだよ。だが、『ヤマト』…そして『モンスター』は侮れん。慎重に行かねば、舐めていては我々が痛い目に合うかもしれない。特に、もしかするとマークしていた『ヤマト』より、この未知なる『モンスター』が我々に牙を向く恐ろしい存在になるのかもしれない」
未知なる戦艦、『モンスター』。呉空襲作戦で、襲い掛かった九機の編隊を一瞬にして撃墜したという驚異的能力を秘めているらしい日本戦艦。日本は『大和』をはじめとして大型艦の建造を進めていたと聞いていたが、おそらくこれがそうなのだろう。
そして初めて存在を知ったとき、戦慄と寒気を感じたのを覚えている。本当に油断できない敵だと、レイモンドは直感していた。
そしてニューメキシコの疑問の答え、レイモンドはおおよその見当が付いていた。おそらく敵艦隊は、カミカゼを実行するのではないかと考えた。
既に敵司令官の名前も伝えられている。ワシントン時代に知り合った、唯一無二の親友、セイイチ・イトウだ。イトウは決死の覚悟を持って戦いを挑んでくる。親友として、受けて立つ以外になかった。
レイモンドは当時駐米していたイトウとワシントンの大使館で知り合い、意気投合して、親友となった。よく家族のことでもお互いに相談に乗って付き合っていた。イトウが日本に帰国し、そして日本との戦争が始まってレイモンドも司令官として作戦に従事してきたが、今でもイトウとは互いに良き親友であった。
セイイチ・イトウは初めて知り合ったときから、無口で大人しい人間だと思っていたが、そこがアメリカ人には珍しい活発ではない控えめのレイモンドと共通するところだった。しかしどの軍人にも負けない国に対する忠義と強い意志を持っている。尊敬さえできる。そんなイトウが覚悟を持って挑んでくるのだ。
レイモンドは、イトウと過ごした日々を思い出さずにはいられなかった。
「閣下?」
沈黙したレイモンドに、ニューメキシコが首を傾げてひょこっと顔を覗き込む。我に返ったレイモンドの眼前にパサリと垂れた前髪と眼鏡の奥の瞳があった。
「いかがなされましたか?」
「いや、なんでもない…」
レイモンドは首を振った後、意を決した。
戦争は合理性の追求であり、栄光や名誉は関係ない。と考えるレイモンドも、血が燃えたぎるように熱くなるのを感じた。
「…後でデービス参謀にでも頼んでデイヨーを呼ぼう。『ヤマト』以下艦隊は、デイヨーの艦隊と我々で迎え撃つ」
ニューメキシコは驚いた風に眼を見開いた。
「艦隊決戦ですか?」
レイモンドが言ったことは、正に戦艦の砲と砲とで撃ちあう、前時代の考え方である艦隊決戦だった。レイモンドの合理性を追求した戦い方を知っている彼女にとって、これは驚いた。
「ミッチャー機動部隊に任せないのですか?」
常識となっている機動部隊の航空機による攻撃を問いかけた。
「航空機による戦い方はこれまでに数知れぬ戦果をあげてきた。しかし私はそれを理解したうえでも戦艦は子供の頃から好きでね。司令官でもある。好きなようにやらせてくれ」
レイモンドはにっこりと微笑みながら言った。しかしニューメキシコは納得いかなかった。
そんな子供のような理由で戦い方を決めるのか?自分は戦艦の艦魂だから、むしろ戦艦同士の艦隊決戦は戦艦として生まれたからには望むところだ。しかしその過程を決める理由が納得いかなかった。
なにか言いかけたとき、レイモンドは一変して真剣な表情になり、言った。
「戦争は無論計算が大事だ。しかし名誉というのもある。私は、大艦巨砲を忘れなかった日本と艦隊決戦することによって、名誉と誇りを持ちたい。それを、日本にも捧げたい」
「………」
その後、レイモンドのもとにやって来たデービス参謀に、その旨を伝えた。早速デービス参謀はレイモンドの話を聞いて迷うことなくデイヨーと連絡を取った。
レイモンドはデイヨーに伝えた。
「日本艦隊を、日本本国に帰れない距離まで引き寄せたときに、艦隊戦で撃滅する」
レイモンドは『ニューメキシコ』をデイヨー艦隊と合流させることにした。艦隊が合流するのは明日の午後以降だろうと計算して、いつものように余裕ある時間を使って眠ることにした。デービス参謀は眠ることなく、味方の連絡を待った。
レイモンドはソファーに横になって、寝息を立て始めた。
四月七日○六○○時、『大和』からただ一機だけ搭載されていた水上偵察機が二人の搭乗員を乗せて飛び去った(既に偵察機は必要なかったために搭乗員も退艦させた)後、『朝霜』が機関故障を訴え、艦隊から離脱することになった。
第二艦隊旗艦『大和』甲板では、艦隊から離脱することになった朝霜を見送るため、第二艦隊の艦魂たちが集まっていた。
「ごほっ…。 皆様、ごめんなさい……共に往くことが出来なくて…ごほごほっ」
苦しそうに咳き込む朝霜。本体である艦の機関が故障したため、その症状が艦魂としての彼女にも表れている。
そんな朝霜の背を、霞が優しく撫でている。
「謝らないでください。朝霜さんの分まで、私たち頑張りますから…」
「霞さん…ごほッ!ごほッ!」
本当に苦しそうな朝霜に、一同も辛い気持ちだった。朝霜の背を撫で続ける霞もとても心配そうな表情で、初霜もその無機質な表情に不安と心配の色を浮かばせていた。
「心配するな、朝霜。我々は必ず成し遂げてみせる」
前に出た大和が、ぽん、と朝霜の肩に手を置いた。朝霜は咳き込みながら、潤んだ瞳で大和を見上げた。
「大和様…」
「お前も、無事に日本に帰れることを祈っている」
大和の後ろから、神龍も心底心配そうに駆け寄った。
「朝霜さん! 私、いえ、私たちは必ず朝霜さんの分まで戦ってみせますッ!だから、ご無事で…」
「…第二水雷戦隊旗艦として、貴官のこれまでの働きに深く感謝すると共に、帰還途中の無事を願う」
朝霜たちを含めた第二水雷戦隊旗艦の矢矧が朝霜をジッと見詰め、言った。
「皆様…。 私、朝霜も、第二艦隊―――皆様のご武運を心よりお祈りいたしますわ…」
朝霜がピッと敬礼し、大和をはじめとした第二艦隊の艦魂たちも踵を揃えて見事な敬礼を見せた。
朝霜の瞳から、頬を伝って一筋の涙がこぼれた。
『朝霜』が離脱し、駆逐艦は七隻となった。
既にここは敵地である。離脱した『朝霜』の乗組員の不安は計り知れない。艦隊から離れて護衛もないまま本国に帰るまでの緊張が絶えるわけもない。もう『朝霜』を救いにいける駆逐艇もない。潜水艦の餌食にならないように…と願うしかなかった。
離脱した『朝霜』は機関故障で不調な状態の中、日本に向かって帰路につくことになった。敵に見つかれば格好の餌食だった。乗組員たちの不安は募り、敵に発見されないことを祈っていたが、それは儚く散った。
―――肌を焼くような温度に、眼を開いた。
眼を開くと、自分は身体を血で真っ赤に染めて、壁に背を預けて倒れていた。指はピクリとも動かせない。周りは炎で真っ赤に染まっていた。
大火災を引き起こしている本体の中、朝霜は縛っていた長髪を乱れて広がり、身体は血まみれでズタボロだった。
「…悔いは、ありませんわ。きっと……」
呉出航前夜の全艦魂たちと過ごした夜が走馬灯のように流れ、朝霜はクスリと微笑んだ。
その微笑みは、血で汚れていても輝くように綺麗だった。
「楽しかったですわ、皆様…。…お元気、で――――」
業火の如く燃え盛る炎の中、朝霜はゆっくりと光を失った瞳を閉じた。
――――その後、離脱した『朝霜』から正午過ぎに敵機と交戦中との無電を発した後、連絡が途絶える。単艦戦闘であった上、生存者がいない為にその最期は明らかではない。米空母艦載機の攻撃により東シナ海にて戦没したと推測されている。駆逐隊司令以下乗組員全員戦死。
『朝霜』からの通信が途絶え、『朝霜』と乗組員たちは戦没したと判断され、黙祷が捧げられた。第二艦隊の艦魂たちは静かに黙祷した。
『大和』以下艦隊の上空を、十機の零戦が護衛のために飛行していた。
連合艦隊司令部からは護衛機はないと言われていたが、上空を飛行する零戦は鹿屋基地司令官である宇垣纏中将の独断による命令から出撃したものだった。出撃中の第二艦隊に対し独断で護衛戦闘機隊を出撃させた(しかし任務の関係上途中までの不十分な護衛であった)。
その護衛戦闘機隊の中に伊藤の長男である伊藤叡中尉搭乗の零戦も含まれており、父親の最後を空から見送った(伊藤叡中尉はその後神風特別攻撃隊員として同年四月二十八日出撃、沖縄海域で戦死することになる)。
ブゥゥゥン…というプロペラ音を鳴らしながら飛行する零戦を、大和は見上げた。
そして大和は静かに自分たちを護衛してくれる零戦たちに向かって敬礼した。
大和をはじめとした第二艦隊の艦魂たちも自分たちの上空を護ってくれる零戦を見詰めていた。
神龍も、上空を飛行する零戦を見上げた。
かつて無敵神話を誇ってきた零戦も、今や敵戦闘機の進化した性能に苦戦を強いられ、特攻にまで回されている状態に成り果てているが、自分たちの頭の上で護ってくれている彼らがとても頼もしく見えた。彼らもいつか、自分たちの後に同じように特攻して、同じ運命を辿るかもしれない。神龍は目を細め、胸の前で手をギュッと握り、言い様のない気持ちを抑えていた。
やがて、護衛に飛行していた零戦は、鹿屋基地に帰還していった。
飛び去っていく零戦に、神龍はただ、小さく言葉を紡ぐだけだった。
「ありがとう…」
神龍が閉じた瞳から、一筋の涙が伝った。
その直後、見張り員が敵機二機を発見。対空ラッパが鳴った。
マーチンPBY飛行艇だった。すぐさま『大和』の主砲から三式弾が放たれ、マーチン二機は三式弾に命中されることなく、すぐに引き返した。これらの飛行艇出現は、敵機大編隊の来襲の前触れになるものだった。大陸方面に航路を取っていた『大和』以下艦隊は、偽っても無駄だと判断して沖縄に舵を向けた。
ソファーで横になるレイモンドのもとに、長身の眼鏡女性、ニューメキシコが光と共に降り立った。
眠りこけている司令官を見て、肩を落とした。
「参謀たちは作戦に従事しているというのに…貴方って人は…」
溜息を吐きながら、寝息を立てるレイモンドの傍まで歩み寄る。足音を鳴らさずに静かに歩み寄っているためか、レイモンドは目覚めない。長いまつ毛によく通った鼻がある顔を見詰め、ニューメキシコは胸がドキリと高鳴った。
「な、なにドキッとしてるのよ、私は…」
年齢的にはもうオッサンである、しかし外見はそれほどにも見えない。しかしこれでも妻子持ちだ。初めてマジマジと彼の寝顔を見詰める自分に気付いて、顔を赤くして首を振る。
「…司令官のくせに呑気に寝ちゃって。はぁ…、日本艦隊が近づいてきてるというのに…」
溜息を吐いて肩を落としつつも、彼の寝顔を見るのはやめられなかった。眼を閉じても、また開いてチラリと見てしまう。それが凝視に変わる。ジッと見詰め、すやすやと寝息を立てる彼の寝顔を観察する。
「………」
ニューメキシコは華奢な背を曲げ、両手を後ろで組んだままゆっくりと眠っているレイモンドの顔との距離を詰めた。ほのかに頬を朱色に灯し、無意識にもっと近くで見ようという思いで近づいた。
胸が高鳴る。何故か近づく距離は縮まるばかりで止まらない。あれ、あれ?と思っているうちに身体が勝手に彼の穏やかな寝顔との距離を詰めて行く。
このままだと…
どきどきと胸が高鳴る。
お互いの息がかかる距離まで詰め寄った瞬間、レイモンドの閉じた瞼がゆっくりと開いた。
「…ん」
レイモンドが呻きの声をあげ、ニューメキシコは神速の速さでガバッと距離を一気に離した。レイモンドは眠そうな顔で目元を擦り、欠伸をした。
「ふぁ…。ん、来てたのか…」
どうやら直前のことは気付いていないようだった。顔を真っ赤に染めるもニューメキシコは背を向けて高鳴る胸を抑え付けるのに努力した。
身体を伸ばしたレイモンドは、口を開いた。
「敵艦隊は?」
ニューメキシコはトマトのように赤く染まった顔を見せないために背を向けたまま答えた。
「依然南下中です。キュウシュウを出た後、チャイナ大陸方面に航路を取っていましたが、我が哨戒機二機の存在に気付いた後、オキナワに向けて舵を取りました。やはり敵は真っ直ぐにオキナワを目指しています」
「そうか…」
『ヤマト』以下艦隊は、最初は大陸方面に向かっていたが、やはり偽装だったようで、偵察に向かわせた哨戒機二機に気付くと、取り舵を切ってオキナワへと進路変更した。いや、それが本来の進路だったのだろう。偽装しても無駄だと考え、オキナワへの進路に戻したのだ。
ニューメキシコは外見のように本当に秘書官のように、情報収集能力が優秀だった。報告に来る参謀たちよりいち早く情報をレイモンドに告げに来るので、後から報告に来る参謀に既に聞いた情報をまた聞くことにレイモンドは苦笑を浮かばずにはいられない。
「デイヨー艦隊では、祝杯が挙げられているようです。艦隊決戦がよほど嬉しいそうです」
戦艦の乗組員ならば、戦艦同士の決戦に憧れない者などいない。それも相手は世界一の巨砲を持つ『ヤマト』だ。そして我々にも未知なる戦艦である『モンスター』の、一度に多数の艦載機を葬り去った悪魔の巨砲。そんな二隻の戦艦に艦隊決戦で勝てばどれだけ誇りを持てるか。まさしくそれは最高の誇りであり名誉だった。
「艦隊決戦が出来ることを、願うよ」
「…しかし」
ニューメキシコは一瞬戸惑いながらも、口を開いた。
「ミッチャー司令官から入電です。第58任務部隊は日本艦隊を発見すべく北上する、とのことです」
ニューメキシコがレイモンドの顔を見た。
「そうか」
意外なレイモンドの反応に、ニューメキシコは驚いた。
レイモンドは口を開いた。
「ミッチャーも、私がデイヨーに出した命令を知らないわけではあるまい。知った上で動いたんだ」
「しかしこのままでは『ヤマト』は『ムサシ』の二の舞になります」
世界最大の巨砲を活かした艦隊決戦を果たせずに機動部隊の艦上機によって戦没した『ヤマト』の姉妹艦を思い浮かべた。
「航空機は確かに現代の戦争の主役になっているが、万能というわけではない。天候次第だ。天候が悪ければ、航空機は飛べない。それも東シナ海は広い。あんな広い海域の中でミッチャーが『ヤマト』と『モンスター』を発見できる保障もない」
「それもそうですが…。万が一、ミッチャー司令官の艦上機が『ヤマト』以下艦隊を壊滅したら艦隊決戦は…」
彼女も戦艦の艦魂だ。やはり艦隊決戦を出来るならやりたいのだろう。不安に残念そうに落ち込むような顔を見せるニューメキシコに、レイモンドは静かに言った。
「心配するな」
レイモンドの言葉に、ニューメキシコは彼の顔を見た。
「『ムサシ』は沈んだが、『ヤマト』や『モンスター』まで航空機の餌食に百パーセントなるとは思えない。もしかしたらどちらかが、航空機の攻撃を耐え抜いて我々のところまで来てくれるのかもしれないぞ」
レイモンドはそれだけを言うと、再びごろんとソファーに寝転がった。
ニューメキシコは、何故か彼の言葉は本当になる、と信じる不思議な気持ちを感じていた。
○八一五時、ミッチャー司令官以下艦隊の空母『エセックス』から緊急電が入った。
『ヤマト』以下、もう一隻の戦艦である『モンスター』を含めた敵艦隊発見の報告だった。
レイモンドのもとに、ミッチャーが打電してきた。
「Will you take them or shall I?(貴官において攻撃されるか、あるいは当方において攻撃すべきか)」
レイモンドは悩む選択を強いられた。艦隊決戦を望むレイモンドだったが、機動部隊が先に見つけてしまったようだ。そしてミッチャーは「貴方がやるか、私がやるか」と聞いてきたのだ。しかしモタモタしていれば、機動部隊のチャンスさえ費えることになる。レイモンドは決断を下して返電した。
「You take them」
これは、「どうぞ」という意味合いを持った言葉だった。「君がやれ」と言っているようなものだった。
「機動部隊が先に見つけちゃいましたね」
「私はここで初めて味方の機動部隊が敵艦隊を取り逃してくれと願ってしまったよ」
レイモンドは笑って言ったが、ニューメキシコは何も言わなかった。
敵艦隊を発見し、レイモンドからの承諾も得たミッチャー司令官は、第58任務機動部隊の艦上機に発進命令を下した。
『エセックス』『エンタープライズ』などの空母から、次々と飛行甲板を蹴って飛翔するずんぐりとした海鷲たちが飛び立っていく。
飛び立っていく大編隊に、アメリカ空母の艦魂たちは軍帽を振った。
「遂に『ヤマト』を見つけた…。 これで日本の腐った前時代的な主義に終止符を打ってみせるわ。任せたわよ!坊やたちッ!」
金髪の長髪を靡かせ、蒼い瞳には強い光が篭った表情で、エンタープライズはぶんぶんと帽を振った。
『ヨークタウン』からも攻撃機が飛び立っていく。アメリカ空母艦魂の中で一番背が低いマスコット的存在であるヨークタウンも、小柄な身体にくりっとした大きな瞳を悲しそうに潤ませ、飛び立つ攻撃機を見送った。
戦争は嫌いで、敵も殺したくないというほどの平和主義者であるヨークタウンにとって、これまでに何度も見てきたこの光景は苦しいものがあった。これでは戦うために生まれた空母の艦魂として生きていけない気持ちではあるが、自分が発艦させた艦載機が敵を殺してしまうこと、そして味方も死んでしまうことが、何より悲しかった。
ヨークタウンは下唇を噛んで、ぎゅっと胸の前で拳を握り締めた。
「…必ず、生きて帰ってきてね」
せめて、犠牲がなるべくないことを願って、ヨークタウンは小さく呟いた。
『大和』のレーダーより先に、『神龍』の高性能の新型電子兵装の一部であるレーダーが遠方にいる敵機編隊を捉えた。これが第一波だった。さらに三十分後には二群以上の編隊を探知した。しかし天候は雨。雨が降っている以上、敵の来襲の心配はない。
「戦闘配置食受け取れ」
空襲に備えての号令が艦内放送が流れた。一二○○時には、全兵員が食事を受け取っていた。
「山城」
烹炊所と同じく、しかし違う意味で蒸し暑い機関室に、三笠は握り飯を持って入った。
ゴウゴウとうるさいほどに唸る機関から、機関兵である山城が顔を出した。三笠を見つけるとにっこりと微笑んで手を上げた。
機関科二等兵曹の山城が三笠から昼飯を受け取る。他の機関兵たちもありがたく三笠から昼飯をそれぞれ受け取った。
「いよいよだね、三笠」
「ああ」
もぐもぐと握り飯を頬張る山城に、三笠は真剣な表情になって詰め寄った。
「ど、どうしたの?」
「山城、頼みがある。俺からの最後の一世一代の頼みだ」
三笠の真剣な瞳を見詰め、山城は頷いた。
「うん。聞くよ」
「…俺たち艦隊は、敵機の猛攻に晒されるのは必至だな。で、外で俺たちが機銃や高角砲で戦っている間は、お前たち機関兵たちはこんな暑くて臭い艦底で必死に戦うわけだ」
「うん…」
「艦が沈むときは真っ先に死ぬ場所だ。だけど、もちろん…こんなことを頼むは無粋かもしれない。わかっている。だけど言わせてくれ」
「………」
山城は黙って、三笠の言葉を待った。
「いくら艦が傾斜を傾けても、どうしても復元してみせてくれ。絶対に、『神龍』を沈ませないでくれ…」
山城は、クスリと微笑んだ。
「…当たり前だろ。そのために僕たち機関兵はこんな臭いところで頑張るんだ。艦は絶対に沈ませたりしないよ」
「俺も外で戦うからさ。そっちも、しっかりと頼んだぜ」
「任せてよ。そっちこそ、気をつけてね」
「ああ」
二人はニッと笑い、拳をぶつけ合った。
「ふぅ…」
蒸し暑い機関室から出た三笠を待っていたのは、神龍だった。
「ご苦労様です、三笠二曹」
神龍の登場に、三笠は心臓がドキリとなった。
「お、おお…」
「どうしましたか?」
「いや、なんでもない…」
神龍は持っていたタオルを三笠に手渡した。三笠は「ありがとな」と礼を述べてから受け取ったタオルで汗が滲んだ首や頬、額を拭った。
「これで全員に配り終わったかな」
「はい」
神龍はにっこりと微笑んで答えた。三笠はその神龍の笑顔を見たとき、ドキリと胸が高鳴った。
「三笠二曹、顔が赤いです。外に出て涼んだほうが…」
「外は雨だろ」
「いえ、やんで来ましたので、そろそろ大丈夫かと思います」
「…雨がやんだってことは、敵が来るのも時間の問題だな」
「あ…」
神龍はシュンとなり、三笠はそんな神龍を見て慌てた。
「あ、いや…すまん…」
「いえ、本当にその通りですから」
三笠はそっと、消えそうなほどの、綿みたいな小さくか弱い力を感じた。見ると、顔をぽっと赤くして俯けた神龍がそっと三笠の袖を摘んでいた。
「でも…それまでの間に、三笠二曹とずっといたいです…」
頬を朱色に染め、袖を摘んだまま上目遣いで見詰めてくる神龍に、三笠はまた胸が高鳴るのを覚えた。三笠は神龍と視線を絡めたまま、頷いた。
「ああ。ずっといてやるよ」
それを聞いた神龍は、目元に微かに雫を浮かばせながらぱぁっと輝くような笑顔になった。
「ありがとうございます、三笠二曹」
「礼なんていらねえよ」
ぐいっと神龍の肩を引き寄せ、驚いて顔を赤くする神龍に構わず、神龍の肩を抱いたまま三笠は歩き始めた。
神龍は自分の肩に触れる彼の感触を、三笠は彼女の肩に触れる感触を、温もりを感じていた。
昼食全員配食完了が告げられた後、防空指揮所で愛用の日本刀を抱いた大和は烹炊所から頂戴した握り飯を頬張っていた。そして見張り員の声が、伝声管を伝って艦橋にも届いた。
「右舷前方、輸送船一隻」
艦橋にいる伊藤をはじめとして、有賀艦長や参謀たちが一斉に右舷前方を見詰める。大和も防空指揮所から見張り員たちと共に、蒼い海を見詰めた。
そこには、一隻の日の丸を掲げた輸送船が我が艦隊とすれ違うように航行していた。
輸送船からチカチカと発光信号が届いた。
大和は、見張り員と共に読み上げた。
―――『ゴ成功ヲ祈ル』
我が艦隊の出撃任務は極秘であるため、輸送隊がその任務を知っているわけがない。だから儀礼的に送ってきたものなのだろう。しかしその信号は、大和、そして伊藤たちにもジンと胸に染みたのだった。
直ちに、『大和』から輸送船に向けて返信した。
―――『ワレ期待ニ応エントス』
「あの輸送船は、無事に日本にたどり着くことが出来るでしょうか」
先に離脱した『朝霜』の通信断絶を知っている森下参謀長が伊藤に言った。
「無事に、たどり着けるといいな」
伊藤は言い、そして続けて言葉を紡いだ。
「あの輸送船のためにも、我々は言ったとおりに期待に応えねばならないな」
伊藤は艦長と参謀たちを見渡し、強く頷いていた。そして後方にいる『神龍』を思った。
輸送船が姿を消した直後だった。
電探室から、艦内スピーカーによって報告が入った。
「目標補足、いずれも大編隊。接近中です」
「総員配置に就け!」
能村副長が命じた。
対空ラッパが鳴り響いた。艦隊は対空ラッパで鳴り響き、それぞれの艦で兵員たちが配置に就いていた。
「伊藤長官」
有賀の声に、伊藤は振り返った。
「防空指揮所にあがります」
「『大和』を頼む」
有賀は敬礼し、伊藤も答礼する。
有賀艦長は参謀たちの敬礼に見送られ、防空指揮所にあがった。能村副長は司令塔内の防御指揮所におりた。
伊藤は第一艦橋の司令長官席に座ったままで、森下参謀長が声をかけた。
「長官も下におりてください」
「私はここでいいよ」
伊藤はかぶりを振った。
伊藤は静かに、そして冷静に、敵編隊の来襲を待った。
『神龍』でも対空ラッパが鳴り、総員が対空戦闘配置に就いた。
三笠も補充兵として戦闘服に着替えた。顎の下に紐を強く結んで、ヘルメットをしっかりと被った。
三笠にとっては補充兵として飛び交う弾の下で走るのは初めてになる。前の呉大空襲を経験したが、あの時は艦内だった。だから外に出て戦うのは、初の実戦と言えた。
三笠は緊張した表情を強く引き締め、自分の配置に急いだ。
その傍には、神龍がいた。
「行くぞ、神龍」
「―――はいっ」
二人は手を強く握り合い、兵員たちが駆け巡る廊下を走った。
彼彼女たちに逃げ場はない。彼、そして彼女たちのもとに、圧倒的な数を誇る敵の大編隊が彼女達の命を葬り去ろうと、確実に迫っていた。
<二十三> 天一号作戦発動。海上特攻作戦出撃 【登場人物紹介】
レイモンド・A・スプルーアンス
アメリカ合衆国海軍第5艦隊司令長官・大将
米第5艦隊司令長官。これまでに数々の日米戦の主要の戦いで作戦を指揮し、米軍を勝利に導いてきた。アメリカ人にしては珍しい子供の頃から目立たないことを好んだ大人しい人間だった。そして駐米武官として来米した伊藤整一と出会い、意気投合することになる。お互いに家族のことで相談するまでに至り、その深い親交を結ぶことになった。十数年後の現在、親友である伊藤と対決するに至っている。趣味は山登りと読書で、作戦中でも暇があればいつも本を読んでいたり、横になったりしている。自分の出番がなければ後のことは参謀たちに任せて自分は寝ている。「寝て体調を万全にすることも軍人として大事」と信条としている部分もある。奇遇なことに、伊藤と同じ数少ない艦魂が見える人間の一人。
ニューメキシコ
米海軍ニューメキシコ級戦艦艦魂
外見年齢 19歳
身長 162cm
体重 45k
ニューメキシコ級戦艦のネームシップである戦艦『ニューメキシコ』の艦魂。亜麻色の長髪に白い紐で結んでいる。眼鏡をかけた長身の女性という外見と優秀な情報収集能力から、まるで秘書官のような存在。本体である戦艦は第一次世界大戦型旧式戦艦群の最終版。速力は他の戦艦に比べ若干速く、対空兵装でも勝っていたが太平洋戦争での攻撃力は十分ではなかったため、近代化改修を受けた。日本の神風攻撃によって『インディアナポリス』が修理に入ったため、旗艦を移される。それからレイモンドとの交流が増えることになった。戦艦として世界一の巨砲を持つ『大和』と艦隊決戦を交えたいとも願っている。