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<二十一> 海上特攻作戦出撃命令

 三月二十八日、戦艦『大和』率いる第二艦隊は、第二水雷戦隊旗艦『矢矧』と駆逐艦八隻を伴って、呉軍港を出航した。

 その中には、『大和』と同等に目立つ『神龍』の巨艦もあった。

 出航する艦隊に、艦の挨拶恒例の『帽振れ』が行われた。秘密裡の出航であったのに呉に残る艦艇の甲板に集まった兵員たちが、笑顔で軍帽を振ってくれた。伊藤は艦橋から、三笠は甲板からそれらの光景を眺め、特別な感情に浸っていた。

 「総員、帽振れ!」

 榛名が軍帽を取ると、整列する艦魂たちも自分の軍帽を取って、帽振れを行った。呉に残る艦魂たちが、出航する仲間たちに向かって、軍帽を振る。

 出航していく艦の艦魂たちも又、軍帽を振って見送ってくれる艦魂たちを眺め、自分たちも軍帽を取って振っていた。

 神龍も三笠の横で、軍帽を振っていた。



 出撃前、三笠が広島から呉に帰る途中、三笠は広島の街を歩いていた。

 人々で賑わう都市。そんな街の中を歩いていると、人々の日常が肌を通じて感じられる。

 行き交う人々と車。石油が底を尽きた日本を走る車は、木炭自動車だった。電柱にも、『うちてしやまん』『本土決戦』などの貼紙が貼られ、やはり人の日常にもどこかに戦争の影響が見られた。

 はしゃぐ子供たちが三笠の横を通り抜ける。戦争によって物資や食料が足りない世の中。飢えている子供も多いだろうに、通りかかった子供たちは元気に遊んでいた。三笠は子供たちが走りゆくやせ細った背中を一瞥した。

 路面電車には人々が溢れるように乗っている。人々を乗せた路面電車は高い建物の間の線路を通っていった。

 道端に咲き誇る桜の木が眼に入った。そして三笠は感嘆の声をあげた。

 「…咲いたのか」

 桜はその可憐さを開花させ、咲き誇っていた。木が、空気が桜のピンク色に染まっているようだった。鼻には桜の甘い香りが漂う。

 ふわり、と桜の桃色の一片が三笠の鼻先と眼前に舞い降りた。

 三笠がそれを摘むと、いとも簡単にその桜の花びらが、三笠の手におさまった。

 手を広げ、掌に桜の花びらがあった。



 『大和』と同等の巨艦から放たれる雰囲気は、『大和』と同様主力艦を思わせるが、『神龍』の存在意義は、主力艦ではない。主力艦を護る、護衛の任を一生涯受けているなんて、知らない者ならそうは見えないだろう。しかし『神龍』はただの戦艦ではない、護衛戦艦なのだから。

 『神龍』が『大和』を護衛する形で、『大和』率いる第二艦隊と第二水雷戦隊は、佐世保に向かう途中の、山口県の三田尻沖を目指した。豊後水道を一気に南下するためだった。

 『神龍』が殿しんがりを取り、『大和』を護衛する。そして第二水雷戦隊は『大和』の前を先行して、島と島の間にある狭い水道の中を航海していた。

 しかしその途中、『大和』が各砲の訓練をしているとき、伊藤のもとに電報が入った。

 「作戦は中止だと?」

 囮作戦中止の報せだった。

 「はい。敵機動部隊の空母の艦載機が九州南部と奄美大島を爆撃しているという報告がありました。我が艦隊の進路上、危険ということで中止にするとの事です」

 「そうか…」

 それを聞いた伊藤と、そして大和は、ほっと胸を撫で下ろした。

 意味の無い無策な作戦が中止になったのだ。とりあえず良かったと思った。

 艦隊は、三田尻沖で足止めを喰らった。

 伊藤は長官室で、大和と向き合っていた。

 「意味のない作戦が中止になったのは良いが…」

 大和は安堵した反面、気になるところもあった。

 「わかっている。…沖縄だろう?」

 伊藤の言葉に、大和は頷いた。

 沖縄の情勢は、『大和』の電信室によく報告が届いているので、詳しい情報は詳細にわかっていた。

 三月二十三日、アメリカは沖縄上陸作戦の前触れとして沖縄にある全ての日本軍飛行場に対して千機以上の艦載機で爆撃を開始した。次の二十四日には、米機動部隊の艦砲射撃が沖縄に鉄の雨を降らした。

 そして攻撃された飛行場には、十五機しかなかった。それが沖縄の日本軍が持つ飛行機の全ての数だった。その十五機も、二十六日には全て、沖縄海域を包囲する米機動部隊に突撃している。

 呉を出航した二十八日未明、全艦に作戦中止が言い渡され、艦隊は翌日未明に徳山沖に停泊した。

 その頃、『大和』を見失った米軍は、『大和』を瀬戸内海に封じ込める作戦として戦艦『大和』瀬戸内封じ込め機雷作戦を敢行した。沖縄上陸作戦を控え帝国海軍残存艦艇の脅威を取り除くため、XXI爆撃機集団B-29・一〇四機は関門(下関)海峡に機雷を投下。

 三月三十日には、呉軍港と広島湾が一〇三四個の機雷で埋め尽くされてしまう。『大和』率いる第二艦隊と第二水雷戦隊は二十八日に呉を出ているため、正にギリギリだった。だが、呉軍港に帰還するのが困難な状態に陥ってしまった。

 もう、二度と呉に帰れないことは明白だった。

 主砲の上で、体育座りした神龍と、その横で仰向けに身体を倒した三笠がいた。

 「はぁ…」

 神龍は長い黒髪を潮風に揺らしながら、溜息を吐いた。

 「どうした神龍。浮かない顔して」

 神龍の隣で外の空気を吸っていた三笠は神龍に訊ねた。三笠はついさっき蒸し暑い烹炊所から出てきたばかりだった。

 「そりゃ浮かない顔もしますよ…。作戦は中止になるし、帰る呉も敵が投下した機雷のせいで帰るのが難しくなったし…。私たちは一体どこに向かえばいいんですか…」

 「まぁ、仕方ないさ。だけどなんとか呉に帰れるようにしてみるらしいぞ。いつまでもこんなところに留まってるわけにもいかないしな。 …ったく、敵さんめ。日本の内海に機雷なんか落としたら後始末が大変だろうが。戦争が終わった後、誰が片付けるんだ…。後先考えろっての」

 三笠は不満を吐き捨て、神龍はションボリとしていた。

 三笠は起き上がって、そんな神龍に袋包みを掲げた。

 「ま、次の出航まで待つとしよう。焦ることはない」

 「三笠二曹、それは…?」

 「おすそ分けだ」

 三笠の言葉に、神龍はぱぁっと表情を輝かした。さっきまでションボリとしていたのに、切り替えが早かった。

 予想通り、袋包みをハラリと解いて出てきたのは、白い握り飯だった。

 「三笠二曹のおにぎりは久しぶりですね」

 「そうだな。最近は色々とあったからな…」

 三笠は神龍に握り飯を一つ渡して、自分も一つを手に持った。

 「あむっ♪」

 嬉しそうに握り飯を頬張る神龍を微笑ましく見詰めてから、三笠も握り飯を口にした。

 「なんだか前より美味しくなってる気がしまふ♪」

 「そんなことはない。握ってるだけなんだから味は変わらない」

 「いえいえ」

 神龍は一口を頬張ってからごくんと飲み干した。

 「おにぎりというのは人が直接触って握るものです。ですから握る人の想いがこもっているんです。その想いが優しいほど、おにぎりは美味しくなるんです」

 「…くっ」

 「な、なんで笑うんですかっ」

 「いや…食ってる奴が作った奴よりわかっているような言い方するからさ」

 「…食べた人のほうがわかるんですよ。こういうのはやっぱり食べて美味しいと思う人が、よくわかるんです」

 「そういうものなのか…」

 三笠は微笑み、神龍は頬を朱色に染めながらも握り飯を頬張っていた。

 こんな平和がいつまでも続けばいい。

 こんな時間がいつまでも終わり無く続いてくれれば…

 幸せなのに。

 神龍は、三笠は、そんなことを考えて不思議な感情を抱いていた。


 

 三月二十九日、全乗員に上陸許可が降りた。

 これが、最後の上陸であることは全員が覚悟していた。

 『大和』率いる第二艦隊と第二水雷戦隊が佐世保に向かうと聞いたときから、そしてこのタイミングで上陸許可が降りたことに乗員たちは全員容易に想像できていたのだ。

 沖縄が米軍に攻撃されている情勢を知っている乗員たちは、いつか沖縄に向かうことを覚悟していた。

 これが、最後の上陸――――

 大勢の兵員たち、特に少年兵たちが乗る内火艇を見送る神龍の横に、三笠がいた。三笠も最後の上陸に向かう兵員たちの背をどこか愁いているような瞳で見詰めていた。

 「三笠二曹は、上陸なさらないんですか…?」

 「ん?ああ…。 姉と妹には先日会ったばかりだし…。姉のほうはとっくに横浜に帰ってるだろうしな。妹も疎開生活で大変だろうし」

 「そうですか…」

 普段なら寂しさから三笠の上陸を拒んでいた神龍だったが、この時だけは違っていた。他の兵員同様、これが最後の上陸になるであろう。だからこの時だけは快く彼の自由に見送ってあげようと思っていた。

 もしかしたらもう家族に会えないかもしれないのだ。

 だから三笠には上陸してもらってほしかった。

 「いいんだよ」

 三笠はぽん、と神龍の頭に手を置いた。そしてわしゃわしゃと撫で始める。

 見上げて見た三笠の瞳は、見透かしてるような瞳だった。その瞳から、わかっているという思いがあった。神龍は無言で、そんな彼の瞳を見詰め、微笑んで頷いた。



 

 四月一日、遂に米軍が沖縄本島に上陸を開始した。その勢力は海兵師団三個師団と聞かされた。

 日本の県の一つである沖縄は、これまでの硫黄島や台湾と違って、古代からの正真正銘の領土だ。本土決戦の一部と言っても過言ではない。沖縄には県民五十万人が日常を暮らし、日本軍もおよそ十万人の兵力が沖縄に集結していた。しかし上陸した米軍の兵力とを比べると圧倒的に劣勢であった。

 日本軍十万人に対し、米軍側は艦艇一三〇〇隻、航空機一八〇〇機、戦車五〇〇輌、地上兵力約十八万人だった。

 沖縄に米軍が上陸する前から、フィリピンを奪われた日本は、次に米軍が攻略する地域は沖縄・台湾と、容易に想像できたが、間の悪いことに沖縄駐在の兵力を台湾に移動してしまった。これによって唯でさえ兵力に余裕がない日本は、圧倒的兵力を以って沖縄に上陸してきた米軍に更なる劣勢を強いられることになってしまった。もちろん米軍も台湾を攻略範囲に考えていたが、数々の考慮の末、結局攻略対象を沖縄・硫黄島に変えて、硫黄島を攻略した米軍は

あくまで日本本土を目標とするため、台湾ではなく沖縄攻略を開始したのだ。

 米軍側はこの沖縄上陸作戦を、アイスバーグ作戦と呼んだ。

 事前に『鉄の暴風』と呼ばれる艦砲射撃と爆撃機の爆撃支援を行った米軍は、沖縄に上陸してから、上陸地点近くにある嘉手納、読谷の両飛行場を制圧した。その日の内に東海岸にまで到達し、沖縄の日本軍は南北に分断されてしまった。

 沖縄の米軍の進撃は激しさを増し、日本軍も抵抗を続け、沖縄の地上戦はやがて民間人を含めた熾烈な戦闘へと変わっていくのだった。

 透きとおるような海面にサンゴ礁が広がる沖縄海域は、無数の艦艇によって埋め尽くされていた。

 沖縄海域を埋め尽くした米英大艦隊の中、空母『エンタープライズ』から、支援爆撃機が沖縄本島に向かって飛び立っていった。

 支援爆撃機の翼が金髪を靡かせた彼女の頭上を通過する。

 頭上を通過させ、飛び立っていった獰猛な海鷲に向かって、金髪蒼眼の艦魂、エンタープライズは軍帽を振って叫んでいた。

 「ジャップを殺し尽くして、オキナワを占領せよ!オキナワを我が軍の手中におさめ、次は日本本土よッ! ジャップは殺して殺して殺し尽くすのよッ!!」

 飛び立つ支援爆撃機の突風か、彼女の燃えるような戦意か、エンタープライズの長い金髪は荒々しく靡いて乱れ、蒼い瞳は炎が燃えているように赤かった。

 そんな彼女を後ろから、他の米航空母艦の艦魂たちが、各々の視線で見詰めていた。

 「エンターさん…恐いです…」

 一番背が低いマスコット的存在のヨークタウンが怯えるような瞳でエンタープライズの乱れる長い金髪の背を見詰め、ぎゅっとホーネットの身体に抱きついていた。

 「にゃはは☆ エンタープライズも張り切ってるね〜。よーし、ジャップは殺して殺して殺し尽くせ〜」

 猫のようなイントレピッドが気楽に笑いながらエンタープライズを真似るように腕を掲げる。

 「全然似てないよお姉ちゃん…」

 彼女はエセックス級航空母艦七番艦『バンカー・ヒル』の艦魂。米航空母艦の中で唯一眼鏡をかけた少女で、黒髪だった。縛ったポニーテールが可愛らしい。バンカー・ヒルが溜息を吐いてイントレピッドの頭を小突く。

 「痛ッ。なにするのよぉ〜」

 「あまりそういう言葉を使うものじゃないですよ。殺す、とか…。そんな連呼していい言葉じゃありません」

 「エンタープライズなんて言いまくってるじゃん」

 「あのヒトは…荒いですからね…。だからってお姉ちゃんまで真似しちゃ駄目ですよ」

 「…でもさ。フランのことを思い出すと、そういう言葉も出したくなるよ正直…」

 「………」

 彼女たちの姉妹、エセックス級航空母艦五番艦『フランクリン』の艦魂、フランクリンは三月十八日の呉空襲を含めた日本本土攻撃作戦で、爆撃機と特攻機の攻撃を受けて沈没寸前の大破という大損害を被り、今は米本土に帰投している。しばらくは戦線復帰は、彼女たちのところに戻ってくるのは無理だろう。

 「…フラン、本当に死ぬかもしれなかったからなぁ…。それを思うと仕返ししてやりたいよ。姉として」

 「…お姉ちゃんの気持ちはわからなくもないですよ」

 普段は一番元気に関しては負けないイントレピッドも、姉妹のフランクリンが死ぬ寸前の重傷を負って祖国に向けて帰ってしまったということを聞いてから、いつもの元気がない日もあった。バンカー・ヒルも落ち込んだ表情になり、その場に重い空気が包む。

 「…それでも、私は」

 ホーネットに抱きついた少女、ヨークタウンの漏れた言葉に、空母の艦魂たちは視線をヨークタウンに集中した。

 「…あまり敵を、殺したくないな」

 ヨークタウンはエセックス級姉妹の中では次女に当たるが、数多い姉妹の中で背が一番低く仕草も中身も幼い。だから純粋で心優しい小さい女の子であるヨークタウンにとって、戦争というのは好むことは絶対に出来なかった。

 「…ヨーク」

 ヨークタウンに抱きつかれるホーネットも、ヨークタウンと同じ平和主義者である。だからヨークタウンが最も心許せる相手は、実の姉妹たちではなく、本当に優しいお姉さんのようなホーネットだった。

 「そうだね、ヨーク…。敵といっても、敵も人間。そして私たちと同じ艦魂。私たちも敵も皆同じなのよね」

 ホーネットの優しく掛ける言葉に、ヨークタウンはコクンと頷いてホーネットの豊かな胸の中に顔を埋めてしまった。

 ヨークタウンも、フランクリンの姉である。いつも自分をからかう妹だったが、妹があんな目に合って、ヨークタウンも悲しいに違いなかった。しかしそれでも戦争はやはり嫌だった。

 彼女の複雑に混じる心情を察して、イントレピッドたちも黙ってしまった。

 遠くの艦首部分で、エンタープライズの高らかな威勢を込めた声がただ響くだけだった。



 四月三日、海軍兵学校を卒業した新少尉候補生六十七名が第二艦隊に着任した。『大和』に五十三名、『矢矧』に十四名が乗艦した。

 そして『大和』と『神龍』には、海軍経理学校を卒業した主計科候補生数名も乗艦した。

 乗艦する主計科候補生たちを、三笠と神龍が見ていた。

 「三笠二曹の後輩ですね」

 「後輩というより、部下だな」

 「私は先輩後輩っていう関係の方が好きですけどね〜」

 「お前は女子高生か?」

 「いいじゃないですか〜。ふんっ」

 神龍が鼻息を鳴らしてそっぽを向き、三笠は苦笑して神龍を宥め、乗艦する主計科候補生たちを見ながら思っていた。

 そんな何かを思う三笠を、神龍は察して訊ねた。

 「どうしました?」

 「…いや。あんな俺より若い奴らまでさ、戦場に行かなきゃならないんだよな…。日本の未来を託さなければならない若者までさ、こんな戦場に近いところに来て…。 俺はあいつらだけでも戦場には行かせたくないと思うんだ」

 「三笠二曹…」

 「まぁ、俺も若いけどな」

 「…そうですね。三笠二曹もまだ十九なんです。大人でもありません」

 「…大人、か。俺たちは大人になれるのかな」

 「なれます。生き残って、子供を卒業して大人になるんです。誰だって。…でも、私たち艦魂は、本体である艦はどれだけ艦齢を取っても、この姿は変わりません」

 「いいじゃないか。人間にとっては不老だなんて羨ましい限りかもしれないぞ」

 「…いえ。私たちは、子供でも、大人でもない。中途半端な姿です。この身が果てるまでずっとです。これはこれで、悲しいのかもしれませんよ…」

 神龍はどこか悲しそうな瞳を揺らしたが、三笠が口を開く前に、すぐに活気を瞳に宿してにっこりと微笑んだ。

 「だから私たちより人間である三笠二曹のほうが、生きるのにとても有意義なものがあるんです。生きてください。生きて、大人になって、この国の未来を築き上げてください」

 にっこりと微笑む神龍に、三笠は何か言いかけるが、止めて三笠も微笑んだ。

 「…わかったよ、神龍。でも、お前も生きろよ?お前がこれから生き続けて姿を変えることができなくても、俺にとってはそのほうがいい。ずっと変わらないお前の姿が見られるからな」

 「え…?」

 「………」

 自分は今、ものすごく恥ずかしいことを言ったのではないだろうかと今更ながらに気付いた三笠は顔を赤くさせ、神龍を一瞥した。神龍も三笠を見上げ、その頬を朱色に染めていた。それを見て三笠は赤くなった顔を見せないためにそっぽを向いた。

 そんな三笠に、神龍は嬉しくて温かい感情がこみ上げてくるのを実感しながら、クスリと微笑んだ。

 「ありがとうございます、三笠二曹」

 自分はこれまでに何回、彼にこの嬉しくて温かい感情をもらって、この言葉を言っているのだろうか。こんな時間と言葉が、今まで何回あって、そしてこれからも何回言うことがあるんだろう。そんな未来を想像して、この言葉を何回言うことになるのかな、と思いながら神龍は嬉しそうに微笑んでいた。


 海軍兵学校卒業生たちが着任したこの日の午後、『大和』の伊藤のもとに、第二水雷戦隊の古村啓蔵こむらけいぞう少将がやって来た。

 「航空力のない第二艦隊はもはや有効な機能を持つとは思えません」

 古村の言葉に、伊藤は同意だった。

 「私もそう思う」

 古村は一瞬戸惑うような仕草を見せたが、口を開いた。

 「はい。ですから、この際、第二艦隊を解散して不要な人員を陸揚げしてはどうかと考えます」

 「ふむ…」

 「これは、第二水雷戦隊各艦長の一致した意見です」

 伊藤は古村の各艦長を代表した言葉を聞いて、ジッと見詰めてから、頷いた。

 「私もそう思っていた。山本先任参謀を呉に派遣して豊田連合艦隊司令部に秘密電話をかけてもらおう」

 伊藤の言葉に、古村はほっとした雰囲気になった。

 伊藤も、これが受け入れられれば無駄な死をすこしでも減らすことができると考えていたのだ。若い少尉候補生たちが乗艦する様を見て、国の未来を背負った若者たちを生かすことを思っていたのだった。

 しかしその提言は実現することはなかった。何故なら、山本先任参謀を派遣しようとした矢先、連合艦隊司令部から命令が通達されたのだ。

 それは、沖縄における陸軍第三二軍の総攻撃に呼応して第二艦隊に下された『天一号作戦』の一環だった。

 GF(連合艦隊)電令作第六〇三号が伊藤のもとに届いた。

 「第一遊撃部隊<『大和』『神龍』、二水戦(矢矧及駆逐艦×六)>ハ海上特攻トシテ八日黎明沖縄ニ突入ヲ目途トシ。急速出撃準備ヲ完成スベシ」

 ―――連合艦隊司令部からの、海上特攻準備の発令だった。

 伊藤は怒りに震え、机をドン!と拳で叩いた。森下参謀長は黙って俯いた表情で伊藤を見詰め、大和も冷静に、クールに黙していた。

 「…特攻?この『大和』と…第二艦隊が…?こんな馬鹿な話があってたまるか…ッ」

 伊藤はその後、怒りに駆られて連合艦隊司令部に反対意識を強めた意向を伝えた。

 大和もそんな伊藤の横で、冷静に頭の中で分析していた。

 「(沖縄突撃の成功は極めて少ない…。…私はともかく、その代償として神龍や、他の艦艇が失うのは大きすぎる…。そして七千名の尊い命もある…これは、無謀としか言い様がないな)」

 しかも、作戦の具体的内容、その目的がわからない。敵機動部隊の囮となるのか、それとも陸軍と共に突入する捨て身の作戦なのか、そこの所がはっきりしていなかった。

 大和の考えていた通りに、伊藤も同じことを考えていた。そしてそれらの点を主張として掲げ、さらに艦隊内でも突入兵力が少なすぎるという反対意見を盛り込んで、連合艦隊司令部にそれらを加えた反対意向を表明した。

 午後三時、再び命令書が着電した。

 GF電令作第六〇七号。

 「一、 帝国海軍部隊及六航軍ハX日(六日以降)全力ヲ挙ゲテ沖縄周辺艦船ヲ攻撃撃滅セントス。

 二、 陸軍第八飛行師団ハ右ニ協力攻撃ヲ実施ス。第三十二軍ハ七日ヨリ総攻撃ヲ開始。敵陸上部隊ノ掃滅ヲ企図ス。

 三、 海上特攻隊ハY−1日黎明時豊後水道出撃。Y日黎明時沖縄西方海面ニ突入。敵水上艦艇並ニ輸送船団ヲ攻撃撃滅スベシ。Y日ヲ八日トス」

GF電令作第六一一号。

「一、 電令作第六〇三号ニヨル第一遊撃部隊兵力ヲ大和、神龍、二水戦(矢矧及駆逐艦八隻)ニ改ム。

 二、海上特攻隊豊後水道出撃ヲ第一遊撃部隊指揮官所定トス」

 「海上特攻は避けられないようだな…」

 扉越しに背を預けて腕を組んだ大和が、電令書を読んでいた伊藤に視線を向けた。

 「そのようだ。どうしても我が艦隊を特攻に往かせたいそうだ。これを…」

 伊藤が机の上に広げた紙面に、大和は歩み寄って、それを覗き込む。

 それには、第一遊撃部隊の定められた編成が載っていた。


 第二艦隊

 司令長官:伊藤整一中将

 旗艦:戦艦『大和』

 護衛戦艦『神龍』及ビ第二水雷戦隊九隻

 第二水雷戦隊

 司令長官:古村啓三少将

 旗艦:軽巡洋艦『矢矧』

 第四一駆逐隊『冬月』『涼月』

 第一七駆逐隊『磯風』『浜風』『雪風』

 第二一駆逐隊『朝霜』『霞』『初霜』

 

 目を細めて黙って編成を見詰め続ける大和に、伊藤は口を開いた。

 「私の反対意見の抗議に対しての配慮として、駆逐艦を増やすことで譲歩した、ということだ」

 姑息なやり方だ、と大和は思ったが口にはしなかった。

 伊藤はさらに反対の意向を伝え続け、結果として、豊後水道への出撃日時は伊藤が自由に決めて良いということになった。作戦自体を変えたり消したりすることはやはりできなかった。

 こんないくつも条件を付けられようがこの作戦を呑むはずがない伊藤だった。むしろそのやり方にも怒りさえ覚えていた。

 だが、それでも司令長官として作戦準備だけは艦隊に命令して行わなければならない。伊藤は艦長たちを呼んで命令を伝えた。

 「すまないが、作戦準備に取り掛かってくれ。いつでも出撃できるように」

 艦長たちは来るべきときが来たと核心し、そして伊藤の隠す心境を察して、了解と、応えた。

 伊藤は司令長官としてやむなく出撃の準備は下令したが、その心はまだ、断固として出撃は反対だった。

 第二艦隊の『大和』をはじめとして、『神龍』や他艦艇の艦橋や艦内は慌しくなった。

 『大和』艦上には、能村のうむら副長が前甲板に兵員たちを集合させていた。そして有賀艦長から命令が伝えられ、訓示が行われた。続けて能村副長の訓示を行って、兵員たちは意気揚々に訓示に応え、解散した。それぞれの持ち場に戻り、作業を始めた。

 『神龍』艦上でも、草津艦長から訓示が行われ、兵員たちの士気は最高潮に高まっていた。

 可燃物の陸揚げが開始され、燃える椅子、テーブルなどは全て輸送短艇に乗せられ、処理された。

 訓示を終えて解散した兵員たちが自分たちの持ち場で作業しているとき、訓示が行われた前甲板には、第二艦隊の艦魂たちが集まっていた。

 「全員、揃っているな」

 艦首に掲げられる日章旗を背に、大和が並んだ艦魂たちを見渡した。皆、その表情は強い覚悟を持って引き締められていた。それを確認すると、大和は微笑み、頷いた。

 「我が艦隊は、近日、沖縄に向けて出撃することになった。皆、覚悟していたと思うが、遂にこの時が来たのだ」

 大和の訓示が始まった。神龍をはじめとした艦魂たちは黙って直立不動で耳を澄ます。

 「沖縄は最早崩壊寸前の絶対国防圏の最後の砦だ。沖縄を失えば、次は日本本土に敵が攻め入ることになる。祖国のため、日本国民のため、国と国民を護るために我々は出撃し、沖縄にいる敵を殲滅する。正に、皇国の興廃はこの一戦に託される」

 大和が並んだ艦魂たちの前を長いポニーテールを揺らしてゆっくりと歩きながら、訓示を続ける。大和の訓示は時間が刻々と経つにつれても終わらない。しかし艦魂たちは真剣な表情を保ったまま、大和の言葉を一つ一つ聞き漏らさない。

 「私、祖国が生み出した世界最大不沈戦艦である『大和』と共に往く。そして祖国が託した、最後の希望、大艦巨砲の再来を任せた『神龍』が我々と祖国を護る!我ら、己の身が果てる時まで同志と共に沖縄の地へと往かん。沖縄には我らを待つ五十万の人々と十万の友軍がいる。それを肝に銘じ、出撃すべし。 …この身が、我らの身が朽ち果てるのは必至であろう。だが―――」

 カッと踵を揃え、大和は腰にさしていた軍刀を掲げ、高らかに叫んだ。

 「一億の花がけとして、放たれよッ!!」

 大和の言葉に、艦魂たちは一斉に「おおおおぉぉっ!!」と甲高い声をあげた。

 大和の訓示が終わり、士気を高めた艦魂たちはそれぞれの自艦に戻った。大和は神龍を一瞥したが、神龍の表情はなにかを決意したような、強く引き締められた表情だったが、その仮面の裏に隠された感情、そして想いに、大和はすぐに気付いていた。

 だが、大和は何も言わずに、神龍が光に包まれて自艦に戻ろうとする背を見詰めていた。



 神龍たちが自艦に戻り、一人残された大和の耳に、兵員たちの泣き叫ぶような声が聞こえた。

 それは、故郷に向かって別れを叫ぶ兵員たちの声だった。

 中には泣き叫ぶように、愛する者の名を、家族を。揺れる海の向こうに見える内地の故郷に向かって兵員たちが身を乗り出して叫んでいる。

 泣き崩れる者もいれば、直立不動で敬礼する者もいる。皆、もう会えない人を思い浮かべながら、別れの言葉を大いに叫び、覚悟した。

 大和は軍帽を深く被って眼を隠し、ポニーテールを翻してその場を離れた。

 

 

 可燃物陸揚げを終え、三笠は一人、自室で手紙にペンを走らせていた。

 可燃物を処理したため、机や椅子はない。だから書きづらいが、そのまま手に持って紙面にペンを走らせている。時々、チラリと、最近撮ったばかりの自分と姉妹の三人の写真を見ながら。

 「三笠二曹、何を書いてるんですか?」

 神龍が現れ、三笠が書いている手紙の中身を覗く。三笠はただ、普通に答えた。

 「遺書だよ」

 「―――ッ! …ごめんなさい」

 平然と答えた三笠に、神龍は申し訳ない気持ちになってシュンとなった。三笠は目を丸くして、それから笑った。

 「なに謝ってるんだよ。いつ出撃するかわからないんだ。遺書を書くのは当然だろ?」

 「…これ、前に撮ったっていう写真ですか?」

 神龍が三人が映った写真を手に持って見詰める。三笠の周りには二人の姉と妹がいた。姉の表情は嫉妬するほどに綺麗で美しく、妹はすこしだけ無愛想だけどそこが可愛らしかった。頬がちょっと染まっているように見える。そんな二人と一緒に、三笠がはにかんだ笑顔で映っていた。

 「…幸せな写真ですね」

 「そうか?」

 神龍の言葉に、三笠は笑った。

 「俺はこうしていつ死ぬかわからないけど、二人はずっと生きてほしいよ。両親はいないし、俺もいなくなるかもしれないけど、二人は強く生きてほしい」

 三笠のその思いは、今正に遺書と呼ばれる紙面にペンを走らせ刻まれていた。

 「三笠二曹は…いなくなったりしませんっ」

 神龍はジッと三笠を見詰め、ムッとしていた。三笠はそんな神龍を見て目を丸くしたが、微笑んだ。

 「…でも今度の作戦は特攻作戦だ。正に命を賭けた作戦だ。…いや、賭ける前からなくなることを前提にしているな」

 「それは全員…私だって同じです」

 「そうだな。でも…」

 三笠はふと悲しそうに瞳を揺らし、神龍はズキリと心が痛むのを感じた。こんな彼の表情を見たくなかった。

 「お前にも、生きてほしいよ…」

 その言葉の語尾が弱々しく紡がれた。三笠は、悲しそうに揺らした瞳で神龍の瞳を見続ける。神龍もずっと三笠のか弱い視線を絡み続ける。しかしか弱すぎて、ちょっとでも強く握ったりしたら簡単に切れてしまうようで怖かった。

 神龍はぐっと胸の前に手に力を込めて、下唇を噛んだ。

 「…そういうわけにはいきません」

 神龍は強い決意を込めたような瞳で、三笠を見詰めた。

 「―――私は、護衛戦艦です。ただ敵を撃滅する目的で生まれたわけではありません。その名のとおり、なにかを護るために生まれた戦艦です」

 神龍は続ける。三笠は黙って聞き続ける。

 「これまでに数知れぬ艦艇が、仲間たちが海の底に沈んでいきました。ですから、私だけ逃げるわけにはいきません。私は、逃げないで、護るべきものを護るために戦うことを覚悟したんです」

 こんな少女が、『覚悟』という言葉を使うなんて、と三笠は心に重く圧し掛かったように感じた。

 『覚悟』なんて、軽々しく言える言葉ではない。とても重いものだ。心に刻み、決意する。それは死ぬことと同じくらい重いものだ。

 「そして私は護衛戦艦として、既に今では時代錯誤と化してしまった大艦巨砲主義復活を願って作られました。私はそれを復活させる使命もあるものだと思いました。しかし、最近私はこう思います―――」

 神龍は一度目を瞑ってから、ゆっくりと開いた。

 「最後の戦艦として、護衛戦艦として大艦巨砲主義の時代を真に幕閉めすることが、私の使命ではないのかと」

 「神龍…!」

 「なんて、最近は考えちゃってるんです。だから私は今度の作戦に出て、私自身が大艦巨砲主義の時代の終止符を討つんです。この、護衛戦艦である私が」

 「…お前は、それが護衛戦艦としての役目だと思っているのか?護る祖国を護ることももちろん使命の一つだろう。でももう一つ、日本が築き上げた大艦巨砲を護るのも、お前の使命じゃないのか?それだと、お前が言っていることだと、護衛戦艦として在る自分と矛盾していることになるぞ…」

 「いえ…」

 神龍は首を横に振る。

 「私は私。護衛戦艦です。大艦巨砲主義を私自身が護り通し、最後の幕閉めも、私自身が終わらせるということです。誰にもさせない。敵機にその役はさせません。私自身が、最後の最後まで、大艦巨砲主義の最後を仕切る」

 「…まさか、お前」

 「…もし、そうなればの話ですよ」

 神龍はニッコリと微笑んだが、それはまるで仮面。偽りの笑顔。その裏には、奥には本当の想いが隠されてることに、三笠はわかっていた。

 「ただ私と共に往く三笠二曹や他の乗組員たちが心残りですが…」

 「―――お前が、そう言うなら俺も最後まで付き合う」

 「え?」

 三笠はぐいっと神龍の右腕を引き、自分の胸の中にすっぽりと神龍をおさめてしまう。神龍は顔を赤くしたが、三笠は神龍の長い黒髪の頭を優しく撫でた。 

 「俺は最後のときまで、お前と共にいる。お前の使命を、俺にも分けてくれ」

 「三笠二曹…」

 「頼む」

 ぎゅっと、三笠は神龍を抱き締める。神龍は彼の温もりが、とても温かい、と想っていた。彼のいつか聞いたことがある心臓の鼓動が間近にあった。この鼓動をいつまでも聞きたい。いつまでも止まることがないように、と願っていた。

 「…それは、一緒にいたいということですか?」

 自分はなんて意地悪なんだろう、わかっているのにわざわざ彼の口から聞き出そうとするなんて、でも聞きたかった。

 「そうだ」

 三笠は答えた。神龍は頬を朱色に染めた。

 「俺はお前と一緒にいたいんだ。こんな俺だけど、お前と最後まで付き合いたい」

 「…嬉しいです。三笠二曹」

 神龍もぎゅっと三笠の背に手を回し、抱き締めた。

 「…お願いします」

 二人は抱き締めあい、お互いの温もりを感じていた。久しぶりに感じる温もり。二人の鼓動が今、同一するように高鳴っていた。

 彼彼女たちの、運命のカウントダウンが始まった瞬間だった。

 沖縄には、確かに彼女たちが護るべき日本国民五十万人が、彼女たちを待っていた。

遂に沖縄に向けて特攻作戦です。天一号作戦の一環である水上特攻作戦がまもなく展開される予定です。次回は遂に、伊藤長官が最後まで反対していた出撃を草鹿中将との交渉で決意し、神龍たちはいよいよ出撃していきます。最後までどうぞお付き合い頂ければ嬉しいです。応援宜しくお願いします。


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