表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/45

<二十二> 我々は死に場所を与えられた

本作の「護衛戦艦『神龍』 〜護りたいものがそこにある〜」のPV累計アクセス数が15000を超え、ユニークアクセス数は5000を上回りました。こんなにたくさんのアクセス数は初めてです。これも読者様がたのおかげです。これからも宜しくお願いします。

 特攻作戦準備が発令されてから、『大和』をはじめとした『神龍』、第二艦隊は出撃準備の真っ最中だった。司令長官である伊藤は出撃に関しては断固反対の意は変わらなかったが、出撃準備は刻一刻と彼女たちと乗組員たちのいつか消されそうな灯火と共に時が迫っていた。

 「大和。悔いはないか?」

 唐突に、伊藤が傍で腕を組んで立っていた大和に問うた。大和は一瞬目を丸くしたが、すぐにクールな表情に戻った。

 「愚問だな。悔いなどない」

 「…そうか」

 いつもの平常な声のはずが語尾は微かに弱々しいと大和は思った。

 ここは『大和』の防空指揮所。世界一高い防空指揮所から眺める絶景に広がる蒼い海を見詰めながら、伊藤は大和に訊ねていた。大和は、広くて優しそう、だけどどこか寂しそうな伊藤の背中を見た。

 これまでに数知れぬ苦難をその背に背負ってきたのだろう。日米戦に反対してきた身として開戦から苦労を重ねてきたに違いない。そして積み重なった思いも彼に重く圧し掛かっている。いつもたくましく生きてきた彼の背中が、最近は妙に哀愁があった。

 「どうしたんだ。あなたらしくもない」

 大和はフッと鼻で笑い、伊藤は蒼い海を見詰めたまま口を開いた。

 「ここから見る光景では、私の艦隊が出撃の準備を着々と進めてしまっている…。司令長官として準備だけは命じたが…やはり私は出来れば出撃はしたくない。…いや、断固反対だ」

 「…あなたが了解しなければ出撃は出来ないでしょう。司令部だってわかっているはずだ。他の者なら出撃になるかもしれないが、あなたは違う。司令部の命令だからといって簡単に従うあなたではない」

 「私はそんなに強い人間ではない」

 伊藤は大和のほうを見ずに、そのまま首を横に振った。

 「…私は、七千名の命を無駄に投げ出したくない。そして君たちを死なせたくない。それだけなんだ」

 「…それだけでも、あなたは優しくて強い心の持ち主だと思う」

 「大和、本当に悔いはないんだな?」

 「それは我々にとっては愚問だろう。ないといったら、ない」

 伊藤の二度目の同じ質問に、大和は少なからずの苛立ちを覚えた。しかもその質問の中身が戦場に出る軍人としては愚問なものだ。二度同じ質問をすること、愚問、という二つから冷静な大和でも苛立つものがあった。

 「そういうあなたはどうなのだ、伊藤長官」

 「私は、妻と娘たちがいるが…私なしでも大丈夫だろう。妻は強いからな…」

 「息子さんもいるのでは?」

 「いるさ。今は私と同じ帝国海軍軍人で同じ軍人同士。だから心配はしない。息子は息子で頑張ってくれるだろう」

 伊藤は初めて微笑を浮かべ、大和をチラリと一瞥してから、視線を海に戻した。

 「大和…。君は、恋をしたことがあるか――――?」

 「―――は?」

 大和は意表をつかれ、ぽかんとなった。伊藤が微笑んでいるのが背中越しから雰囲気でわかった。

 「君みたいな女性だ。恋はするだろう。いや、するべきなんだよ」

 突然何を言い出すのか、大和は理解できなかった。一瞬思考が追いつかなかった。

 ぽかんと開いた口からは、漏れるのは苦笑。いや、失笑か。

 「可愛い女の子や男の子なら誰でも愛でるがね」

 「違う。恋だよ」

 「………」

 大和は苦笑混じりに溜息を吐いた。

 「今は戦時中だし、何より私は戦艦だ。それも愛する祖国、日本が、天皇陛下が生んでくださった世界一を誇れる戦艦だ。そんなものに付き合ってる暇などない」

 大和は持ち前の刀でばっさりと斬り捨てるように言い放った。「ふん」と鼻を鳴らすが、チラリと一瞥すると、伊藤の背中からは笑っている雰囲気が窺えた。

 「何を笑っているッ!」

 「いや…。そうか、君は恋をしたことがないのか」

 くくく、と喉を起用に鳴らす伊藤に、大和は普段の冷静さを失って顔を真っ赤にした。

 「う、うるさい…ッ!」

 伊藤は大和に向かってにっこりと微笑んだ。大和はその微笑みを見て「うっ」と唸った。

 「それが、君の悔いだと思うよ」

 「なに…?」

 「君みたいな美人な女性だ。恋をせねばせっかくの青春を逃すことになるぞ?若いんだから、勿体無い限りだ」

 「だ、黙れ…ッ いくら伊藤長官といえど、それ以上は許せんぞ…」

 そう言う大和の顔は真っ赤で、口もうまく回っていない。時折パクパクと口を動かすだけで言葉が出ないときもある。かなり動揺している様に、伊藤はまた微笑んだ。

 「ま、君みたいな男より気が強くてクールで同姓でも襲い掛かるような変態ぷりでは、誰も相手はいないか」

 伊藤の言葉に、大和はカチンと来た。動揺して真っ赤だった顔は怒りの炎によって変わり、ポニーテールが怪しいオーラと共にユラリと揺れている。

 「言ってくれるな、伊藤長官…。それは宣戦布告と取ってもよろしいですか…」

 「待て待て。悔しいなら、そうでないことを証明してみせてくれ」

 普段の大和の冷静判断能力ならば、こんな罠は簡単に逃れられただろう。

 しかし今の大和は冷静の欠片もない、ザルの罠に掛かるスズメの如く罠にはまりやすい動物と化していた。

 「よぉし見ていろ伊藤長官ッ!貴様の言うような奴ではないことを私は証明してみせるッ!恋など簡単に攻略してみせるわッ!!なんならいけるところまでいくみたいな?ところの領域まで達して見せるわどうだ参ったかおんどりゃああぁぁぁッッ!! ゼェゼェハァハァ…」

 大和の威圧に押されることなく、まるで吹いてきた風を受け止めて流すように、伊藤は平然とにっこりと微笑んで、「そうかそうか」と頷いていた。

 その伊藤の頷きを見て、大和はハッとなった。

 「では、頑張れ。恋が実るよう、応援しているぞ」

 「………」

 伊藤は硬直する大和の肩に、ぽん、と手を叩くと、防空指揮所を出て行った。残された大和は一人、真っ白に硬直したまま、小一時間そのままに立ち尽くしていた。

 そしてようやく、自分の失態に気付いて呟いたのだった。

 「…ハメられた」


 

 防空指揮所から艦橋に戻ってきた伊藤は、有賀艦長と能村副長の会話を聞いて足を止めた。

 「どうした?」

 艦橋にいる時に、周囲の者に気さくに声をかけるのは『愛宕あたご』艦長時代から変わっていない。

 「長官」

 「何やら驚いている様子だが?」

 伊藤がちょうど見たものは、有賀が驚いた様子で能村に何か聞いているような光景だった。

 有賀は率直に答える。

 「燃料です。当初、司令部からは燃料片道分の二千五百トン分しかもらえないと聞かされましたが…」

 それは伊藤も知っていた。しかし有賀は苦笑するように言った。

 「それが、報告によると六千トン分の燃料が積まれたようです。つまり往復分です。『神龍』にも同じく…」

 有賀の脇から、能村が割って入った。

 「どうやら徳山燃料廠で、タンクの底からかっさらってくれたようです」

 「それは命令違反だなぁ」

 伊藤は微笑んだ。有賀と能村も同意するように笑った。

 伊藤はまだ上で硬直している大和のことを思い浮かべ、更に微笑んでいた。

 その日の夕方、着任したばかりの『大和』と『矢矧』の少尉候補生を退艦させた。

 日本の未来を担う若者をこれ以上無駄に殺したくないという伊藤の強い思いから発せられた命令だった。退艦する者の中には、一緒に連れていってくれと泣いて懇願する者もいたが、伊藤は一切認めることはなかった。

 『神龍』からも若い候補生たちが退艦していった。

 昼、三笠は遺書を書き終えて姉と妹宛に届け出た。その夜には、伊藤も妻と娘たちに遺書を書き上げていた。息子のあきらには遺書を書かなかった。同じ軍人同士であるため、書く必要はなかった。

 伊藤は、妻と娘への遺書の封をしたとき、不覚にも涙が一筋、流れた。


 

 桜の美しい季節。しかし今年は早咲きだったせいか、既に落ちている桜も多い。

 陸を見詰めた大和は、そんなことも考えられず、ただ悶々としていた。

 「(くそ…ッ。伊藤長官があんなことを言うから…。いつ出撃かわからんのにこんな気持ちにさせて……私も私だが…)」

 修行が足りないな、と自虐して深い溜息を吐いて、大和は普段の威信はどこへやらとぼとぼと広い艦内を歩き回っていた。

 そして見る乗組員たちを一人一人凝視する。

 「恋と言われてもなぁ…。どの男も、日本男児としてはたくましい限りだが、私の好みではない…」

 通りすがりに見る乗組員たちは、厳しい訓練で鍛え抜かれた者たちばかりだった。年少兵から下士官、士官まで見てきたが、自分の心に討たれるものはなかった。

 「うぅむ…では、やはり私に近い男を思い浮かべるしかないな…」

 と、う〜むと唸りながら目を閉じて考え込んでも、思い浮かべる自分の身近にいる男は限られていた。

 「(伊藤長官は妻子持ちだしな……では、やはり一人しかおるまい…)」

 一人の、自分が愛でる対象に入る、純情な少年。

 「少年、か…」

 いつも傍に長い黒髪を流した可愛い神龍が仔犬のように付いている三笠を思い浮かべ、大和はがっくりと肩を落とした。

 「悪くはないが…少年には神龍がいるしなぁ…。考えたら私ってこういうのには恵まれていないではないか」

 そう考え、落ち込んでいる自分に気が付いて、カッと顔を赤くする。

 「な、ななな何を落ち込んでいるのだ私はッ?!私は軍人だッ!恵まれてなくても別に構わないではないか…むしろそのほうが軍人として身を捧げている自分には良いではないか…ッ」

 大和は赤くなった顔をぶんぶんと勢いよく振り回してから、ぱんぱん!と両方の頬を手で叩いてから、深呼吸して己を落ち着かせた。

 「…疲れているのだろう。落ち着け、私」

 大和は、寝よう、と考えてくるりと背後に振り返ったとき、視界に入ったものに珍しくビクリと震え、硬直した。

 「…何故、貴様がここにいる」

 目の前には、からかうように愛でて抱きついていつも自分の胸の中で動揺する純情な少年、三笠がそこにいた。大和は久しぶりに血の気が引くのを感じて、さっきの独り言を聞かれたかと思ってサーッと顔を青くした。

 「…えーと」

 三笠も困っているように、頬を掻いていた。

 「だってここ、『神龍』だぞ…?俺がいるのは当然だろ…」

 確かにここは『神龍』の艦内だった。伊藤がいる自艦(『大和』)では落ち着けなかったので、『神龍』のところに来たのだった。ここに来ても落ち着くことは出来なかったが…。

 「…聞いてたか?」

 大和はユラリとポニーテールを揺らし、呪い殺せそうに三笠を睨んでいた。そんな大和を見て、三笠は慌てて後ずさった。

 「何を…ッ」

 三笠は、はは…と笑いながら視線を泳がせていた。鍛え抜かれた軍人としての敏感な精神で感じ取った大和は、直感した。

 「…どこまで聞いていた」

 「えっと…」

 三笠は大和に見透かされていると判断して、正直に言うことにした。

 「恋、っていうところから―――」

 「忘れろぉぉぉッッ!!」

 「どわッ!?」

 突然、大和の腰から抜かれた刀が銀の一閃を空に刻んで、咄嗟に避けた三笠を素通りして壁に接触してキィィンと跳ねた。

 じんじんと痺れる持ち手を抑えながら、大和は再び刀の先を三笠のほうに構えた。

 「待てッ!落ち着けッ!」

 三笠は刀の刃を不気味に煌かす大和のほうに右手を広げる。

 「冷静になれッ!ほら、深呼吸!」

 三笠の言われたとおり、大和は普段の冷静な自分がいたことを思い出して、落ち着くように艦魂の中で一番豊かな胸に手を当てて深呼吸した。ふぅ、と一息付いてから、三笠はおそるおそる訊ねた。

 「大丈夫か…?」

 「うむ。私としたことが、冷静さを失ってしまった。軍人として不覚…」

 三笠はほっと安堵しかけたが、大和の瞳がまたギラリと輝いた。

 「刀で斬っては殺してしまうな。柄で頭をぶっ叩いたほうが記憶も飛ぶか…」

 「待てぇぇぇぇッッ! とりあえず命は救われたようだけど俺の思い出の危機は去ってねええぇぇぇッッ!!」

 「覚悟ぉッ!!」

 「やめてええぇぇぇぇッッ!!」

 三笠の記憶を巡って戦慄した二人の争いは、なんとか大和を宥めて落ち着かせて三笠は記憶喪失の危機を脱した。

 数十分後、ぐったりと疲れたように大和は肩を落として腰を下ろしていた。

 「はぁ…」

 いつもクールで彼女たちの司令長官として強くあり続けている大和のこんな姿を見たのは三笠は初めてだった。

 「あの…」

 「ふん。 この私が恋などと口走っているのを聞いて可笑しかっただろう?もういい。笑いたければ笑えば良い…」

 「いや、別に可笑しくは…」

 「無理はしなくて良いぞ。 こんな可愛いものであれば何でも襲い掛かるような野獣にそんな甘い言葉などお笑いごとだ。笑えば良いさ、ほら笑え。ふははははは…って何故私一人だけが自虐するように笑って貴様は笑わんのだッ!」

 なんかキレた。

 「…ははは」

 「貴様、笑ったな…」

 ユラリと怪しいオーラを揺らし、再び日本刀を握った。三笠はそれを見て慌てて口を開く。

 「笑えって言ったのはそっちだろッ?!」

 「…はぁ」

 オーラが消え、握っていた日本刀を放してから、大和は再び深い溜息を吐いて肩を落とした。そんな普段とは大違いな大和の変化っぷりに三笠は驚くばかりだった。

 「…恋に悩んでるのか?誰か好きな人でも…」

 「いや、そういうわけではないのだ。ちょっとある人に恋をしたことがあるかと言われてな…」

 「ふぅん…。で、したことあるのか?」

 三笠が訊ね、大和は「ふんっ」と笑い捨てるように口を開く。

 「あるわけないだろう…。私は戦艦として一筋に生きてきた。そんなもの考えたこともなかったさ」

 「…だろうな」

 「…そうだ、少年」

 大和は三笠のほうを見上げ、一瞬戸惑うような表情を見せたが、意を決して訊ねた。

 「貴様は恋をしたことがあるか?」

 「は?」

 伊藤の質問に反応した大和と同じだった。大和は先ほどの自分を見ているような気分になったが、そんなものに構っている暇はなかった。自分よりは経験豊富そうな三笠に訊ねることに意識を集中させた。

 ジッと真剣な瞳で見詰めてくる大和に、三笠は戸惑いながらも答えようとした。

 「えっと…。よくわからない…」

 それが、答えだった。

 「…そうか」

 大和は期待外れだったという風に落ち込む様子も、特に表情を変えずにただ頷いていた。

 「では、恋とはなんだろうな?」

 大和が呟くように言い、三笠もその言葉を脳に伝達させてから考えたこともなかったという思考に辿りついた。二人してう〜んと唸る。

 「恋とは、他人に対して抱く情緒的で親密な高い関係を希求する感情で、高揚する気持ちのこと。それが辞書的な意味だ」

 大和は淡々とそれを述べてから、「フッ」と鼻で笑った。

 「だが、私はそういう知識としてでしか知らない。この心は、恋というものを知らん」

 「…それも、俺にはよくわからないけどな」

 「私より、貴様のほうがわかっているのかもしれないぞ?」

 大和が微笑み、三笠は目を丸くした。

 「貴様のほうは心も既に知っているのかもしれない。高揚しているのかもしれない。だが、貴様は気付いていないだけなのだ」

 「…さっきまで悩んでた奴のセリフとは思えないな」

 「今一つわかった。…恋というのは、他人より本人のほうがわかりにくいものかもしれんな」

 「なんだよそれ」

 「貴様には傍にいるだろ?近すぎて気付いていないだけなのだ」

 大和が三笠を見上げ、くくっと笑いながらそう言った表情を見て、凝視するような目だったが、一瞬脳内に靡いた長い黒髪を見たような気がして、ハッとなった。

 「…貴様は既に恋を知っていると思うがね」

 「なに言ってるんだよ、はは…」

 いつの間にか、自分はある一人の少女を思い浮かべていた。この感情がそうなのだろうか、と思考を巡らせるが、そうやって意識して考えてしまうと逆に気持ちが高揚してうまく思考が回らなくなる。誤魔化すように笑い、大和はそんな三笠を見てニヤリと微笑んだが、視線を逸らした。

 「それでは、少年から見た私はどんな感じだ?」

 「どうと言われても、そんなこと考えたことなかったし、今考えてもそうとは見えなかったけど…」

 「くは…っ。このままでは伊藤長官に言ってしまった私の立場はどうなるのだ…」

 大和に吹きかけたのは伊藤長官だったのか、と三笠は驚きを含ませて心の中で思い、思わず苦笑してしまった。

 「そんな無理して考えることもないと思うぞ?焦らなくても時間は―――」

 言いかけて、やめた。

 大和も無表情にジッとくうを見詰め、二人の間に沈黙が舞い降りた。

 時間など、ないのだ。自分たちはいつ出撃するかわからない。今日かもしれないし明日かもしれない。しかも生きては帰れない絶対条件の作戦だ。こんな言葉など、偽りに過ぎなかった。

 「すまなかったな」

 沈黙を破ったのは大和の言葉だった。三笠は呆気に取られると、大和は立ち上がり、三笠の方に振り返った。

 「くだらないことを聞いてしまった。忘れてくれ。…私は戦艦だ。死ぬまで国のために忠義を尽くして戦う身。そんなものに構っている暇なんてなかったな」

 「………」

 三笠は何か言おうとしたが、言葉が見つからなかった。三笠一人だけが沈黙を破らない。

 「邪魔したな。神龍によろしくな」

 翻したポニーテールの背は、眩く光りだした光の粒子に包まれようとした。

 三笠は咄嗟に、そのポニーテールに言葉を投げた。

 「大和も女の子だ。生まれたときからとっくに知っているんじゃないかな」

 光に包まれていく肩がピクリと動いて、笑みがこぼれた雰囲気を見せた。

 「きっと答えは見つかるさ」

 三笠の言葉が言い終えたと同時に、大和は完全に光と共に『神龍』から消え去った。

 大和が消え、一人残された三笠は溜息を吐いて頭を掻き、「なにしてるんだろうね俺…」と呟きながら、踵を返した。



 その日の午後、海上特攻作戦への反対の意向があまりに強い伊藤を説得するため、電話や電報の説得を無理と判断したのか、連合艦隊司令部から参謀長の草鹿龍之介くさかりゅうのすけ中将と、水上艦艇担当参謀の三上作夫みかみさくお中佐が『大和』に来艦した。

 鹿児島の鹿屋基地に宇垣纏うがきまとめ中将が司令官を務める第五航空艦隊との作戦会合のために出張していた二人は、真っ直ぐに『大和』の伊藤のもとへと向かったのだ。

 草鹿が来ようが誰が来ようが、伊藤の決意は変わらなかった。納得できない限り、こんな無謀な作戦を承諾するわけにはいかなかった。

 そして草鹿が今回の特攻作戦に関与して派遣されてきたのではないことも知っていた。草鹿は何も関与していない。ただたまたま近くにいたからという理由で派遣されてきたのだ。伊藤を説得してこい、という命令だけで。

 長官公室に草鹿と三上を招いた伊藤は、率直に訊ねた。

 「誰がこの作戦を提案したのか」

 二人は戸惑うような表情を見せたが、伊藤はおおよそは察していた。それを伝えると草鹿が安心したように「神先任参謀です」と答えてくれた。神重徳かみしげのり大佐。連合艦隊司令部先任参謀を務める海軍軍人で、神はマリアナ沖海戦や、サイパンの戦いなどで常に戦艦による突入を主張していた。日本輸送船団が米軍に襲撃されて壊滅した八一号作戦(ビスマルク海海戦)でも成功の可能性が極めて低い作戦を立案し、失敗させている。聞くところによると、神が直に豊田連合艦隊司令長官のところに私案を持ち出したらしい。しかし神だけの独断の作戦で今作戦が決定するわけがないことを、伊藤はわかっていた。

 それについては、草鹿が声を落とす風に答えた。

 「沖縄戦に関して航空機による総攻撃を行うと奏上したところ、陛下がお訊ねになられたのです。海軍には、もう戦艦はないのかと…」

 航空機による総攻撃…。航空機などどこにある。天皇陛下はただ戦艦はないのかとご質問されただけで、ただそれだけのために特攻を決意したのか?我が艦隊は確かに陛下のためにあるが、ご機嫌とりや見栄で特攻に使うためにあるのではないぞ。

 「陛下の御下問によって、豊田長官は『大和』、そして『神龍』も、特攻やむなしと判断されたようです…」

 伊藤は身体の奥底から煮えたぎるような熱さに駆られた。怒りがこみ上げてくるが、草鹿にぶつけても仕方がない。怒りを抑えて自分を落ち着かせて、慎重に口を開いた。

 「しかし航空機の援護もなしにこんな作戦が成功するとは思えない」

 「それは私どもも承知の上です…」

 「私は七千名の命を預かっている。ただの一人の兵も無駄には殺すことはできないのだ」

 伊藤は思いの丈を込めて伝えた。しかし草鹿たちも曇るように渋い表情で、空気は重いように感じられた。

 「出撃しろと言うなら軍人として従うが、その作戦は了承しかねる」

 草鹿は眼を伏せ、重い口を開いた。

 「我が海軍にはもう戦い続ける力など残っておりません…」

 「長官」

 三上がたまりかねないといった風に口を開く。

 「本作戦は、陸軍の総反撃に呼応して敵の上陸地点に自ら艦を座礁させてのし上げ、乗員は陸戦隊として戦うところまで考えられております」

 中将の司令長官に、中佐の参謀が自分の意見主張の言葉を掛ける場面ではない。しかし伊藤は咎めずに三上の言葉を聴いた。

 「そして陸にのし上げて砲台として艦は活用、乗員は陸戦隊として敵兵と交えます。海軍本懐の作戦でもあります」

 三上も耐えるに耐えられなくなって伝えたかった所存なのだろう。伊藤は眼を伏せる草鹿の次の言葉を無言で待った。草鹿は小さく震えていたが、やがて伏せていた眼を見開いて、伊藤と向き合った。その表情は鋭くて強い、意を込めたようなものだった。

 草鹿はこの瞬間を、生涯で一番辛いものだったと、思い返すようになる。

 「要するに、死んでいただきたいということです。一億玉砕の先駆けとして、その模範となるように、立派に散ってもらいたいのです。」

 草鹿は最後の言葉を、紡いだ。

 「一億総特攻の魁となって頂きたい…」

 「………」

 伊藤は煮えたぎらせていた怒りや様々な思いが、それを聞いた瞬間にすっかりと消え失せたような気がした。不思議な気持ちで、むしろ爽やかだった。

 「そうか、わかった…」

 伊藤の頷きに、草鹿は驚いた風に眼を見開いた。というよりは意外、という表情だった。

 この作戦は無謀すぎて欠点が多いが、内容が、ただ死ねというのなら、反論の余地はどこにもなかった。目的は特にない。ただ死ぬ作戦なら、反対することもできない。

 「これだけは言っておこう」

 伊藤の言葉に、草鹿は真剣な面持ちで耳を傾けた。

 「本作戦の途中で、艦の被害が甚大で作戦続行は不可能と判断したときは、現場の判断で即座に中止とするが、よろしいだろうか?」

 その時、草鹿は初めてほっと安堵したような表情を見せた。

 「それは長官がお決めになることでしょう。連合艦隊司令部としても時に励んで適切に処理をしましょう」

 「…ありがとう。よくわかった。安心してくれ」

 伊藤の心の中のわだかみは消え、清々しい気分だった。

 草鹿も表情を緩め、伊藤も微笑んだ。

 これで、すべてが決まった。

 後は、実行あるのみだった。

 伊藤は、草鹿と最後の盃を交わした。


 そうして、すべてが今ここに決まり、その後、艦隊の司令官や艦長が集められた。

 草鹿も席に参加し、訓示を行った。

 「これはとりもなおさず、今が国家存亡の危機を賭けた分かれ目にあることの証左であり、最後を飾るべく、各員奮戦健闘されんことを望む」

 草鹿が訓示を述べ終わると、その場に沈黙が舞い降りた。

 草鹿は、この沈黙を黙殺に近いと感じ取った。

 第二水雷戦隊司令長官の古村が訊ねた。

 「連合艦隊最後の出撃とお伺いしましたが、豊田連合艦隊司令長官は、どの艦に上座されますか?」

 「豊田長官は、九州の鹿屋前線基地に移動されて、そこで指揮を執られる」

 司令官と艦長たちが不満な声を漏らし始める。

 「何故、長官も参謀長も防空壕から出て、特攻作戦の陣頭指揮を執ろうとなさらないのかッ!」

 第二一駆逐隊司令長官の小滝が怒りを露にした声で訊ねた。

 草鹿は艦長たちの濃くなる不満と抗議の声に対応できずにいた。

 その時、不満の色を濃くする全体を見渡した―――

 伊藤は、言った。

 「我々は死に場所を与えられた」

 このたった一言で、全体がシンと静まった。

 抗議の色を濃くしていた司令官と艦長たちの視線が伊藤の一点に集中していた。

 司令官と艦長たちが静まったのを確認すると、さらに続いて言った。

 「我々は一億総特攻の花がけとなる。出撃は一六○○。以上だ」

 その言葉に、司令官と艦長たちは一斉に立ち上がった。

 ここに全艦隊は、確かに特攻作戦を決意したのだ。



 草鹿と三上は水上艇に乗って岩国基地に向かった。

 二人が帰る前、三上が伊藤に「私も連れていってください」と懇願したが、それを聞いていた山本祐二第二艦隊先任参謀に「我々は連合艦隊司令部の監視がなくても立派にやってみせるッ!」と一喝され、三上は断念せざるをえなかった。

 伊藤は二人の気持ちはわかっていたが、何も言わなかった。

 第二艦隊の第一遊撃部隊十一隻のマストには、既に出航準備完了を告げる整備旗が潮風に吹かれて静かに靡いていた。

遂に次回、第二艦隊は沖縄に向けて海上特攻作戦を発動し、出撃します。

いよいよ本格的にクライマックスが近づいている模様です。架空戦艦である『神龍』を含めた第二艦隊はどう戦うのか、そして『神龍』もどう戦い、護り抜こうとするのか。何を護るのか。護衛戦艦としての本領発揮が期待されます。

これからお盆に入りますので、お墓参りやら色々な都合でしばらくは更新は出来なくなります。十六日まで更新は不可能ですが、更新は十七日以降になります。

普段から更新はどちらかというと早いほうではありませんでしたが、しばらく更新できませんので、良かったら次回の更新をお待ちください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ネット小説ランキング>歴史部門>「護衛戦艦『神龍』 〜護りたいものがそこにある〜」に投票 ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。(月1回)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ